第2話 黒い霧

 翌朝、自分のベッドで目を覚ましたフルートは、びっくりしました。

 いつも通りに目を覚ましたはずなのに、まるで夜中に目覚めたときのように、部屋の中が真っ暗だったのです。

 フルートの部屋は東向きなので、いつもなら窓の鎧戸よろいどの隙間から朝の光が差し込んでいるのですが……。


 今日は雨なんだろうか? と考えながら窓を開けたフルートは、外の景色を見て、またびっくりしました。

 見渡す限り薄黒い霧がたちこめていて、見通しが全然ききません。

 まるで黒い煙が大量に流れ込んできたようですが、煙の匂いもしなければ、けむたくもありません。透かして見ると、やっぱりそれは細かい水の粒でできた霧なのでした。


 フルートは大急ぎで服に着替えると、部屋を飛び出しました。

 玄関にフルートのお母さんが困惑した顔で立っていました。家の前には黒い霧におおわれた荒野が広がっていて、まばらに生える木や茂みが、ひときわ濃い影の塊になって見えています。


「お母さん、これはなんなの?」

 とフルートが尋ねると、お母さんは頭を振りました。

「私にもわからないわ。こんなものを見るのは生まれて初めてよ」

「お父さんは?」

「牧場に行ったわ。牛たちがきっとこの霧におびえているからって。本当に気味が悪い……」

 お母さんはそう言って、また頭を振りました。


 フルートは霧の中にそっと手を伸ばしてみました。

 手が薄黒くかすんで見えます。まるで夜の闇が空気の中にとけ込んで、昼間の世界を飲み込もうとしているようです。

 得体の知れない不安が、胸にわき上がってきます……。


 とたんにフルートは、はっとしました。これは例の邪悪なもののしわざなのかもしれない、と思い当たったのです。

 泉の長老が言っていたように、いよいよ敵が姿を現すのかもしれません。

「お母さん、ぼく、ちょっとゴーリスのところに行ってくる!」

 フルートはそう言うと、お母さんの返事も待たずに町へ走り出しました。

 

 フルートはシルの町の中を駆け抜けていきました。

 ゴーリスの家は、フルートの家とは反対側の町はずれに建っているのです。

 家々には灯りがともり、町の人たちは窓や家の門口から顔を出して、黒い霧におおわれた景色を不安そうに眺めていました。


 町の保安所の前を通りかかると、数人の大人たちがかがり火を準備しているところでした。大人のひとりが走っていくフルートに気づいて言います。

「どこに行くんだ、フルート!? 今日の学校は休みになったぞ!」

 けれども、フルートは立ち止まらずに走り続けました。

 町長の家の前ではもう大きなかがり火が燃えていて、たくさんの大人たちが話し合っていました。得体の知れないこの霧について相談しているのです。

 でも、大人たちにも霧の正体が何なのか、どうしたらよいのか、見当がつかないでいるようでした。


 町のはずれに近づくにつれて、行く手に朝日が見えてきました。

 黒い霧の中に真っ黒な太陽が丸く浮かんでいます。

 まるで霧が太陽まで黒く染め上げてしまったようで、見ているだけで不安になる光景でした。

 

 ゴーリスの家に着くと、フルートは入り口を激しくたたきました。

「ゴーリス! ゴーリス!!」

 ところが返事がありません。取っ手をつかんで押すと、きしみながら扉が開きました。鍵はかかっていなかったのです。

 家に入ると中は真っ暗で、ゴーリスはどこにもいませんでした。


 フルートは困って立ちつくしてしまいました。この状況を説明できるのは、ゴーリスしかいないような気がしていたのです。

「こんな時にどこに行っちゃったんだろう?」

 恨めしくつぶやきながら、入り口からの光を頼りに、部屋のランプに火をつけます。

 柔らかな黄色い光が広がると、フルートは少しほっとした気持ちになりました。


 すると、テーブルの上に置かれた一通の手紙が目に入りました。

 たたんで封をした羊皮紙の上に、ゴーリスの文字で『フルートへ』と書かれています。

 飛びつくようにして封を切ると、中には走り書きの文字でこんなことが書かれていました。

 

『俺は火急の用で出かけなくてはならなくなった。俺が戻ってくるまで、おまえは自分の家で待っているように。家の裏におまえの馬がつないである。つれて帰ってくれ。 ゴーリス』

 

 フルートはまた不安な気持ちになってきました。

 なんだか、ゴーリスがすぐには戻ってこないような気がしたのです。

 どこかで何かがうごめきだし、世界に忍び込み始めているようです。

 胸騒ぎがしてきて、思わず胸に手を当てます。


 すると、手が服の下の堅いものに触れました。

 ペンダントです。

 引き出してみると、魔石がランプの光を返して輝き出しました。穏やかで澄み切った金色の輝きです。

 それを眺めるうちに、フルートの心はだんだん落ち着いてきました。


 フルートは改めて主のいない部屋を見回しました。

「とにかく、焦ったってどうしようもないんだ。ゴーリスの言うとおり、待っていよう」

 自分自身に言い聞かせるように声に出すと、さらに気持ちが落ち着いてきます。

 フルートはランプを持って家の裏庭に回りました。


 馬小屋の中には馬がつながれていました。

 栗毛の馬で暗い霧に不安そうな様子をしていましたが、フルートが近づくと、嬉しそうに頭をすり寄せてきました。

 ゴーリスがフルートのために準備した馬です。

 ゴーリスの馬はいなくなっていました。ゴーリスが乗っていったのに違いありません。

 フルートは自分の馬を小屋から引き出して話しかけました。

「ぼくと一緒に待とう……きっと、ぼくたちが呼ばれる時が来るから」

 すると、馬は言われたことがわかったように、ブルルと鼻を鳴らしました。


 町をおおう黒い霧は、音もなくゆるりと流れ続けていました──。


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