第36話 師弟

 翌朝早くサオリはアパートへ戻った。荷物整理の為だ。午前中に引っ越し業者が来て荷物を運び出すらしい。


 急な引っ越しにも関わらずよく引っ越し業者を手配出来たなと感心していたら恭也が全て手配してくれたそうだ。何から何まで用意周到な事だ。

 あいつがサオリの秘書みたいだな。


 俺はサオリの大きなカバンを新しいアパートへ持って行くだけだ。住所を見ると驚いたことにアパートではなくタワーマンションだった。サオリの住所の階層で解った。


 新しいマンションはかなり贅沢な作りだ。家賃は、俺には見当もつかない。それが全部会社負担とは凄い優遇措置だ。

 信頼と秘密を厳守に対する対価なのか、あの会社の重役扱いなのか、ここに一人で住むなんて、なんて羨ましいんだろう。


 部屋に入ってさらに驚いた。俺のアパートの部屋何個分だろう。窓からは陽の光がこれでもかというほど差し込む。


「ズルイな、こんな良いとこ住めるなんて」

「ハルにはよく泊めてもらったから、何時でも遊びに来てよ。ハルなら大歓迎だから、ハハハ」

 サオリは勝者の余裕からか俺のやっかみを軽く聞き流した。


 全ての荷物の運び入れが終わり業者が帰った後、サオリが一息着こうとコーヒーを煎れてくれた。


 俺は石田会長の言う準備期間についてサオリに聞いてみた。

「今の勤め先の退職に関しての引継ぎとか」

「俺バイトだったし、しかも最近辞めたし」

「じゃあ身の回りの整理とか」

「うーん何のために? 」

「だったら親しい人とかお世話になった人に挨拶して回ったら? 」

「そうだな、うん、そうだ。そうするよ」

 俺は昨日主要メンバーと会ったから後は南田先生と父親くらいしかいないなと考えた。


「ホントに遊びに来てね、カステラ用意しておくから」

「ありがとう、じゃまた今度」


 俺はサオリの部屋からその足で南田先生のところへ行くことにした。いつものように裏口のインターホンを鳴らすと師匠は興奮気味に喜んで俺を迎えた。

「おう、この間の鰻旨かったぞ、ありがとな」師匠は居間まで歩きながらご機嫌だった。


 居間に通され先生は棚から嬉しそうに小箱を取り出した。

 先生が小箱から取り出したのは4センチほどの勾玉が二つだった。

 綺麗な青色と黒色混じりの勾玉と茶色とオレンジ混じりの模様の勾玉だ。

「喜べ、ハルイチ。山村さんから遂に届いたぞ。ホラ、これ」

 山村さんはいにしえからの先祖代々の装飾職人であり、南田先生の言うには凄い人なのだそうだ。


「丹精込めて気を練り入れて時間を掛けて磨いて削って苦労して作ってくれたんだぞ」

 先生は山村さんの労力を気遣って説明してくれた。きっと山村さんのことを尊敬しているのだろう。

 山村さんは俺の姿を見てイメージしながら作ってくれたそうだ。

 だから大和相国寺駅で俺と会う必要があったのかとたった今理解した。


 勾玉について何も聞いていなかったし何をするものかも分からない俺は「はあ」と曖昧な返事をした。


「まあ、そうなるわな」

 先生は俺の反応に一人で楽しそうに納得している。

「これを身に着けてるとお前、日に三分、回数なら五回ずつ業を出せるようになるぞ、やったな」

 俺に笑いかけた後、先生は勾玉の穴に紐を通している。


 俺は植物園で業が一分以上使えた気がする事を話し、どういう事か質問した。

「明らかに一分以上業が使えたのですが、どういう事なんでしょうか? 」

「やはり、ばれたか、フフ」

 先生は俯いて観念したかのように顔を赤らめ笑っている。


「まあ業は精神力次第だからな。調子が良いとそういう時もあるんじゃないの。俺は一分が限度と言っただけでお前の精神が、お前の心が勝手に成長したからなんじゃないの。知らんけど」

 先生は面倒になったのか、さっきまでの上機嫌と打って変わって自暴自棄な話し方をした。

「では勾玉は? 」

「勾玉は業にあまり関係は無いな。俺はお前と師弟関係のしるしみたいなのが欲しかったんだ」

 少し悲しそうに話す師匠。


「ありがとうございます!僕の事をそんな風に思っていてくれてたなんて。凄く嬉しいです」

「おお、そうか! 見ろこれ、俺たち色違いのお揃いだぞ。ガハハハ。それに勾玉は気持ちを落ち着ける作用があるんだって。ほら、首にかけてみろよ、早く! 」

 南田先生は嬉しくて笑いが止まらないようだ。

「それなら今、先生にこそ必要ですよ」とは言わなかった。俺は素直に青の勾玉を受け取り首に掛けた。先生も茶色とオレンイ色の勾玉を首にかけた。


「どうだ、何か感じないか? 」

「ええ、何かは感じます」

「そうだろう、うん」

 先生は感無量になって頷いている。前に山村さんに言われた事を思い出した。南田先生は俺という初めての弟子が出来て大変喜んでいたと。俺も先生に弟子入りして良かったと思う。本当に憎めない人だ。


 夕飯の鍋を一緒に食べた。

「またいつでも来い。用事が無くても来いよぉ」

「はい、また来ます」

 先生は手を振って俺を送り出した。俺も手を振った。


 俺の心が成長した? いつ? どうして? 今の俺なら本当に業を三分も続けられるのだろうか?




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