第4話 サナギ



 オレが久慈直人だった頃、自分の時間のほとんどが仕事で占められる自身の人生にストレスを感じたか。

 その意味では感じたことはない。

 もちろん仕事に疲れる事はある。

 けれどストレスと言うネガティブな意味ではなかった様に思うんだ。


 だってそれは、オレ以外の誰でも感じている疲れだろう?

 けれど大手企業の一角を担っているうちの会社は、待遇面では文句のつけようも無い。

 山手線の内側で、独身者が満足できる内装を持つマンションの家賃。

 その8割が会社の手当てで支給されている。


 ――仕事の中で優れた結果を出す。その為の効率を上げるには、働く者が自分の仕事、その物に忠誠を持たなければならない。

 会社に、では無い。自分が受け持つプロジェクトにだ。

 その為の舞台を整えることこそ、経営者がすべき事なのだ。


 これは米国にある本社の経営最高責任者の哲学らしい。

 それに則り、細やか過ぎる部分にも配慮をしてくれるのがうちの会社。

 待遇が同じ大手企業の中でも、かなり恵まれている部類な事は理解している。


 けれどもここまでのお膳立ぜんだてをされて手を抜いたなら、無能のそしりはまぬがれないだろう。

 それはそれとして、企業の待遇がどうであれ、現代社会の中で人並みの生活をするには、最低限の資格としての労働は必須だろう。


 だからオレは寝る前に「明日行きたくないな」と思う事はあれど、翌日に目が醒め、むくりと起き上がり身支度をして家を出た瞬間、前日の葛藤は忘れており、いつの間にか仕事をしている。

 きっとオレ以外の皆もそうだろう。


 ただし、オレという久慈直人、個人としてのストレスが無かった訳じゃない。

 むしろその点では非常にしんどかったかもしれないと今更ながらに供述をしてみる。


 ――――それは結婚の事だ。


 オレは意図的に結婚を避けていた。

 恋人が出来ない訳ではない。

 事実、社内にいる誰かしらから定期的に想いを告げられたりもしていた。


 何というかモテる事自体はさほど難しくはないのだ。

 そしてオレはそのモテる条件を普段からクリアしている。

 その結果、好意を持たれるというのは必然なのだ。

 こう言うとお高くとまっていると思うだろうか?

 でもオレはそうじゃないと考えている。


 と言うのも異性にモテるにはある程度確定した方法論がある。

 結論から言えば、頭のてっぺんから足の先まで清潔さをコントロールする事だ。

 ヘアスタイルにカラー、爪、服装。靴。持ち歩くアイテム。

 

 そう言う物を全てきちんと整える。

 勿論それは、自分の現在のスタイルに馴染んでいる必要はある。

 けれどもこれは、単純に見えて出来ている者は多くない。

 何故なら面倒臭いからだ。


 自宅でジャージやスウェット姿でくつろぐのもいいだろう。

 けれどその状態を他人に見せるのは駄目だ。

 労力をかけて自分の価値を高める。

 だがそれは特別な事では無く、呼吸をする様に身についていないといけない。


 お洒落には苦痛が伴うなんて言う人もいる。

 例えばサイズギリギリのスリムパンツを履き、ちょっと足の形に合わない尖った細身のブーツを履く。

 当然腹周りは苦しいし、足はあちこち痛い。

 

 じゃそれが苦しいからと普段からストレッチ素材の緩い服と、楽なサンダルを履いたらどうか。

 そりゃ確かに楽だろう。

 けれどその緩さに慣れてしまい、体型もだらしなくなる。


 要は自分の常識を高く設定するか低く設定するか。

 低くすれば上限も当然低くなる。

 結果、他人とは圧倒的な差を付けられてしまう。


 結局この苦痛と言う部分を許容できるかどうかにかかっている。

 何故ならば、他人の印象のほぼ10割が見た目の情報に因る部分が多いからだ。


 人は内面だと言う人がいる。

 実際それは正しい。

 でも初対面の人がどうして内面を理解できるのだろう?

 無理だろうそれは。エスパーじゃないんだから。


 そうなると小汚い服装で息も臭い奴と、清潔感のある服装の奴。

 どっちが印象がいいんだろうかなんて考えなくても分かる。

 オレみたいな営業畑にいると、それが身につまされるのだ。


 どういう姿だと好感が持たれやすいか。

 オレがまだ新卒でおろおろしていた時代。

 教育担当になってくれた上司からこれを一番に叩き込まれた。

 外資だ大手だ、そう言う優越感を持っていた当時のオレは、実際の現場は恐ろしく泥臭い事に衝撃を受けた。


 けれどモテる云々はこの先がある。

 むしろこれまでの事をクリアした段階で漸くスタートラインに立っただけとも言い切れる。


 次は人間観察能力が優れている事と、相手に対して常に聞き上手である事だ。

 前者は身の回りを整える段階で身につくだろう。

 何というかお洒落一つにしても、ただ高級ブランドを買えば良いってもんじゃない。

 自分の体型や骨格、それらを含めて似合うという組み合わせは、他人と同じはずもない。


 だからこそ自分を客観視出来ないと駄目だ。

 そう言う事を考えるうちに、長所や短所を見つけるスキルがつくだろう。

 それを他人に向ける事が人間観察能力だ。

 あるいは分析能力とでも言おうか。


 例えば社内でよく顔を合せる総務部のOLがいるとする。

 彼女はセミロングの髪だが、ふと見ると前髪が昨日よりも少し短かった。

 きっとまだ美容室に行くまでも無いが、長くなった前髪が気に入らなくて自分でカットしたのだ。


 それを指摘し、顔が良く見えて印象が変わったね。

 よく似あっているよ、と声を掛けたら相手はどう思うだろう。

 彼女は多分、誰かに褒められたくてそうした訳でもない。

 

 美容室でカットするには、それなりに高い金がかかる。

 男性が理容室でやるのとは話が違うのだ。

 だから誰もがほいほいと行ける訳ではないだろう。

 彼女は前髪を切る事で、給料日の後に美容室へ行く事を伸ばしたのかもしれない。


 けれど思いがけずそこを褒められた。

 もし自分が彼女に生理的嫌悪感を持たれていないのなら、彼女は嬉しいと思うんじゃないかな。

 これの本質は、上っ面じゃなく、きちんと自分に興味を持ってくれているという実感を相手に与えている所なんだろうと思う。


 そしてこれを踏まえて後者は、相手が言いたい事を全て喋らせるという事。

 例えばありがちな恋愛相談を受けたとするか。

 けど持ち掛けた相手は、実のところ悩んでいる恋について、自分はこうなりたいと言う答えはもう出ていたりする。

 

 なら何故相談するのか。

 それは自分の明け透けな吐露を聞いてもらい、それを肯定してほしいからだ。

 無理筋な相手に恋をして、悶々としていたとして、結局スッキリするには告白するしかない。

 逃げればいつまでもモヤモヤが続く。


 だから理解しているのだそれは。

 けどその過程でイヤでも感じる、苦しい苦しい葛藤に共感してほしい。

 そうやって人知を尽くして天命を待つ状態でチャレンジをしたいんだ。

 結果玉砕しようとも、自分の決意や努力に共感してくれる相手がいる。

 なら少なくとも後悔はないだろう。

 物事には、区切りという物があってこそ納得できるのだし。


 けれどその相談の最中に、途中で言葉を遮って持論を展開する人の多い事。

 相手はそんなの求めていないというのに。

 それはただの否定としか受け取れない。


 だからそういう時はとにかく聞き役に回る。

 そして全部吐きだした後に肯定してやればいい。

 何かを言いたいなら、必ず相手の意見を肯定した後にじゃないと駄目だ。


 これもまた営業の現場では当たり前のスキルなのだ。

 仕事を成功させる。それは相手から金を引き出すという意味だ。極論だが。

 じゃあ気分を悪くする相手に金を払いたいのかって話。


 仕事においては、よくWIN―WINという言葉があるが、これは正確じゃない。

 企業において利益とは、取るもので与えるものではない。事前事業じゃないのだから。


 だが相手にも利益があると錯覚させないと駄目だ。

 一方的に金を得るというのはただの搾取に過ぎないのだから。

 客商売ならいざ知らず、オレ達の様な企業間の取引なら尚更。


 結局こう言う事を全て高次元でやらなきゃいけないのがオレ達の現場だ。

 結果、そう言うオレ達に好意を持つ女性はそれなりに多かったという話。


 じゃモテる機会があるから即結婚となるのか。

 オレは逆にそれが煩わしかった。

 自分が年齢を増すごとに、付き合う相手の年齢層も上がる。

 

 年下の女性を可愛いとは思っても、じゃあ長い期間付き合えるかと言えばノーって場合が多い。

 それは価値観が離れすぎていると苦痛だからだ。

 結果、似た様な精神年齢を求めるという必然だろう。


 ただそうなると、女性の年齢的に付き合うイコール結婚というのも視野に入り易い。

 それは理解できるし否定もしない。

 何故なら女性の高齢出産は、医学が進歩した現代でもリスクが高いからだ。

 

 男の場合は極端な話、精子を製造出来て体力的にセックスが出来るのなら、年齢制限はないとも言えるだろうし。 

 けれどオレからすると、その急かされている感じが煩わしいのだ。


 だから避ける。

 そうなると相手は簡単に醒める。

 なのでオレの交際は、大概がオレがフラれるか、はたまた自然消滅のどっちかが多い。

 

 付き合う相手としては優良物件でも、伴侶にするには欠陥品。

 独身貴族の男に対しての女性からの評価は概ねこれだ。

 あれだけ情熱的にベッドで絡みあっていても、ある日を境に「あ、この男はダメだ」となる訳だ。

 

 そうやって時間を重ねた結果、オレの中には妙な恐怖感が出て来た。

 三十路が間近。

 人間の寿命は、特に日本人ならば概ね70~80歳と言う感じか。

 だがバリバリと仕事をするとしたら60歳くらいか。


 三十路、なるほど残り30年か。

 だが60歳で結婚出来るか?

 無理だ。

 せいぜい40歳半ばくらいが限界だろう。

 そうなると残り15年程度……。


 そう言う生々しい残りの人生への漠然とした恐怖。

 そのストレスが酷かった。


 というか、結婚では無いな正確に言うなら。

 明け透けに言えば子供を作れるか、だ。


 子供を作ること。

 それは自分の遺伝子を半分、未来に繋いだって事だ。

 だから死んでも、自分が生きていたという証は残っている。

 

 じゃあ子供を作らず死んだなら?

 いずれオレの事を知る人間はいなくなるのだろう。

 それはまるで、世界から自分という存在が抹消された様に思える。

 これはとても怖い事だ。


 仕事に打ち込んでいる時間はその事を考えたりはしない。

 けどふと何もない時間が続くと、最近じゃその事ばかり考えていた。

 ぼーっとしている自分に気が付き、慌てて立ち上がったり。


 そう言う意味での寂しさは強く感じていた。

 一人でいる時間、虚無感きょむかんと言うのか?

 そんな感じで。


 オレはさくらに妙なシンパシーを感じている。

 彼女はピアノと言う自分だけの領域が壊れてしまった。

 その結果、生きる意味を見失い、やがて死を選んだ。

 

 彼女も未来への恐怖に苛まれていたんじゃないだろうか。

 ピアノ以外に何もない自分。

 けど現状をドラスティックに変える事も出来ない。

 不満や恐怖を感じつつも、現状維持をやめられない。


 結局オレが結婚出来ないのもそうだ。

 しようと思えばいつだって出来るのだ。

 付き合っている恋人と、衝動的に婚姻届けを出してしまえば。

 或いは快楽優先で避妊もせずに出してしまい既成事実先行型でもいい。


 でも何かにつけて理由を捻り出し、結局は「仕事が忙しい自分」を止めなかった。

 チャンスはあっても見ない様にしていたんだな。

 さくらにもきっとあったんだろうよ。


 家族からの手紙とかさ。

 スマホやPCが普及どころか飽和しきった現代で、前時代的な便せんに手書きの手紙を送る。

 抜け殻になってしまった家族に、何とか自分の心を届けたくて。

 筆跡が強かったり、少し滲んでいたり。


 ピアニストを目指す自分は死に、だから別の人生を歩む。

 なんとなくアルバイトをしてみたり、就職してみたり。

 保険金を使ってどこか旅に出てみてもいい。

 男に溺れて見たっていいだろう。


 けどさくらはその可能性を模索しなかった。

 だから結局は彼女は死に、オレがここにいる。

 

 オレはあらためて決意する。

 いまのオレ、高科さくらという女性。

 

 出来るだけ、色々な事をして、女としての人生を生きてみようかなって。

 さくら、君への同情はもうないよ。

 だって君はある意味ではオレの同志なんだよ。


 なら同情はいらないよな。

 君の魂がまだその辺にいるのなら、オレが回すストーリーを見てるといい。

 きっと笑えるだろうから。


 そしてオレの目は今、PCのブラウザに落ちていた。

 何となく暇つぶしに泳いでいたネットの中。

 


 ――ねえさくら、君は絶対にやらなそうだけど、でも面白そうと思えるネタを見つけたのさ。

 

  


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