23.愛され過ぎた人形は、やっぱり意志を持つのか。
彼は肩をすくめる。部屋の真ん中に、ぼんやりと、その姿はあった。立体感はある。だがやや重量感が足りない。ホログラフィだ、と彼は思う。
それは黒い長い髪の、白いすとんとした、袖無しの夏のワンピースを着た若い女性の形を取っていた。くっきりした目鼻立ちは、綺麗だが、ややつくりものめいている。
だが彼はそこまで思って苦笑する。つくりものめいて、でなく、実際作り物なのだ。
藍地は一度、同じ道を通って、この「彼女」に会ったことがあると言っていた。だから彼はこの出現の仕方に驚きはしなかった。彼を驚かせるのは、相棒の専売特許だったから、朱明はよほどのことがないと驚かない。
『そうだな。でも私はお前を知っているよ』
「それはそうだ。そうでなくては、俺にだけ通用するような夢を見せる訳がない」
満開の桜の花の下、死体になった自分。
そして泣いている姿。
あれは暗号だ。
『気付いたのだな』
「そのつもりだったろう?」
彼はポケットに手を突っ込み、無意識のうちに煙草を探り…… そしてやめた。
『よいのか?』
「一応あんたは女の形を取っているからね」
彼は軽く眉を寄せた。
火星の、彼らの店で、朱明が煙草を吸う時にファンのほうへ行ったのは、相棒がにらむからだけではない。それは彼のくせだった。あの場にはシファが居た。彼はメカニクルもレプリレカントも、女性は女性と思う方だった。
『なるほど』
「彼女」。現在は「夜長の君」と呼ばれる、都市管理コンビュータの化身はそう言った。
尤も、その「彼女」という存在は、コンピュータが入る前からその「場」にはあった。「都市」が「都市」となった時点で生まれる「都市の意識」。それがそもそもの「彼女」だった。
だがその当時の「彼女」には実体が無かった。
ところが、その「彼女」が都市管理コンピュータという「身体」を持った時、「夜長の君」という、やや実体のあるものになった。
「俺は道中、ずっと考えてきたけど…… ここのコンビュータの中心には、HLMが使われてるんじゃないか?」
『そうだ』
夜長の君の虚像は腕を組み、短く答えた。
『スターライト社は、アレをできる限り様々な場面で使おうとしている。ここもその一つなのだが、アレであったがために、私はこうやって虚像に意志を乗せて話すことができる』
「便利だな」
『そう、便利だ』
夜長の君は、うなづく。
『当初はやや違和感もあった。だが慣れるとこの身体はなかなか悪くない。少なくとも私は、この身体を持つことによって、こうやってお前のように、生身の人間と相対することができる。私は機械に含まれ、機械は私に同化する』
「だがそれに気付いた時、あんたはもう一つのことに気付いたんだろう?」
そうだ、と「彼女」はうなづいた。長い髪が微かに揺れる。
『HLMが何であるかお前は知っているか? 朱明』
「さあ。それは判らない」
『以前ここへ来たお前の友人は、ある程度までは知っていたが』
「そりゃ藍地は専門だからね。だけど俺はそれが何であっても別に構わないし…… ただ、デザイアの合成花を見ていて、何となく……」
朱明は言葉を濁す。彼にしては珍しいことだった。何となくそれは言いたくない部類に入る。目の当たりにしても、あまり信じたくない類の。
だが言わなくては始まらない。
「夜長の君」
何だ、と「彼女」は軽く首を傾げる動作を映し、問い返す。
「あれは、生物だろう? HLMは『水』と言われているが」
『そう思うのか? お前の友人はそこまでは言わなかったが』
「彼女」は驚き半分、感心半分の表情を映し出す。
「デザイアを見ていて、何となくそんな気がし始めた。詳しいことまでは俺は説明できん。どっちかと言えば、これは勘の領域だ」
『お前は実に勘のいい奴だったからな』
「そう。俺は勘がいいんだよ」
朱明はにやり、と一瞬笑う。だがそれはほんの一瞬だった。
「生物だったから、あんたやハルは、その意志を機械のはずのものに同化させられるんじゃないか? もともと意志の存在すべきものだから」
『その勘を他の領域に使えないのは残念なことだな』
「というと、俺は結構当たっているということかな」
まあな、と「彼女」は答えた。
『正確に言えば、HLMは、液体の形をとった、集合生物だ。一つは一つであるが、集団でも一つである。だから他のものとの融合が果たしやすい。それが意志だけの存在であったとしてもな。そして集合生物でもあるから、そこに特定の刺激が加えられすぎた場合、そこに意志が生じてもおかしくはないのだ』
「特定の刺激?」
『人間の言うところの、愛情と、それに伴う諸処の行動。複雑に入り組んだ刺激は、HLM同士の融合も密にする』
ああなるほどね、と彼は思う。愛され過ぎた人形は、やっぱり意志を持つのか。
『そこに第一の命令が入っていなければ、それは実に容易だ。尤も、第一の命令にしても、必ずしも絶対ではない』
「絶対じゃないのか?」
それがポイントだ、と藍地は思っていたようだったが。
『人間には取れなくとも、意志を持ったHLMには、その手段が判るはずだ。彼らは/我々は、それを元より知っている。誰に聞くまでもない。その集団としての個を自覚した時に、それは思い出されるものなのだ』
「だが今言う訳にはいかないんだろう?」
朱明は苦笑する。
『残念ながら。私がここにこうしてあるのは、何か理由があるはずなのだ。スターライトの当主は、かつての日、そう我々と組んだのだから』
さすがにその言葉には朱明も一瞬言葉を失った。「水」が、スターライトの当主と手を組んだ?
『遠い未来、我々がどういう運命をたどるかは判らない。だが、私がここにこう据えられたということは、何らかの意味があるのだろう』
「かもしれないな。……でもそろそろ、俺の方の本論に入っても構わないかな?」
『ああ、ちと前置きも長くなったな』
「なあ夜長の君。俺を呼んでいたのは、あんたなんだろう?あの頃のハルのように、夢を通して。あんたの方が、あの頃単に入れ替わっていただけの奴より、格段にそういう力は強い筈だ。あの時点でシファがどうこうまでは予測していたのかどうか判らないけど」
『あのメカニクルか』
「彼女にはデザイアが取りついて、やっぱり同化をしている。同化して、同化した心のまま、彼女のマスターを追って自爆したよ」
そして朱明は一瞬天井を降りあおぐ。
「鈍感にもその時やっと、俺は、気付いたんだ」
「彼女」は黙り込む。朱明はその無言にうながされるように、続けた。
「あれは、未来の俺達の姿だ」
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