第20話 通路

 源の間を出たフルートは、ゼンの父親が教えてくれた出口とは、逆の方向へ歩いていました。

 町の中の道には、ドルーンがしたたらせてきた血の痕が、点々と続いています。

 フルートはそれをたどりながら進んでいたのです。


 その途中で、逃げていく大勢のドワーフとすれ違いました。

 女性も子どもも老人もいましたが、手押し車や背中の袋に荷物を詰め込んで、フルートが進むのとは反対の方向へ走っていました。

 ゼンの父親が言ったとおり、自分たちが逃げることに必死で、人間のフルートが町の通りを歩いていても、見とがめる者はいませんでした。


 やがて、フルートは町はずれにたどり着きました。

 大空洞の端の壁に、ぽっかりと入り口があいていて、地下へ下りる通路が見えています。血の痕はそこに続いていました。


 通路が暗かったので、フルートは近くの家の門口から灯り石を取り上げました。

 石は小さな金属の籠に入れられていて、戸口の上につるしたり、手に持ったりできるようになっていました。

「お借りします」

 とフルートはひとりごとを言いました。家の住人はもうとっくに避難していて、誰もいなかったからです。

 フルートは光る石のランプをかざしながら、地下へ向かう通路に入っていきました。

 

 岩の中の通路は、床が平らに削られ、等間隔に浅い溝が掘られていました。

 地下から掘り出した金属や石を荷車に載せて運びやすいように、整備されているのです。溝は車輪のすべり止めでした。

 血の痕は石の床にも点々と続いていました。

 片腕を食い切られてこんなに出血していたのに、ドルーンは途中で倒れることもなく源の間までやってきたのです。

 ドワーフ族の頑強さに、フルートは改めて感心してしまいました。


 通路を下るにつれて、あたりはしんと静かになりました。

 大空洞に反響する町の喧噪も、もう届いてきません。

 灯り石が放つ淡い光の輪の外側は墨を流したような暗闇です。

 それでもフルートは恐れることなく進み続けました。


 すると、背後からひたひたと何かが近づいてきました。

 忍びやかな足音です。

 フルートは立ち止まって振り向きました。

 通路を後ろから近づいてくる淡い光があります。

「おう。やっと追いついたな!」

 そう言って光と共に現れたのはゼンでした。

 灯り石を小さな金属の籠に入れて、腰のベルトに下げています。


 フルートは目を丸くしました。

「ゼン、どうしたのさ、いったい?」

「おっと。どうした、とはご挨拶だな。もちろん、おまえと一緒にグラージゾ退治に行くんだよ」

 とゼンががすまして答えます。

「だめだよ! これはぼくがひとりでやらなくちゃならないことなんだから!」

「おまえひとりでグラージゾが倒せるもんか。ヤツはものすごい怪物だぞ。『獲物のことを知らない猟師に獲物はない』ってのが俺たち猟師のことわざだ。俺はヤツについてよく知ってるんだからな。俺を一緒に連れて行けって。きっと役にたつぜ」

「でも……」


 フルートは困りました。

 ゼンに一緒に来てほしいのは山々です。

 グラージゾがどんな怪物なのか、どうやったら倒せるのか、ずっと考え続けていたのですが、敵の正体がわからないので、何も思いつかなかったのです。

 ただ、ゼンは自分の身を守るものを何も持っていませんでした。

 弓矢は背負っていますが、毛皮と布の服を着ているだけで、敵の攻撃を防ぐものが何もなかったのです。

 グラージゾとの戦いになったら、あっという間にやられてしまいそうです──。


 すると、ゼンが愛嬌あいきょうたっぷりに片目をつぶってみせました。

「心配するなって。一撃で殺されたりしないように気をつけるからさ。俺が怪我をしたら、金の石で治療をよろしく頼むぜ」

「ゼン」

 フルートは胸がいっぱいになりました。

 この勇敢なドワーフの少年は、フルートが必ず自分を助けてくれると信じているのです。

 出会ってまだ間もない、しかも、人間の自分を。


「……わかった。グラージゾを倒しに行こう」

 とフルートが答えると、ゼンは、よっしゃぁ! と歓声を上げ、フルートの背中を何度もたたいてから、その場に座りこみました。


「そうと決まったら、まずは腹ごしらえだ。フルート、おまえずっと何も食ってないんだろう? 装備をととのえるのに家に寄ったついでに、食い物も持ってきたんだ。食いながら作戦会議といこうぜ」

 これから危険きわまりない怪物を退治に行くというのに、ゼンは声も表情もとびきり陽気です。

 フルートもつられて笑顔になると、うなずいて一緒に床に座りました。

 

 ゼンは腰に下げた袋から紙包みを二つ取り出すと、ひとつをフルートに渡しました。

 包みを開くと、塩漬け肉とタマネギをはさんだ黒いパンが出てきます。

 さらに、ゼンは水の入った水筒も床に置きました。

「地下にも水はあるんだが、水辺にはグラージゾが出てくるからな。用心して家から汲んできたんだ。この肉は俺がしとめた鹿の肉だぜ。冬になる前に塩漬けにしておいたんだ。いけるだろう?」

 とゼンは口をもぐもぐさせながら言いました。

 フルートもパンをほおばってうなずきました。鹿の塩漬け肉はもっちりと柔らかくて、本当においしかったのです。


 ところが、ゼンは急にパンをかじるのをやめて考え込みました。

「ドワーフの町では牛や豚も飼っているんだけど、グラージゾは一度だってそれを襲いに来たことがなかったんだよな……。確かに肉食で凶暴なヤツなんだが、ずっと地底湖で魚とかを捕って生きていたんだ。ドワーフも魚を捕るけど、魚は湖にどっさりいるから、誰もグラージゾを退治しようなんて考えなかった。グラージゾはたいてい湖の底のほうに棲んでいて、ドワーフを襲うこともなかったしな。それが、なんで急にこんなに変わっちまったのか」


 フルートはそれを聞いて一緒に考え込みました。

「よくはわからないけど、やっぱり黒い霧が影響していると思うな。地底湖の水って、山に降った雪が溶けて地下に流れ込んでいるんだろう? ゴジゾやワジみたいに、黒い霧が変わった雪の影響を受けたんじゃないかな」


 ゼンはふぅむ、とうなりました。

「山にはたくさんの生き物たちがいるけど、確かに、黒い雪が降ってからおかしくなったヤツらがたくさんいたな。だが、たいていの動物はおびえているだけだったぜ。鳥はさえずるのをやめたし、ウサギやリスはねぐらから出てこなくなった。キツネも姿を現さなくなったんだ」


「でも、逆に気が荒くなった動物もいるよ。オオカミ、熊、猪……それと、スライムもだ」

「この北の山脈にスライムはいないけどな。その代わりゴジゾやワジみたいな毒虫が、ものすごく凶暴になった。連中だって、すみかの湿地に足を踏み入れて巣穴を踏みつぶしさえしなければ、全然危険じゃない生き物だったんだぜ」

「たぶん動物によって黒い霧や雪の影響を受けやすいのがいるんだよ。人間もそうだな。ほとんどの人は黒い霧におびえて家の中に引きこもっているけど、中には、逆にそれを喜んで、強盗や乱暴を働く人たちもいたんだもの。黒い霧に含まれる邪悪な気配に敏感なんだよ、きっと」

「なるほどな。ゴジゾもワジもグラージゾも、大きさは違うけど同じ毒虫だ。毒虫たちは黒い雪の影響を受けやすいってことか」


 ゼンは納得すると、残りのパンを口に放りこんで水で流し込み、袖で口をこすりながら言いました。

「さて、それじゃ今度は俺が話す番だな。グラージゾについて俺が知っていることを全部話すぜ。それから作戦を考えよう」

 フルートはうなずくと、ゼンにならって残りのパンを急いで呑み込みました。

 

「まず、グラージゾは水中も泳げるし、陸地を這うこともできる」

 とゼンが話し始めました。

「姿形はムカデに似てるな。いくつもの節に分かれていて、たくさんの足が生えてる。じいちゃんも言っていたけど、全長は十五メートルくらいだ。でかいぜ。武器は長い二本の前足と鋭いくちばしだ。前足には毒を出す腺があって、獲物を突き刺して毒でしびれさせるんだ」


「毒で死ぬことはないの?」

 とフルートは聞き返しました。

「ああ、獲物を動けなくしてかみつくための毒さ。毒の強さって点では、ワジのほうが上だな。あっちは一刺しされたら、すぐにあの世行きだ。その代わりグラージゾはあごの力が異様に強い。岩でもなんでもかみ砕くんだ。岩のように固いうろこを持つ石魚を餌にしているヤツだからな。俺たちみたいなのは、チーズより柔らかく感じてるだろうよ」

 とゼンは顔をしかめてみせます。


「動きは素早い?」

 とフルートがまた尋ねました。

「素早いな。特に水中では魚より速く泳ぎ回る。陸上でもけっこうな速さだ。おまけに、ヤツはやたらと頑丈なんだ。なにしろダイヤモンドの殻を持っているからな。知ってるか? ダイヤモンドって、魔法の石は別として、すべての石の中で一番硬いんだぜ」

「本物のダイヤモンドなの?」

「ああ。だが、もともと持っていたものじゃない。このあたりの地下からはダイヤモンドが採れるんだ。ヤツは岩をかみ砕いたときにダイヤモンドを見つけると……と言っても、まだ研磨けんましてないヤツだから、そんなにきらきら光るわけじゃないけどな。とにかく、ダイヤの原石を見つけると、それを前足で自分の体に埋め込むんだ。おかげでヤツの体は今じゃダイヤの原石だらけさ。たぶん、剣や斧で切っても、びくともしないだろう」


 その話にフルートは考え込んでしまいました。

「グラージゾって、虫だけどかなり頭がいいみたいだね。炎の剣が効くといいんだけど……」


 すると、ゼンが急に、にやっと笑いました。

「フルートはダイヤモンドのもうひとつの特徴を知らないのか? ダイヤはよく燃えるんだぜ。『燃える石』の仲間なんだ。だから、おまえの炎の剣はきっとすごく頼りになるぞ。俺はこの弓矢さ。家から一番強力なはがねの矢を持ってきたんだ。十本しかないから、大事に使わなくちゃならないけどな。あとは普通の矢が二十本。ヤツの体に埋め込まれたダイヤを避けて射れば、きっと効果があるはずなんだ」


 そう言って、ゼンは背中の矢筒を下ろして、中の矢をフルートに見せました。

 普通の矢は木の矢軸に鉄の矢尻と鳥の羽根がついていますが、鋼の矢は矢軸も矢尻も羽根もすべて金属でできていました。

 手に取っただけでずっしりと重い矢です。

 ゼンはさらに太くて頑丈そうな弓も見せました。

「この矢はこの弓でないと撃てない。張りと返しが強すぎる弓だから、狙いが狂いやすくて普段は使わないんだ。だが、グラージゾとは、これでなくちゃ戦えないだろうからな」


 フルートは試しに弓を引いてみましたが、ものすごく堅くて、まるっきり動きませんでした。

「ちぇっ。力ねぇなあ」

 ゼンが笑いながら弓を受け取って弦を引くと、くくくっと弓が大きくしなりました。

「すごい!」

 フルートは驚嘆しました。

 たとえ半分人間の血が混じっていても、ゼンはドワーフの怪力をしっかり受け継いでいるのです。

 

 さらにフルートとゼンはグラージゾについて話し合いを続けました。

 どんなふうに地底湖の中を泳ぎ回るか。水上に出てくるときにはどんなふうに見えるか。岸に上がってくると、どんな動きをするか……。


 ところが、そのうちに通路の下の方からかすかな音が聞こえてきました。

 ガガガガ……と何かを勢いよくたたくような音です。

 ゼンとフルートは、はっと耳を澄ましました。音は地底から近づいてきます。

 ゼンは素早く水筒を袋の中に戻し、矢筒を背負って立ち上がりました。

 弓は手に握ったままです。

 フルートも跳ね起きて背中の剣に手をかけました。

 激しくたたくような音がどんどん近づいてきます。


 ゼンが厳しい声で言いました。

「向こうから来たぞ。グラージゾだ」

 とたんにガガガガという音が止みました。しん、と緊張した静けさがあたりを充たします。

「ちくしょう、こっちに気づきやがった……」

 ゼンが喉の奥でつぶやきます。


 フルートは、すらりと炎の剣を抜きました。

 整備された通路に身を隠す場所はなかったので、ゼンの前に出て通路の真ん中に立ちます。

 ゼンは少し後ろに下がって強力な弓に矢をつがえました。まだ普通の矢です。

 ガガガガガガ……

 たたきつける音が再び響き始めました。

 グラージゾは、まっすぐこちらに近づいていました――。

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