ブラウンコートの大男

スズランチャンネル

 錆びて穴の空いたフェンスの向こうの、夜の影に包まれた建物を横目にする。


 今度はちゃんと、アレが出るだろうか。いい加減、ちゃんとしたものを出さなければ……


 苦々しく思いながら、すぐに相方の瓶井嵐かめいらんの方へと向く。暗がりに立つ彼女がハンディタイプのビデオカメラをこちらへ向けて、空いた右手で秒読みする。


 三、二、一。


「どうもー! スズランチャンネル、突撃担当のスズでーす!」


「カメラ担当のランですっ」


「初めての方は初めまして、また来てくれた方はおはこんにちこんばんは。このチャンネルでは、わたしたちリンとランが、心霊スポットの突撃や都市伝説の検証をしていきます!」


 いえい! と、にこやかに手でピースサインを作る。


 あらかじめランの作ってくれた台本はよく覚えている。昨日今日で話す内容を、必死に頭に叩き込んでおいた。


「それでランちゃん、今日は何をやるのかな?」


「あっ、ええとですね……」


 ランは右手でスマホを取り出して確認しはじめる。台本書いた張本人のはずなのにとは思いつつも、彼女の名誉のために今回も心の内に納めておく。


 ランのそういうところは、正直嫌いじゃなかった。


「今回はあちらの、『幽霊アパート』に突撃していきます」


 カメラが暗がりに包まれた四階建ての建物をあおるようにする。ある程度見せたあとで、こちらへと戻る。


「それでは今回も、死なないように頑張るぞ!」


 カメラに寄って、大仰にガッツポーズして見せる。


 ここらへんはわたしのアドリブだ。最初は難しかったが、慣れてみると思いのほか我欲がよくが出てなかなか楽しい。


 スマホを戻して空けた手で、OKのハンドサインが出る。これが出たら、カメラを一度止めるタイミングだ。


 ランがカメラを止めると、緑のリュックサックをよっこらせと下ろす。


「死ぬのはやめてね?」


「当たり前じゃん。こんなところでは死にたくないし」


「まあ、今回は大丈夫だと思うけど」


「今回『も』、じゃなくて?」


「……ねえそれ、どういうニュアンス?」


 お互いにくすくすと笑い合う。


 フェンスの上は有刺鉄線が張り巡らされている。本来の入り口も閉ざされていて、唯一空いていた人間ひとり分のフェンスの穴から入るのが最適だった。


 ランはフェンスの足元にあるそこそこ大きな穴の向こうへと、リュックサックを押しやった。わたしも続けて、ショルダーバッグを穴の向こうへ投げる。


 バッグはぼすっと音を立てて、リュックサックへのバウンドを挟んで着地した。


「ちょっ、スズちゃん! もう少し丁寧に――」


「ああ、ごめん! ……まあ、どうにかなるっしょ」


「もー、雑だなぁ……」


 言い合ってから、わたしが先行して匍匐前進ほふくぜんしんで穴の向こうへ入る。こういう時はいつも汚れていい服に着替えているが、地べたをいずるのはあまり良いものではない。無駄に成長した胸のふくらみが邪魔をして、アスファルトや小石にって不快だ。


 向こうに着いたところで藍色のジャージをぱんぱんと払い、拾ったバッグからスマホを出してライトを点ける。遅れてランが這って出てきた。


 銀縁の眼鏡を汚さないように気をつけてはいるが、全体的に細っこくて通るのが楽そうだ。いつも動きやすそうだし、つくづくうらやましい。


「……ん? どうしたの、スズちゃん?」


「え?」


「めっちゃにらんでたけど……もしかして、なんかいた?」


「え、いや……なんでもない」


 口をつぐむ。まさか「おっぱいがつつましくて羨ましい」なんて言えるはずもない。絶対嫌味にとらえられる。


 緑のジャージを払ったランが、ビデオカメラを持ったまま立ち上がる。


「それじゃあ、ここから――」


「『アパートの一番手前の部屋に行って、そこからひと部屋ずつ扉のじょうを確認。閉まってたら次へ。空いてたらそのまま入って調べる』だったよね?」


「……よく覚えてるね」


「わたし、優秀だもんで」


「なるほど」


 ふふっ、と笑い声が聞こえる。


 実際冗談のつもりで言ったが、こうして笑われるとそれはそれで複雑な気持ちになる。別に、本気で自分が優秀だと思っているわけではないが。


 目的の位置に着いて、カメラの方を向く。


「はい! ということでやって来ました! ここからはひと部屋ずつ調べていって、空いている部屋を片っ端から調べていく感じでいきます!」


「ちなみにここ、実はどこかの部屋が無理やりこじ開けられて無断に使用されていたらしいんですよね。だから、今回はなにもないということはありません!」


「信じるぞー、ランちゃん。これ以上、インチキクソチャンネルとか言われたくないからなー」


 快活な調子のまま、最初の部屋のドアノブをひねる。押しても引いても、ガチャガチャ引っかかるだけでまるで開かない。


「よし、ダメだ! 次行こう、次!」


 そうして縦一列左右の部屋をすべて確かめるが、特になにも収穫がない。


 階段を下りて時間をつぶすついでに、わたしはランに訊く。


「それで、ランちゃん。この廃アパート、なにがあったの?」


「ああ、それは……」


 彼女が足を止めてスマホを確認しはじめたので、わたしも立ち止まって待つ。


「十数年前、ここに住んでた女の子がバイト先のストーカーから暴行を受けて亡くなったらしいです。その少し後、ここに住んでた男性たちが次々と自殺しはじめたみたいで……」


「つまりあれだね。女の子はストーカーのゴーカンをきっかけに、霊に化けて男に恨みを持っちゃったと」


「リ――スズちゃん、それ禁止ワード……」


「あ……」


 ランにささやかれて、しまったと口を押さえる。


 これは全年齢の健全なチャンネルだ。強姦ごうかんなどという直球に不健全な単語は、あんまりに品性を疑われる。


 わたしはため息をついて、一度落ち着いてからく。


「さっきのとこ、カットできる?」


「いや、いいよ。変になるし。一応編集でピー音は入れておくけど」


「よかった。ごめん、ありがとう」


「いいよ、大したことじゃないし。リ……スズちゃん、ほとんどミスしないしね」


 安堵の息をつきながら階段を降りていく。


「ああ、あと。その事件で残りの住人もどんどん引っ越してこうして寂れたんですけど、その後も事件が起こってたんですよね」


「誰もいないのに?」


「それは、その……こういう建物って色々都合がいいじゃないですか。やましいこととかそういう……」


「……まじか」


 さっさとこんなところ潰しちゃえばいいのに。なにか潰せない事情でもあったのか。


 胸の悪くなる思いを飲み込みながらポーチを出て、次の列へと進んでいく。


「その後も被害者は男の人だけで、現場にはいつも女の人だけが生き残っていて……」


 言いかけた言葉が止まって、気になって振り返る。


「どした、ランちゃん?」


りんちゃん! 上!」


 上?


 そう思って見上げたところで、いきなり思いきり突き飛ばされた。地面に投げ出される前に、とっさに受け身を取る。


 気がつくと、ランが思いっきりわたしの身体にのしかかっていた。


「ちょっとらん! いきなりどういう――」


 かなり近くで、なにかの割れた音がした。


 お互い悲鳴を上げて、音のした方を確かめる。


 陶器製の割れた植木鉢が落ちている。割れたところから、土のような中身がこぼれていた。


 スマホのライトをかざして、こぼれた中身を確かめる。


 土のように見えたものは、大小さまざまな虫の死骸の山だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る