五十九話 別れ ③
アッシュとの会話を終えたカル達は工場への帰路を歩いていた。
先程の会話からシルバの態度を思い出したカルの表情に苦い笑みが浮かぶ。
「シルバってあいつだろ? 苦手なんだよな……俺。あいつ目つき悪いし」
「何なに、なぁにぃ? ヤキモチ? 結構優しいんだよ」
笑顔で答えたギンがカルの背に飛びつくと、カルは前方に二歩三歩とよろけてしまう。
「うおぉ! やめろって……そんな訳ないだろ! おいフィガロ!」
「……はいはい」
フィガロは呆れた顔でギンを軽々と持ち上げる。
最初はジタバタと抵抗していたギンだったが、すぐに諦めた為フィガロはそっと地面へと下ろした。
その瞬間、フィガロの背に寒気が走る。背中から感じる視線に慌てて振り返ったが特に変わった様子は見つけられなかった。
「気のせいか……」
首を傾げてそう呟くとフィガロはカル達を追うように歩き出した。
再び王都の西側に戻ってくると、夕方という事もあってか人通りが多い。食材や果物、衣類に武器と様々な商店が両側に並ぶ通りを抜けてカル達はラウドの工場に戻ってきた。そして敷地内に入ったところでカルはある事に気づいた。
「あれ、フィガロは?」
後ろにいたはずのフィガロがいないのだ。ただ、ニケのような方向音痴ではない為、カルは大して心配もしなかった。
「まぁ、その内戻ってくるだろ」
そう呟いて飛空挺へと向かった。
*****
「おっちゃん、これ絶対美味いだろ!」
「お! 兄ちゃん分かってるね。そいつは王都から少し離れた果樹園から仕入れてんだ。ちょうど食べ頃で収穫するから日持ちはしないけど、味は保証するぜ」
カル達が工場に着いた頃、フィガロは赤い果物を片手に果物屋の店主と話をしていた。
「おいカル。これ買って帰ろうぜ」
言ったフィガロだったが返事が無い為、辺りを見回した。だがカル達の姿が見当たらない。
「おいおい……あいつらドコ行きやがった」
「お兄ちゃん達なら先に行っちゃったよ」
「マジかよ。こんな美味そうな果物が……」
そこまで言ってフィガロは声がした方向に視線を向ける。真っ直ぐに落ちた長い金髪。黒いローブを纏った少女の横顔がフィガロの目に映った。
「ソ、ソニアじゃねぇか! 俺と喋ってて良いのかよ」
「分からないけど、フィガロさんが一人だったから……つい」
そう言っている間もソニアの視線は店頭に並ぶ果物に向けられていて、フィガロの顔を見ようとはしない。
「腹減ってんのか? よぉし、おっちゃんこれ二つくれ」
フィガロは店主に代金を支払って赤い果物を二つ手に取ると、その一つをソニアに手渡した。
「あの……ありがとう」
「そういやぁ前にもこんな事あったよな? ほら? ムスカリにいた頃、店頭に果物を並べようとしたら走ってきたソニアとぶつかってよ。あの時、これと同じ物あげたよなぁ」
「……うん」
「あの時はソニアが泣き出したもんだから焦ったんだよ。カルの事もヤベぇ奴としか聞いてなかったし」
「何それ、誰から聞いたの」
ソニアが笑いながら問いかける。
フィガロは少し考えてから「忘れた」と笑みを浮かべた後、果物にかじりついた。
ソニアも同じように小さな口で果物をかじる。口の中に広がる甘みとほのかな酸味が当時と似ていて、ソニアは小さな声で呟いた。
「……嬉しい。覚えててくれたんだ」
「あ? 何か言ったか?」
フィガロが聞き返すと、少し朱に染まった頬を見せないようにソニアは顔を背けた。
「んん……美味しいねって」
「おぉ、何か懐かしいぜ」
言ってフィガロはもう一度、赤い果物にかじりついた。
その様子を見つめるソニアの頬が赤い事にフィガロは気付かなかった。
*****
陽が落ちた後、カル達が飛空艇の食堂でぼんやりと過ごしているとフィガロが帰ってきた。
「やっと帰ってきたのか」
「おお、ちょっとそこで知り合いと会ってな」
「知り合い? 誰だよ知り合いって」
「おぉ。それでよ、無理矢理連れて来たんだよ」
「バカか、答えになってないだろうが」
カルの言葉を無視してフィガロは食堂の入口から廊下に向かって手招きをする。何度目かの手招きの後に、どこか照れくさそうな表情をしたソニアがフィガロの隣に並んだ。
「ソニア! 何でソニアがフィガロと一緒に居るんだよ」
「いや、さっきばったり会ってよ」
「お兄ちゃん。フィガロさんにバカって言わないで」
カルの空いた口が塞がらないのはソニアがフィガロの肩を持つ理由が分からなかったからだ。
そこからラウドとビトーも加わり、他愛もない会話が続いた後、話題はソニアの魔法へと広がった。
ソニアが姿を消した魔法は光魔法で、ニケが推測した通り光の屈折率を変える事で他者から見えなく出来るというもの。
もう一つ、ニケが魔法を使えなかった事もソニアの仕業である。本来、魔法の基礎は魔力を他元素に変換し、それを形作って放つ。
ソニアはそれと逆の工程を施すのだ。『
その魔法に興味を示したのは意外にもラウドだった。何かぶつぶつと独り言を呟き始めた事で話の流れが途絶えた。
それを機にソニアが立ち上がって告げる。
「そろそろ行くね」
「じゃあ私が外まで見送ってきます」
そう言ってリオナも立ち上がる。最初こそリオナに対して険悪だったソニアも話をする内にいつの間にか打ち解けていた。
「いや、俺が……」
カルの言葉を手で制したリオナが半ば強引にソニアの背を押して食堂を後にした。
飛空艇を降りた二人は並んで歩く。
「そのペンダント、フィガロさんに買ってもらったの?」
「何で分かるの?」
「シヴァの森で会った時には付けてなかったから」
ソニアは小さく頷くと、銀色の細いチェーンに吊り下がった金色の翼を握りしめた。その表情はとても穏やかなもので見ていたリオナにも笑みが浮かぶ。
「ソニアちゃんはフィガロさんが好きなんだね」
「は? ちょ、いきなり何を」
「見てれば分かるよ」
リオナはすぐにソニアの気持ちに気付いていた。それと同時にその想いを打ち明けない事にも気付いたのだ。
リオナはそっとソニアを抱きしめる。何も言わず、ただ静かに抱きしめただけだった。けれど言葉はなくてもその想いは確かにソニアに伝わっていた。
リオナが見上げた夜空に光はなく、どこまでも続きそうな闇が広がっていた。
*****
翌日、カルとフィガロはビトーの手伝いや飛空艇の仕組み、操縦の仕方などを学び、ギンとリオナはシルバの顔を見る為に街へと出掛けた。
それから夜になってもニケと会う事はなく、ニケを除いた四人は飛空艇の食堂で過ごしていた。
「ニケってこれからどうすんだろぉな」
「まあ、父親が見つかったからな」
「それってつまり?」
「ここでニケとはお別れかもなって事だ」
フィガロとカルの会話を聞いていたリオナとギンの表情が曇る。
「まだ一緒に旅したいよ」
泣きそうな声でそう言ったギンに誰も言葉を返せなかった。
「……今は親父さんが回復する事を願おう」
カルが言えたのはその言葉だけ。以降、会話が無くなった四人はそれぞれの寝室へと向かい、眠りについた。
*****
同じ頃、ニケは父親の開かない目をずっと見つめていた。
この二日間、一睡もせずに隣に座って語りかけては手を握りしめ、冷えた父親の頬を撫でた。けれど父親が目覚める事は一度も無かった。
何も口にしない為、父親の体はどんどんと衰弱していく。死がすぐ傍まで迫っている事をニケも理解していた。だからこそ泣かないと決めていたのだ。
やがて空が白む。
もう何を語りかけても答えてはくれない……そう思うと、泣かないと決めたはずのニケの瞳が滲んだ。
「迷子になったのは……お父さんじゃない。……帰って、きてよ……お願いだから……」
一滴。
ニケの涙が一滴、父親の手の甲に落ちた。その瞬間、その手を握りしめていたニケの手に小さな振動を感じた。
「お父さん!」
ニケは再び強く呼びかける。何度も何度も。そして何度目かの呼びかけの後、父親の瞼が小さく震えた。ゆっくりと瞼が開くとその瞳がニケを映す。
「お父……さん?」
「ニ……ケ」
弱弱しい声、こけた頬、けれどその瞳は昔のまま、優しくて大きな父親のままだった。言葉に出来ない感情が込み上げて、ニケの胸がつまる。それでもニケは笑顔を作った。
「そう、だ。……これ」
父親はそう言ってニケが握っている手と反対の手をニケに差し出した。その手の中には何もない。
「誕生日、だから。プレ、ゼントを、買ってきたんだ」
十年前のあの日、父親が出掛けたのはニケの誕生日プレゼントを買いに行く為だった。それに気付いた瞬間、ニケの瞳から涙が零れた。
ニケは何も持っていないその手からプレゼントを受け取ると震える声で言った。
「お父さん、ありがとう」
その言葉に父親は笑みを浮かべた。それはまるで買い出しから帰ってきた時のような笑顔でニケの口から自然と言葉が零れた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
それが父親の最後の言葉となった。
それからすぐに何かを感じたラウドの妻が部屋を訪れたが、その時にはもう息を引き取っていた。とても、安らかな笑顔だった。
ラウドからその一報を聞いたカル達が自宅に向かうとちょうど玄関戸からニケが出て来た。
カル達の顔を見たニケが首を横に振る。
「今、息を引き取ったの。最後は良い笑顔……」
そこでニケは目を見開いて言葉に詰まった。
「何で……何でよ。何でアナタ達が泣くのよ」
皆、泣いていたからだ。カルもリオナも、フィガロもギンも自分の事のように涙を流していた。
「アナタ達が泣いたら、我慢……出来なくなっちゃうじゃない」
次第に嗚咽を漏らしていくニケをリオナとギンが抱きしめる。しばらくの間、涙に濡れた声が止むことは無かった。
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