三十九話 悲しみのレクイエム

「兵舎から応援が来る前に逃げるぞ」


 そう言って走り出そうとしたカルをヴァイスが呼び止めた。ヴァイスは片肘をついて上体を起こそうとしている。


「カル! 次は必ず勝つからな」

「……ああ、良い肩慣らしになりそうだな」


 カルが笑みを浮かべてそう言うと、ヴァイスもまた笑みを浮かべた。そして結局起き上がれずに、ヴァイスは再び床に背中をつけた。


 先に行った四人を追いかけてカルは城を後にした。城を出てすぐの所でカルが見たのは立ち止まる四人の後ろ姿。その前方には王国兵士達が慌ただしく騒ぎ立てていた。

 途端に警鐘が鳴り響く。ただ、それはカル達の事で鳴らされた訳ではなかった。

 王国兵の一人が東の空を指差した後、傍に居る兵士に何か指示を出している。

 カル達は兵士が指差した東の空を見上げた……そこには数十隻の飛空挺が浮かんでいた。


「走れ!」


 カルは直感的にそう叫んだ。


 ――帝国の空挺部隊だ……


 王国兵はカル達には目もくれず、迫る空挺部隊に対応すべく走り回っていた。カル達はその横を通り過ぎて城門を抜けると王都の街並みへと駆けていく。

 後方で鳴り響く轟音、振り返った五人が目にしたのは城門の一部が崩れて煙を上げている様だった。それは飛空艇からの砲撃。そして先頭の飛空挺の船首には黒い人影が二つ。その一つは遠目からでも分かる、黒い仮面を身に付けたオルフェウスだった。


「オルフェウス!」

「あれが……オルフェウス」


 カルがオルフェウスの名を叫ぶと、ニケは船首に立つ薄気味悪い黒を睨み付けた。



 *****



「帝国の急襲だと! 兵の半分は国民を避難させろ! 残りは砲撃で迎え撃て!」


ヴァイスはふらつく体を起こし、報告に来た兵士にそう告げた。


 ――羨ましかった。


「自由に生きるあいつが……」


 ――カルが眩しかったんだ。


「俺は騎士だ! 王を、民を、国を守るのが騎士の努め……そうだろ?」


 誰に問うたのかヴァイスはそう呟くと手すりに体を預けながら、ふらふらと階段を上っていった。



 *****



「おいおい、いくら何でも……」

「いいから走れ!」


 カルはそう言って目の前の光景に唖然としているフィガロを急かす。再び街並みを駆けていく五人だったが、帝国の飛空挺は王都にまでも砲撃を始めた。前後左右、至る所で轟音とともに瓦礫と煙が舞い上がっている。

 砲撃を受ける王都の街は逃げ惑う人々の悲鳴で溢れた。


「これじゃ逃げられねぇ! うおぉ!」


 立ち止まった五人の近くで、響く轟音と爆風にフィガロは体を斜めに捻った。

 二階が無い家屋、瓦礫だらけの通り、立ち上る煙、カルが知っている王都はもうここには無かった。

 カルが目を細めて眺めていると、砲撃があった方向から涙を流して歩く金髪の少女の姿があった。


「お兄ちゃぁぁん」


 はぐれた兄を、泣きながら必死に呼んでいる少女の姿にソニアの影が重なる。


「早く! こっちに来い!」


 駆け寄ったカルがそう言って少女に手を差し出すと、少女は一瞬だけ目を丸めたが、カルのその手に右手を重ねた。

 カルが手を引いて少女を抱きかかえようとしたその時、轟音と衝撃に眼前の景色は粉々に砕け、吹き飛ばされたカルは背中を強打し意識を失った。



 *****



 帝国軍飛空艇の船首


「どうやらリオナ達がいるようだな……捕らえられていたのか?」


 黒いローブをたなびかせてオルフェウスが呟いた。黒い仮面から覗くその眼は眼下のリオナ達を見下ろしている。


歩兵ポーンから報告はありませんが」


 低い声でそう言ったのはオルフェウスの後ろに居る男。同じく黒いローブに身を包んでいるがフードから白髪交じりの髭が覗いている。


「恐らくは死んだのだろう」

「黒の従者ともあろう者が情けない失態を……とは言え歩兵ポーンはただの人間ですからね。殺したのはカルと呼ばれる盗賊でしょうか? 歩兵ポーンはあの男をえらく気にしておりましたねぇ」

「分からん。あの男の素性は僧侶ビショップに調べさせている」

「そうですか。もしよろしければ私が監視を」

「いや。それについても僧侶ビショップに任せる」


 それを聞いた黒の従者は頭を垂れた。

 オルフェウスを乗せた飛空艇は城の真上で停止し、他の飛空艇は城と王都を取り囲むように空を支配した。



 *****



 カルが意識を失っていたのは、ほんの一分程だった。背中と左脇腹、右肩に痛みが走る。ふと左手に視線を落とすと少女の右手が繋がれていた。だが繋がれていたのは右手だけ、少女の体はどこにも無かった。

 時間が止まったようにカルの思考も止まる。カルはまだ温かい少女の右手を握りしめた。だがその手が握り返してくれる事はなかった。


 カルは叫んだ、先程の轟音で聴覚が麻痺して自分の叫び声も聞こえない。けれどカルは叫び続けた。言葉に出来ぬ怒りを、守れなかった怒りを、帝国への怒りを。

 少女の手を放したカルは立ち上がる、その体に白い光を纏って。

 カルが右手を後ろに引くとそこに風が集まる。瞬く間に一本の巨大な風の槍が浮かんだ。


「このクソ野郎がぁぁぁぁ!」


 叫び声と共に風の槍をオルフェウスに向けて放った。

 風の槍は凄まじい速度で空中を突き進んでいく。やがて城の上空に立つオルフェウスに到達したが、オルフェウスは右手だけでそれを防いだ。風の槍が弾けて消えるとオルフェウスの右手も弾かれた。

 オルフェウスは右手を眺めながら小さく呟く。


「……魔法を使えるようになったか」

「いかがいたしましょうか?」

「放っておけ。虫が一匹、地べたで這いずり回ろうが何の意味も無い。……降りるぞ」


 そう言うとオルフェウスと従者は飛空艇から城へと飛び降りた。


 カルはさらにもう一本の風の槍を作り出そうとしたが、その前に体から白い光が消えてカルはその場に倒れた。

 皆がカルに駆け寄ると、カルの顔を見たニケが口を開く。


「まずいわね……MPが切れたみたい」


 ニケはそう言うと肩にかけた背嚢からMP回復薬を取り出してリオナに渡す。フィガロとギンはMP回復薬を飲ませる為にカルの体を起こした。

 三人を尻目にニケが両手を広げると風と水が集まっていく。


「砲撃が終わるまで耐えるわよ」


 そう言い終わる前にニケを中心に水を伴った風の渦が生まれる。今度は氷の柱を渦の中に作り出すと渦は凍り付いた。


「ニ、ニケってすげぇな……」

「あら、言ってなかった? ワタシ、光と闇以外の属性魔法は全て使えるの」



 *****



 アレクサンドロス城 玉座の間


「は、話が違うぞ! 停戦すると言ったではないか」


 アレク国王がそう言うとオルフェウスも強い口調で返す。


「それはお前もだろう。皇女を使って何を企んでいた」

「ぐっ……い、いいのか? 貴様ら秘宝を欲しがっていただろう! 私を殺したら手に入らないぞ!」

「それならもう、さっき頂いた」

「な、まさか!」


 先程まで秘宝のある部屋にずっと居たのだ。どうやって盗んだのかと玉座の間の奥にある扉に目をやった。


「なるほど。あそこにあるのか」

「き、貴様図ったな! くそぉ!」


 アレク国王は宝飾が施された剣を抜いて、オルフェウスに斬りかかった。



 *****



 やっとの思いで玉座の間に辿り着いたヴァイスは両開きの扉を開けた。


「……そんな。国王!」


 ヴァイスが玉座の間に入ると、そこにはアレク国王の亡骸が転がっていた。傍にはオルフェウスと従者が立っていて、オルフェウスの右手には国王の剣が、左手には二十五ミリ程の紫色の宝石が握られている。


「国王を殺したのはお前達か!」

「だったらどうする……仇を取るか?」


 ヴァイスの問いかけに答えようとした従者を手で制止してオルフェウスがそう答えた。ヴァイスは剣を抜いてオルフェウスに向ける。立っているのもやっとの状態だがそれでもヴァイスはオルフェウスに斬りかかった。


「命を捨ててでも忠義を尽くすか」


 オルフェウスがそう言うと手にしてる剣が黒い魔力を帯びていく。そしてヴァイスの剣を躱し、魔力を帯びた剣をヴァイスの左胸に突き刺した。胸に剣が刺さったままヴァイスは息絶えて後ろに崩れ落ちた。


「ちょうど騎士ナイトが欲しかったんだ」


 オルフェウスがそう言うと、死んだはずのヴァイスの体がびくんと跳ねた。


「痛いか? 苦しいか? どうして死した体に痛みが走るのか不思議だろう。それは生まれ変わる為の痛みだ。俺の魔力と結びついて、人を超えるか、ただの魔獣になるか」


 ヴァイスの体が何度も跳ねる中、もう一人の別の従者が玉座の間に入ってきた。透き通るような声で後ろからオルフェウスを呼ぶ。


僧侶ビショップか……あの盗賊について何か分かったか」


 オルフェウスは振り向かずにそう問うと、僧侶ビショップと呼ばれた女の従者が答える。


「いえ。……何も」

「……そうか。お前は監視をしながらあの盗賊を調べろ」

「分かりました」


 そう言って僧侶ビショップが玉座の間を後にしようとした。だがオルフェウスに呼び止められて立ち止まる。


僧侶ビショップ。少し体温が上昇しているな……父親の亡骸を見て動揺したのか?」

「いえ……そんな事は」

「俺は……お前の言葉を信じているぞ? 僧侶ビショップ、いや……」


 僧侶ビショップのこめかみを汗が伝う。


「ソニア」



 *****



 ニケが竜巻型の氷のシェルターを作り出してから数時間後、砲撃音は聞こえなくなっていた。

 カルが意識を取り戻した事もあって、ニケは両手を広げてシェルターを破壊した。氷は砕けてきらきらと光を反射させる。けれど綺麗だと思ったのは一瞬で、目に飛び込んできたのは王都の半分が瓦礫と化した街並みだった。

 それを見たリオナは杖を握りしめて召喚の文言を紡いでいく。


『――光の海を漂う精霊よ、遍く光を降らせ我らに癒しと加護を授けよ、歌え……ローレライ――』


 魔法陣から人魚が浮かび上がると、透き通るような歌声を響かせた。淡い緑の光が降り注ぐ……けれど動く者はそこになく、美しいはずの歌声が瓦礫の隙間を悲しく響いていた。


「もう一度……ローレライ! もう一度歌を」


 リオナが金色の瞳を揺らしてそう言うと再びローレライは歌う。そんなリオナを見かねてカルは首を振って呟いた。


「……もういい」

「まだ!」

「もういいんだ。無意味なんだよ……」


 リオナの手から杖が抜け落ちると、その場に膝をついた。そして両手で顔を覆う。


 ――いつまで、俺はソニアの影を追ってる……


「死者は生き返らない」


 ――そうだ……あの日ソニアは死んだ。


 瓦礫へと変わった街にローレライの歌声とリオナの泣き声が悲しく響き渡っていた。

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