束の間の特別面会
桃香たちが病室にやってきたのは、患者の朝食をあらかた配り終えた時間帯、8時少し前だった。本来なら面会できる時間では無いのだが、今日だけ特別に許可を貰ったのだ。
「おはよ。桃香、早起きだねえ」
「元豆腐屋の娘で現花屋の店主だからね。朝は強いよ」
「あ、エギィ。おはよ。差し入れ、いただいてます。あざっす」
「あ、ども。っつか、エギィって何」
「だって私のこと、梨花って呼ぶじゃん。だから」
「お姉ちゃん、あだ名のセンスも独特だから」
荷物をソファに置いて丸椅子に腰掛けた桃香は、素早く目を走らせ、梨花の様子とベッドの周りを確認した。異常なし。声はまだ掠れてるし動きもゆっくりだけど、元気そうだ。
「朝ごはんね、あったかいスープなんだよ。玉ねぎコンソメ。すっごく美味しいの」
「あー、昨日はゼリー飲料とかだったもんね。あったかいの、いいね」
小さなお椀を差し出し、桃香に渡す。
「ほら。でも、ちょっとだけだよ」
受け取った桃香が、ほんの少し口をつけた。と、危なく吹き出しかける。
「ぶっ、なにこれ……これが、美味しいの? すっごい薄味」
「えー。ちょうどいいけどなあ。美味しいよ?」
不服そうに首を傾げる梨花を他所に、桃香は亮介に向かって顔をしかめた。亮介はお椀に手を伸ばし、同じく少しだけ啜った。
「うえ、本当だ。香りはいいけど、うっっっっっすい」
「勝手に飲むな。ってか、エギィ。仕事は?」
「有給取った」
梨花がそろそろと手を伸ばすと、律儀にも亮介は自分の飲んだところをハンカチで拭いて返してくれた。
「そっか。じゃあ、えっと……昨日聞きそびれたんだけどさ。二人はその、付き合ってるの?」
「いや。ないない」
桃香にとっては想定内の質問だったらしく平然と即答したが、亮介は急に息を詰まらせたみたいに噎せた。
「でも、同居してるって言ってたから。あと、今のやり取りの感じとかさ」
「あれだよ。ほら、ルームシェア? 男手があったほうが防犯上もありがたいし、家賃も貰ってるしで助かってるの」
「そうは言っても、若い男女だし……姉として、ちょっと心配っていうか。いや、いいんだけどね。確認しておきたかっただけで。なんか朝っぱらから、ごめん」
余計な口出しだった。今のナシで! という勢いで、梨花は残りのスープを飲み干した。うん、やっぱり美味しいじゃん。身体に染み渡るぅ。
軽く咳払いをして、亮介が丸椅子を引き寄せ腰掛けた。
「あの、さ。俺が話すよ。余計な心配かけたくないし」
「……そう?」
どうやら改まった話らしいと察知し、梨花は空になったお椀をベッドテーブルの上のトレイに置き、姿勢を正した。桃香がすかさずトレイを取り上げ、代わりに数種類の飲み物を手早く並べる。そのまま、食器を下げに部屋を出て行った。一瞬、ガチャガチャと騒がしい音が遠くに聞こえ、ドアが閉まるとまた静かになった。
「えっと……どう言ったらいいのか」
亮介は桃香が去った丸椅子を少しだけ押しやり、梨花の方へ拳ひとつ分、近づいた。両手で膝を握ったりさすったりしながら言葉を探している。
「シミュレーションはしてたんだけどな。いざとなると、なんていうか……」
桃香がするりと部屋に戻ってきた。亮介の様子を一瞥し、座らずに窓へ向かう。
「梨花、寒くない? 窓閉めようか?」
「ううん。風が気持ちいいから開けておいて。で、何よ。エギィ」
「大丈夫だって。さっさと言っちゃいなよ」
桃香に急かされて、亮介は大きく息を吸った。
「あのさ……俺はその、恋愛対象が女性じゃないっていうか。だからいわゆる、あれだ」
「ああ。ゲイってこと?」
事も無げにそう返す梨花を、亮介は呆気にとられて見返した。
「なら、同居も安心だ。納得」
亮介は目をパチクリさせながら、梨花と桃香の顔を交互に見ている。
「だから言ったでしょ、そんぐらいじゃ動じないって。梨花だもん」
「エギィ、口開いてるよ」
「……いや、もうちょっとなんか………反応があるかと」
やっと絞り出した声には、それでも安心感が滲んでいた。
「だって、今どき珍しくないし。人に迷惑かけてなきゃ、どうこう言うことでもなくない?」
「ね? あの両親の娘だよ」
桃香はなぜか得意げに微笑んでいる。
「ああ、うん………でも……その、ちょっと気持ち悪いな、とかは……」
「別に。なんでよ」
「はぁ……いや、なんでって」
「気持ち悪がって欲しいの?」
「そういうわけじゃないけど」
「ならいいじゃん」
あっけらかんと言い放った梨花を見てフッと息を吐くと、亮介はくすくす笑い出した。
「お前ら家族、すごいな」
「何を今更」
「すごいって、何が?」
窓に寄りかかり朝日を背中に浴びて得意げに微笑む桃香と、俯いて膝を掴んだままクツクツと笑っている亮介。そしてベッドの上の梨花は、不思議そうにそんな二人を見比べていた。
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