第6話 1-5.はじまりの日 5運命の序章
「ここは?」
ジンが目を覚ますと、暖かい光が差し込む、花園の中にいた。様々な花が咲き誇っており、花の香りが鼻孔をくすぐる。
(あれっ、俺死んだ?)
思わず、そう思ってしまうほどにあまりにも浮世離れした光景だった。
無言で目を擦り、いやいやと首を左右に振り、冷静を取り繕って自分の状況を観察する。
木で作られたベンチで寝ていたようだ。
その近くには、テーブルとイス。
朝と服が違う。
どこかで水の流れる音。
頭を抱えた。どう考えても自分が死んでしまったと考えるほうが無難なことは明白だった。
「一体ここは?私はどうなったんだ?本当に死んだのか?」
ベンチに座り、ため息をついて、独り言ちした。
「起きたかい?おはよう」
ふと、顔を上げると一人の女性が立っていた。
「あなたは?ここはどこですか?私は......死んだんですか?」
ジンは目の前の女性にすがる思いで問いかけた。
「そう、焦らなくも大丈夫。一つ一つ答えるからさ。まあ、これでも飲んで落ち着くといい」
ジンの目の前にいる女性がテーブルに着き、どこからからティーカップとポットを取り出し、茶色の液体を注いだ。
目の前の女性。
おそらく自分より少し年上。
漆黒の瞳と腰までありそうな黒髪。それを纏める変わった形の髪飾り。
白を基調に赤の刺繡のような模様をあしらった服装とそれを覆う大きな白いコート。
胸元に光る二つの指輪らしきもの。
腰にさしたシンプルなデザインの剣。
彼女の風貌は芸術作品か飛び出して来たと見間違う程の美しさと品格を兼ね備えたものであった。
「はい、どうぞ。......私はユウカ。『ユウカさん』と、でも呼んでくれ。えーと、ここは宮廷跡地公園の中央塔の地下。ケンザキ ジン、きみは死んでないよ。ちゃんと生きている」
ユウカと名乗る女性はティーカップをジンの前に差し出し、ちゃんと宣言通りに一つ一つジンの疑問に答えた。
ただお茶を注ぎ差し出す仕草一つさえ映画のワンシーンのようだった。
差し出された液体には湯気が上っていた。いい香りが漂ってくる。
だが、ジンはカップに手を伸ばすよりも先に聞きたいことがまだあった。
「それと家族は?コハルやユキノは?いや、失礼。ここに一緒に運ばれてきた私の家族と幼馴染の女性達は無事ですか?」
ユウカの雰囲気とこの状況にのまれて、声が少し震える。“神”なんて者と会話するとしたらこんな感じだろう。そう思わせる程の神々さであった。
「......そんなに硬くならなくてもいいのに。全員無事だよ。こことは別の場所で休んでいる」
「よかった。......あっ、おいしい。では、なぜ私だけここに運ばれたのですか?」
家族の無事に胸をなで下ろし、カップを傾けたのも束の間、口調を変えずにジンは質問を続けた。
カップの中身は自分の知っている紅茶とは少し違うハーブティーのようなものだった。
「きみは真面目だねぇ。それとも緊張してる?簡単な話さ。私がきみと話したかったからさ」
「話......ですか?一体どんな?」
「うーん、そうだねぇ。例えば、この異常事態のこととか、きみの異能についてのこととか、骸骨のこととかかな」
カップを置き、テーブルに肘をつき顎を軽く右手の甲に置いてユウカはにやりと笑みを浮かべた。
「あなたは......この状況の......根幹を知っている?」
ジンのカップを持つ手と声が震えた。
「いや、正しく言うと、きみよりかは少し知っている。そして、“考えた”それだけさ」
「教えて下さい。今何が起こっているのか」
ジンがカップを皿に戻し、イスに座り直した。
それを見て、ユウカがジンの目をジッと見て話し始めた。
「じゃあ、......まずはこの状況から。......私が思うに、ある日何の前触れもなくこの星の絶対的原則が変わった。天変地異が起きたと言い換えていい。それによってある物質が空気中に散布された」
「ある物質?」
「きみにも心当たりがあるはずだ。携帯やテレビなどの文明を破壊し、人間を篩い分けたもの。石化か、はたまた新たな力を得ての進化か。人間はいままでの人間を超えた存在になってしまった。まさにSF小説などの創作物の出来事だが、そう考えると説明はつく」
「......」
「私はその物質を創作物の言葉を借りて“マナ”と呼ぶことにした。マナはもう自然や人の中に溶け込んでいると言っていい。このまま少しずつ人々の生活を変えていくだろう。......ここまでで何か質問は?」
ユウカがジンの理解度を確かめた。
ユウカの表情は真面目で嘘を言っているようには見えなかった。
俯くジン。
確かに異常事態だ。それは分かる。だがしかし、ジンは『なるほどそうですか』と言えるほどの馬鹿でも、メルヘン野郎でもなかった。
いままでの自分が経験したことを踏まえても、筋は通っている......と思う。
だが、頭がこの仮説を猛烈に拒絶していた。自分の立っている地面がゆがんでしまうような感覚に蓋をしたかった。
そう思った瞬間、
「ふざけるな!......黙って聞いていればあまりにも突拍子すぎる。本当に天変地異が起きて、謎の物質が散布されたと考えているんですか?馬鹿馬鹿しい。......第一、天変地異ってなんですか?隕石?火山噴火?そんなの最近ニュースで一言も言ってない。あなたの言っていることはただの妄想でしょう」
ドンと音が鳴るほどの勢いでテーブルに手を着き、はぁはぁと息切れする程の早口で反論していた。
「いや......きみもわかっているはずだ。アノンの報告通りならば、きみは骸骨を凍らせた。いままでの人間にそんなことはできない。......気持ちは察するが、もう、きみの常識が通じる世界ではなくなってしまったのさ。......物事を考える時、自分の知っていることを積み重ねて考えるが、今回は違う。最初の一歩目が想像を超えないと筋が通らないのさ」
ユウカがカップを傾けながらゆっくりと冷静に話した。
ジンにはユウカの境地が理解できなかった。
どうして、そのような考えに至れたのか?
どうして、こんなことを堂々と大真面目に誰かに話せるのか?
全身の力がぬけるようにジンはがっくりと後ろに倒れるようにベンチに深く座った。
「やはり......そう考えるしか......ん、ちょっと待って下さい。アノンの報告......ってあなたは彼とどういう関係なんですか?」
自分の理解を越えたことを後回しにして、かろうじて知っている人物にフォーカスをあてて話題を逸らす。
色々あって疲れ気味の今は変わってしまったらしい世界のことよりも人間関係のほうにそそられた。
「私はここの“コミュニティ”の創設者でありアノンやレオ達は“私が創った(つくった)”というのが正しいらしい」
ユウカは空になった自分のカップに液体を注ぎながら答えた。
「創った(つくった)らしい?どういうことです?」
とりあえず、“つくった”というパワーワードをスルーし、不確定要素の“らしい”の方に食いついた。
ティーポットを持つユウカの手がピタッと止まり、ジンの方を真っ直ぐ見つめた。
「私は記憶を失っている。だから、今の私にはわからないのさ」
今度は余り飲んでないはずのジンのカップを自分の元へ引き寄せ同様に注いだ。
「......記憶喪失ってことですか?」
ジンは差し出されたカップを受け取り、再び傾けた。
「さあ、それすらもわからない。目が覚めると“私が造った”者達に囲まれて、これがそばにあったのさ」
ユウカは古びた手帳のようなものを胸ポケットから取り出し、パラパラと物思いに耽るようにページをめくった。
「これを頼りにして、いろいろ準備してきたのさ」
「準備?」
「そう、ここに人を避難させる。それに伴って必要になる食料や衣服やテントなどの生活必需品の準備や骸骨の侵入を防ぐ“結界”とかね」
ジンはまた新しい非日常ワードに舌を巻いた。聞くしかないか。
「結界で骸骨の侵入が防げるんですか?私の時は空間にひびのようなものが開いてまさに神出鬼没って感じでしたが」
「結界は物理的なものでないが今のところは大丈夫だから大丈夫さ。あれが壊されない限り」
ユウカが花園の奥を指さした。
「この奥になにがあるんですか?」
ジンは振り返ってユウカの指差す方を見るが、見渡す限り花しかなかった。
「結界の核である一振りの剣。まあ、結界を張るのにマナを使いすぎて、倒れたらしんだけど」
ユウカは少し笑って、自分の覚えていないはずの過去のことを話した。
「マナを使う?」
ジンが聞きなれない単語に引っかかった。今度は動詞とセットでより難しそうだ。
「そう、自分の能力を使う時、体内にあるマナを消費して能力を発動していると考えている」
ユウカはメモでも見ているのだろうか。めくった手帳に視線を落とした。
「......自分のマナを使う?」
やはりジンにはさっぱりだった。
「まあ、詳しいことは明日話すよ。しばらくは時間に余裕があるはずだから」
ユウカはパラパラととめくっていた手帳を閉じ、ポケットに戻した。
「話がそれてしまったね。どうする?もう明日にしようか?きみも、もう一度自分の中で考えてみるといい」
「最後に一つだけいいですか。......骸骨の正体はどう思います?」
聞きなれない単語で既にお腹いっぱいだったが、一応聞いておきたかった。
「これも仮説だが......あれこそSF、ファンタジーじゃないか。そもそもあれの姿、人の骨そのままだが、一体一体形が微妙に違う。そして、なぜカルシウムの集合体が動いて、人を襲う?理由がわからない。最も不可解な点はきみがひびと言った現象さ。誰かが裏で糸を引いているとしたらそれこそ人類が“神”と呼ぶべき存在だ。......まあ、とどのつまり骸骨に関してはわからないことがわかっているとしか言えないな」
この答えはジンにも予想できた。
あれは人が説明できるレベルをはるかに超えていた。
「そうですか......。ふと、思ったんですがどうしてそこまでして人を助けるのですか?あなたにメリットなど全くないのに」
「うーん。そうだなぁ。私は誰か大切な人を探しているような気がするんだ。私自身の存在に関わるような大切な誰かを......。そして、たぶんその人が私の立場ならきっと助けるだろうから」
ふと、視線をそらし、何かを探すようにユウカが言った。
手を伸ばしても決して届きそうにない何かを。
「絶対に見つかります!......なぜだかわからないですが、そう言い切れる気がするんです」
この時ジンは普段なら使わない“絶対”などという言葉を使った。彼女の表情に惹かれたからか、何の根拠も無いのに断言してしまった。
自分でも驚く程自然に言ってしまった言葉に少し困惑する。
カップの中身はもう、湯気は消え、冷めてしまっていた。
「ありがとう。さあ、そろそろ上へ行こうか?続きは明日にしよう」
「はい。......そうですね」
ジンは困惑を引きずりながらユウカとともに花園を後にし、足を引きずるように薄暗い廊下を進み、長い階段を上る。
「こっちだ」
ユウカの後をついて外に出る。あたりはすっかり日が暮れ、静寂と漆黒に包まれていた。
「もう、夜か......」
ジンがポツリと呟く。結局、石化した人については聞けなかった。この人ならとんでも理論でうっかり真実を口にしそうで怖かったのだ。
自分も人間を止めてしまったかもしれないのにだ。
「みんなは眠りについているころだ。空腹だろう。おそいが食事をとるといい。中央広場は臨時の“キッチン”になっている。行こう」
(そういえば、今日何も食べてなかったな)
食事を思い浮かべて、ジンの腹の虫が鳴った。
「ええ、お腹ペコペコです」
中央塔を出て、南に向かう。ユウカがキッチンと呼んでいる場所は地面が芝生のところには木のテーブルにイスがたくさん並んでおり、砂利が引かれている大きな道のど真ん中にかまどが並んでいた。
(この公園には何度か来たことがあったが、道を塞ぐようなこんなものはなかった。つまり、作ったのか?)
「何か残っているかな?アリエスはいるかい?」
「はぁい。お呼びですか?マスター?」
暗闇からアリエスと呼ばれた女性がどこからともなく姿を現す。
曲がった短い角。
ユウカの長さではないが長く白い髪。
羽織っている赤い外套の間から見えるもこもこの白い服。
女性の平均的な身長。
その出で立ちはなんとなく秘書のようであった。
「彼に食事を」
「かしこまりましたぁ」
「ユウカさん。彼女は......?」
「ええ、私もレオさん達と同じですよぉ。はい、どうぞ。あらかじめ残しておいて正解でした。たくさん食べて下さいね」
先ほどのアリエスの言葉からほぼノータイムでジンの後ろに現れ、お盆をジンの前に運んだ。
お盆の上には大きなおにぎりと湯気の立ち昇る味噌汁がのっていた。思わず、口の中に唾液が溜まる。
「いただきます」
ジンは今日はじめての食事を堪能した。
「おいしい。......えっ。あれっ」
ジンは泣いていた。自分でも理由がわからない。
それもつい先ほど知り合った他人の前でボロボロと涙をこぼしていた。
「今はおもいっきり泣くといい。自分の生を噛みしめるんだ。食べることは生きているということだから」
「おいしい。おいしい」
涙を流しながら食べ続け、ジンはあっという間に完食した。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて合掌する。
(こんなにも食事に感謝したのは初めてかもしれないな。これが生きているということなのか。今の俺は死線をくぐり、生きているということの根幹である食事を心の底から味わっている。いままでの生活では絶対に味わえなかったな)
「さあ、今日は眠るといい。これがテントのカギだ」
ユウカが食の余韻に浸りポケーとしていたジンにカギを渡した。
「男性のテントは西側だ。ここから西に歩けばすぐだ。......おやすみジン」
「おやすみなさい。ユウカさん」
ジンはキッチンを後にし、テントに向かった。
◇◇◇
キッチンから西側には大小様々なテントがきちんと並んでおり、入口には蛍光塗料で番号が書かれていた。
「ここか」
カギを開け、靴を脱ぎテントに入る。中には寝袋らしき袋と他にもいくつかの袋があった。
手探りで寝袋を広げ、寝転ぶスペースを確保し、寝る準備をする。
(暗闇にも慣れてきたな)
寝袋に入り、目を閉じる。疲れがどっと溢れてくる。
「おやすみ」
誰に言うわけでもなくつぶやく。意識が刈り取られてゆく。
(長かったなぁ。そして、疲れた。骸骨のこと自分の能力のこと考えなければならないことはいろいろあるが、今は寝よう。家族やコハル、ユキノの安否確認は明日だな)
こうして後に“はじまりの日”と呼ばれるXデイ、ジンにとってはただ長い長い一日は終わりを告げた。
◇◇◇
「考え事ですかぁ?マスター?」
アリエスがユウカにポットとカップを運んだ。
「ああ、少しね。ありがとう。うん、美味しいよ」
先ほどと同じ液体ををすすりながらユウカは考えていた。
(ジンの能力は彼の真面目な性格に沿って、理論的に考える方向に導いた方が良さそうだ。問題はコハルの方。アノンの報告通り、ジンの能力覚醒のトリガーは彼女の能力が関係しているとしたら......少し厄介なことになりそうだな。早めに手を打たねば)
ユウカが再びカップに手をのばした。
「あら?もう空か。アリエス。おかわり」
「はい、マスター。考え事は進みましたか?」
アリエスがカップに液体を注ぎながら主人の様子を尋ねた。
「ああ、もちろん。明日から彼らには特訓してもらうとしよう」
ふと、何かを思いついたようにユウカは満足そうに笑っていた。
ジンの知らない所で一人の女性は今後のシナリオの結末を描いていたのだった。
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