第161話 今・他人の痛み
8月26日。
夜中までエアコンの音、2時位まで。
3時40分ごろエコキュート稼働。強い痛み。
4時半から30分ほど眠る。
5時ごろ再び痛み、6時過ぎから8時ごろまで眠る。
8月27日。
2時半ごろエコキュート稼働。痛みは小さい。再び眠る。
3時10分ごろ痛み。起きる。(外で作動を確認)眠れない。
3時50分ごろ、強い痛み。眠れない。
4時半ごろから5時ごろ少し眠るが、5時過ぎ再び痛み。
6時ごろから8時過ぎ眠る。
8月28日。
12時半ごろ鈴の音が始まる。これはこれでつらい。何の音かは不明。
1時間ほどで小さくなったので眠る。
5時ごろ、エコキュート稼働。10分ほど痛み。弱くなるが、すぐ他の機械音が始まってしまった。
7時起床。全身が痛い。
この日はとても暑かったからかエコキュートの音は小さめだった。時間も短かった。
8月29日。
2時半ごろ、胸部痛。エコキュート稼働。(外で確認)
久しぶりに長い。
音の大きさは、それほどではないが長時間になると体がきつい。
4時半ごろ、5時半ごろの痛み。短時間。
やはり、2時ごろより朝方の方が強く感じる。
この日も比較的小さめ。


毎日。
毎日毎日、自分たちが拷問のような苦しみを他人に与え続けていることを、知っていながら何もしない人たちの気持ちと言うのはどういうものなのだろう。
鋼のように硬いものなのか。
氷のように冷たいものなのか。
私だったら、このお湯を使うことで一晩中痛みに苦しむ人間がすぐ側にいるのだと思ったら、とてもまともに使えそうにない。
法律で取り締まられないからと、そんな事が何の意味があるだろう。
自分の良心の基準を法律に置くのか。
自分が他人を踏みにじっていると言うことを、意識せずにどうして平然と生きていけるのだろう。
眠っている時も、相手は痛みのため、転げ回っているのではなかろうかと、チラリとも頭の隅をよぎったりはしないのだろうか。
けれど他人の苦しみを知っていても、それを無視する事は、実は善良な人間であっても珍しいことではないのじゃないか。
例えば、組織に属している場合とか。

個人が、それを良しと思わなくても、組織の方針として出てしまえば、それに逆らってまで自分自身の良心に従う人の方が、実は珍しいのではなかろうか。
場合が場合なら、人間は他人の苦しみなど見て見ぬふりをする。
上役とか、誰かのせいにして、責任を棚上げしたり。
問題が大きすぎて、身近に感じられない時は、忘れたフリをしたり。
けれど、今の場合は、誰のせいにもできないはずだ。
すぐ隣に住んでいるから、忘れたフリもできないだろう。
私が苦しみを訴えて、それをあちらが無視した事は、本人たちの責任にしかならないと思うけれど、彼らの心の中ではいったい誰に責任を押し付けているのだろう。
メーカー?
建築会社?
それとも病気になった私が悪いとでも言いたいのかもしれない。
病気なのが悪いのだから、そっちが引っ越せとでも思っているのだろうか。
病人にも、健常者の物差しをあくまでも当てはめると言うのなら、この国に病人が住む場所は無い。
隣のエコキュート から逃げていっても、逃げた先でまたエコキュートだのエネファームだの、果ては風力発電だのが追ってくる。
先に住んでいる人間に、エコキュートの設置を拒否する権利を与えてくれなければ、どこにも逃げ場なんてない。
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