第185話 オシャレ戦争・その19


 グレンフィディックとの会合の日になった。


 約束は午後六時なので、それまで首都グレイフナーの五番街にある噴水広場で撮影ロケをし、コバシガワ商会に戻って各縫製店とのやり取りを確認する。デニム生地とメソッドの生地が大量に入荷されたので、細かい指示を出しておかないと雑誌発売までに服が間に合わない。


 ざっくりとした進行状況は、雑誌の進捗が50%、洋服の進捗が40%といったところだ。


 雑誌は四万部を目標にしているので、ガンガン“複写コピー”で印刷をしていく。四十二ページの雑誌が四万部だから、しめて百六十八万回の“複写コピー”が必要だ。火魔法使いは総勢で三十人雇った。一人頭五万六千回の計算になるな。


 余剰資金で、魔力補充をするマンドラゴラ強壮剤を大量購入しておいた。


 そのせいか、時折上の階から「はははは! “複写コピー”だぁ!」とか「我、印刷の化身! “複写コピー”!」など意味不明な掛け声が聞こえる。強壮剤のせいでテンションがおかしなことになっているらしい。

 スルメの弟、黒ブライアンと、スルメの家臣、おすぎも大活躍だ。経験者の彼らが積極的に印刷版の指揮を取っている。


 本日の会合についてはすべての従業員が知っている。

 もちろん母アメリアと父ハワードにも伝えてある。


 ゴールデン家の面々が会合に参加するかは不明であるが、少なくとも長女エドウィーナと次女エリザベスは仕事が終わり次第その足でここに来るらしい。二番街にあるコバシガワ商会と、一番街にある魔導研究所は歩いて十五分ほどの距離だ。


 近場なので来やすいということもあるが、二人がここへ来る一番の理由はグレンフィディックの謝罪する姿をその目で見たいからだ。


 じじいが謝ると決まったわけではない。だが、俺の交渉がうまくいけば謝罪を引き出せる可能性はある。

 その場の流れ次第ってとこだな。


「向こうは何人で来るのかしら」

「ご当主グレンフィディック様と、執事のジャック様の二人のみ、とのことでございます」

「あら、二人だけなのね」

「わたくしも大勢で押しかけてくると思っておりましたので、意外でした」

「どちらでもいいんだけどね。では、メインフロアの応接スペースを使いましょう」

「お嬢様のお心遣いに感謝いたします」


 クラリスは完璧なメイドの礼をし、こちらに向き直った。

 メインフロアにある応接スペースは、観葉植物で区切られているだけだ。そのため、フロアで仕事をしていると中の話し声が薄っすらと聞こえる。


「我々もお二人の対談を聞きたいと思っております。従業員は全員、激怒するアメリア奥様の姿を忘れておりません。その原因であるグレンフィディック・サウザンドという男をこの目で見て、何を話すのか、知りたいのです。そしてお嬢様と、お嬢様のお母様であるアメリア様に害があるのであれば全力で戦うつもりでございます」

「それは、魔法的に戦うって意味じゃないわよね」

「両方です。魔法でも、ビジネスでも」

「ここで決闘騒ぎはダメよ。……といっても聞いてくれなそうね。そうならないよう努力するわ」

「お嬢様はいつも努力しておいでです」


 クラリスが一礼する。


「応接スペースを少しばかり拡張しておきます。ソファを二脚ほど追加しておきましょう」

「そうね。お母様が来てもいいように」

「はい。奥様がいらしてもいいように」


 とは言ったものの、母アメリアが会合に現れるとは思えない。


 エイミーとエドウィーナはアメリアをグレンフィディックに会わせたくないのか、万が一鉢合わせる事態を考慮し、会合の日程を伝えるべきではないと俺に主張した。

 エリザベスは、分からない、とただ困惑していた。


 俺としては、アメリアとグレンフィディックはどんな形であろうと一度会うべきだと思う。親子が同じ街に住んでいるのに会話もしないとは寂しいもんだ。そして何より、グレンフィディックは男として、父親として、アメリアに謝罪するべきだろう。許しを乞うのではなく、誠心誠意謝罪するのだ。


 そうしないことには二人とも過去に引きずられたままだ。


 エイミー、アリアナ、パンジーも会合には出席する。

 向こうがどう出てくるのか牽制しつつ、まずはパンジーの成長ぶりをグレンフィディックへ見せつけてやろう。少しは己を省みてくれればいいが。



    ◯



「お嬢様、グレンフィディック様が到着いたしました」


 第一会議室で洋服のコーディネートについて話し合っていると、ドアがノックされた。

 俺とアリアナ、エイミー、パンジーは顔を見合わせる。パンジーはかなり緊張しているのか、表情を硬くした。


「あらそう。行きましょ」


 できるだけ気軽な調子で言い、四人で部屋を出る。


 作業台や事務机が並べられたメインフロアにいる従業員達は立ち上がり、じっと入り口を見ていたが、俺達が会議室から出てくると一斉にこちらへ視線を向けた。


 従業員に笑いかけながら進み、入り口に立っているグレンフィディックとジャックの前まで歩いて、レディの礼を取る。


「本日はご足労いただき誠にありがとうございます」

「ああ、うちの執事がどうしてもと言うのでな。執務の時間が運良く空いていたので寄らせてもらった」


 少しやつれた表情のグレンフィディックが、言い訳がましく言葉を並べる。俺の右後ろにいるパンジーを見つけると、双眸を開き、わずかに瞳を揺らした。


「あまり時間がない。話とやらを聞こうか」


 広い額には深い皺が刻まれ、彼は何かをごまかすように肩をすくめてみせる。


「まあ、それはいけませんわね。では奥の応接ソファまで参りましょう」


 商会の主としてグレンフィディックとジャックを案内する。

 振り返る瞬間ちらりとジャックを見ると、目礼を返してきた。グレンフィディックをここまで引っ張り出してきたのは彼の功績だ。


 俺が先頭に立ち、グレンフィディックとジャックが続き、アリアナ、エイミー、パンジーがその後ろを歩く。すれ違う際、従業員が恭しく頭を下げる。グレンフィディックに下げているのではなく、俺に対して礼を取っているのだろう。あまり敵意をむき出しにされても困るから、体裁が取れてちょうどいい。


 葉が覆い茂る観葉植物が二重に置かれ、メインフロアと区切られた応接スペースへと入り、ジャックと俺は向かい合ってソファに座った。他のメンバーは横に控えた。


「ずいぶんと物々しいですわね」

「ほう。もう気づいたか」

「これだけ建物の前に魔力が集まれば、誰だって気がつくでしょう」


 どうやらグレンフィディックはこの建物の入り口に、私兵を数十人並べているらしかった。


「私を誘拐するつもりですか?」

「いいや、その逆だ。わしがおぬし達に攻撃されるかもしれんからな」

「まあ。私がそんな野蛮人に見えますの?」

「見えぬな。だが、わしは六大貴族の当主。当然の備えだと思うが……?」

「否定はいたしませんわ」


 こちらへの威圧と、サウザンド家当主としての見栄で私兵を連れてきたんだろう。

 クラリスが紅茶を人数分淹れ、俺の耳元で「白魔法師が外に二十名おります」と囁いた。


 首都グレイフナーでも白魔法師は貴重な存在だ。それを二十名も連れてくるとは、サウザンド家の威光がどれほど強いのかうかがえる。


「グレンフィディック様、ご紹介致しますわ。私の姉、エイミー・ゴールデンです」


 話を切り替えるため、エイミーを紹介した。


「ごきげんよう。ゴールデン家三女、エイミー・ゴールデンでございます」


 エイミーが完璧なよそ行きモードで粛々とレディの礼を取る。

 これは怒っているときのエイミーだ。さすがのエイミーも、グレンフィディックの態度には腹を据えかねるらしい。


 グレンフィディックは検分するようにエイミーを見つめ、鷹揚にうなずいた。


「エリィと似ているな。目元がそっくりだ。美しい」

「はい。私の自慢の姉ですわ」

「並ぶと黄金の女神が並んでいるように見えるな。二人はさぞ仲がいいのだろう。しかし、残念な話ではある。エリィは今日をもってゴールデン家の人間ではなくなるのだからな」

「……何を仰っているのかしら?」

「なに、言葉どおりだ。おぬしは今日からサウザンド家の人間だ」


 グレンフィディックはソファから身を乗り出して、肘を両膝に置き、手を組んだ。

 背後にいるジャックが困惑した顔をする。

 横にいるエイミー、アリアナは怪訝な表情を作り、パンジーは驚いて口元を手で隠した。


「やはりおぬしはサウザンド家に必要な人間だ。今日会って、確信した」


 グレンフィディックは灰色の怜悧な瞳をこちらにぶつけ、探るように見つめてくる。


「そのあまりある才能をサウザンド家で使ってみたいとは思わないか? ゴールデン家より資金は潤沢にあり、使える人材も豊富だ。洋服に必要な綿の供給も行っている。この条件が揃っていれば、ここまで苦労することもなかったはずだ」

「苦労させられたのはあなたのせいですわ、グレンフィディック様。私はゴールデン家の人間です。養子に入るなど、お父様とお母様が許さないでしょう」

「納得させれば我が家に来るのだな?」

「いいえ。例えこの大地が逆さになったとしても、あなたの養子にはなりません」

「ならば強引な手段でこちらに来てもらうまでだ」


 グレンフィディックは背をソファへもたれさせ、腕を組んだ。


「綿の流通を動かす。ここまで言えば聡いおぬしならどうなるか分かるであろう」

「……そういうことね」


 このじじい、改心するどころか徹底的にやるつもりだ。

 これ以上エリィに嫌われても意に介さないらしい。


 はっきり言って最悪のパターンだ。綿を押さえられている以上、ミラーズとコバシガワ商会に付いている店すべてが被害を被る。こちらの傘下にある店に、綿を高く売りつけ、経営を立ち行かなくさせるつもりだ。


 いくら新しい服が売れているからといって、今より値段が跳ね上がったら客足は遠のく。そこを、後追いの服飾店につけこまれれば、間違いなくミラーズは潰れる。


「話は以上だ。何か言いたいことはあるか」


 グレンフィディックはこちらをじっと見つめる。

 彼は酒の飲み過ぎでやつれ、顔色も良くない。一見すると自信ありげな雰囲気に飲み込まれそうになるが、己の発言を妄信者のごとく信じ、それに縋り付いているようにも見える。


「ないなら、書類を持ってこさせよう。私が言えば手続きはすぐ済む。エリィは今日限りでゴールデンの名を捨て、サウザンドになるのだ」

「おじい様!」


 グレンフィディックの声を遮り、パンジーが大きな声を出して、一歩前に出た。


「これがおじい様がしたかったことなの!? 自分の孫であるエリィさんをこんなに困らせて一体何が楽しいの!? おじい様はもっと寛大で、お優しい方よ!」


 パンジーはスカートを握り、しっかりと自分の祖父を見つめ、そして睨んだ。前髪を切った彼女の視線をまともに受けたグレンフィディックは、わずかに片眉を上げた。


「おじい様はいつも私を可愛がってくれた。魔法だって教えてくれたし、忙しい時間を縫って勉強も見てくれた。私が泣き止まないときは、自分の若い頃の失敗談を話して笑わせてくれた……。私の好きなおじい様はどこに行ってしまったの? ねえジャック、教えてよ。私の……おじい様は……どこに行ったの?」


 涙声で話すパンジーを見て、グレンフィディックの背後に立っているジャックが悲痛な表情を作る。


「ねえジャック! 答えて! 私のおじい様はどこへ行ったの?!」

「パンジーお嬢様……」


 手を固く握りしめ、ジャックは苦悶の声を漏らす。

 無表情を作っていたグレンフィディックが、おもむろに口を開いた。


「パンジー、私と家に帰るんだ」

「いやっ!」

「おまえが明るくなったことには……礼を言おう。しかし、エリィはサウザンド家で貰い受ける。それは変わらん。決定事項だ」

「いやっ! 私、帰らない! おじい様はエリィさんがどれだけ家族を好きなのか知らないんだわ! だからそんなひどいことを平気で言えるのよ!」

「わしもエリィを愛しているぞ。ひと目見た瞬間からな」

「それならこんなことやめて! お願いよ! やめてくれるなら家に帰るから! だからもうエリィさんをいじめないでっ!」


 パンジーは両目を真っ赤にし、ぽろぽろと涙を流してグレンフィディックに詰め寄った。

 だがグレンフィディックは変わらぬ調子で首を横に振った。


「やめぬ。エリィはこうなる運命なのだ」


 自分を曲げない祖父の反応を見てパンジーは頭に血がのぼったのか、テーブルにあったシュガーポットを無造作につかみ、グレンフィディックへ投げつけた。


 角砂糖が宙を舞い、蓋とポットがグレンフィディックへ飛んでいく。


 彼にぶつかる前に、素早く蓋とポットをつかんだのは、ジャックだった。グレンフィディックは当然のようにそれを見つめ、表情一つ変えない。


 ばらばらと角砂糖が床に落ちる音が響く。

 ジャックはゆっくりとソファの後ろからテーブルの前へ回り込むと、つかんだシュガーポットを元の位置へ戻し、そのまま床にひざまづいた。


 グレンフィディックが何事かと目を少し見開いた。


 ジャックは頭を垂れたまま、はっきりとしたバリトンボイスを発した。その声は力強く、迷いがなかった。


「旦那様。今日を持ちましてサウザンド家の執事を辞めさせていただきます。孤児であった私をいっぱしの人間へと育ててくださった御恩はこのジャック、一生忘れません。私のようなどこの出自かも分からぬ人間を友人のごとく扱ってくれたグレンフィディック様は、男気溢れるお方でございました。弱き者を助け、強き者に立ち向かう、男の中の男でございました。決して自分の愛する孫娘を泣かせるようなお人ではございませんでした」


 ジャックは立ち上がり、パンジーのもとまで歩いて彼女の涙をハンカチで拭った。

 パンジーはあまりの驚きで怒りが吹き飛んだのか、放心状態でなすがままだ。


 彼女の話では、ジャックはグレンフィディックに五十年以上仕えていると聞いている。

 ジャックが主を見限るなど、露程にも思っていなかったらしい。


「私の知るグレンフィディック様は残念なことにお隠れになってしまったようなので、グレンフィディック様らしきあなた様に伝えさせていただきます。今まで良くしてくださり、誠にありがとうございました」


 ジャックはグレンフィディックに向き直ると、右手を胸に当て、執事の礼を取った。


「今後はパンジーお嬢様とエリィお嬢様に仕えさせていただきたく存じます」

「おぬし……それがどういう意味か分かっているのか」


 グレンフィディックは動揺と怒りで顔を歪めた。

 ジャックの決断はグレンフィディックに相当の衝撃を与えたらしく、保っていた平静を乱し、テーブルを思い切り叩いた。


 ティーカップが飛び跳ね、大きな音が鳴り、パンジーとエイミーがびくりと肩を震わせた。

 アリアナは俺を守るつもりなのか無表情でこちらへ移動した。


 商会内から微かに聞こえていた仕事の音が一斉にやみ、しんと周囲が静まりかえった。


「おぬしを拾い上げた大恩を忘れ、わしを見限るというのか! わしに誓った忠誠を忘れたとは言わせぬぞ!」

「あなたはグレンフィディック様ではございません。ただの腰抜けです」

「なにっ……!」


 ジャックの言葉にグレンフィディックは顔面を真っ赤に染め上げ、勢いよく立ち上がった。


「貴様……執事の分際で暴言を吐くとは……」

「ですから申し上げたではないですか。もう私はあなたの執事ではございません」

「黙れ! この薄情者が!」

「あなたに何を言われようとも、私の意思は変わりません」

「ジャック、許さぬぞ!」


 グレンフィディックが怒りを露わにし、腰に差した杖へと手を伸ばしたそのときだった。


「何事なの!」


 全員が声のする方向へ顔を動かした。


 応接スペースに飛び込んできたのは、エドウィーナとエリザベスだった。

 彼女達は杖を構え、俺達へと視線を滑らせた。


「会合があると聞いて来てみれば、言い争いの真っ最中とはね」


 呆れた顔でエドウィーナが豪奢な金髪をかき上げた。


「エリィ、大丈夫なの?」


 きつい口調でエリザベスが言い、吊り目をさらに吊り上げて俺を睨んでくる。

 彼女特有の心配したときの表情だ。知らない人が見たらエリザベスが怒っていると勘違いするだろう。


「大丈夫よ」


 二人に笑いかけ、両手を広げてみせる。

 するとエドウィーナが豊満な身体を揺らしながら応接スペースへ入ってきて、優雅に一礼した。


「ごきげんよう。わたくし、ゴールデン家長女、エドウィーナ・ゴールデンと申します。妹がずいぶんとお世話になっているようですわね、グレンフィディック・サウザンド様」


 そう挨拶されたグレンフィディックは、エドウィーナのことなどまるで見ていなかった。

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