第14話 玉藻前

 慎一が元紀から出ると、元紀は正気に戻った。


「亀石さん、手、手を離してください」


「ああっ?」

 捻り上げた胸元に当てた手を緩めると短く吼えた。


「すみません、少し疲れが溜まってるみたいで。あとは全部自分でやります。申し訳ありませんでした」


「お前らしくないだろう。どうしたんだ。何かあったのか?」


「いえ、本当になんでもないです」

 亀石は気の短い男だが、曲がった事が嫌いなだけで基本的に善人である。


 元紀の事は、自分の部下ではないが、常に一生懸命使命を果たそうとしている姿を見て感心している。


「それが終わったら、誰かに勤務変わってもらえ。現場で使い物にならん。今日の週休要員はサカキだったな?」


「カメさん、ちょっと待ってくださいよ」

 口を挟んだのは救急隊長の山崎だった。


「自分が見極めますんで、ちょっと口を出さんでください」


「ヤマ、お前甘いんじゃないか? モトキの惚けぶり、見ただろうが。お前の足を今のモトキは引っ張りかねないぞ?」


「分かってます」

 亀石は上司ではないが、歴戦の勇者として名を馳せている年長者へのリスペクトだ。


 山﨑は一礼して片付けが終わった元紀に来るように促して、奥の応接室に連れて行った。


「お前、なんか変だったぞ? この世にいないような感じだった。なんか、なんかあったんじゃないのか?」


「隊長、すみませんでした。亀石さんにあんなことまで言わせてしまって。本当に何でもないです。ちょっと昨晩の件が引っかかってて」


「本当に大丈夫なのか? 榊原も待機しているんだ」 


「榊原先輩には申し訳ないですし、もう大丈夫ですから。これでも隊長にしごかれてここまでやってきてるんですよ、自分」


 山崎は目を挟めて、


「そうか。三十分休め。呼びに行く。出場が掛かったら三十分じゃなくなるけどな」

 というと、踵を返して部屋から出て行った。


(隊長、物凄く勘が冴えてるな…この世にいない見たいだって)

 元紀は先ほどの山崎の見透かしているような眼が恐ろしく感じられた。


(風戸さん、今なら大丈夫ですよ。)

 心の中で念じると、慎一が意識の中に入ってきた。


 なんとも気持ちが悪いあの感覚がまた襲ってきた。自分の身体が奪われて自由がきかない。それでいて意識はハッキリとしている。


(さっきは申し訳なかった。あんなタイミングで君の中に飛び込んだのは本当に申し訳なかった。それに、君の中に俺が入ると、君は自由を奪われるんだな)


(そうみたいですね)


(頼みがあるんだ)


(頼みってなんですか? 自分にできることですか?)


(と言うか、君はあの世の者が纏わり付いているのをやけにすんなり受け入れるよね?)


(あー、そうですよね)


(そうですよねって)

 笑う慎一。


(頼みって言うのはさ、言いにくいんだけど有紀を、見守ってやってくれないか。って事なんだけど。)


(なんで自分なんですか?)


(見た目が似ている、って言うのは君も否定しないだろう?)


(ええ、こんな似てるなんて不思議な感じです。)

 でも、と言って元紀は続ける。


(似てても、自分は風戸さんじゃない事くらい有紀さんだってわかるでしょう。それに似ている事を良いことに婚約者を亡くした人に近づくなんて、卑怯者みたいじゃないですか!)


(まあ、そうだよな。君の言うことは正しい)


 そこに闖入してきたのは、サキとコマを追ってきた、妖艶な和服姿の妖だった。


 二人とも痛手を負っている。


「すまぬ、お主の邪魔をしたくなかったのだが、こやつはちと強いぞ」


「シン兄、ごめんね。私が弱いばっかりに」


「大丈夫か? おまえたち!」

 元紀に完全に憑依した慎一は驚いて叫んだ。


 コマとサキを追撃してきたこの妖、名を玉藻前たまものまえという。そしてその正体は九尾の狐だ。


「お前たち、まとめて相手してあげる。掛かって来なさい」


「女を殴るのは趣味じゃねえがな。サキをこんな目に合わせやがって。ただで済むとは思ってんじゃねえだろうな?」


「それは、お言葉だね。お前なんぞ一捻りしてくれるわ!」

 慎一は玉藻前に相対するとどこで覚えたのか、跋折羅印ばさらいん、中指、薬指の三指を伸ばし胸の前で交差印を結び、軍荼利明王を召喚した。


「アムリタ・クンダリン!」

 しかし、変化は途中で止まった。


「ふははは! なんだその中途半端な変化は!」

 慎一は、元紀の体を借りたままだたので、躊躇したのだった。意識の中の元紀は押し黙っている。


「それで終わりのようだね? 出来損ないが!」

 そう言うと、玉藻前は変化して九尾の狐になった。


「さあ、死ね!」

 九尾の狐は九本の尻尾から光り輝く玉を繰り出した。


「ぅゔっ!」

 半分しか変化できなかった慎一は、防御できずまともに攻撃を喰らい、悶絶した。


「ネコちゃん、なんでシン兄はさっきみたいに変身できないの?」


「先程の戦いからチカラが回復していないのじゃろ。それとも」


「それとも?」


「この体の持ち主と折り合いが付いていないのかものう」

 コマが憑依を慎一に進言するのをためらったのは、このことが理由であった。


「じゃあ、どうなっちゃうの?」


「ワシにもわからん」


「さっきの威勢の良さはどこに行ったんだい?口ほどにもないヤツよ。ははははは!」

 更に光の玉を打ち込む九尾の狐。


「仲間の分も喰らうが良い!」


「うぁあああーっ! ぐふぅ!」

 と言葉にならない声を発すると慎一はその場に倒れこんだ。


 九尾の狐は、慎一が動かなくなると、視線をサキに向けた。


「今度はこの嬢ちゃんだね」

 恐怖に青ざめるサキ。


 距離をジリジリと詰める九尾の狐。


「地獄にお行きっ!」

 と短く吠えると、九尾の狐は持っていた巻物を拡げて投げつけた。

 巻物はサキの身体に巻きつき、そして締め上げた。


「ああぁーっ、く、苦しいよ、助けてネコちゃん!」


 コマはその声を聞いても微動だにしない。

 いや、コマは九尾の狐に結界をいつの間にか張られて動けなくなっていた。


「た、助けて!」

 サキの身体の軋む音が聞こえてくる。


 そこに息も絶え絶えな筈の慎一が、


「このキツネ野郎!」

 といって手刀で巻物を切り刻んだ。


「シン兄!」


「すまねえ、サキ。さっきも首絞められたばっかりだったよな。一日で二回も締め上げられるなんて。苦しかっただろ?」


「あっ、シン兄、後ろ!」


「何を他所見しているんだい?あんたの相手はこっちだよ!」

 あたらな巻物を慎一に巻きつけた。


「ぅあぁあああああーっ!」

 この世の、いやあの世の痛みとは思えない強烈な痛みが慎一と元紀を襲った。


「このままじゃ、シン兄が死んじゃう!」

 九尾の狐はお構いなしに光の玉を慎一に打ち込んだ。


「ぐぁぁあああああ!」


(サキよ、こちらに来い)

 サキの心に中に、結界を張られて動けなくなっているコマの言葉が聞こえてきた。

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