第30話 忙しい朝


 今日は朝から犬神家中がバタバタしていた。


 花奈の寝室の隣にある広い衣装部屋では、花奈と夕翔が横に並んで立っており、2人の式神たちが忙しく動き回っているところだ。


『——姫様、髪が結い終わりました』


 フウは花奈の長い髪をゆるく編み込み、桃色の紐で結び終えた。


「フウ、ありがとう。次はこれを着ればいいのね?」


 襦袢のような薄手の肌着を着ていた花奈は、前にかけられた衣装を指差した。


『左様でございます。ミツ、ヨツは姫様の着付けを。私は化粧にうつりますので』

『はい!』

『はーい!』


 ミツは、桃色の花びらが散りばめられたクリーム色の着物を花奈の背中側から着せ、ヨツは紐で腰辺り結んだ。

 それから2体の式神たちは赤い袴、白い狩衣を次々に着せていく。


 一方の夕翔は——。

 顔を青くしながら立っていた。


『——モモ、最後の紐はこう結ぶのだ』

『はーい』


 モモはイツに教わりながら夕翔の着付けを行なっていた。

 夕翔も花奈と同様に神職が身につけるような服をまとっている。

 白い狩衣の下——袴は青く、内側の着物は水色だ。


「花奈……本当に俺も伊月さんの国王就任式に出席していいの? 非公式とはいえ、俺たちの結婚の儀もその後にするとか……急すぎない? っていうか、なんでギリギリまで言わなかったんだよ……」


 花奈は目を泳がせた。


 今日の朝——正確に言うと約30分前、夕翔は花奈から『重要な2つの儀式』について突然聞かされ、急いで着替えを始めて今に至っている。

 当然、夕翔は心の準備が全くできていない。


「昨日は言いそびれちゃって……。国王就任式はゆうちゃんのお披露目も含まれてるから出てくれないと困るんだよ〜」

「仕方ない、で済まされないんだけど……? 学校とかの身近な自己紹介とは全然違うんだからな」


 夕翔は眉間にしわを寄せていた。


 昨晩の花奈は両親のことでずっと泣いていたので、話す雰囲気ではなかったことを夕翔も理解していた。

 それでも、人生を左右しかねないイベントが立て続けに行われるため、誰でも時間の余裕は欲しいと思うはずだ。


「とりあえず、式典後のお披露目時間はニコニコして民に手を振ってればいいから。私が全部説明するから大丈夫だって」

「話さなくていいならマシか……?」

「そうそう。それに、結婚の儀は早めに終わらせておかないと、ゆうちゃんは自由に行動しにくいでしょ?」

「まあ……」


 夕翔は今のところ転移術で花奈と伊月の部屋、離れの専用浴室にしか行ったことがなかった。

 まだ全く知らない世界——部屋の外へすら出る勇気はない。

『嫌われたらどうしよう』、『余所者は帰れ、といわれるんじゃないか』などと悪い考えが頭をめぐり、今さらながら怖くなっていた。


「でもなー……自由に行動できるからといって、この世界の人とうまく会話できる自信はないなー」

「ゆうちゃんは私の記憶でこの世界のことは把握してるんだから大丈夫だって」

「う〜ん……この国のことはわかってても、他国のことはよく知らないぞ? 俺、異国人設定だろ?」

「問題ないよ。他の国と交流がほぼ断絶状態だから、みんな知らないんだって」

「そうか……それは都合がいいな。いや、しかし……王族の花奈にふさわしい男だって思われなさそうだから、やっぱり不安だ……」


 夕翔は次々と不安を口に出し、最後にうなだれた。

 花奈は眉根を寄せる。


「本当に急でごめんね……。ゆうちゃんの側から離れないようにするから」

「本当?」

「私がゆうちゃんを守ってあげる!」

「頼んだ」


 夕翔は花奈の両手を力強く握りしめた。

 安心材料を得た夕翔は、少しだけ気持ちが楽になる。


 その後、着替えを完了した2人は、花奈の転移術で式典会場へ移動した。



***



 国王就任式が厳かに行われた後、会場2階の細長いバルコニーへ、伊月・花奈・夕翔は移動した。


『伊月様〜!』

『新国王様〜!』


 最初に伊月がバルコニーから顔を出した瞬間、会場前広場に集まっていた多くの民が歓声の声を上げた。


『花奈様〜!』


 続いて、花奈にも歓声が湧く。


『おい、あれは誰だ?』

『花奈様の横にいる男を知ってるか?』


 次に夕翔が緊張の面持ちで顔を出すと、民は一斉にざわついた。

 その淀んだ雰囲気に夕翔の心は一気に沈む。

 今すぐ部屋へ帰りたい、という思いが夕翔の中を占めていった……。


「静粛に願います」


 妖術で声を覚醒させた伊月の言葉が響き渡り、あたりは静まり返った。


「急な就任式にもかかわらずここに集まってくれた皆様、本当に感謝いたします。昨日お伝えした通り、前国王とその王妃は急死しました。本当に悲しいことです。皆様はさぞかし不安に思っていることでしょう。しかし、私がここに約束いたします。より良い国にしていくことを。そのためには皆様の協力が必要です。一緒にこの国をつくっていきましょう!」


『伊月様〜!』

『より良い国を!』

『さらなる発展を!』


 伊月へ向けて歓声が上がる。


 前国王夫妻はいかにも独裁的な振る舞いだったので、民は早く代替わりしてほしいと願っていた。

 花奈は妖術の実力や明るい性格で人気はあったが、伊月も引けを取らず民からの人望は厚い。

 そのため、伊月が国王になることを反対した者は貴族の一部だけだった。

 民は大歓迎ムードだ。


「——さて、先ほどから気になっている方も多いとは存じますが……姉の花奈から報告がございます」


 伊月は花奈の方へ顔を向け、視線で合図を送った。

 花奈は頷き、口を開く。


「皆様、私からご報告したいことがあります。本日、隣にいる夕翔さんと私は結婚の儀を執り行います。国王と王妃が亡くなったすぐのことで不謹慎だとも思いましたが……」


 花奈は父親の顔を思い出したことで一気に悲しみが溢れ出し、言葉を詰まらせる。

 隣に立っていた夕翔は花奈の手をそっと握る。

 花奈は夕翔の手をぎゅっと握りしめ、再び口を開く。


「……暗い雰囲気を払拭するために、敢えて今日執り行うことに決めました。どうしても、伊月国王の門出を明るいものにしたかったからです。皆様、勝手な振る舞いをどうかご容赦ください」


 花奈は頭を深々と下げた。

 夕翔も同じように頭を下げる。


 花奈の苦しい葛藤が民にも伝わり、いたるところですすり泣きや嗚咽が聞こえていた。


「約1年前から、私は犬神国を離れて様々な国を訪れていました。この国をさらに発展させたい、と思ったからです。その旅の途中で夕翔さんと出会い、結婚を決意した次第です。夕翔さんはまだ犬神国に来て数日ですので、温かい心でお迎えくださると幸いです。どうか、よろしくお願いいたします」


 花奈が再び深々と頭を下げると、歓声と拍手で湧いた。


『花奈様〜!』

『花奈様おめでとう!』

『おめでとう!』


「さあ、ゆうちゃん、手を振って」

「うん……」


 夕翔はぎこちなく右手を振る。


「笑顔がかたいよ」

「そうか……」


 夕翔は無理やり口角を上げた。


 夕翔との出会いに関する説明はもちろん嘘だったが、誰もそれを証明することはできないため問題はなかった。


 横で聞いていた伊月は『うまい嘘をつくな』と思いながら、姉の話術に感嘆していた。

 そして、この混乱した状況で花奈がいてくれてよかった、と思わずにはいられなかった。

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