第108話 イケメン砂漠のハーヒホーへーヒホー③


 俺っちは生まれて初めて職務放棄した。

 門番は門に張り付いているのが仕事だ。だが、俺っちは頭のてっぺんからつま先まで魔法をかけられたように、ふらふらと白い二本の何かを追って西門から離れた。


 この世にあんな美しいものが存在するってことを、今日初めて知った。


 すらりと伸びる悩ましげな美脚は、健康的でありながら蠱惑的なフェロモンを放っている。尻しか隠していない短すぎるズボンは、形のいいヒップに押し上げられ、一目でも見れば自然と口元がだらしなく半開きになった。くびれた腰が、たまらなく、いい。


「ああ…エリィちゃん……」


 彼女のあとを追って俺っちは歩く。鼻の両穴からは熱い液体がしたたり落ちているようだが、拭う気になれないほど頭がどうにかなっている。


 ガシャーーン、とどこかでエリィちゃんに見惚れた奴が食器を落とす。

 パパパパパリーン、と西の商店街の雑貨屋店主が、両手で持っていた五枚の皿をじょうろで花壇に水をやるみたいに落として割る。

デート中だった若い男がエリィちゃんに釘付けになり「は……ほひ……」と鼻を両手で押さえるが「いたたたたっ」と彼女に耳をしこたま引っ張られ、それでもエリィちゃんの胸元から目を離さないので彼女のビンタを食らい、ぱぁぁん! という小気味いい音を商店街に響かせる。

 さらには馬車に荷を積んでいた商人の男がエリィちゃんとアリアナちゃんを見て驚愕し、股間と鼻を押さえるという不格好な姿で、ドンガラガッシャーンと馬車から転げ落ち、その音にびっくりした馬がヒヒーーンと叫ぶ。

 絶賛彼女募集中、と昨夜酒場で管を巻いていた鍛冶屋のおっさんが開店準備中にエリィちゃんの生足を見て、意味不明に「ぬおおおおおおおおおおおおおおっ!」叫んで手に持っていた看板を地面に叩きつけ、その叫びを聞いて何事かとあわてて外に飛び出した鍛冶屋の親友である宿屋の店主が「うわあああああああああああああっ!」とアリアナちゃんを見て頭を抱えると両穴から鼻血を出して気絶し、近くにいたらしい臆病者のヒーホー鳥が驚いてヒーホーヒーホーと呼吸困難を起こす。


 阿鼻叫喚、地獄絵図、とはこのことを言うんだろう。

 エリィちゃんとアリアナちゃんが道を歩くだけで、破壊された物が散乱し、気絶者が多数転がる。出血多量で意識が朦朧としている男どもが、アンデッドモンスターのように不気味なうなり声を上げてのたうち回っていた。


 新鮮な生肉に吸い寄せられるデザートスコーピオンのように、まだ動ける商店街の男たちはエリィちゃんとアリアナちゃんの後をふらふらと追う。


 俺っちはエリィちゃんがたこ焼き屋の前でギランの旦那たちの持ちネタ「どうぞどうぞ」を披露され、満面の笑みでころころと笑う姿を見た。


「て、てんし……??」


 心臓と下半身に熱いパルスが駆け抜け、鼻から血まみれのウォーターボールが噴き出ると俺っちの意識が母ちゃんの子守歌を聴いて眠りにつくときのように、ふっつりと断絶した。



   ○



 冒険者協会についた俺とアリアナはカウンターで受付を済ませた。

 協会内はこれから試験を受ける冒険者数百名と、応援に来ている町民、賭けに興じる客でごった返している。


「あ、ジャンジャーン! クチビールゥ!」


 二人を発見したのでアリアナと手を振って呼んだ。


「エリィちゃんハ―――ロッ!!!?」

「エリィしゃ――――んっっ!!!??」


 先に受付を済ませたらしいジャンジャンとクチビールが、俺の姿を見て股間と鼻を押さえる、という器用な動きをする。

二人はくるっと踵を返し、人混みの奥へと消えた。


 あかん……。

 ちょっとこの服装は刺激が強すぎるのかもしれない…。


 いや、もともと好感度が高い二人だから、可愛いって思ってくれたんだろうな。他人が見てあんな風にはならないだろうよ。さすがにエリィが超絶可愛いっていっても、なあ?


「これはこれは、何とも刺激的な服装だね」

「あらアグナスちゃん。ハロー」


 竜炎のアグナスが赤いマント、赤い鎧に身を包んで、人混みの合間を縫いながらこちらにやってくる。

 後ろにはパーティーメンバーである、神官服のような服を着た大柄な男『白耳のクリムト』、中肉中背で刀を背負ったターバンの男『裂刺のトマホーク』、背の低いマント姿の男『無刀のドン』がの三人が控えていた。なぜか全員、鼻を押さえている。誰か屁でもこいたのだろうか。


「例の件だけどね、僕が知り合いの冒険者達に声をかけておいたよ。ジェラの上位ランカーが軒並み救出部隊に参加してくれることになった」

「まあ! ありがとうアグナスちゃん! さすがトップ冒険者ね!」


 嬉しくなって自分の両手を組み合わせ、胸のあたりへもってきて、にっこりと笑った。


「ふふっ。君はどうやら男泣かせのレディに変貌したようだね」

「ん? 何かしら?」

「いやいや、何でもないさ。あとは魔改造施設が特定できれば作戦開始だ」

「それがね、今日わかったのよ」

「本当かい?」

「ええ!」


 うなずいて、ポケットから地図を取り出すと、アリアナが受け取ってフリーになっているテーブルへ広げた。周囲にいる冒険者たちが遠巻きに俺たちを見ていることが視線でわかる。男はなぜなのか、ほとんどが鼻先を指でつまんでおり、女はアリアナを見て目を輝かせている。


 くんくん。

 別に臭くはないなぁ。


 にしてもアリアナの可愛さは女性にはたまらないだろう。

 お人形さんみたいだもんな。


 ひとまずギャラリーは気にしないことにし、エリィの美しい指で、ポカじいがつけてくれたバッテン印を指さした。


「ここよ」

「ここは…」


 地図の印を見たアグナスが、難しい顔を作る。


「まさか『空房の砂漠』とはね…」

「くうぼうのさばく?」

「砂地獄が多数存在していて、足を踏み入れると帰ってこれない、と言われているんだよ」

「あら……でも行くしかないわよ?」

「敵さんも物資の輸送をしているから安全なルートがあるはずだ。知っている人間がいるかもしれない。クリムト」


 白い神官風の服を着たクリムトがうなずいて、人混みをかき分けながら協会の奥へ続く階段を上がっていく。よぼよぼのジェラ支部長に聞くのかもしれない。たしかに年は取っているし、冒険者協会の支部長になるほどの人物だ。色々と知っているだろう。


「エリィちゃん! エリィちゃんいるぅ!?」


 突然、入り口のスイングドアが勢いよく開いて、コゼットがドクロを揺らしながら冒険者協会に転がりこんできた。

 なんだろう。

俺とアリアナはコゼットに駆け寄った。


「どうしたのコゼット?」

「大変なの! 原因は不明なんだけど、西の商店街にいた男の人が何人も鼻血を出して倒れちゃったの!」

「なんですって!?」


 えらいこっちゃ!

 新種の疫病とかだったらまずいな。


「アグナスちゃん、またあとで話しましょう」

「わかったよお姫様。試験の時間までには戻ってきなよ」

「もちろん。でも患者さんが優先よ」

「君ならそう言うと思った。僕が協会に口利きしておくから多少なら遅れても大丈夫だよ」

「ありがと! 行きましょアリアナ!」

「うん」


 協会を出て、患者が収容されている西の治療院へ急いで向かう。

 途中でコゼットが豪快に二回転んだので、二回とも“治癒ヒール”で回復し、すぐに走り出す。

 走っていると、なぜか後方から、皿の割れる音や物をひっくり返す音が聞こえてくる。ほんと今日のオアシス・ジェラは騒がしいな。きっと冒険者協会定期試験のせいだろうな。


 西の治療院に到着し、バンと扉を開けた。


「みんな安心してちょうだい! 順番に看るから具合の悪いひとから順番に並んでちょうだいねっ」


 患者を安心させるように、笑顔で院内を見回した。

 エリィの可愛らしく神秘的な笑顔だ。落ち着いてくれるだろう。



ブーーーーーーーーーーーーーッ!!!!



 患者数十人の鼻から、ウォーターボールみたいな勢いで鼻血が噴出し、壁、窓、床、ステンドグラス、治療ベッドに吹き付けられ、院内がスプラッタ映画さながら血みどろの惨状になった。


 ひいいいいいいいいっ!!

 なんじゃこりゃあああああっ!!!


「きゃああああああああっ!」


 コゼットが大量の血を見て気絶し、ドクロが頭から転がり落ちて血の海で回転する。


「エリィ…!」

「わかってるわ」


 コゼットに“治癒ヒール”をかけて院内の隅へ運んで寝かせ、身体強化を使ってアリアナと患者達を急いで治療院の中心に集め、魔力を高速循環させる。


「あの灯火を思い出し、汝願えば大きな癒しの光になるだろう……“癒大発光キュアハイライト”!!」


 範囲型回復魔法“癒大発光キュアハイライト”が患者たちを包み込む。

 失った血は戻らないが、体力は回復する。


 数十名は息も絶え絶えだが、何とか一命を取り留め、危機は過ぎ去った。

 あぶねーーっ。てかこれ原因なんなの?

 疫病とかだったら結構やばいよな。


「あら…西門の門番さん?」

「エリィ……ちゃん………ううっ……」

「だいじょうぶ?!」

「ああ、大丈夫だ…」

「無理に起き上がったら駄目よ」


 すぐに駆け寄って、門番の背中に太ももを入れ、頭を右手で支える。


「ううううっ!!!」

「なんてこと!」


 ぶばっ、と門番の鼻からまたしても大量の鼻血が飛び出した。

 いかん、このままだと死んでしまう!

 門番の頭を太ももに乗せ、急いで魔力を練り上げた。


「親愛なる貴方へ贈る、愛を宿して導く一筋の光を、我は永遠に探していた……“加護の光”!」


 白魔法中級“加護の光”が発動すると、光の柱が天井へ突き抜けるようにして直進し、俺と門番を包み込む。魔法の風圧で金髪ツインテールが上方へ持ち上がり、ゆらゆらと揺れた。

 上位中級魔法なら多少の血は取り戻せる。


「う、うつくしい……」

「しゃべっちゃダメよ」

「エ、エリィちゃん……もう………その………ふ…」

「しゃべらないで。安静にしていれば大丈夫だから」


 門番は口をぱくぱくさせて、何かを必死に訴えている。

 只ならぬ雰囲気を察し、彼の口元へ耳を近づけた。


「もう………その服で…………出歩いちゃあ…………いけない……」

「それは…どうして?」

「君が…………あまり、にも……………………かわいい…………から……………みんな……………こんなことに……」

「えっ?」

「おれの…………頭の……下にある………ふとも………ふとも…………」

「ふとも?」

「ふ………ふともも………が………………鼻血の………原因……………だッ」


 言い切ると門番は、がくっ、と力尽きた。

 エリィの太ももに埋もれた門番の顔は、特化商材を見事売り切ったセールスマンのように、満足げで幸せそうだった。


 何だか恥ずかしくなってきて、すぐに太ももを門番の頭から抜いた。ごん、と彼の頭が床にぶつかる。


「あのー、アリアナ……私ってそんなに魅力的かしら……?」


 鞭の柄で門番の顔をぐりぐりやっているアリアナにたまらず尋ねた。

 見ただけで男達が鼻血ブーするぐらい可愛いとか、信じられん。グレイフナーじゃ、ブス、デブ、って言われ続けたんだぞ。そりゃないだろーさすがに。


「かわいい……私ですらおかしくなるぐらい…」

「はははははは…」

「このスケベな人たちは、二度とそういう気持ちにならないようにしておくね…」


 俺の乾いた笑いを聞いて、アリアナが優しげに口角を上げた。


「混沌たる深淵に住む地中の魔獣。我が願いに応え指し示す方角へ己が怒りを発現させよ……ギルティ――」

「ストップストーップ! 重力魔法なんて使ったらトドメの一撃になっちゃうわよ」

「だめ?」

「だーめっ!」

「わかった…」


 アリアナが渋々といった様子で魔法を止めたところで、入り口がバンと開き、ジャンジャンとクチビールが入ってきた。


「うわぁ! これはひどいっ!」

「な、なんでしゅこの血だまりは!」

「ねえねえ二人とも。私ってそんなに可愛いかしら?」



 呆然と院内を見るジャンジャンとクチビールに向かって、ツインテールを両手でふわっと上げて、腰に左手をつき、右手を太ももに乗せ、前屈みになって胸を寄せ、軽くウインクしてみる。



「………………………………うっ」

「………………………………でしゅっ」



―――ブシャア!!!



 二人の鼻から血まみれのウォーターボールが飛び出し、ジャンジャンは前のめりに、クチビールは仰向けにぶっ倒れた。



 あかん……。

 しばらくショートパンツは封印だな……。



「全員、有罪…」



 アリアナがぽつりと呟いて、重力魔法“断罪する重力ギルティグラビティ”を詠唱し始めた。




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