第249話 グレイフナーに舞い降りし女神⑧
ゴォォン、と銅鑼の音が響いた。
黒いミニスカート姿のアリアナ、斧を持つガブリエル・ガブル、両者とも動かない。
『おおっと、両選手、睨み合っている〜!』
『相手の出方をうかがっているようですな』
『冷静に闘技台を見ると二人の身長差がすごいですわっ』
『体格ではガブル氏が圧倒的に有利ですな。しかし、アリアナ嬢は鞭でミドルレンジ攻撃、重力魔法でアウトレンジ攻撃が可能。ガブル氏もアウトレンジの氷魔法は大得意。この闘いがインファイトになりづらいことを考えると、あまり体格差は関係がないでしょうな』
『そうこうしているうちに両者の魔力が膨れ上がっていくぅぅっ!!』
じりじりと魔力が高まっていき、ガブリエルが片口を上げると、頬に走る三本の模様が合わせて歪んだ。
「遊んでやる」
ガブリエルはアリアナを舐めるように見つめ、犬歯をむき出しにして言うと、斧を持ったまま右手を前へかざした。
格の違いを見せつけんばかりの余裕っぷりだ。
右腕に杖が仕込んであるのか先端部分が服からのぞいており、魔力がそこへと集中していく。
ガブリエルの左腕はアーティファクトを取り込んだせいで魔力循環ができず、斧に手を添える程度の役割しか果たせない。
本来であれば左手に杖、右手に斧、という二刀流スタイルであるが、左腕へ魔力が回せないため仕込み杖にしたようだ。
手に杖を持たなければ魔法が撃てない、というルールはない。
身体のどこかに触れてさえいれば、そこから杖へ魔力を流して魔法を発動することが可能であるため、ガブリエルは服のいたる箇所に仕込み杖をしている。
『ガブリエル・ガブル選手の右腕に魔力が集まっていきますわ!』
『牽制しないとまずいですぞ』
『アリアナ嬢、動かないぃぃぃ〜〜〜!』
『牽制……なし? 魔力循環のみですと?』
ガブリエル・ガブルの右腕に巨大な魔法陣が展開され、氷魔法特有の青い光が魔獣のよだれのようにだらだらと魔法陣の端から漏れ出し、この魔法の威力が桁外れだと思わせるには十分だった。
『上位上級レベルの魔力が右腕に集結しているーーーーっっ!!!』
『まずいですぞ!』
実況者二人が悲鳴に近い絶叫を上げた。
淡々と解説をしてきたイーサン・ワールドが叫んだせいで、観客達もただごとではないと感じたのか大きな声がそこかしこから上がる。
開始数秒でアリアナが負けるなど誰も考えていない。
悲鳴が波紋となってコロッセオに広がっていく。
ガブリエル・ガブルが犬歯をむき出しにし、氷魔法をアリアナへ向かって放とうとしたそのときだった。
微動だにしないアリアナが、突然くるりと一回転した。
観客席からは訳のわからないアリアナの行動に混乱が混乱を呼び、「あはぁん」とか「えええっ?」などの意味不明な声が漏れる。
ふわりとミニスカートが円を描き、黒タイツに包まれたアリアナの脚が華麗にリズムを取って正確に一回転すると、彼女は両手に拳を作って口元へあてがい、恥ずかしげにガブリエル・ガブルを見上げた。
「“
ぶわっ、とアリアナからピンクのハート型をした魔法陣がシャボン玉のように噴き出した。
——————ッ!!!!!?
ガブリエル・ガブルはあまりの衝撃にくわっ、と目を見開いた。
まずいと思ったときにはもう遅い。
「ゔゔっ!」
吹き荒れる恋のトキメキ旋風——!
黒魔法中級・魅了系オリジナル魔法“
ガブリエル・ガブルは自分の心臓が麻痺したかと思って、のけぞりながら両手で胸を押さえた。
展開していた強力無比な魔法が、パァンと音を立てて強制終了される。
自分の好みどストライクであったアリアナの母に、ガブリエル・ガブルは一度として微笑まれたことなどなかった。それを、瓜二つの娘であるアリアナにやられ、追加でオリジナル魔法による魅了攻撃をモロに食らった。効果てきめんだ。
ガブリエルは心臓がぎゅうと締めつけられ、動悸、息切れ、目眩、貧血、合わせて膝がおバカになってがくがくと震える。
魔力操作が格段に向上したおかげで、アリアナの“
コロッセオ中からも「ゔっ!」という野鳥の首を絞めたような低い声が響き渡り、片膝をつく者、背もたれに倒れ込む者、阿鼻叫喚の絵図と化した。
選手入場門の前にいるエリィは「瞬間最大トキメキ風速……2億4千万の……瞳っ……当社調べ……!」などアホなことをつぶやいて胸を押さえている。
ゴールデン家応援席にいたスルメは「またこれか……ッ!」と言いながらのけぞり、ガルガインは「ゔっ……こいつぁ二日酔いに効くぜ」と酒関連の話題につなげ、アリアナに惚れている亜麻クソは「あばばばぶぉくのしんぞぉうがストッピィッ!」と右足を上げて鉄の座席に尻と頭を思いっきりぶつけ、そのまま白鳥の湖的なポーズで、そっと意識を手放した。
『い、今のはなんですの?!!!』
『分かりま……せんな……。オリジナル魔法では?』
いち早く復活した実況者の二人がマイクに疑問をぶつける。
どうやら距離が離れていると“
至近距離で“
ガブリエルは痛む心臓を気合いでねじふせ、どうにか魔力を循環させようと息を止めた。
それを待っているアリアナではない。
「“
ガブリエルの足元に黒い重力場が出現。
敵の足を止めることにおいては最強と名高い重力魔法が、生身のガブリエルに襲いかかる。
「ぐっ……!」
身体強化で抵抗しようとするも魔力がうまく練れず、ガブリエルは闘技台へひざまずく。
『アリアナ嬢“
『ものの数秒で黒魔法を……!』
『ガブリエル・ガブル選手、動けない〜〜っ!!』
『ここまでの使い手とは思っていませんでしたぞ。学生の域を超えておりますな』
相手の動きを封じたアリアナは、指をピストルの形にしてガブリエルへ向けた。
狐耳がピンと伸び、魔力が急激に循環される。
「“
———ドドッ、ドッ
踊る人形ボックスで練習を重ねていた黒魔法下級“
鈍い重低音が空気をねじ切るように二回、一回と唸り、黒い弾丸がガブリエルの眉間、右腕、脇腹めがけて飛ぶ。
『“
『連射ッ。凄まじい魔力操作ですぞっ』
黒い弾丸が三発。
目で追えるスピードだが威力は同レベル他系統の魔法を上回る。
ガブリエルはぎりぎりと歯を食いしばり、身体強化しようと魔力を練る。
しかし、“
黒い弾丸をにらみながら、地面についていた斧を身体の前へと移動させた。
『ガブリエル氏、あの重力場で斧を上げるとは怪力ですな』
『ぶつかる〜〜〜っ!』
アリアナの奇襲攻撃はガードされる、と観客席の誰しもが思った。
が、アリアナは無表情に指先をくいっと動かした。
黒い弾丸三発の軌道がわずかにズレる。
「グッ……!」
ガブリエルは予想していたのか、眉間を狙う弾は顔をひねってかわし、右腕と脇腹への弾丸は斧を全力で動かして防御した。
ガァンガァン、と鋼鉄がぶつかり合う不協和音が響き、“
痛覚を遮断する訓練を相当に積んでいるのか、ガブリエルの表情はそこまで変わらない。
わずかながらも時間が経ち、“
ガブリエルは痛みに耐えて間髪入れずに氷魔法を行使する。
『ガブリエル選手の足元から氷の剣山が現れたぁぁ!!!』
『重力魔法が相殺されましたぞ』
黒い重力場と氷の剣山がぶつかり合って掻き消えた。
対するアリアナは攻撃の手をゆるめない。
重力弾すら陽動であったのか、相手が氷魔法を撃った瞬間に身体強化をかけてガブリエルの右側に回り込み、鞭を大上段に構え、ぎりぎりと引き絞り、身体も弓のようにしならせて一気に打ち出した。
ッパァン!
目にもとまらぬ高速の鞭打が一閃。
甲高い打撃音が響き、ガブリエルの脇腹にクリーンヒットした。
「が……!!!」
ガブリエルはかろうじて身体強化をかけたが魔力循環が弱く、鞭打の衝撃で吹っ飛んだ。
『これは強烈〜〜っ!!!!』
『ガブリエル氏が吹き飛ばされた……?』
実況者が言い終わるのを待たずして、わっと大歓声が上がった。
ガブリエルは横滑りする身体をひねり、地面に斧を突き立てて停止した。
脇腹付近からは血がぼたぼたと流れ落ちる。
「“
アリアナはガブリエルの停止位置を狙って黒い弾丸を二発放ち、身体強化をかけて弾丸と一緒にガブリエルへ飛び込んだ。ポニーテールとスカートが水平になびく。
『アリアナ嬢、さらに攻撃するーーーっ!』
『攻め時ですぞ』
『ガブリエル選手は距離を取って立て直したい様子だぁ!』
『普通の選手ならもう決着はついておりますぞ。さすがは六大貴族ですな』
ガブリエルは痛みで乱れる魔力を操作し、身体強化をかけ、斧で“
「えい」
斧を振ってがら空きになった脇腹へ、アリアナの鞭が殺到する。
——パパパァンッ!!
ガブリエルは斧の柄でかろうじて脇腹をガード。
が、鞭は蛇のように矛先を変えて斧を持つガブリエルの指へと絡みついて、強烈な爪痕を残した。
「——ッ!」
あやうく斧を取り落としそうになるが、ガブリエルは生半可な痛みには屈しない。左腕は使わず、痛みが走ると分かっていながらも右手を強く握りしめた。
アリアナもこれぐらいは想定内、と考えているのかまったく動じない。
容赦なく鞭打攻撃を浴びせかける。
アリアナの腕が残像を残すスピードで動き、鞭がどこに当たっているのかまったく分からない。
巻き起こる風でミニスカートがふわふわと浮く。
『アリアナ嬢の鞭がうなる〜〜〜〜っ!!』
『速すぎて見えませんぞ!』
『鞭の風きり音と斧の金属音が不気味な協奏曲となってコロッセオに響いているぅ〜!』
『詩的な表現ですな。両者の身体強化は“上の下”といったところでしょう』
ガブリエルは強化した目でアリアナの鞭を追い、脇腹の傷などなかったかのように斧で鞭を受ける。
『戦いの神パリオポテスも真っ青な物凄い攻防ッッ! ガブリエル氏、あれだけの猛攻を受けながら身体強化しているっ!』
『痛みを堪える素晴らしい精神力ですな』
身体強化と魔法は同時使用できない、というのが一般常識だ。
あまりに魔力操作が難しく、やろうとすればどちらかがおざなりになってしまう。
情報公開しているグレイフナー王国、パンタ国、サンディ、沿海州、冒険者協会同盟など、各国に『魔法と身体強化の同時使用者』は一人もいない。
よって、魔法を使うには一時的に身体強化を切らなければならず、身体強化を切った瞬間を狙われて直接攻撃を受ければ大ダメージを負う。
アリアナとガブリエルのように身体強化での打ち合いになると、どこで身体強化を切り、魔法を使うかの駆け引きが勝負の分かれ目となる。
「…っ」
「こざかしい!」
ガブリエルが叫ぶも、アリアナは鞭を振るい続ける。
猛烈な鞭打で闘技台がえぐれ、摩擦熱で斧から火花が散った。
アリアナは流れる汗を頬で感じながら巨大砂時計で時間を確認する。
(まだ五分……)
魔闘会の制限時間は十五分。
相対して感じた、仇敵の強さ。
おそらく本気の殺し合いをしたら負けるであろう、という狐人族の直感が尻尾をぞわぞわと走っている。
だからこそ、強気に攻める。
守りに入ったら防戦一方になる予感がした。
オアシス・ジェラで初めて鞭を振ってから、毎日欠かさずに鞭術の訓練をしてきた。鞭は自分の手足のように動き、目、鼻、耳などの身体における重要器官を狙い、脇や股下などの弱い皮膚を狡猾に攻める。
「……ッ!!」
相手を小娘だと舐めきっていたガブリエルはようやく本気になったのか、斧で鞭打を防ぎながら、胸が倍に膨らむほどに息を吸い込んだ。
アリアナはすぐさま狐耳をぺたんと伏せ、後方へ飛びのいた。
「グォォォォォォォォォオオオオォオオオォオォオッッ!!!」
ガブリエルが吼えた。
身体強化した獣のような咆哮はコロッセオをビリビリと揺らし、会場の外まで響く。
ガブリエル対策をしていたアリアナは近くで受けずに退避。
距離を取っても足元がふらつく音の衝撃。
ポカホンタスのアドバイスを聞いておいて正解だった。
『ガブリエル・ガブル氏の咆哮! 耳が痛いですわっ!』
『狼人族のハウリングですな。音系魔法と同威力と聞き及んでおりましたが、誠ですな』
『皆さま近くに光魔法の使える方がいたら、念のため“
『まあ心配な方だけで大丈夫でしょう』
実況者が自分の耳を叩いて確認しながらマイクへ叫ぶ。
ガブリエルのハウリングは特殊攻撃であり、駆け引きなど一切関係のない力技だ。
「——“
ガブリエルが仕込み杖から氷魔法下級、“
牙の形をした氷が回転しながら100個ほど宙を浮き、散弾銃のように発射された。
「“
ブーツを黒魔法で覆い、アリアナは軽いサイドステップで瞬く間に二十メートルほど移動する。
“
一度唱えれば消えるまで魔力操作の必要がないため、速度アップしながら魔法行使が可能になる。
氷の牙が地面に突き刺さり、闘技台をえぐって風穴を無数に空けた。
(魔法の発動が速い…)
アリアナが逡巡する間にもガブリエルは獰猛に笑い、次々と魔法を追加する。
「——“
ガブリエルは上位である氷魔法をたやすく連射し、あられのように氷の牙を闘技台へと降らせる。
アリアナは“
かわしきれなれば鞭で叩き落とし、隙をついて“
撃った重力弾は予想されているのかすぐさま氷の牙に迎撃される。
『“
『ガブリエル氏は開幕直後にアリアナ嬢が放ったオリジナル魔法を警戒しておりますな』
『息をもつかせない猛攻!』
『数秒動けなくなるあのオリジナル魔法、次に受けたら致命傷になりかねませんぞ。警戒は当然ですな』
『アリアナ嬢、重力場を利用しているがいつまでもつのかぁ〜?!』
降り注ぐ氷の牙。
アリアナはポカホンタス仕込みの回避術でかわし、重力魔法で壁を作って防ぐ。
数分の時が経ち、足にまとわせていた“
アリアナは距離を取ろうと“
背後に“
アリアナに殺到した。
ガブリエルが虎視眈々と狙っていた一撃にアリアナは目を剥き、咄嗟に身体強化をかけてバク転で牙をかわす。だが身体強化が弱い。動きが遅い。
ガガガガガガガガッ!!!
(よけきれない……!!)
アリアナはエリィから受け取った黒ジャケットで顔を覆った。
小さな身体に無数の“
ハイレベルな攻防に息を止めていた観客から「ぎゃああああああああ!」という絶叫が上がり、ゴールデン家応援席からは乙女達の「きゃあああああっ!」という大きな悲鳴が上がった。
ガブリエルは口の端を釣り上げ、とどめだ、と氷魔法中級“
氷魔法下級“
浮かんでいる氷の牙は冷気を発し、周囲の温度を急激に下げ、ビキビキと不穏な音を立てた。
「遊びは終わりだ」
ガブリエルが展開している“
「いやぁあぁぁ!」「ぎゃああああああ!」「アリアナちゃんッッ!!」「動いてぇぇ!!」「アリアナちゅわん!」「オワタ……」「あはははもうだめだぁ」「やめてええぇっ!」「うおおおおおおっ!」
多種多様な悲鳴が上がる。
ゴールデン家応援席は大混乱だ。
使用人達が泣きながら抱き合い、クラリスはスカートをからげて「起きろぉぉぉっ!」と何度も拳を振り上げ、バリーは泣きながら「びゃでぇぇぇ、びゃっでぐばばぁぁいっ!」とコック帽を床に叩きつけ、父ハワードは「ぐっ」と言いながら拳を握り、母アメリア、エドウィーナ、エリザベスは三人で抱き合って「だめぇぇぇっ!」と悲鳴を上げる。
スルメとガルガインは「立てぇぇぇぇっ!」と叫び、エリィはじっと闘技台を見つめる。
一言も発さずに両手を組んで祈っていたエイミーが「ほわぁ」と言って失神し、白鳥の湖的なポーズで倒れている亜麻クソに覆いかぶさった。その柔らかさで起きた亜麻クソが鼻の下を伸ばして胸を揉もうとしたので、スルメとガルガインが華麗に腹パンを決め、亜麻クソは「ひぶぅっ」とうめいて、そっと意識を手放した。
『アリアナ嬢に“
『躱さなければ負けますぞ!!』
実況者二人が叫ぶ。
誰しもがアリアナの負けを悟ったそのときだった。
アリアナが突如として跳んだ。
「“サンドウォール”…!」
エリィと修業で幾度となく使った土壁が地面から生え、ぐんぐんと伸びてアリアナの身体を押し上げ、上へ上へと伸びていく。
うおおおおおおおおおおお、という大歓声が起きる。
『アリアナ嬢、まだ動けるぞ〜〜!!』
『身体強化は弱かったように見受けられましたが、ダメージがずいぶん少ないですな』
『ああ〜〜〜〜っと?! おそらく洋服だ! 着ていた洋服にところどころ穴が空いている! あの装備が魔法を軽減した模様ーーーっ!!!』
レイニー・ハートがマイクを握りしめ、指を差す。
『なるほど洋服の防御力ですなッ。にわかに信じがたいですが、あの状況で氷魔法を防いだとなれば装備品がガードしてくれたと考えるのが妥当ですな』
解説者イーサン・ワールドが興味深げにアリアナの洋服を観察する。
魔導カメラが土壁に乗るアリアナをとらえると、ジャケットとタイツに穴が空いた扇情的な姿の狐美少女が巨大モニターに映し出された。幸いなことにスカートへの被害は少ない。
『なんんんんという防御力ッ!!!』
『上位魔法を一度でも防ぐとは……素晴らしい防御力の服ですな』
『これはすごい! わたくしも一着ほしいですわぁ!!』
『男性服が出たら私も買いたいですぞ』
ゴールデン家応援席から歓喜の大爆発が起こる。
合わせて解説を聞いた洋服店ミラーズ好きの観客からは「ミラーズ! ミラーズ! ミラーズ!」というコールも起こった。女性の声が圧倒的に多い。
席の後方で静かに闘いを見守っていたミラーズ、コバシガワ商会の面々も、このときばかりは「うおしゃあああああああああ!」と男女問わず野太い雄叫びを上げ、今後ともミラーズをよろしく、と手を振る。自社ブランドの商品が真価を発揮した瞬間であった。
エリィだけは、あの攻撃ならミラーズ戦闘服はギリギリ耐えられる、と確信していたのか、あまり驚かず真剣にアリアナを見つめている。
だが劣勢は変わらない。
ガブリエルの“
『これは直撃コーーーーースッッ!!!』
『迎撃するには数秒足りないですぞッ』
空中で落下しながら、アリアナは何を思ったのか、両手を胸の中心に持ってきてぎゅっと握り、迫る“
そんな彼女の姿を見て、観客達のほとんどが「やはり負けか」と悲鳴をあげる。
アリアナは小さな口を開き、ぽつりとつぶやいた。
「“
ぽわわぁん、と間の抜けた音が響くと同時に、淡いブルーでハート型をした魔法陣がアリアナを中心に五メートルほど展開された。
立体的な形をした青いのハート魔法陣に、鋭利な氷魔法が突き刺さり、そのままアリアナの身体に襲いかかる——
と思いきや、氷魔法がハート型の魔法陣に触れると、小さなハートが無数に現れてギザギザの真っ二つになった。氷魔法はフラれた恋の敗者のごとく力を失い、割れたハートと一緒にバラバラと落下した。
そして驚くことにアリアナ自身は宙に浮いたままだ。
ハート型の魔法陣に守られるようにして、ゆっくりと下りてくる。
小さなハートが火花のように散発的に現れては、ギザギザの真っ二つになって消えていく。
黒魔法魅了系オリジナル新魔法“
この新魔法は“
“
また、“
ハート型魔法陣内に入った魔法を無効化するという防御魔法で、原理としては相手の魔力波動をとらえて失恋状態にさせるものであり、アリアナが対象者を憎く思っていないと発動しない。放たれた魔法そのものにも意思が宿っており、そこに鑑賞している、というのがポカホンタスの見解であった。
“
どっ、とひときわ大きい歓声がコロッセオに響き渡った。
『あの魔法陣はいったいなんですのっ?!』
『魔法障壁……にしては形が特殊。触れた瞬間に攻撃魔法が力をなくす魔法障壁など聞いたことがありませんな』
『発動も速かったですわね!』
『アリアナ嬢が開始と同時に使った魔法と、同系統のオリジナル魔法でしょうな』
“
余談であるが、この魔法は訓練中にポカホンタスがアリアナの尻を何度も触ろうとし、アリアナが怒ってぷるぷるしながら「もう…ポカじいなんてだいっきらい…」と発言したのがきっかけとなって生み出された。
わずかに魔法の発動を予感した小橋川がアドバイスをアリアナに入れ、ついでにポカホンタスにビンタと電気ショックを加え、好感度を下げる魅了系黒魔法を土台にして改良を重ね、オリジナル魔法が完成した、というのがざっくりした経緯だ。
スケベが生み出した偶然の産物であった。
ガブリエルは、そんな謎のオリジナル魔法に一瞬眉をひそめたが、アリアナが攻撃してこない姿を見るやいなや、すぐさま右腕を前方へかざした。
仕込み杖に強烈な魔力が集中し、巨大な魔法陣が展開される。
『ガブリエル選手が詠唱を開始ぃ〜〜っ!』
『アリアナ嬢はまだハートの魔法を展開したままですな』
『あの魔法、使用すると発動を切れないのかぁぁ?!』
『そうかもしれませんぞ』
『ああーっとガブリエル選手、上位上級の魔法を撃とうとしている〜っ!』
『これは……発動しますぞ!!』
冷静な実況者イーサン・ワールドがマイクに絶叫すると、巨大な青い魔法陣がビキビキと音を立てながら光輝き、体長20メートルの狼が現れた。
全身が氷で覆われたクリスタル調の美麗な狼は敵意を剥き出しにし、機械的な動きでアリアナへとまっすぐに疾駆した。
『この魔法は?!』
『氷魔法上級“
『つ、ついに大技が放たれたぁ!!!』
うわあああああっ、という歓声がコロッセオに響く。
ガブリエルはにやりと口角を上げ、アリアナはまだ魔法が切れないのか、頬を上気させてハート型魔法陣を展開している。
氷の暗殺者が無機質にアリアナへ近づく。
氷狼が触れた闘技台は霜が降りてバキバキと凍る。
アリアナは動けないのか、はぁはぁと肩で息をしたまま、潤んだ瞳で氷狼を見つめている。
“
コロッセオはアリアナを応援する者、ガブリエルに勝ってほしい者の絶叫と悲鳴が反響して音が半狂乱する。
もはやこれまでか、と審判の白魔法師がアリアナへ白魔法を撃とうとし、ぴたりと手を止めた。
「……!」
氷狼がハートの魔法陣に食らいついて動かなくなった。
無数のハートが氷狼にまとわりつき、真っ二つのギザギザハートになって落下する。
氷狼は何度か大きく痙攣すると、散歩に行きたくない犬のように闘技台に寝転がり、氷粒を撒き散らして空中に霧散した。
「な………!?」
『ああーーーーーっと、なんんんんということでしょう! アリアナ嬢のハート魔法陣が氷魔法上級を退けたぁぁーーーっ!!!』
『信じられませんな……!』
これにはガブリエルもわずかに驚き、チッと舌打ちをする。
「フォオオオオオオオオオオッ!」「胸がいたいでござるッ!」「アリアナちゃぁぁぁん!」「届け俺のおもひっ!!!」「すげええええええっ」「なんだありゃあ!」「フラれた……告ってもねえけどっ」「てかアリアナちゃんの顔が……」「赤くなってて……!」
魔法使いの最大級の攻撃である氷魔法上級を防いだアリアナの謎魔法に、コロッセオは沸きに沸いた。
あと、擬似的にフラれてつらそうにしている男が多数出ている。
氷魔法に怯んで下がっていた魔導カメラがアリアナに近づくと、ジャケットとタイツがところどころ破れ、赤い顔をしてハァハァと息をしているアリアナが特大魔導モニターに映し出された。
その姿は悶絶ものであった。
フラれたつもりになっていた青い春のまっただ中にいる青年らは即座に復活し、鼻を指でつまんで上を向いた。かわいいモノ好きのレディ達は身体を自分で抱いてくねくねする。
選手入場口にいるエリィは「くっ……失恋率……400パーセンッ!」とアホなことを小さく叫んで、太ももをペシペシ叩いている。中にいる小橋川は一度エリィに謝ったほうがいい。
実は、アリアナの新魔法“
使用すると身体が熱くなり、意識が朦朧とする。
一回使用すると最低でも五分はクールタイムを置かないと発動できない。
この二点だ。
アリアナは時間稼ぎのために、一度発動させたら魔力の切れる限界まで“
ガブリエルが苛立つようにして氷魔法下級を三発、中級を二発撃つも、ハート魔法陣の防壁に防がれて魔法が霧散する。
いよいよガブリエルが真剣な顔つきになり、魔法陣を複数展開したところで、ゴォォォォンという大きな鐘の音が鳴り響いた。
『試合、終〜〜〜〜〜〜〜了〜〜〜〜〜〜〜っ!!』
『あっという間の十五分でしたな』
わあああああああああっ、という観客からの惜しみない声援と拍手が巻き起こる。ガンガンと背もたれの鉄板が叩かれて、独特の金属音が混ざり合ってコロッセオに反響した。
ようやく新魔法“
ガブリエルはストレスの溜まる試合だったのか、狼人族の苛立った際のクセである喉鳴らしをやりながら、定位置に立った。ぐるぐるという低音を喉から響かせ、アリアナを睨みつける。
『さあ、制限時間内に勝負がつきませんでした! よって判定となりますわ!』
『どういった評価になるか難しいところですな』
『白旗がアリアナ嬢! 赤旗がガブリエル選手!』
『アリアナ嬢のオリジナル魔法は見事でしたし、ガブリエル選手は圧巻の魔力操作と魔力運用でしたぞ』
会場からはアリアナコールとガブリエルコールが入り交じる。
主審の白魔法師が闘技台の四方にいる副審へと目配せを送ると、五人全員が一斉に旗を上げた。
白旗が三本、赤旗が二本、会場にはためいた。
この試合一番の歓声が爆発した。
グレイフナー国民らしい狂喜乱舞と阿鼻叫喚が巻き起こり、賭博チケットが花吹雪のごとく宙を舞って、そこかしこで大騒ぎが始まる。
『白3、赤2ぃぃぃぃっ!』
『アリアナ嬢の勝利ですな』
『勝者ァァァァッ! 契りの神ディアゴイスコーナァァァッ、アリアナァァァァァァッ・グゥララララララランッ、ティーーーーーーーッ、ノォォォォーーーーーーーーーーーーッッ!!!!!』
レイニー・ハートの巻き舌コールが響き渡る。
試合結果に納得のできない観客がそこら中で喧嘩をはじめ、警備の第二騎士団が水魔法をぶつけて鎮火させる。
『イーサン・ワールド氏、アリアナ嬢の勝因はなんでしょう?!』
レイニー・ハートから話を振られたイーサン・ワールドは、メガネをくいっと上げてマイクに口を近づけた。
『やはり開始直後の魔法と攻撃が高得点だったのでしょうな。魔法発動や種類はガブリエル氏が圧倒しておりましたが、アリアナ嬢は相手のデータをよく計算して試合を組み立てているように見受けられました。また、洋服にも助けられましたな。あの防御力がなければダメージ量がガブリエル氏より確実に上回っていたので、大幅な減点対象になっていたことでしょう』
『オリジナル魔法も評価の対象になっていたのでしょうか?!』
『もちろんですぞ。オリジナル魔法は魔法使いが人生を賭けて開発するものですからな。若くして二つのオリジナル魔法を開発した彼女の将来が楽しみですな』
『ガブリエル選手はいかがでしたでしょうか?』
『六大貴族の当主らしいどっしりした闘いぶりでしたな。まだ余裕があるように見受けられましたので、今後のアリアナ嬢との再戦に期待したいですぞ』
アリアナとガブリエルは解説と歓声を浴びながら一礼をし、選手入場口へと戻っていく。
ガブリエルは執拗にアリアナを見ていたが、アリアナはあまり気にした様子もなく、多少ふらつきながらも仇敵に背を向けて歩き出した。
☆
選手入場口、契りの神ディアゴイスコーナーにはエリィがいた。
笑顔で手を振ってくれる彼女の顔を見て、アリアナはほっこりとした温かさが胸に広がっていく。
「おめでとう」
エリィがアリアナを抱きしめ、ゆっくりと狐耳を撫でた。
彼女の触り方が、どことなく悔しさを消すような優しげでいたわる触り方だったので、アリアナは、ああエリィはわかっているんだな、と思う。
もふもふが終わると、エリィはアリアナの肩に手を乗せてわずかに離れ、顔をじっと見つめてきた。
「……悔しいんでしょ?」
(やっぱりバレてた)
アリアナはへなりと耳をしおれさせ、うつむいた。
ガブリエル・ガブルは左腕をまったく使っていなかった。
斧を動かしていたのはほとんど右腕で、左腕は添えているだけ、という印象であったし、事実エリィがこう言っていることから、ガブリエルは何らかの理由で右腕しか使用していないことがうかがえた。
エリィの体術に関する目はポカホンタスと同等の信頼をおける。
また、“
試合開始直後もこちらのことを舐めきっていた。
結果、相手が油断してくれていたので今回の勝ちに繋がったのは事実だし、実際に油断も計算に入れてポカホンタスと試合の組み立てをしていたので、それ自体はいいのだが、アリアナの気持ち的にはどうにもわだかまりが残った。
今の状態で生死不問の決闘を挑めば、確実に負ける。
それがアリアナは悔しくてたまらなかった。
「勝ちは勝ちよ。見たあのガブガブの悔しそうな顔! 私はすごーくスカッとした気分になったわ」
エリィは明るく言い、垂れ目をくしゃりとさせて笑った。
「また二人で強くなりましょう? ね?」
「…うん」
エリィはアリアナの瞳に溜まった涙をハンカチで吸い取り、元気よく「第一目標達成! 狐人の里、領地奪還おめでとうっ!」と言いながら親指をビシッと立てた。
(また励まされちゃったな…)
アリアナは反省しつつも、こういったエリィの前向きなところがひどく好ましくて、ずっとこうやって言ってもらうのもいいなぁ、とちぐはぐなことを考えて、なんだか恥ずかしくなって照れ隠しに尻尾を左右に振った。
それを見たエリィが「まぁ」と言いながらクスクス笑う。
アリアナは次戦を控えたエリィに激励を送り、次なる目標を胸に秘め、控室へと戻った。
――――――――――――――――――
読者皆さまへ
お世話になっております。作者です。
エリィ・ゴールデンをいつもお読みいただきありがとうございます。
区切りのいいところまで投稿いたしますので、よろしくお願い致します。
新作をはじめました!
太っているいじめられっ子な女子が聖女へ転職し、現実世界↔異世界を行ったり来たりして無自覚ざまぁしていくお話です。
ぜひご一読くださいませm(_ _)m
「異世界で聖女になった私、現実世界でも聖女チートで完全勝利!」
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