最終話 人の心 鹿山知恵編その5

あれから数日後。

俺はその間、鹿山にも宮本さんとも、話すことはなかった。

後は彼女たちが解決する問題だ。

当事者ではない無関係な俺が、安易に首を突っ込んでいい問題ではない。

逸る気持ちを抑え自制しながら、俺は悶々とした日々を過ごしていた。

授業が終わった後の、10分の休み時間。

用を足して便所から出ると、待ち構えるかのように鹿山が立っていた。

何事かと視線を向けると、すぐさま視線を下に落とす。

恨み言の一つでも漏らすかと身構えたが、そうではないようだ。

すれ違ったのは、単なる偶然か。

塗れた手をハンカチで拭きながら、横を通り過ぎようとすると


「夕方。あの子と会いに、一緒に来てほしいんだけど」


と呟いた。

いきなりのことに困惑した俺は


「どういう風の吹き回しだ。何か裏がありそうで、信用ならないんだが」

「フン、やっぱりそういうと思ったわ。もうアンタには頼まないから」


と聞き返す。

ツンツンしていて、とても人に物を頼む態度ではない。

とはいえ、こいつの方から接してくれる機会など、二度とないかもしれない。

芳しくない反応を示した俺の元から去ろうとした鹿山を、強引に呼び止める。


「待て待て。ちゃんと話してくれないと分からないだろ。宮本さんに心を開く前に、俺も少しは信用してくれよ」

「誰がアンタなんかに……!」

「なんだよ、嫌なら協力なんかしねぇぞ~。鹿山は恥ずかしがり屋だなぁ」


試すような口振りで、俺は訊ねた。

どのような意図があるにせよ、会う理由だけはどうしても知りたかった。

一度彼女に強要した鹿山のことだ。

また同じような真似をしないとは限らない。

俺と鹿山がとことんやりあう分には構わないが、彼女を巻き込むのは避けたかったのである。


「あの子が話したいことがあるっていうし、せっかくだから謝ろうかなって……」


普段の横柄な鹿山からは全く想像ができないほど、しおらしく俺に頼み込む。

尿意を我慢でもするようにモジモジしていて、嘘ではなさそうだ。

ここまでいじらしい鹿山を見たのは初めてで、俺は思わず吹き出してしまう。


「なにニヤニヤしてるのよ! そんなに可笑しい?!」

「笑うことじゃないし、笑わねぇよ。案外素直なところもあるんだなって、少し顔が緩んじまったんだ。暇だし、ついていってやるよ」

「上からなのが腹立つけど……ありがと」


目を背けながらも、感謝の意を述べる。


「……可愛いやつ。妹がいたら、こんな感じなのかもな」

「ハンッ、アンタの妹なんか死んでもごめんよ!」

「俺だっていらねぇよ。お前の兄貴とか大変そうだし」


口からぽろっと本音が零れると、烈火の如く鹿山は切れ出した。

思春期を迎えた女ほど、面倒なものはない。

些細なことで苛立つのに、ふとした切っ掛けで機嫌が元通りになったりして、正直扱いに自信はない。

姉妹のいない友人からは、羨ましがられることも多々ある。

だが遠くから眺める分には綺麗だが、実態はそれほど美しくないものだ。

それこそゴミにまみれた富士山や、凸凹だらけの月のように。



放課後の屋上にて



ぼうっとしていると瞼が重くなる、暑くも寒くもない心地のよい陽気。

眠たい目をこすりながら扉を開けると、鹿山は急にその場で立ち止まった。

視線の先には、上質な漆器のような黒髪を棚引かせる少女が一人。

固い決意をしても、いざ本人を前にすると揺らぐものだ。

思わず足がすくんで、躊躇してしまったのだろう。

けれど、いつまでも彼女たちの関係は平行線のまま進まない。

変化を求めるからこそ、鹿山も俺に切り出してくれたのだ。

このままでは、両者のためにならない。


「かーやーまっ。一緒にいこうぜ」

「ちょ、勝手に触るな!」

「じゃあ、自分で歩けよな」


手を引っ張って無理矢理にでも連れていこうと、叩かれる。

むかっときて突き放したように言い放つと、風を切るように宮本さんの元へと歩いていった。


「田島君、チエちゃんに付き添ってるんだね」

「鹿山がどうしても伝えたいことがあるっていうから。あ、二人でないと言えない内容だった?」

「ううん、そういうわけじゃないけど。チエちゃん、何か用?」

「……う、うん」


口ごもる鹿山を、肘で小突いた。

発破をかけられるのがよほど不快だったのか、こちらを睨みつけてくる。

急かされるのが嫌なら、自分からやればいいのに。

文句の一つも言いたくなったが、喧嘩になるので口にはしなかった。


「えっと、今日はちゃんと私が悪かったって言いたくて」

「急にどうしちゃったの?」

「所詮、あの子たちとは同調圧力で築いた安い友情だった。一度私の元から離れたら、戻ってこない。自分でも分かってたの」


一呼吸置くと、間髪入れずに鹿山は続ける。


「でも変わらずに接してくれた早紀まで拒んだら、バチが当たるなって思ったの。 後悔するなって思ったの」

「だからたとえ、ずっと許されなくてもいい。この場で謝らせてほしいの。ごめんなさい」

「チエちゃんの本音、聞けて嬉しいな」


鹿山は深々と頭を下げた。

その様子を見て、宮本さんは顎に手を当てて、暫しの間思案する。


「いいよ。でも、また私と田島君を弄ぶようなことがあれば絶交するから。取り返しのつかないことをしたって自覚して」

「……そう、ね」


内気な彼女からは想像できないほど、、容赦のない一言を突き付ける。

有無を言わさぬ発言に、鹿山は無言で頷いた。

形だけの謝罪なら、誰にでもできる。

本来の謝罪とは成否に関係なく、行うもの。

だからこそ立派な志を、口だけで済ませてはいけない。

真に誠意があるのなら、今後の行動で示していかねばならないのだ。


「私からもいいかな。二人って……付き合ってるの?」


少し間を置いてから、彼女は喋った。

あまりに突拍子もない発言に、心臓が飛び出そうになっていた。


「こっ、こいつとはそんな間柄じゃないから! 見て分かるでしょ!」

「そっ、そうそう。仲は最悪だよ」

「えーっ、怪しいなぁ……」


眉を八の字にして、彼女は怪訝そうに俺たち二人を眺めた。

早めに誤解を解かないと、面倒なことになりかねない。

嘘をつくに至った経緯を、丁寧に説明する。


「……ってわけなんだ。告白されたのは、嘘っぱちなんだよ」

「じゃあ、喧嘩するのに利用してただけってこと?」

「当たり前でしょ、誰がこんなやつと……」

「そっかぁ。じゃあ、私にもまだチャンスがあるのかなぁ」

「えっ、何か言った?」

「ううん、何でもない。チエちゃんも田島君も、また明日ね」


手をぶんぶんと振って別れを告げる彼女の顔立ちは、かつての陰鬱さを感じさせないほど晴れ晴れとしていた。

過程は大事だが、結果も重要だ。

これで全て終わった。

安堵した俺は、ふと鹿山を見遣る。


「ふぅ、やっと問題が片付いたわね」

「そうだな」

「あと勘違いが解けてよかったわね。あの子にとっても、私がお邪魔虫でなくてスッキリしたでしょうし」

「誤解? お邪魔虫?」

「アンタ、鈍感ね」


言っている意味が理解できず訊ねるも、濁される。


「それはそうと、彼女とは一生もんの友達になれるよ。大切にしろよな」

「言われなくても大事にするわよ、馬鹿」

「一言余計だよ。可愛げねぇな、マジで」

「……今日は助かったわ。一人で来てたら、きっと心細かっただろうし」

「世話が焼けるよな。お前はよ」

「……うっさいわねぇ」


言葉遣いこそ荒いものの、いつもの刺々しさはない。

これは感謝するのが気恥ずかしい、鹿山なりの照れ隠しなのだ。

理解すると、途端にこいつが愛おしく思えた。


「あの噓。お前にきついお灸を据えるつもりだったけど、やりすぎたかもしれない」

「ごめん。いや、すみませんでした。ちゃんと謝らせてほしい」

「いいわよ。元はといえば私が悪いんだから。お互い水に流しましょ、ね」


一連の件を終わらせるためには、俺と鹿山も手を取り合わねばならない。

そう考えた俺は立てた小指を見せ、仲直りを促す。


「つまんない争いなんて、もう辞めようぜ。お前が嫌じゃなければだけど」

「はいはい。付き合ってあげる」

「指切りげんまん、嘘ついたら……」


童謡を歌いつつ、俺たちは互いの小指を絡め合う。

嘘の告白の被害者である俺と、加害者である鹿山。

決して交わることがないと思われた俺たちの間には、いつしか奇妙な友情が芽生えていた。


「ふふっ。こんな仲直りの仕方、子どもみたい」

「別にいいだろ。俺たち、まだ高校生なんだ。もっと周りに頼れよ、鹿山」

「助けを求めたって教師は赤の他人だし、面倒臭がるだけでしょ。……アンタだけかもね。真正面からぶつかってくれたのは」

「学校で色々あったってことは、何となく察したよ。親御さんには、ちゃんと言った方がいいと思うけどさ」

「……母さんの負担になりたくないから。中学は、そうやってやり過ごしたわ」


学校での人間関係のトラブル。

クラスでも部活でも、それこそ社会でも、弱い立場の人間には自己責任を押し付けられがちだ。

偽りの強さでも、三年間自分を誤魔化し続けられるなら、いじめやいじりに遭うことはなくなる。

過酷な学園生活で適応するために、あのような凶行に及んだのだろう。

それでも最終的に謝る選択をしたのは、わずかながらの良心が残っていたからに他ならなかった。

流石に他人の家庭にまで口出しできるほど、俺はできた人間ではない。

けれどまともな親なら、心配になるのが当然だ。


「色々あったけどさ。お前が苦しむところ、なんか見たくないんだ。だから、話くらいはしてくれてもいいんだぜ」

「……臭い台詞。そういうの、あの子に言いなさいよ」

「本当に嫌味しか言わないな。人の好意を拒んでると、付き合ってくれるの俺くらいしかいなくなるぞ」

「……ありがちな、つまらない話だけどね。それでいいなら聞かせてあげるわよ」

「ああ、聞きたいよ」


胸に秘めていた辛い思い出を吐き出すと、張り詰めていた心の糸が緩んだのか、鹿山は頬を緩ませる。

昔はこいつも、無邪気に微笑んでいたのだろう。

誰かの悪意によって奪われた人の心を、今この瞬間取り戻したのだ。


「お前もそういう笑顔すんのな」

「うるさいわね、馬鹿」

「可愛いねぇ、知恵ちゃん」

「勝手に名前で呼ばないで!」


真面目な雰囲気に耐え切れず茶化すと、身体が風呂上がりのように火照っていた。

鹿山と接して芽生えた気持ちが、どういうものなのかは分からない。

だが、この気持ちを大事にしたい。

嘘の告白で傷つき傷つけた俺の、嘘偽りのない本心だった。

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