1章 第18話 初めての共同ミッション

 帰りの電車の中……夕暮れの車窓を眺めながら今日の出来事を振り返っていると、ふと、玲華との会話を思い出した。

 今日の出来事と、凛が『レイカ』という名前を出した事で、嫌でも回想させられたのだ。

 あれは、確か付き合って間もない頃だった。吉祥寺のサンロードを二人で歩いていると、人だかりができていた。確かテレビで何度も見た事のある人気の若手女優さんがいて、野次馬が集まり騒ぎになっていたのだ。

 確か、名前は市川サユ。ちょうどその頃、少女マンガが映画で実写化されて公開されたばかりで、話題になっていた人だった。玲華は当然それが誰か知っていた。市川サユもオフだったのだろうが、うっかりサングラスを掛け忘れていたのかで、発見されてしまったようだ。

 凄い人だかりが出来ていて、とてもサンロードの通路は歩ける状況じゃなくなっていた。移動もできず、凄く困ったように野次馬からのサインやらに応えていた。

 俺達はその人壁を見つめてサンロードを諦めようとしたのだが、その際彼女はこんな事を訊いてきた。


「ねえ、ショー」

「ん?」

「もし私が芸能人だったとして……あんな風になっていたら、君はどうする?」


 唐突な質問だな、と思った。

 だが、芸能人顔負けな端整な顔立ちをした玲華ならそんな事もあるのかもしれない、ともまた思っていた。


「他人のフリをする、かな」

「サイテー」


 玲華が冷たい視線を送ってきた。


「嘘だよ。ちゃんと助けるよ」


 応えると、玲華は一転して嬉しそうに笑った。


「よし、じゃあ今からあの人を助けよう♪」

「なんでそうなるんだよ」


 知り合いでもなんでもないのに。

 俺は不満だったが、玲華はやる気満々の顔になっていた。彼女は退屈が嫌いで、面白いことが大好きだったからだ。きっと彼女は性格的に野次馬になるより、野次馬から女優を助けることのほうが面白いと感じたのだろう。彼女がこうなったら止められない。

 彼女は塾ではあまりしゃべらないほうなのだが、仲良くなると割とテンションが高く、よく話す子だというのがわかった。

 多分、仲良くない人とまでテンション高く接する意味がない、という考えなのだ。言い出したら止まらないのはわかっていたので、俺も腹を括って手伝おうと決めた。


「じゃあ、私が皆を引き付けるから、後よろしくねン」

「は?」

「ここは私が食い止める。市川サユを助けるんだ、ショー!」


 芝居がかった台詞をいい、びしっと市川サユを指差す。

 作戦と呼べるものではない気がした。しかもそれ死亡フラグだから。確認を取ろうとしたが時既に遅し。玲華が声を張り上げ、叫んでいた。


「あーッ! ジャニーズのタクマ君と女優のソアラちゃんがデートしてるー!!」


 中学三年生とは思えない、迫真の演技。

 玲華の声はよく通って抜けて、人だかりができているサンロードでも聞こえた。ちなみにジャニーズのタクマ君と女優のソアラはその週のワイドショーで熱愛報道がスクープされていたときの人だった。

 当然、ほやほやのネタ故に群衆は「え?マジ?」「どこどこ?」とあたりをきょろきょろし始め、「タクマとソアラがデートしてるんだってよ」「え! あの報道ってほんとだったんだ」と勝手に噂が広まり、渦中の中心となっていた女優への注意が削がれた。


「ショー、あの人のとこ行って」

「は!?」


 玲華は小さくウインクして、もう一度息を吸い込み……声を張り上げた。


「あーッ! 洞窟カフェに入った! 芸能人ってこういうとこ出入りしてるんだー!」


 サンロードから程近い話題のカフェの名前を出し、群衆の注意を引き付けた。群衆は市川サユがいる側とは逆の洞窟カフェのほうへ視線を移し、ざわざわと動き出す。

 その御蔭でチャンス到来。市川サユへの道が僅かながら開いた。

 俺は無理矢理群衆の中を分け入り、一心不乱に辿り着くと……市川サユの手を掴んで、一気に引っ張った。

 市川サユは驚いていたが、自分を助けるためだと状況を把握したらしく、素直に俺の力に従いついてきてくれた。「あ、市川サユが逃げるぞ!」等の声も聞こえたが、群衆は注意が擬似カップルのほうにそがれており、統率がとれていない。

 統率の取れていない集団から逃げるのは簡単だ。少しでも隙間があるほうを見つけて、途中からは女優をしゃがみ込ませ、群衆の視界に入らないようにさせて移動する。

 何とか群衆の中を出ると、俺は市川サユの手を引いたまま、人のいない路地裏までダッシュした。


「あははっ、君凄くクールね! 感動したわ」


 市川サユは息絶え絶えにそう言い、笑顔を見せた。


「ありがとう、君の御蔭で助かったわ。サイン、ほしい?」


 テレビドラマや映画の中で見た笑顔がそのまま自分の前にあって、凄く照れた。正直に言うと、市川サユは特別好きな女優ではなかったが、印象が変わった。

 黙ってコクコクと頷く。というより、芸能人と話すなんて生まれて初めてで、まともに話せなかった。彼女は自分のメモ帳を2ページ分綺麗に破り、それぞれにサインを書いた。


「君、名前は?」

「翔です」


 どぎまぎしなら応える。

 すると、彼女はサインにカタカナで宛名書きして書いてくれた。


「あと、もう一人……今回の名女優さんのお名前は?」


 どうやら、市川サユは玲華の演技と俺のチームプレーだということを気付いていたようだ。


「玲華」


 応えると、彼女はもう一枚のメモ帳に玲華への宛名が書かれたサインを書き始めた


「君のカノジョ?」


 サインを書き終えると、メモ帳のページの二枚俺に渡した。


「えっと……まあ」


 まだ付き合い始めたばかりで、そう応えるのが少し恥ずかしかった。サインを見ると、まるで読めない。名前っぽい文字にかわいいイラストがついている。


「いいカノジョ連れてるね、君。女優に向いてるって伝えておいて」


 市川サユは、にこりと笑った。芸能人特有の、自信満々な笑みだった。

 あれだけの騒ぎがあったってのに、もう平静さを取り戻している。すごいなぁ、などと子供心に思って、俺は黙って頷いた。


「君もなかなかかっこよかったぞ! この調子で、カノジョも守ってあげてね」


 小さくウィンクしてサングラスをかけると、彼女はサンロードとは逆の道路のに出て、タクシーを捕まえて早々に去った。

 有名女優にそんな事言われたら、さすがに照れる。その後は、少し離れた場所で玲華と合流した。


「どーよ、私の演技は」


 こちらも芸能人に劣らないような自信満々な顔をしていた。

 どこか玲華の笑顔も市川サユの笑顔と近い輝きを感じた。サインを渡して、女優に向いてるってさ、と伝えると、彼女は満足そうに笑った。


「そんなに好きなの? 市川サユのこと」


 訊くと、予想外の答えが帰ってきた。


「んー、別に? でも、嫌いってわけじゃないよ」

「じゃあ、何でそんなに嬉しそうなの?」


 玲華は答えず、その代わりにニヤニヤしてハイタッチするように手を挙げた。

 俺は意味がわからず首を傾げつつも、ハイタッチをあわせると……


「初めての共同ミッション、成功だね♪」


 彼女は嬉しそうにそう微笑んだ。

 その時の玲華の笑顔は晴れ晴れしていて、こんな笑顔もするんだ、と見惚れてドキっとした。こうして俺は彼女の新しい一面を見て、もっと好きになったのだ。


(守ってあげてね、か……)


 玲華とのことを思い出して、深い溜息を吐く。守るどころか、傷つけて終わってしまった。思い出すと、また自己嫌悪に陥りそうだった。


(でも、まぁ……)


 凛は守る事ができた。今日はそれで良しとしよう。

 そう思って凛を見ると、彼女はにこりと明るい笑顔をこちらに向けたのだった。

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