第24話 周防の思い
「……何しに来たの」
インターホンを押してしばらく、音質の良くないスピーカーから、気怠そうな声が聞こえてきた。
周防だ。
「えっと、ちょっと、話に来たんだ」
謝りに来ただとか、お前の兄ちゃんの件を聞いてしまったとか、色々言いたいことはあったが、喧嘩中の相手と話すということで俺も緊張してしまって、妙な表現になってしまう。
「テスト前日じゃん。良いの? 私なんかに会いに来て」
周防の口調は平坦だった。やはり怒っている。思えば前々から俺は周防に寝ろと言われては夜に起きて、怒られていた。
許してもらえるかは分からないが、謝るしか無い。
「本当に申し訳ない。お前もテスト前日だし、自分勝手なのは分かっているんだけど、どうしても会って、謝りたいんだ」
返事は無かった。その代わり、扉が開いた。
「……入って」
周防はぶかぶかのパーカーにスウェットで、正に部屋着いった格好だった。制服を着ている姿しか見たことがなかったから、何だか新鮮だ。
「別に今日来ることないじゃん」
周防が少し怒ったように唇を尖らせる。玄関に入って、靴を脱ぐ。見ると、靴は他になかった。
「お母さんは仕事。だから、家には誰も居ないよ」
そう言いながら、周防はどんどん家の中へ進んでいく。
中に入るつもりは無かったが、だからといって周防を外に出して話すのも申し訳ない。
そもそも無策で女子の家に突撃っていうのが結構どうかしているんじゃないか。家に二人きりという状況。自分の想像力の無さが悔やまれる事態である。
「……えっと」
誰も居ないリビングに、二人向かい合う。四人用のテーブルのキッチン側で、俺達は顔を見合わせていた。
いざ会うと、何を言うかが自分の中で纏まっていないことに気付く。
困ってしまって目線をそらすと、そこには家族写真があった。そこには、母親と、周防。そして周防の兄の姿があった。
「周防のお兄さんのことも、お前が寝てる理由も、冴島先生から、全部聞いた」
俺は、まずこう話を切り出した。周防の唇が震える。
「……そっか。健二、口軽いなぁ」
周防は薄く笑って、目を細めた。その表情は普段のものとはあまりに違っていて、無理して顔を作ったのが直ぐに分かる。
「あれは殆ど不可抗力だったから許してやってくれ。それに、俺も、周防のことが知りたかったんだ。だから、聞いた」
対して俺は、決して飾ることも偽ることもしないよう心がけながら、言葉を紡ぐ。誠実でなければ、謝ったことにはならない。
「で、あの馬鹿兄貴の話を聞いて、どう思った? あぁはなりたくないって、そう思ったでしょ」
「悔しい、って思った。俺はずっと、あの人みたいになりたいって思ってたから」
俺の話を聞いて、周防が不思議そうな顔をする。
「あの人って……お兄ちゃんと知り合いだったの?」
「昔、彩華に負けて落ち込んでいた時、見知らぬ人が慰めてくれたんだ。冴島先生に写真を見せてもらって、その人がお前のお兄さんだって、さっき知った」
「……そうなんだ」
周防はいつも瞼が重そうにしている瞳を大きく見開いた。
「その時、教えてもらったんだ『努力は裏切らない』って。沢山頑張れば、いつか天才にも勝てるって、そういう希望を俺はあの人から貰ったんだよ」
「なんていうか、お兄ちゃんらしいね」
さっきは馬鹿兄貴なんて言ってたのに、周防は見たことがないくらい優しい微笑みをたたえていた。冴島先生への態度を思い返すに、お兄さんにもああいう態度だったのかもしれない。
「だから、悔しい。頑張りが報われないのは、やっぱり嫌だ。不可能だっていうのは分かってても、やっぱり、俺は、皆が頑張れば頑張っただけ報われてほしい。それも俺が感謝してる人なら、尚更だ」
毎日努力して『努力は裏切らない』という言葉を信じて。その結果が死ならば、俺はもう努力を信じられない。
俺はかなり深刻な問題を打ち明けたつもりでいたが、周防の反応はと言うと「はぁ」と短いため息をつくだけだった。
「悔しいとか、報われるとか、そういう問題じゃないんだよ。お兄ちゃんも夜船も、自分のことばかりで、周りが見えてないんだよ。自分が体調を崩したら、誰かが悲しむとか、そういうことが考えられてない。よく偉人の伝記なんかじゃ、他事を捨てて努力して大成功を収めたなんて簡単に書いてあるけどさ。どんなに凄い事をしてても、どれだけ努力してても、大切な人を悲しませるようなら、駄目だよ」
周防はテーブルの上で、強く拳を握っていた。腕が微かに震えるほど、強く。
「中二の夏、お兄ちゃんが死んじゃった日に、さ。私、言ったんだ。最近、疲れてるみたいだったから。たまには素直になってみようって思って。『お仕事頑張ってね』って、言ったの。お兄ちゃんは笑って『頑張るよ』って出かけていった。私、忘れられないんだ。次の日の朝、電話がかかってきて、お母さんが真っ青な顔してて……。夜寝ようとすると、あの時のことが浮かんできて、朝になったら誰かが居ないんじゃないかって、怖くて眠れないの」
話しながら、周防は瞳を潤ませていく。
「周防……」
どうしたら良いのか分からず、俺はただ、周防の名前を呼んだ。彼女は軽く俯いて、息を整え、そしてしっかりと俺の目を見た。今にも涙が零れそうだ。
「私、もう、誰かが無理するのは、見たくないよ。皆、頑張り過ぎなんだ。結果だけ見過ぎなんだよ。頑張っただけでも、十分凄いのに、結果が出なかったら全部無駄みたいに言って」
段々、周防の言葉に嗚咽が混じる。
震えた声で、周防は絞り出すように、一つ願った。
「皆、もっと休んでよ」
それは、妙に子供じみた口調で。泣き顔も、まるで子供のように恥ずかしげもなく大粒の涙を流していた。
きっとこの言葉は、俺に言っているのと同時に、空から見ているであろう兄に向けられたものなのだろう。
「周防、ごめん。本当に、ごめんな」
俺は周防が握っている拳に触れた。
風邪でも引いているかのように、周防の体温は高い。
「……うん」
涙を流しながらも、周防はこくりと頷く。
それから、周防の手に触れたまま、俺は周防をじっと見た。彼女は、俯いたまま動かなかった。
「……ずっと、勉強しか無いって、そう思ってたんだ。彩華と繋がるのも、周りに好かれるのも、褒められるのも、応援されるのも、俺はひたすら勉強していくしか無いって、そう思ってたんだよ」
俺はとにかく、自分の思っていることを、洗いざらい話そうと決めた。周防があれだけ自分のことを話してくれたのだから、今度は俺が話す番だと思ったのだ。
「でもそれは、ただの思考停止だった。努力を言い訳にして、自分を傷付けることで悦に入って、周りの人とか、勉強以外について考えることを放棄してた。捨てることが努力で、それが偉いんだと錯覚してた」
自分でも、声が震えているのが分かる。周防が顔を上げ、潤んだ瞳でこちらを見てくる。
「夜船……」
「でも違ったんだ。そんなやり方じゃ、何も得られない。だからって、どうすれば良いのかは分からないけど、でも、俺は間違ってた。唯一の取り柄だと思ってた、努力のやり方さえ駄目だった」
俺は話しながら、自分の胸の奥がちくちくと痛むのを感じた。
「大丈夫だよ」
周防が、俺の手を握ってくる。
泣いて赤くなった目で、鼻を啜ってから。彼女は改めて、俺を見つめる。
「直ぐ約束破るし、影響受けやすいし、頑固で、妙に真面目で、すっごく変な奴だけど、私、夜船のこと嫌いじゃないよ。だから、大丈夫だよ」
その「大丈夫」には、何の根拠も無かった。
根拠がないからこそ、俺は、自分がずっと、昔から言われたかった言葉を聞けた気がした。
「……ありがとう、周防」
「……うん」
周防は「無理せず休め」と言った。
譲葉は「好きなことをやるのが一番良い」と言った。
先生は「視野を広く持て」と言った。
彩華は「頑張る姿を見ると、自分も頑張れる」と言った。
全部、正しい意見だと思う。そして、それを全て取り入れるのは凄く難しい。
きっと、一つだけじゃ、駄目なんだ。ただ頑張れば良いんじゃない。ただ休めば良いんじゃない。
これは、答えなんて無い議題なのかもしれない。誰しもが、間違えてしまうような類の問題なのかもしれない。
でも、それで良いのだ。無理に頑張らなくても、正解を選べなくても「大丈夫」と言って受け入れてくれる人が居るなら。きっと、それで良いんだ。何かに囚われる必要なんて、無い。
「お兄ちゃんにも、こう言ってあげれば良かったのかなぁ」
周防はこちらを見ながら、もっと、遠くの、空の方を見ていた。
『努力は裏切らない』
何度も繰り返し口にした言葉を、頭の中で浮かべてみる。
結果だけを見て、今までの努力を無意味だと決めつけて、自らを責める。もしかしたら、努力を裏切っていたのは、俺の方だったのかもしれない。
俺がやりたいこと。俺が出来ること。
「周防」
俺は周防の手を握り返す。
「なに?」
「お詫びとかお礼とか、あと、単純に俺がやりたいっていうのもあるんだけどさ」
「……?」
俺が回りくどい言い回しを続けていると、周防が首を傾げる。
「周防が俺を休ませてくれたみたいに、俺も、周防が夜に眠れるように手伝いたい。……何をすればいいかは、分からないけど」
俺としては一世一代の告白くらいの勢いで言ったのだが、周防はそれを聞いて、柔らかく笑った。
「やっぱ夜船って、真面目だよね。うん。じゃあ、お願いしようかな」
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