18.「だが僕は自分が所詮小物ということは理解している」

 わあ、と何人かの声が廊下で響くのをGは聞いて、扉の側に寄った。外で、何やらどたばたと人の倒れる音がする。そしてその後に続いて、がちゃ、と金属の触れ合う音が。彼は突差に扉から離れた。

 続いて、がちゃがちゃと鍵穴に差し込まれ、それが動く音が。彼はやや緊張する。


「開いた!」


 そんな軽い、高い声が耳に入った。そして扉が開くと共に、若草色の風が吹き込んできたか、と彼は思った。劇の衣装を付けたユーリが、巨漢の恋人を伴って飛び込んできたのだ。


「ユーリ! マーチャス!」

「助けに来たよ、早く出て、サンド」


 金髪の長いカツラをつけた彼は、何処から見ても可愛らしい少女だった。声だけがややそれを裏切るが、そういう者もたまには居ると思えば思えなくもない。


「ありがとうユーリ、ジョナサンは?」

「僕のこの恰好を見れば判るだろう? 既に舞台に向けて出発したよ」

「森林通りか」


 そう、と言いながら彼はうなづいた。扉の外には、数名の見張りが転がっている。まるで投げ飛ばされたかのように、あちこちにガードサーヴィスの男達の身体は転がっている。Gはその一人の側に寄って膝をついた。ご丁寧に武器を携帯している。

 おぼっちゃまにも困ったものだ、とGは内心つぶやき、そして彼らの服の下を探った。


「早く行こう」


 そんなGの行動に気が付いているのか、付いていないのか、長い金髪を翻してユーリは駆け出そうとする。

 だが、Gはその場に留まっていた。


「どうしたの一体。早く行かなくちゃ、あんな無謀なことは……」


 そこまで言ってユーリは言葉を呑み込む。Gの手には、そこに倒れているガードサーヴィスが持っていた銃があった。


「どういうつもり?」

「僕は行く訳にはいかないよ」

「何故! せっかく助けに来たのに!」

「助けに来たと見せかけて、消しに来た相手の手は取れないよ」


 きゅっ、とユーリの形の良い眉が寄せられる。眼光が鋭くなる。気丈にも、彼は銃を目の前にして、まるでひるんだ様子がない。


「……僕に何をする気なんだい?」


 そうだ、何を言ってるんだ、と巨漢の青年が後ろでわめく。


「別に。僕はただそろそろ正体を現したらどうかな、と言ってるだけだよ」

「じゃ一体、君は僕が何だって言いたいんだい? サンド・リヨン君」

「知れたことさ、ユーリ・ジンメルン、いや『飛ぶ**』の幹部工作員!」


 にやり、とGは笑った。その笑いに、ユーリはふん、と鼻で笑って返した。そして次の瞬間、彼は実に見事な舞いを見たような気がした。

 若草色のワンピースの「少女」はその小さな手で、恋人のみぞおちに鋭い一撃を加えた。実に優雅な動きだった。一瞬のことだったが、状況を忘れて見入ってしまいそうだった自分に、Gは失笑する。

 巨漢の青年は、一体何ごとが起きたか判らない、という表情をしながら、その場にゆっくりと崩れ落ちていった。ふふっ、と倒した本人は、実に楽しそうな顔をして、その様子を眺めていた。


「恋人にひどい仕打ちだな」

「いい奴だったからね。殺しまではしないでしてやるさ」

「それは親切なことだ。『飛ぶ**』のもう一人は、君なんだろう?ユーリ。マーティンを撃ち殺したのも」

「確認が好きだね。そうだよ僕だよ」


 くすくすとユーリは笑った。そしてそのまま彼は、ぷつぷつ、と若草色のワンピースの前を開けていく。

 その中には、完全装備の戦闘員がいた。

 ふわふわと広がるスカートの中に包まれた綺麗な足には、がっちりとした革のベルトで銃がくくり付けられて、そして胸には機関銃の弾丸が、交差して掛けられている。


「気付くのがずいぶんと遅かったね、G」


 ユーリもまた、偽名ではなく、彼の本当の名を呼んだ。


「気付かなかった訳じゃあないさ」


 Gは銃口を青年に向けたまま答える。


「だが君はそう簡単に正体を見せるような下部構成員じゃあないだろ?あの優等生とは違って」

「ふん」


 ユーリは唇の端を軽く上げて笑った。


「そうだよ。奴はただの下っ端さ。確かに奴は、ヨハン・ジギスムントでは優等生だよ。僕もまた、あの学校では奴の下に組み入れられている学生の一人さ。そういう役回りだからね」

「だったろうね」


 最後まで自分が何を間違えたのか、気付けなかった優等生の顔が、一瞬浮かんで、未練もなく消える。


「だけど所詮、奴はお山の大将だったのさ。御曹司ばかりの通う学校で、学校という限定された空間にのみ通用するリーダーシップとやらを振り回して喜んでいるだけの小物に過ぎなかった」

「ではそれを隠れ蓑にしていた君は小物ではないと言うのかい?」

「僕は小物さ」


 ユーリはふふん、と笑って、長い髪のカツラを放り上げた。

 途端に表情が、それまでの少女めいたものから、青年のものに変わる。いや、それまで少女の役をやってこれたのが不思議なくらいに、その表情は青年のものでしかなかった。


「だが僕は自分が所詮小物ということは理解している。『飛ぶ**』の戦闘隊長という地位しか持たない小物だとね」


 そして彼はそれまでに見せたことの無い冷ややかな笑みを、その綺麗な顔に浮かべた。


「なるほど強い訳だ!」


 Gは銃の引き金を引いた。その瞬間、若草色の布が宙に舞った。ワンピースに数ヶ所の穴が空く。だがその向こう側に戦闘隊長はいなかった。


「こっちだよ」


 くくく、とユーリは腕と足をむき出しにした戦闘服になって、彼の背後に回っていた。

 小さい頭に、短い金の髪が細かくその勢いに、きらきらと揺れる。手には純白の特殊セラミックのナイフ。刃が一杯に長くされているのが一目で見て取れる。それをまた、軽く、ひどく軽く彼は振り回す。優雅な程に。

 もしかしたら、こいつも『御曹司』の出身なのかも知れないな。Gはそんな場合と判っているのに、つい考えてしまう。そして無論その間に彼は、手の中の銃を、やはり同じ奴から奪い取ったナイフに持ち換えていた。

 カシ…… ン、と何度か長剣の形をしたナイフが音を立てて重なる。やがてその重なる音は、次第に間隔を短くしていく。

 互角とは言い難い。明らかにGは不利だった。相手はただのテロリストではない。むしろ戦場を駆け巡ってきた戦士だ。

 だがGとて、だてにその日々を過ごしてきた訳ではない。彼は都市型の工作員として生きてきた。人にはそれぞれ、向き不向きがあるのだ。

 Gはナイフを相手に向けて投げた。ユーリは鋭く飛んでくるその刃を反射的に避けた。彼は目を丸くしていた。この状況で武器を投げてしまうのは、自分を不利にするに等しい。

 だがGは戦場型のタイプのテロリストではなかった。あいにく戦士にありがちな礼儀だのセオリィだのを守る気などさらさら無かった。あるのはただ、生き残り、任務を遂行することだった。

 彼は服のボタンを引きちぎると、その場に叩きつけた。途端に白い煙が辺りを覆った。白色煙幕は、一時的にその場の光の粒子を全方面に散乱させる働きがある。ユーリが目をつぶるのを見越して彼はその場から走った。

 服を改造して使うのは中佐の十八番だが、別にそれ以外の者がその方法を使ってはいけない、という訳ではない。

 いくつかのボタンやタイピン等を、Gはそう言った戦闘場所の条件を限定するためのものに細工していた。これが密閉された場所なら、発火性粒子の発生装置も有効だが、あいにくここは屋外だった。

 走りながら彼は考える。味方はいない。


「だけどそれはある意味じゃ有効な状況だ」


 中佐が何気に言った言葉をGは思い出していた。彼は滅多に自分の戦歴などを口にしないが、ほんの時折、連絡員も交えて顔を合わせている時、ぽろりと言葉に出してしまうことがあった。


「何で?」


 そしてそういう時は、聞きたがっているGに変わって、キムが何やかんやと訊ねる。Gはその話には、象のように耳を大きくするくらいに集中して聞いていた。

 コルネル中佐自体は敬遠したいところなのだが、彼のサバイバルに関する点については尊敬していた。


「少なくとも、間違えて殺してしまうこともねえだろ」


 確かにそうだ、と彼も思った。追ってくる敵一人をただ如何にして抹殺するか。それだけ考えればいい。

 相手の利点。何にしろ武器の量が違う。あの小柄な身体に、数種類の銃をつけながら、身軽に動いていた。もしかしたら高重力下の戦闘経験があるのかもしれない。そしてそれだけでなく、セラミックナイフの使い方もなかなかのものがある。


 だけど。


 彼は市街劇の舞台へと飛び乗ったエレカを走らせた。 

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