五十四話 氷神シヴァ ②

 轟音をまき散らして炎の渦が一直線に進んでいく。

 シヴァは迫り来る炎の渦を黙って見ていた。何をする訳でもなく、ただ見つめていた。理由は簡単だ。その魔法が何の驚異にもならないと分かっていたから。

 氷塊に当たった炎の渦は四方八方に広がって消えた。炎が当たった箇所の表面が少し濡れて光を反射させている。二人の合成魔法でも表面を溶かしただけにすぎなかった。


「これでもダメなの」

「マジかよ……だったら!」

「あたしも!」


 カルは走りながら短剣を引き抜いて氷塊に斬りかかる。だが甲高い音が鳴って短剣は弾き返されてしまった。

 次いでギンが雷を宿した拳を氷塊にぶつける。先程の炎と同様、青い稲光が氷の表面を沿うように走って消えた。それと同時にギンは右手を上下に振りながら、薄ら涙を浮かべてぴょんぴょんと飛び跳ねている。


「いったぁぁぁい! 素手は痛いよぉ」

「ギン! 大丈夫か?」

「痛いから、後で舐めてね♪」

「何でだよ」

「オチビ! ふざけてないで離れなさい!」


 ニケの言葉を聞いた二人は左右に跳躍してその場を離れた。

 今度は、カルが両手を広げても足りない程の大きさをした岩が氷塊にぶつかる。それはニケが放った土魔法で。破壊力はあるが速度が遅いため戦闘ではあまり使えない魔法だが、標的が動かないのであれば有効である。しかしそれも鈍い音を立てて岩だけが砕け散った。

 ニケが腰に手を当てて首を振る。


「自分から出て来てもらうしかなさそうね」

「まだです!」


 打つ手ならまだあると、リオナは杖を胸の前で持ち魔法陣を紡ぎ始めた。


『――雷雲来たりて轟く雷鳴、それは戦神たる御身の咆哮、迸る稲妻をもって打ち砕け、トール――』


 光線で描かれた魔法陣に青い雷が落ちて弾けると、獣神トールが姿を現した。


「あの氷を砕いてください!」

《シヴァか、あいつはどちらかと言えば防御に長けた神、だがこの俺は破壊に秀でた神だ。戦った事はないが、氷を砕く事ぐらい何の…………》


 召喚された時は厳格な空気を纏っていたトールだったが一度口を開けば止まる事なく言葉が放たれていく。これにはカル達も苦笑いを浮かべるしかなかった。


《相変わらずよく喋る男じゃ。いくら六神随一の破壊力を誇るお主でも、この氷は砕けぬぞ》

《ほう、俺の力がお前の氷よりも弱いと言いたいのか?》

《それに気付かぬとは、お主の猛進ぶりも相変わらずのようじゃな。獣神というよりも獣よ》

《俺を愚弄するとは良い度胸だ》


 トールが右手を横に上げると青い雷光が浮かぶ。力強くその光を握りしめると粒子は形を変え、ミョルニルへと変化した。トールが両足を開いて少し腰を落とすと右肩から弾けるような小さな音が一つ鳴る。唸るような低い声を発するとトールの全身から青い雷光が迸った。稲妻がトールの周りを蠢く、まるで近づく者全てを迎撃しようと敵を探しているようだ。

 そして赤とオレンジの瞳に光を宿すとミョルニルが大きく肥大していく。瞬く間にカルの背丈ほどまで大きくなった。


《その自信も一緒に砕いてやろう》


 言い終わる前にトールは氷塊に向かって駆けた。ミョルニルを引っ張るようにして進むトールの周りに幾つもの稲妻が迸る。稲妻は地面に落ち、積もった雪を巻き上げた。青い雷光と白い雪の飛沫、それはトールの軌跡。

 トールは踏み込んだ左足に力を込める。体を横に捻ってミョルニルを両手で握る。そして低い唸り声を上げながら、砕けて残った岩の瓦礫ごと氷塊にミョルニルを叩きつけた。

 轟音と衝撃、そして蒸発した雪によって氷塊の周辺が隠されて、カル達からはどうなったか確認出来ない。やがてその姿が確認出来るようになった時、カル達は言葉を失った。

 氷塊には亀裂の一つすら入っていなかった。


《長い年月をかけて神力を注ぎ込んだ氷塊じゃ、砕けるのはわらわ以外におるまい》


 トールは奥歯を噛みしめて悔しさを滲ませる。


《くそ、まさかこれほどまで強度があるとはな。千年、いや二千年か。神力を注ぎ、氷の密度を高めてきた事によってこの強度となった訳か。なるほど、しかし…………》


 そこでトールは光の粒子となって消えた。


「いや、まだ語ってる途中だったんじゃ……」

《理解したであろう。氷塊これは砕けぬ》

「お父さんでもダメだったら」

「ああ、お手上げだ」

「そんな、何か……」

《もうよいであろう。さっさと立ち去れ。契約はせぬ。わらわはその時を静かに待つと決めたのじゃ。》


「何で、だよ」


 呟くようなその声に視線が集まる。


「フィガロ」

「何でだよ!」


 フィガロは叫んだ。そして片手剣を抜いて走り始めると、カル達を追い越していく。


「おい、トールでも無理だったのに」


 カルの声にも耳を貸さず、フィガロは氷塊に斬りかかった。


「うおぉぉぉぉぉ!」


 片手剣と氷塊がぶつかって甲高い音がした後、白銀の破片が弾き飛ばされていく。フィガロの片手剣が折れて、その剣先がくるくると回転しながらリオナの足下に突き刺さった。


《無駄な事を》

「無駄じゃねえ!」


 叫ぶフィガロは剣を捨てて拳を握りしめる。硬く、ただ硬く。その握りしめたものを氷塊にぶつけた。


「分かってんだよ、俺だって!」


 さらに氷塊を殴る、何度も、何度も。


「何か矛盾してんだよ。リオナには生きてて欲しい。だから六神に協力してもらってんだ」


 鈍い音が響く。いつしか氷には赤く色づいた液体が付着し凍り付いていた。


「けどよ、六神を仲間にすりゃするほど……リオナが死に近づいていくみたいでよ」


 フィガロは両手で氷を叩いた。小さく震える右の拳には赤い血が大量に流れ出ている。

 そんなフィガロをシヴァは静かに見つめていた。


「母ちゃんの時はまだ子供で……。俺、知らなかったんだよ。大事な人を失うのがこんなに怖ぇなんてよ」


 いつしかフィガロの目からは涙が溢れていた。


「リオナだけじゃねぇ……皆、皆だ! 俺、弱ぇから……何にも出来ねぇから。強くなりてぇんだよ。皆を守る強さが欲しいんだよ! だから!」


 フィガロはもう一度拳を硬く握りしめた、痛みが脈打つ右の拳。それを氷塊にぶつけた。だが弱々しい拳は、ただ氷塊に触れただけだった。


「力を貸してくれよ……頼むから」


 嗚咽を噛み殺すフィガロの背中に、カル達の胸にも熱いものが込み上げる。


 そして静寂が包む、雪の降る音が聞こえそうな程の静けさ。

 静けさの中でフィガロは氷塊に触れている拳に小さな振動を感じて顔を上げた。

 それは小さな亀裂が走る音で、四方に走る亀裂はさらに分裂して氷塊を覆っていく。そしてついに氷塊は音を立てて砕け散った。


 それはまるで青い宝石が降り注ぐような、美しい光景だった。

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