スナカワホノカ

 あと何個か別の車から発炎筒を拝借していこうかと訊いて、危険すぎると止められてしまった。


 暗いホームセンターの中でガソリン携行缶を二つ持っていく。いざという時の予備、というところだ。


 帰りもまた残留思念の妨害に遭ったが、どうにか最寄りのガソリンスタンドにたどり着く。


「でもガソリンスタンドって、そんなホイホイ使えるもんなの?」


「わたしにはどっちもあまり変わらないけど……ここはフルサービス方式だからまだ簡単よ」


 手続きを済ませて、いつの間にかレギュラーガソリンの赤いグリップを手に取っていた。わたしはすぐに携行缶の栓を開け、ノズルが携行缶内に入ったところでトリガーを引かれる。


「大丈夫? 止め時とか分かる?」


「平気よ。案外ライブ感でも……多分」


「早速不安だよ……」


「でも、わたしも伊達に長く生きてないから。結局最後は勘なのよ」


「見た感じわたしより歳下に見えるけど?」


 トモコが無視して、トリガーを戻してノズルを外す。


 いつまたポルターガイストが出るか分からないし、ここはガソリンスタンドだ。多量のガソリンが置かれたような場所で、どんな危険があるか分からない。わたしはすぐに携行缶の栓を締めて、次いで予備の携行缶を開けようとした。


 その時だった。


りんちゃん!」


 先ほどからハンディカメラで撮影していたらんから叫び声が上がる。


「どうした?」


「ガ、ガソリン漏れてる!」


「え……」


 わたしはすぐに視線をさまよわせ、嵐の視線の先にたどり着く。ノズルに垂れるホースから、てかてかと光る液体がコンクリートの地面に流れていた。


 これはまずい。静電気ひとつで発火するような液体が漏れていて、これから起こることなどなんとなく理解できる。


 わたしはすぐにトモコの方に確認する。


「どうする?」


「さっきの携行缶だけ持って逃げましょう! 怪異を燃やす前に逆に燃やされたら、たまったもんじゃない!」


 トモコがグリップを放り出して走り出す。


 わたしもガソリンで満ちた携行缶を携えて、嵐とともにトモコの後を追った。


 背後でなにかの弾けるような音がした。ある程度距離を取って見ると、先ほど漏れたガソリンが引火して燃え広がっていた。


「これ、損害賠償とか――」


「ここは所詮、都市伝説の仮想空間! 命以外の対価なんかひとつも要求されないわ!」


 煙臭さとともに、背後で大きな爆発音がした。


 数秒遅れていたら、わたしもあれに巻き込まれていたかもしれない。


 ぞくりとした感触を覚えながら、なかで液体の揺れる携行缶を抱えて走っていった。




 そうしてまた、最初の拠点であるビルにたどり着く。


 ガソリンという剣呑なものを手にした以上、妨害で台無しにする前に早々に作戦を始めなければならない。ガラスの破片に満ちた階段を気をつけながら上っていき、目的のオフィスに入る。


 視線の先には、オレンジ色の夕陽を受けて輝く人型のそれが立っていた。それはオフィス内へ砕けて散ったガラスの集合体だった。


 ポケットのスマホが揺れる。わたしは携行缶を持ち替えて確認する。


 通話着信で、画面には〈スナカワホノカ〉と表示されていた。わたしはスピーカー機能をオンにして通話に出る。嵐のカメラに音を拾わせるためだ。


「……今度はなに?」


 わたしは警戒しながら訊く。


『いい加減死んでよ』


「それがあなたの本音なの? スナカワホノカさん?」


『……私はスナカワホノカだけど、スナカワホノカじゃない。この世界の被害者の総意なの』


 わたしの挑発に対し、声だけでも分かるように憎々しげな態度で返される。


 目の前の人型がにじり寄る。身体中にしゃりしゃりと擦った音を立てながら、そいつは一歩二歩と進んでいく。


『わたしは思念となって、他の被害者の思念を拾い続けた。何十、何百と、私と同じ肉塊を目に焼き付け続けた』


 わたしは携行缶をトモコへ渡し、鞄から小刀を取り出した。歯で鞘を噛んで小刀を抜き、人型へと向けて構える。


 あの椿妃ちゃんからもらったお守りだ。それに、『ブラウンコートの大男』をこれで切り裂いた。


 これなら、きっと。


『そうして悟ったの。どうせ生きる希望なんかない。ここから出られない。あなたたちはただ殺されるか死ぬだけ。……ねえ、頑張る必要なんかあるの?』


 ふと、背後にあの人の気配を感じる。


 耳の奥で、小さく囁いた。あの人からの、死を願う言葉を。


『死なないんですか?』


 心が揺らぎそうになる。手が震え、喉がからからになって痛くなってくる。


 絶望的でふらついて、いますぐにでも小刀を取り落しそうになっていた。


 それでも、わたしはいつかの言葉を思い出す。




『……知己の死ほど、悲しいものはありませんから』




 それは些細な言葉だった。それでもそれは、たしかにわたしに向けられた言葉だった。


 わたしはどうするべきか。


 迷いながら鞘を口から落としたところで、横からスマホをかっさらわれる。嵐だった。


「あるよ」


『……どうして? あなたたち、帰れないのに』


「さっさと帰って、動画編集して、投稿して、それで三ツ矢みつや先輩に認めてもらわないといけないから。私たちの活動がインチキではないと証明しないといけないから。だから、私たちは意地でも帰る」


『帰れないって言ってるはずだけど? あなたたち、これから死ぬの! だからここで――』


「帰るっていったよね?」


 いきなり声のトーンが低くなる。


「私もりんちゃんもトモコちゃんも、こんなところでとどまってらんないの。当然、死ぬつもりもないから……ね?」


 意地の悪い笑顔でちらと見つめられ、手の震えが止まる。そこまで後押しされて、死んだら最悪だろう。


 わたしはぐっと噛み締めて、小刀を順手で構えてから、目の前の人型の身体を刃で貫いた。


『――――――――ッ!』


 スピーカーから、壊れたラジオの砂嵐のような、声にならない声が発せられる。小刀を中心に、人型の身体が崩壊した。それは砂のように、地面にざあっと流れて散る。


『人殺しは交通違反です! 罰金として死に値します! 命を対価に死後も懲役を! あなたは小刀で罪のない人々を轢き殺しました! 小刀は轢殺するための車です! 小刀轢殺罪は絶対! 死後無期限の終身刑! あなたは永遠の中で苦しみ続けることになるでしょう!』


 スピーカーがむなしくがなり立てる。


 しばらく様子を見ても、それ以外特になにも起こらなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る