第6話 幼馴染の朝倉さん

「病院から帰ってきて今日学校に行くって先生から聞いたからさぁ! 私はさぁ! 疲れて帰ってくるだろうなぁってずーーっと待ってたんだよ! けーちゃんを! 待ってたんだよ!」


 彩華は勢いよく俺の肩を掴み、そのまま身体をぐらぐら揺らした。脳がシェイクされるような感覚。


「てゆーか病院行った後、目が覚めたら連絡してよ! どこの病院か分からなかったからお見舞いも行けなかったじゃん! 無駄に千羽鶴折った私の時間返してよ!」


「いや、それに関してはっ、悪かったっ! 悪かったから揺らさないでくれ!」


 悪かったとは言ったが、俺が彩華に連絡しなかったのはわざとである。

病院で騒がれそうだというのもあるが、何より、俺が倒れた原因を知られたくなかった。


「……本当に大丈夫なの?」


 ようやく落ち着いてきたらしく、彩華は涙をたっぷり溜めた瞳で俺を見つめてきた。


「大丈夫じゃなかったら学校に行けてないだろ。何かちょっと貧血だったみたいで、それだけだよ」


 つい癖で、軽く頭を撫でてやる。


「そっかー、なら良かったぁ」


 彩華の反応があまりに純粋なので、嘘をついた罪悪感で胸が苦しくなった。黙って様子を見ている周防も「お前嘘つくのかよ」みたいな目で俺を見ている。


「えーっと、夜船。じゃあ私帰るね。邪魔者は退散ってことで」


 しばらく様子を見てから、周防は足早に帰ろうとした。


「おー、それじゃあ」


「いや、ちょっと待った!」


 適当にちょっと手を振って見送ろうとすると、彩華から待ったが入る。

 まだ何かあるのか……。


「けーちゃん!」


「え、なに?」


 俺も周防も互いに顔を見合わせ、一体何なんだという状態。


「彼女が出来たらいの一番に私に連絡してって言ったじゃん!」


 どうやら彩華は、周防が俺の彼女だと勘違いしてるらしかった。まぁ、こんな時間に一緒に帰っていたら、誤解するのもわからないではない。


「いや、彼女じゃないです」


 彩華の気迫に押され、思わず敬語になってしまう。


「じゃあ何!」


「えっと……知り合い?」


 なんと説明したら良いのか分からず、疑問形になってしまった。今日の出来事を通して俺と周防が関わりを持ったのは確かだが、具体的な関係と言われると、なんと表現したものか。


 思わずちらと周防を見ると、彼女は顎に手を当てて少しの間考え、それから口を開いた。


「知り合い以上友達未満、みたいな?」


「それだ」


 絶妙な言い回しに、思わずぽんと手を打ってしまった。


「説明に悩む関係って逆に怪しくない?」


 彩華が訝しげな目でこちらを見てくる。そんなに疑うことも無いだろうに。


「ま、偶々帰りが一緒になっただけだ」


 俺が言うと、周防もこくりと頷いた。

 彩華はそれでもイマイチ納得出来ていない様子だったが、これ以上の追求は無駄と思ったのか


「まぁ、いっか。本当に彼女さんになったら報告しに来てね」


 と、周防を帰した。


「お前は俺の何なんだよ……」


 思わず独り言つと、彩華がふんわり微笑む。


「けーちゃんが最初に言ったんじゃん。幼馴染、でしょ」


「まぁ、それはそうだな」


 俺達が幼馴染というのは、それはもう完全に完璧に事実だ。


「周防さんって、あんな風に話せるんだね」


 彩華が歩いていく周防の後ろ姿に目を向ける。


「俺も初めて知った」


 多分、普段から放課後はあんな感じなんだろうが、その時間は基本あの空き教室で過ごしているのだろう。つまり、あの周防は滅茶苦茶レア。なんせクラスメイトの俺ですら全く知らなかったくらいだ。別のクラスの彩華からすれば驚きなんてもんじゃないだろう。


「女の子と仲良くなるのも良いけど、勉強の方は大丈夫?」


 彩華のからかうような笑み。子供っぽい挑発。

 全く、こんな風で物凄く頭が良いんだから質が悪い。


「きちんと頑張ってるよ。倒れてた分、遅れを取るかもしれないけどな」


「まぁ、そうだね。病み上がりだし無理はしちゃ駄目だよ」


 何気ない言葉に、胸がちくりと痛む。退院してから徹夜続きなんて言ったら、どれだけ怒られ、心配されることやら。


「でもさ」


 一緒にアパートの階段を上がる。彩華が一歩前に、力強く踏み出した。


「私、けーちゃんの頑張り屋さんな所、好きだよ。だから、無理せず頑張ってね」


 言ってから少し照れたのか、彩華は軽く走って自分の部屋のドアを開ける。


「ただいまー」


 開けたのは、俺の隣の部屋。

 表札には『朝倉』とある。


「おかえり、彩華。夜船君は帰ってきたの?」


 その部屋の中から、声がする。優しげな声が自分を呼んだので、どきりとした。


「んー? けーちゃんに何か用でもあった?」


「煮物たくさん作ったから、おすそ分けしようかと思ってたのよ」


「だってさ、けーちゃん」


 ドアを開けたまま、彩華が俺を呼ぶ。

 そして俺は彩華のおばあさんから筑前煮を頂いた。一人暮らしの身にはとても助かる。


 本当におばあさんには感謝しなければ。そもそもこの朝倉荘に住まわせてもらっているのも、所有者であるおばあさんが値段に融通を利かせてくれたからなのである。足を向けて寝られないとはまさにこの事だ。


「それじゃあ、おやすみなさい」


 品のいい挨拶で、ドアが閉じられる。


「あ、はい。どうも」


 俺はどうしても、「おやすみなさい」とは返事ができなかった。

 結構遅い時間だったし、ご高齢の方はもう寝る時間なのだろうか。


「眠らないとなぁ……」


 空き教室で、俺は確かに眠った。

 だから眠れるはず。

 きっと。


「ただいまぁー」


 誰も居ない部屋に向かって、独り言。


 生まれ育った街から遠く、彩華を追ってこんなところまで来てしまった。

もし高校受験の時、彩華と決別して、故郷の学校に通っていたら、俺は眠れていただろうか。

 でも離れられなかった。

 彩華は俺の憧れで、俺の全てだったから。


「けーちゃんの頑張り屋さんな所、好きだよ」


 電子レンジで筑前煮を温めていると、耳の奥に残っていたさっきの言葉が、再び響いた。

 嬉しくなかったと言えば、嘘になる。

 両親も、先生も、誰も彼も、俺と彩華を褒める時、それぞれ同じ言葉を使った。


「彩華ちゃんは何でも出来て凄いね」


「圭くんは何でも頑張れてすごいね」


 でも、俺は、頑張っただけで何も達成できなかった。彩華を超えられなかった。

 じゃあ、頑張るのを止めたら? 努力を止めたら?

 俺には何が残るのだろうか。


「……はぁ」


 ちょっとだけ。

 そう思って、問題集に手を伸ばす。

 結局。

 電子レンジの中で冷めた筑前煮は、俺の朝食になった。

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