5-7

「葉山、そのネクタイは……?」


 男子用制服のアイテムであるネクタイを取りだし、いきなり身に付けたものだから、リボンを着用する調理部部長は開いた口が塞がらないようだった。自分のほうこそ奇異な恰好をしているのに、わたしがそうすると驚いてしまうのだから滑稽なものだ。

「弟のものだと嘘を言って、購買で買いました」

 このごろソーシャルゲームに課金する用事がないので、高い買い物とは思わなかった。

「そうではなくて、どういうつもりで付けているのかと……!」

 彼が泡を食うさまはいくらでも見ていられそうだ。

 男子制服を着崩す彼に、わたしは戸惑わされてきた。しかし、わたしが女子制服を着崩した瞬間に、たちまち優劣が入れ替わる。何かを変えるとか、覆すとかということがどういうものなのか、はっきりとわかる光景だ。

 想像していたよりも気持ちがいい。

「まさか、葉山も抗議のつもりで? これからネクタイで学校生活を送ると?」

「ううん……先輩の推理力にしては残念ですね」

 わたしは何も、彼に倣って校則違反パフォーマンスを行おうなどとは考えていない。「やりようはある」とは言ったが、解釈を間違えている。わたしまで彼と同じ反抗的な生徒になってしまったら、誰も調理部の話を聞かなくなってしまうではないか。

 それくらい彼だってわかるだろうに、このネクタイの意味がわからないものか。

「あのですね、わたしが言いたいのは、まだポータルサイトでできることが――」


「いや、手があったとしても止めてもらわないと困るなぁ」


 がらりと扉が開く音。

 そういえば、きょうの活動にはまだ顧問の先生が姿を見せていなかった。

「鮎川先生?」

 咄嗟に、机に置かれた桜木先輩のメモを手に取り、背後に隠す。

 調理部顧問は、右の指先で顎鬚を撫でつつ、左の手には封筒を持っていた。いつもの調子でニコニコしながら、調理台のあいだをゆっくりと歩み寄ってくる。その視線がわたしのネクタイに向いていると気づき、腕で襟元を隠す。

「ああ、隠さなくていいよ」鮎川先生の笑顔がどこか恐ろしい。「桜木は注意しないで葉山にだけ直せとは言えないからね。あくまで僕の個人的意見としては、だけれど」

 そう言われて身体を縮こませているわけにもいかず、姿勢を正す。

 彼はわたしたちのテーブルの傍までやってくると、すぐに本題を切り出した。

「インターネットを使いたいと言い出すからには、校則について言いふらす気だろうと思ったよ。天保高校としても、江森への配慮の方法を間違えたのは否定できないし、負い目だ。江森の本心がどうあれ、配慮すべきとした当人の声を聞かず、男女いずれかの姿を強制したのだからね」

 やはり、見抜かれていたか。しかも、告発しようとしている内容まで。教員にしてみれば、所詮は高校生の浅知恵だったのだろう。

 鮎川先生の語りは続く。

「ブログの記事はどうせ許可制だ。駒場先生の判断で止めてもらえる。だからブログの提案には反対しなかったけれど――まだ方法がある、と?」

 物腰柔らかな家庭科教師は、威嚇したり、威圧したりする態度を取ろうとはしない。しかし、常に笑顔を称えていることがかえって不気味だ。わたしたちに止めろと迫るのではなく、仕向けようとしているのかもしれない。

 桜木先輩を横目に窺うと、苦々しい表情だ。彼にとって、制服について事情を知っており、うるさく言ってこない鮎川先生は頼りになる存在である。いざというときに学校側につくことは承知していたにしても、裏切りとは言わないまでも、梯子を外された気持ちにはなるだろう。

「桜木にも葉山にも、大人に抵抗することに僕はうるさく言う気はない」

 鮎川先生の笑みが、自然で柔らかなものになった。


「僕もいろいろと反抗する側だったから、気持ちはわかる。

 天保の高校生だったころは、生徒会役員としていろいろ提案をしたけれど、ほとんど大人に止められた。僕たちが悪くなかったとしても、責任を取る側が怖がっていたら、ゴーサインは出ない。

 江森の味方だってしたいと思っているよ。男で家庭科教師を目指そうとすれば、大抵奇妙がられた。そうでなくても、中高生のころはお菓子作りや編み物の趣味をよくバカにされたものだ。好きなこと、究めたいことをくだらない理由で遮られ、根拠もない『あるべき姿』を強いられる辛さは、僕なりに味わってきた。そのくせ江森や桜木にはそれを強いるなんて、僕の考えではありえない。

 でも、個人の立場と仕事の立場は別だ。生徒の行き過ぎた行いは、教員として制止しなければならない。一歩間違えば、学校は安心して通える場所でなくなってしまう。学校を変えなくてはならないのは僕たち教員であって、生徒にやらせて、それがリスクになってしまうのでは僕たちの職場放棄だ。だから、先生たちを信じてほしい。確かに天保高校は融通が利かないけれど、努力は約束できる。

 今回ばかりは済まない、止めてくれ。この通りだ」


 頭を下げた。

 腰を折り、自らの爪先を見つめて、生徒に向かって平謝りする仕方ではない。彼の訴えは、生徒を指導する説教などではなく、本気のお願いだったのだ。彼も彼で、反対の立場となることが心苦しいようだ。

 彼だけではないだろう。たとえば槇原先生も、学校に問題提起できる先生だ。駒場先生だって、わたしたちの計画に気がついたうえで、応援してくれたのかもしれない。鮎川先生は、たまたま汚れ役を担っただけ。

 高校生ふたりは、戸惑うしかない。何を言い返せばいいのかわからず、互いの表情を窺うばかり。付き合いの長い桜木先輩でも、鮎川先生のこのような姿は初めて目にするようだった。

「納得してくれるとは思っていないよ」鮎川先生は頭を上げると、左手に持っていた封筒を桜木先輩に手渡した。「これを読めば、心変わりしてくれるかな。もちろん、僕たちが仕組んだものではないし、事前に読んでもいない。桜木宛だ」

 受け取った先輩は、差出人を見た瞬間に目を剥いた。それが存在していることを信じられない、とでも言わんばかりだ。

「いまさっき、退学に関する資料請求と一緒に届いたよ」


 ――桜木恵都へ、江森由菜



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