第209話 エリィとスカーレット①



      ☆



 学校を飛び出したスカーレットは、校外に待たせてある馬車に乗り込もうとした。

 しかし、サークレット家自慢の三頭馬車はどこにもなかった。


「使えない御者ね! あとでクビにしてやるわ!」


 その場で地団駄を踏み、スカーレットは仕方なく徒歩で自宅へと向かった。

 歩いている途中に、鞄を教室に忘れたことに気づいたが、あそこへ戻る勇気が出るはずもなかった。


 グレイフナー大通りは人々が忙しそうに行き交っている。

 歩いていると、頬を叩いてしまった友人の軽蔑する視線を思い出し、スカーレットはリトルリザードに引っかかれるような痛みを胸に感じた。


 怒りや後悔で、視界が赤黒く変色し、頭の奥もぎりぎりと痛む気がしてくる。

 光魔法で治療すればすっきりするかもしれないと思い、ポケットから杖を取り出した。


「……治癒ヒール……」


 動揺しているのか、二回失敗して三回目でようやく詠唱に成功した。

 目の前が光魔法の輝きで一秒ほど明るくなり、すぐに消えた。


 頭部にかけた治癒魔法は何の効果もなかった。

 むしろ、エリィ・ゴールデンが白魔法師協会の実習中に唱えた白魔法““聖光ホーリー”の美しさが脳裏をよぎってしまい、余計に辛くなった。頭はずきずきと痛み、胸が張り裂けそうに苦しく、地に足がつかない浮遊感が全身を包んでいく。


 自分は光魔法中級までしか使えない。

 一方、あれだけデブブスと罵ってきたクラスメイトは上位の白魔法を習得し、才能のある者しか会得のできない浄化魔法まで覚えている。


 スカーレットは激しい劣等感を感じ、ぼろぼろと涙がこぼれた。

 こんな時間に学校を飛び出し、誰も追いかけてきてくれず、一人寂しく家へ向かっている。一歩足を踏み出すたびに否応なくその事実を突きつけられているように思え、寂しさがさらに背中へ覆いかぶさってくる。

 

 彼女は涙を拭こうともせず大通りを進んだ。


 オハナ書店には、エリィ・ゴールデンが総合デザイナーで編集長だという雑誌『Eimy』を買おうと人だかりができていた。人々は嬉しそうに雑誌を広げて「ミラーズに行こう」と言い合っている。


 普段の彼女なら張り倒してやりたい気分になっているが、そんな気は全く起きなかった。スカーレットは負けたボクサーのように、ちらりと特大ポスターを見て、視線を地面に落とした。


 メイドに磨かせているローファーが、地面に溶けてくすんで見える。周囲の喧騒がやかましくて、すれ違う人間が他人であることに、彼女はどこかで安堵した。


 おぼつかない足取りで自宅に帰宅する。

 見れば、親友のゾーイがサークレット家の門前にいた。


「ゾーイ……?」


 彼女の髪型はトレードマークであるおさげスタイルではなく、髪をそのまま胸の前に下ろしていた。意外に髪が長いんだな、とスカーレットはぼんやり思った。


「スカーレット様? 手紙をお渡ししようと思っていたんですよ。……偶然会えてよかったです」


 いつもと変わらぬ気遣いの言葉にスカーレットはようやく我に返った。

 あわてて涙を制服の袖で拭き、恥ずかしさを誤魔化すために金切り声を上げた。


「手紙?! そんなことよりなんで学校に来ていないのよ! 私がどんな思いをしたか分かっているのかしら?!」

「申し訳ございません。所用がありまして……」

「言い訳はいいわ! とにかく話を聞いてほしいの。さぁ、家にあがってちょうだい」


 スカーレットは彼女を促した。

 いつもならついてくるゾーイが、足を動かそうとしない。

 不思議に思い、スカーレットは首をかしげた。


「どうしたの? 早く入りなさい」

「スカーレット様、その必要はありません」

「なに? どういうこと?」


 ゾーイは特徴のない顔に微笑を貼り付けたまま、首を横に振った。

 サークレット家の豪華な装飾門を背に立っているゾーイは、景色に溶け込んでおらず、不釣合いであり、彼女の周囲だけが輪郭に沿って切り抜かれているようだった。


 スカーレットはいつもと違った彼女の話し方に、言い知れぬ不安を感じた。


 ゾーイはサークレット家のポストに入れようとしていた手紙を地面に落とし、杖を出して火魔法“ファイア”で燃やして、ゆっくりと口を開いた。


「もう、必要な情報はいただきましたので、これ以上スカーレット様と一緒にいる理由はございません」

「え? え?」


 スカーレットは目の前にいる友人が何を言っているのか理解できなかった。


「私の言っていること理解できますか? もう一緒にいる理由はありません。そう言ったんです」

「一緒に………いない?」

「はい」

「一緒にいてくれないの?」

「はい」

「ど、どうして?」

「ですから、必要な情報はいただきましたので」

「どういうこと? 分かるように——」

「まだ気づかないのですか? 私はあなたとは友達でも何でもなかったんです」

「え………え………?」


 スカーレットは思い切り冷水を浴びせられたような衝撃を受けた。


 自分とゾーイが友達じゃない?

 彼女は意味不明な呪文を何度も繰り返している気分になり、急激に身体から血の気が引いていった。


「ど……どうし……て……」

「どうしてですって? あなたは本当に物分りが悪いご令嬢ですね」


 ゾーイは不出来な教え子を諭すように言い、はたと気づいたのか両手を叩いた。


「こういう手合いは、わがままで自分勝手、と表現したほうがいいんでしょうか」

「……な、なにを……」

「私はあなたを利用していたんです。あなたが私を家に呼んだ際、度々部屋を見せてほしいとお願いしたことを覚えていませんか?」

「……あ」

「サークレット家の情報が欲しかったのです。ミスリルの保管場所、魔闘会での出場枠と選手の構成。家の内情、分家との関係性」


 大したこと言ってないでしょといわんばかりに、ゾーイは両手の指を折りながら何気なく話す。


「………な……ん」


 スカーレットはあまりのショックでぎゅうと喉が締め付けられ、うまく言葉を出すことができなかった。


 思い返せば、ゾーイはやけに書斎や金庫のある部屋を見たがった。

 ただの好奇心だと思っていた。


「………」


 いつでも自分の言葉を真剣に聞いてくれたゾーイは、もうどこにもいない。

 他人を貶めて楽しんでいた歪んだ友情ではあったが、スカーレットは確かに彼女の間に友情を感じていた。それが本当だと信じて疑わなかった。


 だが、グレイフナー魔法学校での生活は、すべてがまやかしであった。


 ゾーイはサークレット家に近づき、情報が欲しかっただけ。

 他の取り巻き連中はサークレット家の財力に目がくらんで金魚のフンのごとく付き従っていただけ。

 自分中心に回っていた世界は自分がまぬけに回されていただけ。


「あ……あぁ……」

 

 スカーレットは全身から力が抜け、膝から崩れ落ちた。

 自分の思い描いていた世界は、何の意味もない抜け殻だった。


「わがままの代償ですね」


 ゾーイはにべもなくつぶやいた。


「あなたと友人でいるなら、芯のある女子生徒のエリィ・ゴールデンと行動を共にしていたほうがよほど有意義な学生生活を送れたでしょう。いかに命令といえど、下品な行いでしか自分の存在意義を提示できないあなたといることは苦痛以外の何物でもありませんでした。ああ――思い返せば、エリィ・ゴールデンには悪いことをしましたね……いつか謝罪をしないといけません。機会があれば、ですけれど」


 淡々と語る彼女には、謝罪する気など見て取れない。

 ゾーイは周囲に人影なないことを確認し、おもむろに制服のポケットから先程とは別の杖を取り出して、魔法を唱えた。


「“化粧姫の顔プリンセスモンタージュ”」


 一分ほどで唱えたその魔法は、木魔法上級の派生系であった。

 かつてポカホンタスが使った透視魔法“暗霊王の眼クレアボヤンス”と同等レベルの高難易度魔法であり、自身の記憶している他人の顔を模写し、擬態する効果がある。


「入学からの長い付き合いですし………最後ぐらい本当の顔をお見せします」


 ゾーイがそうしゃべっている間も、顔の形が奇妙に歪んで変形していく。

 “化粧姫の顔プリンセスモンタージュ”は失われし魔法であり文献にしか残っておらず、危険性と有用性からグレイフナー王国では禁魔法として認定されていた。詠唱呪文を発見次第、ただちに報告する義務があった。


「あなた………誰なの?」

「誰? ゾーイですよ」

「そ、その顔……」


 スカーレットは顔が入れ替わったクラスメイトの表情を見て背筋が凍った。

 彼女の顔は特徴のなかったぼやけたものではなく、一度見たら忘れないような別人の顔へと変貌していた。


 彫りは浅く、鼻が突き出ており、瞳は黒目が八割を占めている。

 森に住む妖精と言われれば納得してしまうような、ノスタルジックな顔立ちであり、眉毛の形や唇の輪郭がかろうじて親友であったゾーイの面影を残していた。

 しかし、彼女を見て“ゾーイ”と呼ぶ者は誰もいないだろう。


「魔法大国、グレイフナー王国で偽装が露見しなかったのは『アーティファクト』のおかげですね」


 ゾーイに化けていた“誰か”は、漆喰の古ぼけた杖を見てぽつりと言った。


「長かった潜入任務もこれでようやく終わりですか……。終わってみると、存外寂しく感じるものですね。わざと特徴のない顔にしたことを最初は疎ましく思っていたんですが、慣れてしまうと人間は環境変化を煩わしく思う気持ちが先行するのかもしれません。どうです? そう思いませんか?」

「……」

「そうですね、聞いた私がまぬけでした。スカーレット様には分からないでしょうね」


 ゾーイはポケットからハンカチを出して近づくと、涙で濡れたスカーレットの顔を丁寧に拭いた。

 スカーレットは何も考えられず、されるがままになった。


「それではさようなら、スカーレット・サークレット様。またどこかでお会いすることがあるかもしれません。その際はグレイフナー流にハイタッチでも交わしましょう」


 ハンカチと杖をしまい一歩下がって軽く礼をすると、ゾーイは微笑み、踵を返そうと足先をグレイフナー大通りへと向けた。


「……待って! ま……ってちょうだい……!」


 スカーレットは弾かれたように立ち上がって叫んだ。

 その声にゾーイが足を止めた。


「あなたが……ゾーイじゃないことは……分かったわ。でも、私達が学校で話していたことや、一緒にいたことは……」

「もちろん演技ですよ、スカーレット様」

「で、でも……!」

「エリィ・ゴールデンにやけに噛み付いていたのはあなたのお気に入りになるためです」

「な………ぁ………」

「もうよろしいでしょうか? これからサークレット家は大変になるかと思います。気を強くもって健やかにお過ごしください」


 スカーレットは呼び止める気力をすべてなくし、また地面にへたり込んだ。




「………セラール」




 ゾーイは小声でつぶやき、振り返りもせずに路地を曲がって、姿を消した。


「あぅ………ひぐっ………」


 スカーレットは涙が止まらなかった。

 自分の世界が崩れていく。

 真っ暗な世界に放り込まれた感覚が全身を支配していった。



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