10.レプリカントが意思を持ってしまったら?
「すみません、狭くなっちゃって」
「あ、別に俺はいいの。慣れてるから」
そう言って藍地は笑う。「客間」にされている一室の、カウチの方を彼は取った。
床に荷物を置き、器用に部屋の真ん中に、適当に載せられていたロープをつるすと、これまたクローゼットにあったシーツで、簡易カーテンなどを作ったりする。
シファはそんな器用な手つきに感心した様子を見せながらも、その反面、何やら戸惑ったような表情を隠せない。
「でも、わたしはメカニクルで……」
「でも女の子だから、俺がカウチ、君がベッド。これが俺の主義だからいいの」
はあ、とシファは決まり悪そうにうなづいた。
確かに慣れているのだ。ハルと朱明が転々と移り住むたびに、それを訪ねる彼の、その当座の居場所も変わる。いつもいつも客間にできるような部屋がある訳ではない。その時々に合った対応を。それは慣れである。
「それにしても、最近は、君のように感情を持つメカニクルも居るんだね。てっきりそれはレプリカントにしか出ないと思っていたんだけど」
「あ、そうなんですか?」
うん、と藍地はうなづいた。
チューナー同士のネットワークでも、よく耳にする話題である。そしてそれは、チューナー同士の秘密でもある。何故ならレプリカント以外のメカニクルが、自主的に意志を持つというのはなかなか考えにくいことだからだ。
レプリカントとメカニクルの違いは、その脳にある。「機械」であるメカニクルに対して、レプリカントというのは、HLM《ハーフリキッドメモリーズ》と呼ばれる「水」を記憶素子として頭脳に組み込んであるものを言う。
HLMのそもそもの「発見」は、まだ宇宙開発の初期だった、と藍地は記憶している。
チューナーの間以外には殆ど口外されない、一種の伝説のようなものだ。
外宇宙探査船は、各国家が飛ばしたものだけと思われているが、実際はそうではない。企業のものもある。特に今一つ伸び悩んでいる、「上の下」程度の企業共同体が、そのリスクきわまりないことに手を出すことがごく希にあった。
莫大な資金をかけた宇宙船を、帰ってこれないことが前提のように送りだす。無論普通は人間を積まない。ところがその企業は、人間を乗せた。それもかなりその企業の方でもトップに近い人間を。「帰ってくること」が前提の探索船だった。
それが功を奏したのか、その企業は、比較的近場の一つの惑星を見つけた。水で覆われた惑星だった。
美しい惑星だった、と口伝えの中では付け加えられている。
居住可能な惑星か、と大気圏内に入り、彼等はその「水」を調べた。すると、それにある種の負荷をかけることによって、極上の記憶素子となることが発見されたのだ。
その企業を
ところが、そのレプリカントに限って、「意志を持つ」。
しかもそれを発見してしまったのは藍地だった。当時はチューナーの公式な免許も取得していなかった、彼なのだ。それはチューナー間でも禁断の情報となった。
彼はある事件の際、必要があったから、レプリカントのチューナーになった。それは並大抵の努力ではなかった。
発見は偶然だった。というより、「レプリカに自主的な意志を持たせなくてはならない」状況がかつて彼等にはあった。その中で、偶然が味方して、そんなレプリカントができてしまったのだ。
必要だったから、そうした。それに関しては彼は後悔してはいない。
だが、それがまた別の問題を引き起こすことまで、当時の彼は考えてはいなかった。
いや、考えることもできただろうが、その時は、そんな余裕がなかったという方が正しい。彼等はどうしてもしなくてはならないことがあった。その後のことは考える余裕などなかったのだ。だが。
彼が地球から出るのは、その辺りの事情もあった。
朱明が心配しているだろう、ハルへの気遣いだけではないのだ。彼自身が、地球という、これから「閉ざされる」惑星に居ること自体が危険なのだ。
レプリカントが意志を持たない「道具」でしかないうちはいい。道具なら、優秀であればあるだけ良い。
だが意志を持ってしまったら。
藍地はぞく、と寒気がした。
「どうしましたか?」
シファは心配そうに藍地をのぞき込む。はっとして彼は顔を上げた。
「わたし何か、悪いこと言いましたか?」
「いや君は、何もしていないよ。ただちょっとあまり良くないこと思い出して」
「良くないことですか?」
「そう。あんまり思い出したくないことがあったんだけど」
「いいですよね、人間は」
シファはそっと言った。何、と藍地はその言葉に問い返した。
「君はさっきも『忘れてしまう』って言っていたけど」
「ええ、忘れてしまうんです。だから時間が無いんです」
彼は眉をひそめた。彼女の言うことは理解できる。
メカニクルやレプリカントは、前の主人から解雇されるなり、亡くなられてしまうとかいった時に、記憶をリセットされることがある。それは外からそうされる場合もあるし、メカニクルやレプリカント自体が、精神の平衡を保つためにそうする場合がある。
おそらく彼女が言うのは、事例としては少ないが、後者だろう、と藍地は思った。
彼女はまだ自分がその後、他の主人につくのかどうかもはっきりしていない。その場合、その記憶をリセットしないこともありうるのだ。記憶の積み重ねが財産だという主人も居ることはあるのだ。
だがシファの言い方だと、それは、彼女の中で、彼女以外のものがその身体を守ろうとして起こすことのようにも思われる。
「どうして消えてしまうの?」
判ってはいる。だが一応彼はチューナーとして、聞いてみたかったのだ。
「どうやって消すのか、はわかりません。だけど、おそらくそれは、わたしの内部が過負荷にならないための処置と思われます」
彼は、あの時頭を抱えて、目を閉じた彼女の姿を思い出す。それは、思い出したくないことなのだ。それが事実だとしても、あまりにもそれは彼女にとって重い、認めたくないことだったから。
これが人間だったら。
これが人間だったら、もしかしたら、狂っているのかもしれない。認めたくないまま、認めないまま、精神の平衡を取ろうとするのかもしれない。
メカニクルやレプリカントにはそれができない。彼等は、実に必要なものに関しての記憶力は良い。細々としたことまで、忘れてしまえないほど、良い。
だが、それが精神のバランスに関わることだったら。その記憶は、そのまま生き続けなくてはならない者にとっては、害になる。何せ彼等は、望まなくとも思い出してしまうのだから。
人間の記憶は、その点都合が良い。忘れた様に感じさせ、隠しておくことができる。そして、それを思い出したとしても、別段生活に支障ないと思った時に、また引き出すことができる。「いい思い出」という名も付けられる。悪かったとしても、それを別のことへの意欲へすりかえることもできる。
だが彼等はそうではない。そんな器用なことはできないのだ。
「だから」
「……判ったよシファ」
ぽん、と藍地は彼女の肩に手を置く。
「できるだけのことは、するよ」
「申し訳ありません……」
「仕方ないさ」
その責任の一端は、確実に自分にもあるのだから。
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