第28話 忽那の本領
「お主、大丈夫か?」
珍しく慎一を心配しながらコマが聞いた。
「ああ、カラスの野郎がカッコつけて俺たちを逃してくれたんだろ。早く助けに戻らなきゃな」
「シン兄無理だよ。確かにどんな傷も治す瑠璃光だけど万能じゃないって。それにカラスさん、忽那って人に勝てる考えがあるんだよ。体力が戻るまで少し辛抱してよ」
サキが慎一をそう窘たしなめると、コマが、
「今は体力を戻すのが先じゃ」
と慎一を諭した。
「もっと力が欲しい。正直アイツの強さはハンパなかった。軍荼利明王に変化しても全く歯が立たねえ」
座り込んだ慎一は、自分の拳を地面を叩きつけた。
「だからいつも言っていたであろう。いつか忽那はやってくると」
「ああ、コマの言う通りだ。自分自身が不甲斐ないよ」
三人は、環状7号線を北上して豊玉陸橋辺りまで逃げてきた。左手に小ぢんまりとした大学のキャンパスがあったので、そこに一旦身を隠す事にした。
勿論忽那に見つけられるであろうことは承知の上だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
慎一達が身を隠す少し前の事。
八咫烏は三度に渡り忽那の熱源を喰らっており、すでに満身創痍だった。
両の翼は破れ、深く傷ついていた。
「娘は、娘は無事なんだろうな?」
傷つきながらも八咫烏は娘である玉依姫の身を案じて忽那に問うた。
「指一本触れておらぬ。安心するが良い。しかし、貴様を亡き者にし、娘を好きにさせてもらう」
確かに忽那は玉依姫を監禁しているものの何一つ危害は加えていない。
「さて、貴様の思う通りになるかどうか」
「そんなズタボロになってそんな口がよく聞ける。恐怖で気でも触れたか? 八咫烏よ」
「いつまでもほざいていろ」そう言うと、八咫烏は渾身の力を込めて空高く舞い上がった。
その時である。
八階建てのマンションに被って見えなかった太陽が姿を見せた。
太陽を背負った八咫烏はそのまま急降下して忽那に体当たりをして行った。
「よし。やったぞ!」
忽那を捉えた確信があった。
八咫烏は体を捻り、三本の脚を忽那に突き立てた。
「貴様もこれで終わりだ!」
笑みを浮かべ忽那に突っ込んでいった八咫烏だったが…忽那は三本の脚に潰される寸前で少し体を時計方向に回転させ、この急襲を躱したのだ。
「なにっ! 忽那は眼が弱いはずだ」
忽那の熱源を三発も浴びながら、忽那の弱点を突くタイミングを待っていたのだが、果たして不発に終わってしまった。
今度は八咫烏が守勢に回る番だ。これ以上あの熱源を喰らう訳にはいかない。今度喰らえば、タダでは済まないことは自分が一番よく分かっている。
「小賢しい。その程度でこの忽那が狩り取れるとでも思ったか!」
「貴様を試したまでよ。この程度でお仕舞いになるようでは困る」
しかし、八咫烏の精一杯の強がりは忽那には通じなかった。
「さあ、もう終わりだ。俺はとても機嫌が悪いんだ。直ぐに眠ってもらうぞ。永遠にだ」
(熱源さえ躱せれば、まだ勝機はある…)
心の中で八咫烏は呟き、熱源が発射されるタイミングを見ていた。
しかしだ。
忽那は恐ろしいほどのスピードで八咫烏に接近し、肩から上腕にかけて見事に盛り上がった筋肉に任せて八咫烏を殴った。
「ぐうう」
八咫烏は短く声を漏らした。
(嫌な音がした。肋骨が何本か逝ったな…)
意識は飛んでいない。しかしその事で悪魔のような痛みと格闘する羽目になってしまったのだ。
「俺にはまだ腕っ節だけで貴様を殺すことができる。しかしまだくたばらんのか。しぶといな。八咫烏よ」
「貴様なんかに、貴様なんかにやられはしないぞ!」
声を出すだけで身体がバラバラになるような痛みが襲う。
(これが最後になるかもしれないな。もう、出し惜しみはできない…)
そう八咫烏は心の中で決意を、命を賭した決意を固めたのだった。
◇ ◇ ◇
東京科学工科大学の練馬キャンパスの道足研究室では、暖かな日を迎えていた。
「ねえ、マリー=テレーズ。《新宿事件》の映像なんだけど、編集終わったかしら?」
腕組みし、行儀悪く脚まで組んだ道足恭代は、座っている椅子を回転させ、後ろの席に座っている助手のマリー=テレーズに訊いた。
「先生。消しましたけど。アレ」
顔を上げずにマリー=テレーズ。
一瞬にして血圧と怒気が上がった道足は、
「あなたなんて事を!」
と怒鳴り、瞬時に冷静になって、
「何故そんなことを?」
と尋ねた。
「先生が柏原学部長の顔真似までして『道足くぅん、この映像は円谷プロにでも借りたのかね?』とか言うだろうとご想像されていたので不要と考えました。何か問題でも?」
冷静に戻ったのに、マリー=テレーズの言い草に、また怒気が蘇ってきて、握り拳にさらに力を入れると腕全体がワナワナと震えるのね、と妙に感心しながら道足は、
「研究者として『データ』を破棄するというのはどうなのかしら?」
なるべく穏やかに言った。
「よし! 取れた!」
マリー=テレーズがいきなり叫ぶ。
「な、何よ、藪から棒に」
「先生、今、この装置を使って先生の怒気を素粒子として観察し、データを取っていたのです」
いつのまにか、見たことのないセンサーが
――30cm角のフラットアンテナのようなものが天井に据え付けられていた――
あり、マリー=テレーズの指し示すモニターには、幾何学模様のような物が映っていた。
「なので先生を恣意的に怒らせたのです。先生は努めて冷静になろうとなさっているデータも取れてます! 素晴らしいサンプル…」
と言い終わるか否かのタイミングで、マリー=テレーズの眼前にはいくつかの星が見えた。
「先生、それは暴力というものです」
「愛の鞭とでも私が釈明するとでも思ったかしら?」
「あ、いいえ」
体罰は受けたことはなかったが、流石に今回はやり過ぎたとマリー=テレーズも思った。
「確かに人を本気で怒らす事ってなかなか難しいわよね。貴方にしてはよく考えたじゃない?」
「ええ、まあ。例の映像ですが、編集はやめておきます。何しろ《データ》なので、改竄を疑われる可能性がありますし」
道足は立ち上がって机上の資料をまとめている。
「それは当たり前のことよ。そうじゃなくて、その、報道機関向けに配布できる素材というか…」
「なるほど、でも私がやる必要はないと思うんですよね」
マリー=テレーズは、そう答えながら先ほどの画像データをハードコピーしている。
「どういうことかしら?」
「報道機関、特定の報道機関に委ねるのも一つの方法だと」
「偏った編集をされるんじゃないの?」
「確かにその危険性はありますよね。では私が付き添うのを条件にすればどうです?」
道足はまとめた資料をぽんぽんと腰のあたりで叩きながら尋ねる。
「何か心当たりの報道機関があるのかしら」
「無い事もない…ですかね」
「その勿体つけた言い方は好きじゃないわ」
「首都テレビですわ。先生」
首都テレビ、と聞いた道足は脊髄反射した。
「あそこはダメよ」
「なぜです?以前、『世界神霊大発見』でキワモノ扱いされたのを根に持ってるんですか?」
道足はマリー=テレーズの問いに言葉を失った。勿論図星だったからだ。
しかし、了見のせまい女だと思われたくない一心で、
「な、何を言ってるの? あ、あんな番組もう忘れてたわ」
「それでは他にどんな理由が?」
道足に他の答えなどあるわけもない。
「ダメったらダメよ!」
マリー=テレーズは、少し考えて、
「では先生。首都テレビには、「世界神霊大発見」での扱いを謝罪と訂正してもらいましょう。その上で先生の研究をしっかり宣伝してもらうって言う事ではどうですか?」
道足は、安っぽいプライドを貫くか、自分の研究を世の中に正当に受け入れてもらうか、頭の中で計算している。
「わかったわ。いいでしょう。それで、誰か知ってるの? 首都テレビの人」
「ええ、父の友人で、報道キャップに暮林という人がいます。彼なら」
「そう。ではアポを取って。私もミーティングには出るわ」
道足がそう言うと、マリー=テレーズは、デスクの電話をフックアップして手帳を見ながら電話をかけ出した。
しかし、マリー=テレーズは、あの時の ――《新宿事件》の時と同じ妖気を感じた。
「先生、E.G.o.I.S.Tが先です!」
マリー=テレーズは叫んだ。
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