第247話 グレイフナーに舞い降りし女神⑥


 熱い鼓動と胸の高鳴りを感じつつ、尻頭のポカじいが再度唱えた隠蔽魔法の中に入った。

 首都グレイフナーの夜空は明るく、遠くから喧騒が聞こえる。


「エリィ、大丈夫…?」


 アリアナが長いまつ毛をぱちぱちさせて、こちらを見つめてきた。


「問題ないわ。ちょっと、緊張しているだけ」

「何かあったら私が守る…」

「ふふっ、ありがと」


 アリアナの耳を目出し帽の上から揉み、クリフがいるであろう部屋へと目を向けた。人んちの屋根でのんびりしているわけにもいかない。


「ポカじい、クリフ様のいる場所までに誰かいる?」

「ふむ」


 ポカじいは数度まばたきをして、うなずいた。

 本人はいたってまじめだが、尻頭のせいでどうしても緊張感にかける。


 まあ、いまのエリィの精神状態を考えると、ちょっとばかしギャグ要素があったほうが気持ちが楽になっていいかもしれない。


「脅威になる者はおらんじゃろう。ただ、妙な気配の者が数名おる」

「妙な気配?」

「魔力が流れがおかしい。めちゃくちゃじゃ。近くで見てみんと、正確な判断ができんのう」

「それってヴァルヴァラちゃんが言っていた、バルドバッド家の当主のことじゃないの?」

「そうじゃ。それから、そやつ以外にも同じ状態の人間が数名おる。気を引き締めていこうとしよう。あと尻の筋——」


 ポカじいが下ネタを言おうとした瞬間、アリアナの指が走った。


「ずびし」

「ひぎゃあ!」


 尻じじいがその場にうずくまり、目がぁぁぁ、と情けない悲鳴を上げた。

 アリアナさんのお下品監査が特別警戒している空港の検閲ばりに厳しい。


「まじめにやる」

「……しゅみましぇん」

「まあまあ、いつもことじゃない」


 仕方なく“治癒ヒール”を唱えてやった。

 じいさんは攻撃されても魔法を解かないからすごいんだよな。


「すまんのう。よっこらせっと」


 そう言いながらエリィの尻を鷲づかみして立ち上がるじじい。


「きゃあ! 何すんのよ!」


 思いっきり引っぱたくと、バチンという音が屋上の夜空に響いた。

 すぐさまアリアナのお下品監査に引っかかり、目潰し攻撃が追加され、じいさんが「頬がちぎれるぅぅぅ、目がもげぇぇぇるっ」と転げ回った。


「いい加減にして! 話が進まないんだけどッ?!」


 まじで話が進まねえよ?!

 これが小説だったら思い切り文庫本を壁に投げるところだ。


 しばらくしてポカじいがやっとまじめな顔つきで復活したので、仕方なく“治癒ヒール”をエリィが唱えた。ここ数日、オートモード多いな。相変わらず、エリィは何だかんだ優しい。


「いくぞい」

「オーケー」

「ん…」


 俺、ポカじい、アリアナの順に並び、隠蔽魔法の範囲内に入っていることを確認して屋上から飛び、中庭に着地した。

 石とレンガで造られた堅牢な壁に沿って、ゆっくりと進んでいく。


 バルドバッド家の邸宅には防御魔法が付与されているらしいのか、壁のところどころで魔法陣が淡い光を放っている。


「エリィ、魔力を抑えるんじゃ」

「オーケー……」


 興奮していたのか、気づいたら魔力がだだ漏れになっていた。

 あぶねえ。

 上位上級隠蔽魔法といえど、魔法以上の魔力を中から出したら隠しきれない。


 なんだかクリフを見てからというもの、俺の精神とエリィの身体の乖離を感じるな……。

 現状は問題ってほどでもないから気にする必要はないが、あまりにもひどいと戦闘になったとき色々とまずい。


 中庭では番犬の役割なのか犬らしき生物がうろうろしていた。


 ただ、顔が二つあって足が六本あるから柴犬やシェパードとは程遠く、番犬と言っていいのかわからない。いやいや、凶悪すぎるだろ。


 犬というか魔獣のたぐいだな。

 ずいぶん大層なペットを飼ってらっしゃることで。


「ガウ……」


 すんすんと鼻を鳴らして、こっちをちらりと見ると、凶悪番犬は建物から離れていった。脅かすなよ。


「この先じゃ」


 ポカじいが邸宅内で一番大きな建物を指差し、大きな木のある場所へと指をスライドさせた。


 頼むぜエリィ。

 クールにいってくれ。

 胸がドキドキとかいらんからな。


 慎重に歩を進めて大きな木の下まで辿り着くと、ポカじいがゆっくりとうなずき、窓枠に手をかけた。


 痛いほどエリィの心臓が脈を打ち、どくどくと血液が全身をかけめぐっていく。


 窓が音を立てずに開けられると、金髪金目の青年が振り返った。


 おおおおおっ、クリフだ!

 一年越しでついにクリフと会うことに成功!

 やっとだ、やっとだぞエリィ!

 自分で掲げた“やることリスト”の項目が残り一つになった。


 ◯最優先、ダイエットする。

 ◯その1、ボブに復讐する。

 ◯その2、孤児院の子どもを捜す。

 ◯その3、クリフを捜す。

 ◯その4、怪しげなじじいを捜す。

  その5、日本に帰る方法を探す。(元の姿で)


 あとは最後の日本に帰る方法を探すってやつだけだな。

 よしよし、いいぞ。この調子でいこう。


 それにしても、クリフを近くで見るとエリィが日記に『優しげで、どこか儚い雰囲気がし、それでいて心に一本芯が通っている不思議なひと』と乙女チックな文字で書いた理由が分かるな。というか、あの頃のエリィはずいぶんとクリフに傾倒していた。日記の内容はほとんどクリフのことばかりだった気がする。


 どこか静謐でありながら憂いのあるクリフの面差しは、なんともいえない魅力があふれていた。女はもちろんのこと、そっちのケがある男なんかもクリフのことを放っておかないだろう。


 横にいるポカじいとアリアナも何か感じるものがあるのか、身じろぎもせずに彼の様子を見つめている。


 エリィは勝手に動き出したりは……大丈夫みたいだな。

 とりあえずやたらと顔は熱いが、身体は自由に動かせる。


「……」


 クリフは、確か窓はしめたはずなんだけどな、という顔つきで首をかしげながら窓のそばまで歩いてきた。


(ほれ、早く行かんかい)

(離れて見ているから、行って…?)


 ポカじいとアリアナが俺の脇をひじでつついて、合図を送ってくる。


 意を決して彼らに目配せをし、軽く息を吸い込んで一歩踏み出した。


 隠蔽魔法の効果範囲外に出ると、今度はクリフが息を飲んだ。

 向こうからは急にエリィが姿を現したように見えただろう。



「エリィ……さん?」



 クリフは窓枠に手をかけ、目を見開いた。

 エリィの顔面がゆでダコのように熱くなった。





      ☆





 エリィとクリフが一年越しのめぐり逢いを果たしたそのとき、バルドバッド家の一室で男が二人、女が一人、ただならぬ雰囲気の中で対峙していた。


 一人はまるで王のようにソファに腰掛け、壁にかけられた絵画を見つめている。背を向けているため、どのような顔つきなのか分からない。金髪に銀の混じった髪が一本にまとめられ、ソファの背もたれに流れていた。


 その横には、侍女のごとく立っている女がいた。

 彫りは浅く、鼻が突き出ており、瞳は黒目が八割を占めている。

 小橋川が見たら、森に住む妖精だ、とかコロポックルだ、などと言いそうなノスタルジックな顔立ちをしており、どこか人間らしからぬ空気を身にまとっていた。



「ゼノ・セラー枢機卿、ゾーイ様、今宵はこのような場を設けていただきまして心より感謝いたします」



 クリフのお目付け役、宣教師シャイルが低頭平身しつつ、絨毯に片膝をついた。


 シャイルはいかにも善人そうな表情をしている。

 彼の腫れぼったい目は愚鈍そうな印象を人に与えるが、瞳の奥には仄暗いじめじめした光が宿っており、性根の悪さと粘着質な本性が笑顔で巧妙に隠されていた。


 そんなシャイルを、ゾーイは無感動に見つめた。


 ほんの数十日前までスカーレットの友人として振る舞っていたゾーイに、学生らしさはかけらもない。



「謝辞はいいです。早く本題を述べてください」



 彼女はそう言い切り、気遣うようにチラリとゼノ・セラーへ視線を移した。

 幸い、彼女の主は何も感じていないのか、じっと絵画を見つめたままだ。


 シャイルはゾーイには目もくれず、どこか妄執をはらんだ熱い視線をゼノ・セラーへと注ぎつつ口を開いた。



「報告いたします。ゼノ・セラー様より授かりし““懐疑主義の読心術マインド・リーディング”により、落雷魔法の使い手を発見いたしました」



 報告を聞き、ゼノ・セラーが顔をわずかばかり横に向けた。

 シャイルとゾーイはすぐさま頭を下げる。



「そうか」



 柔らかくも、端々に硬質なものを感じさせる声が部屋に響いた。

 ゼノ・セラーは視線をまた正面の絵画に戻した。


 催促されていると数秒で気づいたシャイルは、緊張からか何度も唇を舐めて声をしぼり出した。



「クリフ・スチュワードはグレイフナー魔法学校に留学していた際、一人の女子生徒と懇意にしていたようで、その女が落雷魔法の使い手です」

「誰なのですか?」


 ゾーイが平坦な声色で尋ねた。


「グレイフナー魔法学校四年生光魔法クラスに所属する、エリィ・ゴールデンという少女です」

「あらら、あの子ですか」


 ゾーイがおどけるようにして肩をすくめた。顔はまったく笑っていない。


「ゾーイ様?」

「私が潜入していた魔法学校のクラスメイトです」

「なんと……!」

「偶然というものは怖いですね」


 ゾーイが言うと、背後にいたゼノ・セラーから声が響いた。


「その女におかしなところは? 妙な言葉を口走ったり、おかしな行動をしたりなど、何かないか? 実力は? 使える魔法は? 仲間はいるか?」


 普段のゼノ・セラーの話しぶりからは考えられない矢継ぎ早な質問だった。


 ゾーイは粗相があってはならぬと内心で己を叱咤しながら頭をフル回転させる。


「おかしなところは特にはありませんでした。太っていて気が小さかったので、学校ではいじめの対象になっていました。ただ、三年生の新学期から妙に自信ありげな雰囲気に変わり、少し驚いた記憶があります。現在では容姿が劇的に変わっており、誰もがうらやむ美少女になっております」

「……」

「白魔法、中級浄化魔法を習得するほどに優秀です。仲間は獣人——狐人族のアリアナ・グランティーノという同学年の少女とよく行動していたと記憶しております」


 ゼノ・セラーはゾーイの言葉を聞き、ゆっくりと立ち上がった。

 ゾーイとシャイルは彼の存在があまりに大きく感じられ、巨木が突然動いたかのように錯覚して一歩下がった。


 ゼノ・セラーは振り返って、二人を交互に見やった。


 その双眸には確かに血が通っているようであったが、なにか現実感を感じさせない冷たさと作り物と見間違えそうな完璧な造形をしており、ゾーイとシャイルに畏怖を抱かせた。


「狐人族……あのときと同じか……」


 ゼノ・セラーはつぶやいて、ゾーイに向かって顎をしゃくる。

 ゾーイは話の続きを促されたと気づいてすぐさま背筋を伸ばした。


「そのほか、エリィ・ゴールデンが懇意にしている人間はクラスメイトのジェニファー・ピーチャン、ハーベスト・グリーン。姉であるエイミー・ゴールデンとその家族一同。同学年土魔法クラス、ドワーフ族の男。同学年火魔法クラス、顎のしゃくれた男。同学年水魔法クラス、キザでうるさい男。加えて、自身で洋服会社を立ち上げており、その繋がりで様々な人間と交流していると考えられます」


 ゾーイは覚えている限りの情報を主へと伝えていく。

 約二名、ひどい言われようであった。


 ゼノ・セラーはエリィの交流している人間の関係図はもとより、事細かな情報をゾーイから聞き出していく。執拗なまでの質問は、エリィという人物を解剖してあますところなく把握したいと思わせるに充分だった。


 しばらくして質問が終わると、ゼノ・セラーは満足したのか、先ほどまで見ていた絵画へ顔を向けた。



「殺すか、試すか……」



 物騒な言葉を残して瞠目する。



 ゾーイもシャイルも動けない。

 以前、彼の思考中に声をかけて死んだ者がいる。


 目の前にいる枢機卿の逆鱗がどこにあるか分からず、二人は緊張を解けなかった。

 潜入を終わらせて秘書の役割をしているゾーイですらそうなのだから、シャイルの顔は緊張を通り越して青くなっている。人間、重圧を感じすぎると血の巡りが悪くなって体温が下がる。



「シャイル」



 ゼノ・セラーが唐突に呼ぶ。

 シャイルは弾かれたように顔をあげた。



「は、はい! なんなりとお申し付けくださいませ」

「クリフ・スチュワードは自らの口で、落雷魔法の使い手はエリィ・ゴールデンだと言ったのか?」

「いえ。あやつは黙っておりました。意図的に、でございます」

「そうか」

「“懐疑主義の読心術マインド・リーディング”したところ、エリィ・ゴールデンに並々ならぬ想いがあるようでした」

「……」

「あやつは、裏切り者でございます……!」



 シャイルの目が一瞬だけ悪辣なものに変わった。



「一族すべてを断罪いたしましょう」

「……早い。使い道はある。魔闘会で人形を作動後、セラーディウムに押し込めておけ。おまえは我が与えた““懐疑主義の読心術マインド・リーディング”アーティファクトでクリフ・スチュワードの記憶をできるだけ掘り起こせ。エリィ・ゴールデンに関するものすべてだ」

「御心のままに」



 枢機卿であるゼノ・セラーから職務を与えられ、シャイルは感動に打ち震える。畏怖と敬慕をゼノ・セラーへ向け、シャイルはセラー信書を胸に抱くと頭を下げた。


 彼の持つ古ぼけたセラー信書——通称聖書が““懐疑主義の読心術マインド・リーディング”のアーティファクト”であった。


 千年前に失われた秘術でもって造られた二つとない道具であり、発動条件が『対象者の肌に一度触れること』『二メートル以内の距離にいること』と制約はあるものの、相手の考えていることが文字通り“読める”ため、情報戦においては万金、億金に値する代物だ。


 アーティファクトを介して魔法が発動するため、対象者の習得した魔法を目視するクリフの天視魔法、“天視スターゲイト”では看破できない。

 そのため、クリフが嘘をついていないか、シャイルがお目付け役となった。


 シャイルは毎日のようにクリフの心をのぞき見て、複合魔法使いを見つけた際に隠匿しないかを調べた。


 これほどの効果があるアーティファクトを一人の複合魔法使いに割く様子を見て、ゾーイはゼノ・セラーがいかに複合魔法を求めているかを理解した。



(ゼノ・セラー様はクリフ・スチュワードが裏切ると分かっていた? 複合魔法使いについてもお詳しい……どこでその情報を……?)



 ゾーイが沈黙を保ちつつ思考の海を泳ぐ。


 素直に質問をぶつけてみようかと顔を上げた瞬間、不意にドアが開いてよろめきながら男が入ってきた。


 ゼノ・セラーが興味なさげに目を向け、ゾーイ、シャイルが身構える。



 入室してきたのはバルドバッド家当主、フォーク・バルドバッドであった。



 彼は今にも倒れそうな土気色の顔をしていたが、強引に着せられていた魔力妨害のローブを脱ぎ捨て、杖を構えた。



「バルドバッド家から……出て行くがいい!」



 ゾーイ、シャイルが瞬時に杖を抜いて詠唱を開始する。



「杖を下げろ」



 ゼノ・セラーから命令が飛んで、二人は警戒しつつも杖を下げた。



「我が“絶魔法”を受けて自我を取り戻すとはなかなかの胆力と魔力操作だな。いつ、意識が覚醒したのだ?」

「死して家族を……開放せよ……」

「我の質問に答えろ。聞く耳を持たぬ者はいらぬぞ」

「くっ……!」



 フォーク・バルドバッドはわずかばかりの命を燃やすかのように、堅実そうな瞳を釣り上げて叫び、杖をゼノ・セラーへ向けた。



「“樹木の弾道弾バリスティック・ティンバー”——強襲アサルトッ!!」



 ゼノ・セラーの前後左右に樹木の砲弾が出現し、重火器並の初速で打ち出された。


 バルドバッド家オリジナル魔法、“樹木の弾道弾バリスティック・ティンバー”——木魔法上級に匹敵する難易度と破壊力を有しており、一メートルの分厚さがある鉄板をも撃ち抜く強力な魔法だ。


 フォーク・バルドバッドは込められる最大の魔力をもってして魔法を放った。

 刺し違えてでもゼノ・セラーを始末するという強い意思が見えている。



「“絶縁インソリューション”」



 が、ゼノ・セラーが何気なく右手を上げると、樹木の砲弾がぴたりと空中で停止した。

 これには歴戦の勇士であるフォーク・バルドバッドも目をむいた。


 凧の糸が切れるかのようにして樹木の砲弾が絨毯へと落ち、魔力を失って掻き消えた。



「ッ——?!」



 驚愕して一瞬だけ怖気づくが、フォーク・バルドバッドは領地数一位の当主であり実力者だ。すぐさま気を取り直し、再度魔法を唱えるべく杖を持つ右手に力を込めた。


 しかし、圧倒的な詠唱スピードでゼノ・セラーが次の魔法を唱えた。



「“死霊の手ゴーストハンド”……」



 フォーク・バルドバッドの足元に禍々しい紫の紋様が走り、ぬらぬらと光る黒い手のひらが現れた。大人一人を楽々の包み込む大きさの“死霊の手ゴーストハンド”が、出現と同時にフォーク・バルドバッドの身体をつかんだ。



「ぐっ………ぐああっ………」



 自分の魔力と生命が削りとられるような途方ない絶望感が全身を襲う。

 フォーク・バルドバッドは苦悶の表情を浮かべ、もがき苦しんだ。魔力を練ろうにも謎の魔法が邪魔をして魔力循環がうまくいかない。



「この……俗物どもが……。だから私は……セラー神国などと……交流は反対……」

「“死霊の手ゴーストハンド”を食らい、まだしゃべるか。よろしい、褒美をやろう」



 ゼノ・セラーは無機質な瞳をフォークへ向けて右手をかざし、見せつけるようにして握りこんだ。“死霊のゴーストハンド”が動きに合わせて獲物をつぶそうとうごめいた。


 骨の砕ける鈍い音が室内に響いた。


 その様子を見ていたゾーイは強力無比な魔法に恍惚とし、シャイルは圧倒されてその場にへたりこんだ。



「ぐああああああっ! あああ………!」

「どうだ、気に入ったか? 苦痛も一定以上味わうと官能へと変わる」

「がああっ…………バ……ルドバッド家を……どうするつもりだ……」

「まだしゃべれるとは……グレイフナー王国領地数1位の名は伊達ではないということか」



 ゼノ・セラーはつまらなそうにそう言って、“死霊のゴーストハンド”へさらに魔力を追加する。


 屋敷中に聞こえるフォーク・バルドバッドの断末魔が上がった。


 しばらくすると、力をなくした彼の腕がだらりと下がり、周囲は奇妙な静寂に包まれた。

 ゼノ・セラーは“死霊のゴーストハンド”を消して、絨毯に放り出されたフォーク・バルドバッドへと魔法を唱える。



「“死霊の葬儀屋アンダーテイカー”」



 フォーク・バルドバッドの全身を包む赤黒い棺桶が現れ、侵食していくかのように彼の肉体すべてを棺桶の中へと取り込んだ。とてつもない魔力の波動がゼノ・セラーから吹き出した。


 数秒すると、“死霊の葬儀屋アンダーテイカー”が消えて、真っ青な顔をしたフォーク・バルドバッドが現れた。事切れたはずの人間が、なぜか絨毯にひざまずいていた。



「気分はどうだ、我が兵隊よ」



 ゼノ・セラーの問いに、フォーク・バルドバッドはうなずいて答えた。



「いい気分です……」

「それは重畳。貴様は明日の魔闘会に出ろ。選手登録と対戦相手は、グレイフナーに潜り込ませた我が兵隊が変更調整する」

「御意……」

「今後、貴様はゾーイの命令をきけ」

「御意……」


 フォーク・バルドバッドは青白い顔のまま、頭を下げて部屋から退室した。


 ゼノ・セラーは何事もなかったかのようにソファに座り直した。

 しばらくしても、何の説明もしない枢機卿にゾーイがしびれを切らして声をかけた。


「恐れ入ります………ゼノ・セラー枢機卿、よろしかったのでしょうか?」


 その一言で意味を読み取ったゼノ・セラーが物憂げに口を開く。


「言うことを聞かぬなら殺して傀儡とすればよい。遅かれ早かれあやつの首は我がかき切った。それが今となっただけだ」

「所詮は捨て駒でございますか」

「バルドバッド家当主は永遠におまえの命令に従う。アレを仕込んでおけ」

「……かしこまりました」


 ゾーイが一礼した。


「ほう……ネズミが逃げたか」

「ネズミ、でございますか?」

「複合魔法使いの発見に、我も少しばかり興奮していたようだ。迂闊であったな」


 ゼノ・セラーは口を歪めて薄く笑うと、それっきり口を開かなくなった。


 ゾーイとシャイルは目を合わせて静かに退室した。


 バルドバッド家邸宅はフォーク・バルドバッドが上げた先ほどの悲鳴で大騒ぎになっていたが、ゼノ・セラーに気にする様子はなかった。





    ◯





「エリィ……さん?」



 クリフが驚きを隠しきれないような顔で目を見開いた。

 瞳が光っているのは魔法を使っているせいだろうか。


 てか顔アツっ!

 これ絶対に顔真っ赤でトマトだろ?!

 おいいいいいい、エリィィィィィィッ、頼むから落ち着けよ!



 よし、深呼吸して……



「クク、クリフ様、あ、あの、ごきげんよう」


 って深呼吸しねえのぉっ?!

 どんだけどもってんのよお嬢さん?!

 やめてえええええ、恥ずかしいからホントにちゃんとしてくれぇ!


 クリフは目をぱちくりさせると、柔らかい笑みを浮かべた。

 さらに心から再会を喜んでいる嬉しげな顔に変化し、エリィの顔がさらに熱くなった。


「エリィさん、こんなところまで来ていただきありがとうございます。私もエリィさんと話したいと思っていたんです。本来であれば真っ先にあなたへ会いに行くべきであったのに……申し訳ございません」

「い、いいんですよぉそんなこと」


 パタパタと手を振るエリィ。

 完全に舞い上がってるな、これ。

 恥ずかしいけど動かないもんはしょうがないし、しばらくはオートモードを楽しむか。


「それより、目が見えるようになったのですね……?」

「ええ、この魔法を使っているときだけは一般男性ほどの視力になるようです。おかげで、エリィさんの美しい顔が見れて嬉しいです」

「ま、まあ……およしになってください……そんな………ぽっ」


 ひいぃぃぃぃっ!

 ぽってなにぽって?!


「ああ、その……すみません。女性に面と向かってこのようなことを言ってしまい……」


 クリフもクリフで照れくさそうに顔を下げた。

 いかん。これは完全にラブ&コメディの波動……!


「ですが、本心からの言葉です。あなたのように美しく、優しい女性は過去にも未来にも現れないでしょう。それに……」


 クリフは一瞬だけ言いよどんで目線を下げ、自分の中で何かを確かめたのか、こちらに目を合わせた。




「私はあなたがどんな見た目であろうと美しいと思います」




「あ………は……はふぃ」




 ……めちゃくちゃ顔が熱い。

 エリィちゃん、「はい」が「はふぃ」になってるYO。


 頼むから顔を上げてくれ顔を! アップ! フェイスアップ!


 クリフも素で口説き文句をバンバン言うなって。

 本人に口説いている意識のないところが始末に負えないぞ。


 俺が叱咤したおかげか、エリィはどうにか十秒くらいで顔をあげてくれ、クリフを見つめた。


 二人は互いに見つめ合い、どこからともなく笑い合った。

 なんだこの青春の一ページ……。


 クリフがおもむろにまばたきをして、息を吸った。


「あのときの昼休みのように、ここであなたに教科書の朗読をお願いできたらどれだけ幸せか………。エリィさん、誰かが来る前に退避してください。ここにいるべきではありません」


 クリフが憂いをはらんだ真剣な表情になった。

 エリィの胸がずきりと痛む。


「我がセラー神国は……どこかおかしい。教皇の孫である私が言うべき言葉ではありませんが、何かを企んでいます。私は神国の監視下に置かれており自由に行動できません。あたなに何かがあったら、私は……」


 クリフは両目を閉じて使っていたらしい魔法を切り、魔力を再度瞳へと込めた。

 すると、金色の瞳が光彩を放ち、キラキラと輝いた。


「クリフ様……」


 エリィが頬に手を当てて、上目遣いでクリフを見つめる。

 その乙女なリアクションやめてっ。


「とある老師からいただいた魔法………あなたと同じ、複合魔法です」

「私と……」


 エリィがうつむき、何かを考えこむポーズを取った。


 エリィの意識が飛んだらしい。

 身体が動く!


 よし、ここからは俺の番だぜ。ラブコメは終わりでございます。

 クリフにはいろいろと聞きたいことがあるんだよ。


「あの、クリフ様。どうして私が複合魔法を使えるとわかったのですか?」

「私が会得した天視魔法“天視スターゲイト”は、相手の使用できる魔法属性と魔力量が分かります。目視するだけで確認できるので、かなり有用ですね」

「見るだけで。あ……だから私の魔法がわかったのですね」

「そうです」


 クリフは微笑を浮かべつつうなずいた。


 くっ……なんてまぶしい笑顔なんだ……。

 両手に頬を当てていやんいやんしたい気持ちになるが、どうにかこらえて言葉をつなぐ。エリィの気持ちに引っ張られると行動が乙女になるから意地でも我慢だ。


「クリフ様、天視魔法は他にどのような効果がありますか?」

「この魔法は魂と光に関係しております」


 クリフはこちらから視線を外して空中を見つめ、しばし考えると、何かを決意したのか大きくうなずいた。


「あの、エリィさん。天視魔法にはもう一つの効果があります。それは——相手の名前、すなわち本名がわかります。確認なのですが……あたなのフルネームはエリィ・ゴールデン、ですね?」

「はい、そうですわ」


 名前が分かる能力?

 偽装とかスパイの看破なんかには有効そうだな。


「大変聞きにくいことなのですが………あなたにはもう一つの名前が浮かんでおります。キョウヤ・コバシガワという名前です。……この名前に何か覚えはありますか?」



「———え」



 嘘だろ?


 どうにか言葉を飲み込んだ。

 エリィを気遣う、真剣な眼差しをしたクリフが見つめてくる。


 一年間、まったく他人から聞かなかったフルネームを急に言われ、心臓の鼓動が一気に速くなった。


 頭の中に東京の景色が駆け巡る。


 シワひとつないシャツにネクタイをしめ、コンクリートに囲まれた都心に向かう自分の姿が焼き付いたシミのように脳裏に浮かびあがる。革靴とアスファルトがこすれる音が耳の奥に反響して、ジャケットの内ポケットから名刺入れを出す自分の腕が、忘れていた何かを思い出すみたいにまぶたの裏を通り過ぎた。


 言われてみれば、相手のフルネームが見えるってことは、まあそういうことだよな。

 さっき、天視魔法は魂に関する魔法だとクリフが言っていたが、それは俺自身の魂も見えているのだろうか?


 気になる。

 聞かずにここから離れるなんてありえない。


 俺が口を開こうとしたとき、独りでに唇が言葉を紡いだ。



「——コバシガワさんは私の大切な人です」



 エリィの可愛らしい声が明瞭な響きをもってクリフに届けられた。



「私を助けてくれた人です。明るくて前向きで、素敵な人です。もしコバシガワさんが世界中を敵に回したとしても、例えどんなことをしたとしても、私はコバシガワさんの味方になります」



 優しいながらも決意の固いエリィの言葉が、俺の全身を包み込んだ。



 ……嬉しい。

 エリィはここまで俺のことを思ってくれてたのかよ……なんだか泣けてくるな……。



 クリフはその言葉を聞いて、安堵したのか緊張の糸を切り、一息吐いて窓枠に手をかけた。


「そうですか……。コバシガワさんは、あなたとともにいるんですね?」

「はい」


 こくり、とエリィがうなずいた。


「それを聞いて安心しました。何か邪悪なものに魂が取り憑かれているなら、どうにかしなければと思っていたもので……」

「心配してくださってありがとうございます。コバシガワさんは邪悪な存在ではありませんよ」


 邪悪なんてとんでもない。

 女の子が大好きな元都内在住のリーマン。

 今は異世界に飛ばされて美少女の中でワーワー言ってるごく普通の男だ。



 くううぅぅっ! 普通じゃねえぇっ!



 とかなんとか言ってるうちにエリィの意識が奥へと引っ込んでくれた。

 エリィが生きていることを確認できるから嬉しいが、いきなり顔を出すのはびっくりするから勘弁してほしい。


「おほん」



 ひとつ咳払いをしてと。



「クリフ様。先ほど魂が、というお話をしておりましたが、私とコバシガワさんの魂が見えるのでしょうか?」

「ええ、見えております」


 クリフが静かに首肯した。

 おお、まじか!


「エリィさんの魂は青色。コバシガワさんの魂は黒色をしております」

「瞳の色と同じなのですね」

「どうやらそのようです。二つは互いを守るようにぐるぐると楕円を描いております」


 クリフはどこか遠くを見るような目で、エリィの胸の辺りを見ている。


 まさか、エリィの胸がでかいからってクリフは——

 あ、なんか今めっちゃエリィに怒られた気がした。


 冗談はさておき。


「あの、魂を……切り離す方法はあるのでしょうか?」

「魂を? そうですね……試したことはありませんが、天視魔法であれば可能かもしれません」

「本当ですか?!」


 キタキタキタキタッ!!

 こいつはキタぜ!


 原理なんぞ知らないが、魂を分離できれば俺はエリィの中から出られるってことじゃんか!


 思わず声を上げると、クリフが笑顔になった。


「わかりました。天視魔法で魂の分離ができないかどうか、チャレンジしてみます。どれくらい時間がかかろうとも、他ならぬエリィさんのためです。必ずやってみせます」

「まあ! クリフ様、さすがですわ!」

「あなたの中にいる、コバシガワさんともぜひお会いしたいですね」

「あ、あの。そうですね!」


 今話しているのがコバシガワだよ、と言うと色々とややこしいことになりそうだから説明はなしにしておく。


 あと、できればクリフには俺達と一緒に行動してほしいところだ。

 クリフがいれば天視魔法の情報交換ができるし、エリィもこの様子だときっと喜ぶだろう。

 どうにかグレイフナーに長期滞在してくれないもんかねぇ。


「あの、クリフ様。ここグレイフナーに——」


 そこまで言ったときだった。

 邸宅の奥から「ぎゃああああああああぁぁぁあああぁっ!」という背筋の凍るような悲鳴が響いた。


 俺とクリフは声のした方向を素早く見た。


 続いて隠蔽魔法からアリアナが飛び出してきた。

 俺達の会話を聞かないように、少し離れた場所にいてくれたみたいだ。



「エリィ、いったん引こう。ポカじいがこの魔力はまずいって…」

「おどろおどろしい波動ね……」


 アリアナはクリフを見ると、検分するようにじっと見つめ、軽く会釈をした。


「エリィさんのご友人ですね? ここから早く逃げてください。あれは、枢機卿の魔力です。何かよくないことが起こりそうです」

「ん…」

「エリィさんのことをよろしくお願いします」

「まかせて」


 無表情に親指を立てて、アリアナが袖を引いてくる。

 どちらからともなく、俺とクリフはうなずき合い、そして同時に踵を返した。



 アリアナの誘導に従ってポカじいの隠蔽魔法の中に入り、俺達はバルドバッド家を脱出した。






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