第31話 白い石の丘

 廃村で人狼と戦った翌日、フルートとゼンとポチはまた南南東を目ざしていました。

 フルートはポチがついてくることをまだ心配していましたが、霧の荒野の真ん中に置きざりにするわけにもいかないので、一緒に連れていくしかありませんでした。


 荒野は霧がますます濃くなって昼間でも夕方のようでした。

 その中を進んでいると、ポチが急にフルートのマントの中から顔を出して言いました。

「ワン。あっちになにかがありますよ。不思議な匂いがします」

「不思議な匂い?」

 フルートとゼンは走り鳥を止めました。

 ポチの言う方向には黒々とした霧が見えるだけで、変わったものはありませんでした。匂いも特には感じられません。


 けれどもポチは言い続けました。

「なんだかすごくいい匂いがするんです。木の枝に芽吹いたばかりの若葉の匂いみたいな、暑い日に空の高いところから吹いてくる、ひんやりした風の匂いみたいな……」

 フルートは首をかしげました。

「ぼくたちには全然わからないけど、ポチは犬だから鼻がきくもんね。よし、ちょっと行ってみようか」

 とポチが示す方向へ向かってみます。


 すると、黒い霧の中に、ぼんやりと白いものが見え始めました。

 太い柱が何本も寄り集まっていて、大きな建物のようにも見えます。

「町か?」

 とゼンが目をこらしているうちに、ふいに目の前から霧が晴れました。突然、黒い霧の中から抜け出したのです。


 荒野にまぶしい日の光が降り注いでいました。

 晩秋だというのに、大地は緑の若草におおわれ、小さな青い花が咲き乱れています。空気は少しの濁りもなく、澄み切った風が吹き渡っていきます。

 見上げると、青空の中で太陽がまぶしく輝いていました。

 フルートたちは、あっけにとられて立ちつくしました。

 彼らの目の前には低い丘があり、その上に白い柱のような石の群れがそそり立っていたのです。


「白い石の丘だ! ここがそうなんだ……!」

 とフルートは言いました。

 丘は聖なる力を持っているのか、丘とその周囲から黒い霧を遠ざけていました。

 花が咲き乱れ澄んだ風が吹く草原が、日の光の中に広がっています。

 黒い霧は目に見えない壁にさえぎられているように、草原のまわりによどんでいました。


 フルートは興奮を抑えきれませんでした。

「あの丘を訪ねるように、って炎の馬は言っていたんだよ! そうすれば大きな助けが得られるからって! 行こう、ゼン、ポチ!」

 と鳥を走らせ始めます。

「まあ、ここの空気は嫌な感じがしないからな。大丈夫か……」

 ゼンは慎重な口ぶりでつぶやくと、自分もフルートの後を追って走り出しました。

 

 丘の上に着くと、白い石の柱はどれも驚くほど巨大で、空に届きそうなくらい高くそびえていました。

 柱のまわりに沿って進んでいくと、まもなくひとつの柱に階段が見つかりました。

 岩を削って作った階段で、折れ曲がりながら上に続いています。

「行ってみよう」

 フルートたちは走り鳥を残して階段を登り始めました。

 階段に手すりなどはありませんが、幅が広いので怖くはありませんでした。


 登っていくと、次第に周りの景色が見渡せるようになってきました。

 草原の周囲は霧におおわれた荒野です。三百六十度どこもかしこも黒い霧でいっぱいなのですが、その中に特に霧の濃い場所がありました。

 黒煙のような霧が渦を巻きながら見えない壁にぶつかり、左右へ分かれて流れていきます。

「あっちから霧が湧き出しているんだな」

 とゼンが言ったので、フルートはうなずきました。

「あの奥が霧の源なんだね。ここはもう、目ざす場所のすぐ近くなんだ」


 それから、子どもたちはまた一生懸命階段を登っていきました。

 石の柱はとても高く、階段は何千段もあったので、登り切ったときには、さすがの彼らも息を切らしていました。

 

 白い石の柱の上は、自然に削られて平らな岩場になっていました。

 見回すと、一段低いところに何本も同じような岩の柱があります。ここは一番高い柱の上なのでした。

 そして、岩場の端に背の高い男の人が立っていました。

 すその長い緑色の服と長い銀色の髪を風になびかせて、遠くを眺めています。

 その背中には大きな弓と矢筒がありました。

 フルートたちは思わず顔を見合わせました。男の人の後ろ姿はとてもおごそかで、声をかけては失礼になるような気がしたのです。


 すると、男の人が言いました。

「よくここまで来た、フルート、ゼン、ポチ。待っていたぞ」

 子どもたちは自分たちの名前を呼ばれたので、驚いてますます何も言えなくなりました。

 男の人が、ゆっくりとこちらを振り向きました。

 若くもなく、かといって、まだ年とってもいない顔が、考え深げに子どもたちを眺めます。

 その瞳は深い緑色で、肌の色は抜けるように白い色をしています。

 エルフでした。

 とたんにフルートは遠い魔の森にいる泉の長老を思い出しました。

 歳はまったく違うのに、泉の長老とこのエルフには、どこかよく似た雰囲気がありました。

 泉の長老も、フルートが何も言わなくても、すべてをよく知っていたのです。


 そこで、フルートは前置き抜きで話を切り出しました。

「炎の馬に言われて来ました。どうか、ぼくたちに力を貸して下さい」

「もちろんだ。私はそのために、ずっと昔からここに住んできたのだから」

 とエルフが答えたので、フルートは聞き返しました。

「ずっと昔から? いつからここに住んでらっしゃるんですか?」

「もう百年あまりになる。我々は長命なのだ」

 子どもたちは驚きました。

 黒い霧がロムドの国をおおい、フルートがシルの町を旅立ってから、まだ一か月くらいしかたっていないのですが……。


 すると、エルフが話し続けました。

「沼の神殿で何かが起こることは、二百年も前からわかっていた。ただ、それがいつ始まるかがわからなかったのだ。だから、私はここに住みついて、ずっと神殿を見張ってきた。いつかこの日が来たとき、それに立ち向かう者たちに助言と力を与えられるようにな」


 ゼンはまだわけがわからなくて目を白黒させていましたが、フルートはもう何も言いませんでした。

 白い石の丘のエルフが「賢者」と呼ばれる人なのだと気づいたのです。

 賢者はあらゆるできごとや情報から、普通の人には見通せないような真実を見つけ出します。

 フルートたちには信じられないようなことでも、この人たちにとってはまったく当然のことなのに違いありませんでした。

 

 そこで、フルートはエルフに尋ねました。

「教えてください。この霧を起こしている敵の正体は何なのですか?」

「メデューサだ」

 まるで明日の天気のことでも言うような、あっさりとした答えでしたが、フルートは思わず息を呑み、足下にいたポチも、びくっと体を震わせました。

 ゼンだけが不思議そうにフルートをつつきました。

「おい、メデューサってなんだ?」

 すると、エルフがゼンに言いました。

「おまえは北の民族だから聞いたことがないのだ。メデューサは南方にむ怪物だ。上半身は女の姿だが、下半身は大きな蛇、髪の毛の一本一本も無数の毒蛇になっていて、毒の息で周囲の空気を汚し続けている。だが、メデューサで最も恐ろしいのは、そのまなざしだ。メデューサと目が合ったものは、人であれ動物であれ、たちまち石になって死んでしまうのだ」


「ワン。メデューサって、もっともっと南に棲んでいるのかと思っていました。話ではそう聞いていたから」

 とポチが言うと、エルフはうなずきました。

 ポチが人のことばで話しても少しも驚きません。

「あれは二百年前に南からこの沼に移り棲んだ。当時はほんの小さな蛇だったのだ。だが、沼の中の闇の神殿で少しずつ変化していった。今では伝説そのままのメデューサだ」


 それを聞いて、フルートは言いました。

「ぼくは旅の途中で魔法の水盤をのぞいたことがあります。黒い霧が渦巻いていて、中心に何かとても邪悪な影が見えました。それと一緒に、シュウシュウ、ザラザラという音も聞こえたんです。あれは……」

「メデューサの気配だ。奴がそばにいるときには、必ずその音が聞こえてくる」

 とエルフが答えます。


 フルートは少し考え込むと、また尋ねました。

「メデューサは黒い霧を起こして、何をしようとしているんでしょう?」

 すると、エルフはじっとフルートたちを見てから言いました。

「真の敵はメデューサではない。霧の中心で闇の卵が育まれている。そこからかえろうとしているものが、おまえたちの本当の敵なのだ」

 フルートたちは思わずまた顔を見合わせました。メデューサだけでも充分すごい敵に思えるに、もっと強力な敵が後ろに控えているのでしょうか……?


 エルフは続けました。

「真の敵はまだ力が弱い。今ならメデューサを倒し、金の石の力で卵を消滅させることができるだろう。それがおまえたちの役目だ」


 フルートは鎧の中からペンダントを取り出しました。鎖の先で金の石がきらりきらりと澄んだ光を放っています。

「石が反応してる……」

 とフルートがつぶやくと、エルフが言いました。

「近くに敵がいることを感じているのだ」

 金の石はフルートに話しかけるように光っていました。

 行こう、闇の敵を倒そう、と呼びかけているのです。

 フルートは、ぐっと石を握りしめました。

 それを見てゼンもにやりと笑いました。

「おう、行こう。絶対に敵の奴らをぶっつぶしてやろうぜ!」

 ワン! と足下でポチもほえました──。

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