第4話 一か八か

 逃げ込んだ立ち入り禁止の建物。


 確かここは最近閉館になった元博物館の一部だ。

 記憶は曖昧だが、敷地に入ってすぐにあるのは植物園だったはず。だからか、真っ先に飛び込んだ建物は独特の造りをしていた。


 ナナセと青年……二人が逃げ込んだのは、薄暗いドーム状の施設。解体の途中なのか鉄骨が剥き出しで、所々に足場が作られている。

 中に照明がないのに真っ暗ではないのは、ガラス張りか何かでもともと透明の天井に布が掛かっているためだろう。

 

 逃げ込んできて誤算だったのは、そのドームの中は広いばかりでからっぽで、隠れる場所がなかったことだ。

 入り口もナナセ達が入ってきた一つだけ。これでは袋のネズミだ。

 しかし足音は近付いてくる。恐らくはあの男の……。


 考えている暇はない。足場を使い剥き出しの鉄骨の上に飛び乗って、天井付近から入り口をうかがう。

 とっさの判断だが薄暗い上にここは入り口のほぼ真上だ。相手からは上手く死角になっているだろう。

 しかしここからどうしようか……。


「あんた一体……」


 不意に、今まで手を引いてきた青年のつぶやきが聞こえた。

 サングラスの外れた目が、至近距離で何か問いたげに見つめている。

 驚いたのは、その瞳が暗がりの中でもあまりに綺麗だったからだ。


 いいや、瞳だけではない。彼は……。


「お姉さんやっぱりボディーガードだったんですね。運送屋さんの制服なんて着てごまかしてるけど。ホバーブーツも履いてないのにさっきの跳躍力。重力の強い惑星のご出身ですか?」


 ナナセの思考は、ドームの入り口から聞こえた襲撃者の声に途切れた。

 青年が息を飲む。

 もちろん二人とも男の言葉に返事などしない。息を潜めたまま、中に踏み込んでくる相手の足音を聞く。


 男はさっきのように建物ごと潰したりはしなかった。どうやら闇雲に斬撃を飛ばしても、ナナセ達には当たらないと踏んだらしい。

 ゆっくり中に踏み込んで、入り口から辺りの様子をうかがっている。しかしその首の振り方がどうもおかしい。景色をなめ回すように入念だ。

 もしかしてあの眼鏡……。


 出口は一つ。一度目をくらまして、男が入ってきた場所から出なければならない。

 しかし彼に近付くのは危険だ。


 汗を握った拳を開いて、ナナセはそれを胸に当てた。

 ぐっと集中力を高める。

 一か八か、狙ってみるか。あの襲撃者の目をくらませられるかも知れない唯一の方法。

 何か。何か投擲するのにちょうどいいものは……。


「あった」


 腰のベルトに手を伸ばす。手の平サイズの、厚みのある液晶。

 配達物の送り状データを入れておくための携帯端末だ。実に手に馴染んだ代物だった。


 これを投げるのか……。いや、今は二人の命が懸かっている。

 躊躇っているひまはない。

 息を止めて、狙いを定める。男の首が天井の方へと傾いた。

 

 今だ。


 端末を思いっきり相手に向かって投げつける。眼鏡を狙って。

 ガッシャンと物が割れる、盛大な音が響いた。


 男が目元を押さえる。

 勢いで鎌からこぼれた斬撃が骨組みをえぐる。嫌な音がした。


 それでも振り返っている時間はない。青年を連れて、ナナセは急いでその場を後にした。

 



 砂煙から逃れ、やっと息を整える。

 ガラスが割れる音と、鉄骨が軋む音がした。ついさっき出てきたドームが頭から崩れていく。どうやらこぼれた斬撃によって、天井が落ちたようだった。


 その様子を、ナナセはドームの隣の建物の入り口から眺めた。

 襲撃者はどうなっただろう。


 青年を建物の中に隠しながらそっとうかがえば、瓦礫となったドームからあの男がはいずり出てくるところだった。

 天井崩落に巻き込まれたのか埃をかぶっているが、どうやら無傷のようだ。


「これ、一応強化グラスだったんですけど。お姉さん力も強いんですねえ」


 こちらが聞いているのを知ってか知らずか、男は宙に向かって話し始めた。レンズの無くなった眼鏡のフレームをその手で握り潰しながら。


「僕、視力はホントに弱くて。これじゃあお姉さんに返り討ちにされちゃいますね。出直しましょ。お二人とも、また会うときまでお元気で」


 男の背が、ナナセ達とは反対側に消えていく。

 その姿が完全に見えなくなったところで、ナナセはようやく息を吐いた。

 強張りまくっていた肩から一気に力が抜ける。


 その様子を見て、建物に隠れていた青年が近付いてきた。


「……終わったのか?」

「分かんない。とりあえず出直すって。……って、あの、大丈夫ですか?」

「それはこっちのセリフだ。あんた、ケガは?」

「え、いや、あたしは、」


 神妙な眼差しで詰め寄られて、思わず後ずさる。

 青年に押されて、ナナセもいつの間にか建物の中まで踏み込んでいた。


 二人が入り込んだコンクリート打ちっぱなしの大ホール。そこに掛かった看板は、『青い地球コーナー』。

 ホールのほぼ真上に位置する天窓から注ぐ光が、直下に座す巨大地球儀を照らしている。

 名前の通り、忘れ去られた青い惑星『地球』の展示コーナーの跡地らしい。


 その天窓の明かりの下で、青年はナナセに傷がないことを知るとようやく身を離した。

 至近距離で自分を見ていた瞳が遠のいて、ほっと息を吐く。


 さっきは暗くてまだよく分からなかったが、やはりこの青年驚くほど端正な顔立ちをしている。瞳の輝きがまるで煌めく星を映しているようだ。

 それにシンプルな格好をしているように見えてかなりお洒落だった。柔らかい髪の隙間に見える耳には、透明な石を埋め込んだイヤーカフがキラキラしている。

 帽子とサングラスは先程の逃走劇で失ってしまったが、どうやら彼にもケガはなさそうだった。


 目立った傷といえば、


「あの、すいません。強く握り過ぎちゃいましたね」

「え? ああいや、非常事態だったし、気にしてないよ」


 ナナセが引っ張っていた青年の左手首。そこにはまった銀のバングルごと手をつかんでいたせいか、彼の腕に赤い跡がついていた。


 気遣うナナセの視線をそらすように、青年は軽く左手を振るうと話題を変えた。


「それにしてもあの男、一体なんで退いていったんだ?」

「さ、さあ。でもあの眼鏡には多分、逃走者を追うための追跡装置かサーモスコープが付いてたのかも。それをあたしが壊したから……」

「追跡が困難になって去ったってことか」


 埃が落ちる宙を見ながら、何故か訳知り顔で青年がつぶやく。

 なんだろう。何か追われる理由に心当たりがあるのだろうか。そういえばカロンさんの部屋の前で狙いは自分だとか言っていたし、もしかして危ない世界の人なのだろうか。


 あれ? そういえばこの人の顔どこかで見たことがあるような気が。どこかで……。


明星ミンシン!」


 突然、建物の入り口に新たな男の声が響いた。


 ナナセと青年は二人してさっと首をそちらに回した。思わず身構える。

 しかし今度やってきたのは襲撃者ではなく、


「エージェント……どうしてここが?」


 青年が、入ってきた男性に向けてそう言った。……エージェント?


 そのエージェントなる男性に続いて、続々と黒服の人物達が踏み込んでくる。

 その数十人ほど。何だかよく分からないが、皆体つきがよく物々しい。


 しかし彼らは、どうやら全員青年の知り合いのようだった。


「どういうことだ。あんな化け物が狙ってるなんて聞いてねえぞ!」


 現れた者達の先頭に立つ『エージェント』に向けて、青年が詰め寄る。

 エージェントは涼しくも堅い口調で、静かに彼をなだめた。


「だから言っただろ、勝手に出歩くなって。俺達も完全に相手を把握できていないんだ。一人で行動するのがどれだけ危険か、今回のことで身に染みたはずだ」

「相手のことを何も知らされず、ホテルに缶詰に甘んじろって?」

「ツアーを控えたお前に、余計なことを考えさせたくなかった。それに俺達も、まさか相手がこんな……」


 ナナセはぽかんと、二人のやり取りを見ているしかなかった。


 なんだかよく分からないが、このままここにいたらお邪魔だろうか。

 ナナセにはちんぷんかんぷんな世界の話が繰り広げられているし。

 あ! そういえば配達の途中だった。

 カロンさんの家は大丈夫だろうか。置いてきた荷物はどうなっただろう。


 一声かけて、ナナセはその場を去ろうとした。


 その瞬間、青年、エージェント、黒服達、皆の視線が一気に集まる。


「明星。このお嬢さんは誰なんだ?」

「知らない。さっきそこで会った。俺を助けてくれたんだ」

「はあ?」


 青年の言葉に、エージェントが思い切り困惑の表情を浮かべる。

 それはナナセも同じだ。何なんだこの人達。とにかく振り切って帰ろう。

 さっきの荷物を回収して、カロンさんがいるときにまた配達しよう。そうだ、それが最優先だ。


「とにかく、あたし仕事があるんで、これで! どなたか存じませんが帰り道はお気を付けて」


 しんと、何故かその場に沈黙が落ちた。

 皆一様に、驚愕の表情でナナセを見つめている。


 中でも、


「あんた……俺が誰だか知らないの?」


 綺麗な瞳が、真っすぐナナセを見ていた。

 

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