反帝国組織MM④記憶と空~自分が自分で無かったことを教えてくれた相手へ。

江戸川ばた散歩

プロローグ 新入りについてだらだらと非生産的に非効率的に話すサイボーグとレプリカントの閨。

 眠れない、長い夜の途中だった。

 彼は腕を伸ばして、サイドテーブルの上のシガレットとライターを手にする。軽い音と共に、暗い室内にぽっと灯が点り、彼の真っ赤な髪が一瞬闇の中に浮かび上がる。

 ふっと立ち上がる強い煙の匂いが、彼の口と鼻を同時に刺激する。おそらくはどの種類よりも強い、きつい銘柄のものだろう。彼にとって、唯一それが自分の感覚に触れることのできる種類のものなのだ。他のものでは味も素気もない。

 煙のためなのかどうか、ん、と横で寝返りをうつ気配がする。ざらり、と相方の身体中に絡みつく長い髪が揺れた。

 彼は視界の波長を切り替え、ぼんやりとそれを眺めた。

 エネルギーを使い果たしたセクサロイドは、相手がどうあろうと、簡単に睡眠に入ってその補給をしている。

 レプリカントは、人間よりは確実にタフにできてはいるので相手が人間である以上、まず問題が無いと彼は聞いている。自分がオーヴァヒートする前に、相手が先に果ててしまうのだと。

 だがそれは人間の場合である。

 戦闘タイプなんていう、バッテリーの容量の大きいタイプの自分を相手にすると、この馴染み深いレプリカントは、オーヴァヒートしてブレーカーが上がってしまう寸前に、こうやってさっさと眠りに入ってしまう。ほとんどつれないと言ってもいい程に。

 そして自分はまた眠れずに取り残され、こうやって時間を過ごしている。

 何度こんな風に過ごしているだろうか、と煙を揺らしながらコルネル中佐は考える。

 何度、ではない。何十回、何百回、と数えれば数えられるだろう。

 彼らは出会った時点から、そういう付き合いだった。彼が「コルネル中佐」となり、訓練を終え、「仕事」についた時点からだった。

 その時点で彼は、この連絡員が、現在では居るはずのないレプリカントであることを盟主から聞かされてはいる。そして、それと自分がどういう付き合いをしても構わないということを。そして結果として、現在までそれは続いている。

 それは決して悪いものではない。冗談のように相方に時々告げる愛情めいた言葉も、まあそれほど間違いではない。そうでなければ、わざわざ危ない橋を渡ってまで、上がったブレーカーを下ろしに行く訳がない。

 そしておそらくは相手もその程度は知っている。だがお互い言わない。本気では決して。

 本気で言ったら、終わりだ。

 それが彼らの無言の共通認識だった。


「……あれ、あんたまだ起きてたの? 何時?」


 目を覚ましたらしい。キムは起き抜けの低い声で訊ねた。


「まだ四時だ」

「ふーん……」

「お前こそいいのか?もう」

「たぶんね」


 曖昧な返事が返ってくる。


「でもあんたに合わせるのはなかなか疲れるんだよ。俺そんなにタフじゃないからさあ」


 ぬかせ、と中佐は軽く吐き捨てる。


「あいつはどうだったんだ?結構最近お前、仲いいだろ」

「G? ま、それなりに。ああ、だって、奴は一応人間のようなものだからさ。逆に俺の方がタフだって呆れられた。ああ、そう言えば俺が冷たいって怒ってたなあ」

「冷たい?」

「体感温度の話らしいよ。あんた何も言わないから気付かなかったけどさ、そういうのあいつは気になるらしいわ」


 ふーん、と中佐は肩をすくめた。


「ま、確かに俺はお前にその類のことは言ったことはないな。別にどっちだっていいし」

「でしょ? まあ尤も、俺がレプリカだって奴が知らなかったのが最大の問題なんでしょうがね」

「ああ、それは俺も思ったな。俺もてっきり盟主が言っていたと思ってた」

「うん。だからさ、も少し早く俺、再起動されるかと思ってたんだけどね。あんたがわざわざコンシェルジェリくんだりからやって来るとは思わなかったし。でもとりあえずありがと」

「そう思うんだったら、もう少し気を付けろ」

「判ってるよ」


 キムは苦笑する。彼とて予想はついているのだ。緊急信号ですっ飛んできた中佐の対応の一部始終は。

 おそらく、目の前の仕事を慌てて片付け、自分でなくても良い部分を部下に一気に押し付けて一番速い船で飛び出してきたのだろう。その際、どんな口実を付けたか、とても気にはなるところだが。

 とは言え、あの時に関しては、滅多にしない戦闘態勢にならなかったら、自分が果たしてあの双子の殺人人形をかわすことができたかどうかも判らない。

 だからそれを後悔する訳ではない。無論、中佐もそのくらいは判っている。結局は愚痴のようなものだ。


「で、奴の言ったことに対してはお前は何らかの対応するつもりなのか?」


 くくく、と中佐はやや含みを持たせて笑う。はて、とキムはこころもち首を傾げる。


「どうかな。別に大した手間でもないけどさ…… でもね、逆の立場だったら奴もあまり何も言わないと思うんだけどね」

「お前、奴にどっちの立場とってる?」

「上」

「何故だ?」


 波長を変えたレプリカの目にも、相手があからさまに不思議そうに眉を寄せた表情は映った。


「ああ、俺はさ、そういう人形なのよ元々。上だろうが下だろうがどっちでもいいの。相手が望む方に合わせているだけ。どっちでも俺は気持ちいいから問題ないでしょ」

「ま、それはそうだ。で俺には――― と」

「あんたは俺にヤリたがっていたからね、最初から」

「そうだったか? もう昔のことだから忘れた」

「老化の始まりだよ。まあどっちにせよ、逆なんてあんた気持ち悪いでしょ」

「ま、それはそうだ」

「だからさ、そういうのを読みとることぐらいはできるの。あ、それはレプリカのテレパシイとは関係ないからね」


 判ってる、と中佐は彼の頭を軽くこづいた。


「態度とか、あるじゃない。ちょっとしたもの。そういうのを感知して統合して理解する訳よ」

「それであの坊やは、そういう側だったと」

「何かね」


 へえ、と中佐は吸い尽くしたシガレットを押しつぶした。


「どっか自虐的だよね、Gは。何か見ていてあぶなっかしい。無意識なんだろうけど」

「お前も今回の仕事は結構危なかったんじゃないか?」

「言ってる方向が違うよ。ま、でも俺はね」


 ありがたいとは思ってるのよ、と彼は付け足し、相手のバッテリーのあるわき腹に触れた。

 中佐はその手を取ると、そのままぐい、と引き寄せる。

 立場はどうあれ、別の相手のことを楽しそうに話されるのは多少しゃくにさわるものがあるのだ。

 とは言え、彼にとって、その気分はそう悪いものではない。何せ放っておくと、人間的感情というものは日に日にすり減っていくような気がするのだ。

 妙なものだよな、と中佐は内心つぶやく。

 人間と一緒に居るとすり減っていく人間的な感情が、このレプリカントと一緒に居ると、減った分だけ埋め戻しが効くような気がするのだ。

 引き寄せた手を掴んだまま、彼は自分の上に乗りかかる形になる相手と立場を一気に逆転させた。そして放り出され、広がり乱れる長い髪を手に巻き付けると、軽くそれに口づけた。

 その様子を見て、キムは呆れたように言う。


「何あんた、まだ足りないの?」

「足りない」

「好き者」

「言ってろ」


 それでもためらわない。セクサロイドとはそういうものだった。


   *


「ああそう言えば、もうすぐまた奴の所へ仕事持っていかなきゃならないけどさ」


 連絡員は、ふと思い出したようにつぶやいた。窓の外は次第に明るくなりつつあり、既に可視光線に波長を切り替えても十分互いの顔が判るくらいだった。


「へえ。結構最近多いな」

「まあね。まあフォローも要るけどさ、それなりに奴もちゃんと動いてはいるようだし。それにああいう奴は、考える間無く仕事与えた方がいいと思うんじゃない?」

「自虐的」

「うん。あん時も思ったよ。何っか受け身じゃん。俺だけじゃなくてさ、あん時の殺人秘書人形。ほら、アルティメットの可哀想な特高の」

「ああ、あん時の」


 惑星アルティメットの特別高等警察の局長は、中佐がその手で撃って殺したのだが、既にその事実は彼の記憶の「どうでもいい」というラベルを貼った引き出しの奥底だった。よくある案件の一つに過ぎない。


「あん時も…… まあ相手の方がガタイがでかかったとか、色々あるんだろうけどさあ……」

「だけどお前、その前に色々注意してはおいたんだろ?」

「まーね」


 言いながら彼は両の腕を思いきり伸ばした。


「あんな態度じゃ確かに見破られるよ。嫌になるくらい、人間はああいう時には本性が出るじゃない。Gは俺に冷たいだの何だの文句言うけどさ、俺と接触した最初の時は、奴自身が全然熱くなってないのよ」

「へえ」

「俺としては、さすがに俺なりのプライドってのがありますからね」

「そんなもの、お前あったのか」


 くっ、と中佐は笑う。


「それなりにね。で、もう一つは、何っか態度そのものが」

「態度?」


 うん、とキムはうなづく。


「あのさ、奴の経歴とか戦歴とか、一応聞いてはあるんだけどね。どうもそれを見てると、自分を虐めたくて行動しているようにしか見えなくてさ」

「なるほどな。だけど鞭は嫌いなようだったがな」

「あんたのような変態じゃないからでしょ」


 ぴしゃ、とキムは自分の額が音を立てるのに気付く。


「何すんの、痛いじゃない」

「別に。ただ蚊が居たからな」

「万年秋のコンシェルジェリに蚊が居るかよ! ……で、経歴なんだけど、帝立大学で音楽専攻だったって」

「ピアノだろ? なかなかあれはちょっとしたものだったよな。それがどうした?」

「―――だろ? 今のところ名乗っている奴の名は」

「ああ」


 中佐はそこまで言われてようやく思い当たった自分に苦笑する。その名が示す一族については、よく知っていたはずなのに。


の人間で、音楽専攻に移籍するなんざ、なかなかできやしないって。少なくともそういう兆候が見られたら、あの一族は彼を帝立大学には行かせなかっただろうね。まあそもそもそんな奴は―――」

「だけど我らがG君は帝立大学に行き―――」

「我々の温床である音楽専攻にわざわざ入り直してしまい、なおかつ我々の下部構成員と知り合ってしまったと。知り合ったところで、うちの下っ端は、そういう同類のにおいがしなくちゃ引っ張りこんだりはしないことになっているだろ?」

「奴自身、そういうフェロモンを出していた、ということか?」

「引き寄せてはいたようだね。うん。で、入ってからの訓練所でも、その後の戦歴でも、成績はいい。と言うか結果としての成績がいいんだ」

「と言うと?」

「つまり、ある事柄を片付ける際に、奴より一つ二つ上の指揮官連中が間違った命令を出したらどうする?」

「そいつはやばいな。痛手が裾野まで広がって、結局とばっちりを食うのは下っ端だ」

「だろ? で、そういう痛手が出て来たときに、彼はどうしてなのか判らないけれど、その責任が自分にあると考えてしまって、結局はついでの活動までやっちゃってさ、その一つ二つ上の指揮官連中のほころびまで繕ってしまう」

「下部構成員としてはなかなか失格だな」


 中佐は呆れたように言う。


「そう。そもそも奴はそういうタイプじゃあないんだよ」

「ふん」

「なのに、そうなりたがってるふしがある。自分を道具にしたがってる。意志のない道具に成り下がりたいようなふしが見られるんだ」

「は。それこそ自虐的だ。そもそも《G》君なぞという名を持つ奴が、反帝国組織に加入すること自体、かなり冗談に等しい」

「うん。それってさ、結局は自分の生きてきた社会を壊してしまいたいってことだからね」


 どうしようもない奴だな、と中佐は手を挙げた。


「嫌だね、全くそういうのは」

「あんたは元々そういうの嫌いだろ?学生嫌いだしさ」

「まあな。我々の盟主同様、俺はそういう甘さは大嫌いなんだよ。否定するならすりゃあいい。壊したいなら壊しゃいい。だがその時に、道具に成り下がりたい? そういうのは俺は御免だね」

「まあね。だけどまあ、奴は奴で何やらそれなりに色々あんでしょ」

「そういう甘さに引きずり込まれたら、命が幾つあっても足りねえんだよ」

「それはあんたのことかい?」


 さあな、と中佐は笑った。  


「そう言えばあんた、今度の表の仕事は結構厄介そうじゃない?」


 気怠げに連絡員は訊ねた。


「厄介といや厄介だが。いつもの事だろ」

「ウチの下部構成員の中には、あんたを恐れてる奴、結構いるよ。真っ赤な髪の軍警中佐には気をつけろってさ」

「そうでなきゃ俺が居る意味はないだろ?」

「そりゃそうだよな」


 あはは、とキムは陽気に笑った。笑いたくもなってくる。いい加減陽は中天にあるのだ。一体自分達は、どの位そうしているのだろう?

 妙に楽しくおかしくなって、笑いがこみ上げてくる。


「何か俺さ、あんたにつきあってる時って、妙に『休暇』って感じがするのよ」


 ふうん、と中佐は何本目かのシガレットを口にする。そして一息吸ってから面倒くさそうに煙と一緒に言葉を吐き出した。


「まあ間違ってはいないだろうよ。だいたい休暇ってのは、どうでもいいことをだらだらと非生産的に、非効率的にやってもいい期間のことを言うんだ。ぴったりじゃないか」


 確かにね、とキムはうなづいた。どうでもいいことで、だらだらと、非効率的。全くだ。


「それに、完全に休みじゃないだろ? 何だかんだ言って俺はこうやってお前と情報交換はしてる」

「そうだよね。でもそうせずにはいられないってのが、なかなか救いがたい所だよね」


 全くだ、と中佐も返した。


「で俺、今さっき思ったんだけど」

「今さっき?」


 軽く中佐の眉が片方上がる。


「今さっきだよ。悪い?」

「悪い」

「そう言われると俺、身も蓋もないんだけどさ。あるじゃん、そういう時にひょいっと思い出すことって」

「―――まあ記憶なんてものは曖昧なもんだからな」

「その記憶」


 ぴ、とキムは真顔になり、相方の鼻先に人差し指を立てた。


「俺最近気付いたんだけどねえ。我らが《G君》は、とっても大切なことを忘れているのかもしれない」

「とっても大切なこと? とっても大切なことって――― おいキム、まさか」


 中佐は慌てて上体を起こした。


「あのことか?」

「たぶんね」


 はあ、と中佐は珍しく脱力する自分を感じた。

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