3-7.皇帝とわたし
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今回、ミリアム視点です。
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少年は語った。
「魔王は緑にオレンジの斑模様で、オルフェウスと名乗りました。突然現れたその姿に、隊のものは恐慌に陥りました。そして、銀色の刃が空中を乱舞し、騎士さえも鎧ごと賽の目に切り刻まれたのです」
エルベランの魔術師ギルドから、馬車を乗りついで十日。私は帝都に連れて来られ、空中宮殿の一室で、お爺様の居た派遣隊の生き残りから話を聞いている。
聞いても、耳に入らないのに。
話しているのは、私より年下に見える、少年と言っても良いほどの魔術師。お爺様の従者として参加していたらしい。
描写される特徴から、グインを殺しかけた新魔王に間違いない。たしかに、オルフェウスと名乗ったと、タクヤが言ってた。
「老師さまはとっさに風魔法で私を突き飛ばし、逃げろ、この事を王都に伝えろとおっしゃいました。その直後、銀の刃が老師さまに殺到し……」
もう嫌。聞きたくない。聞かせないで。両耳をふさいで、膝を抱えるくらい身を屈める。
ああ、ああという声が聞こえて、それが自分の嗚咽だと気付いたのはしばらくしてからだった。
気が付くと、私はその小部屋に一人だった。泣き続けて、心が麻痺したのか、今では悲しみも何も感じない。ただ、ひたすら空っぽだった。
立ち上がって戸口に向かう。ドアにカギはかかっておらず、音もなく開いた。外には歩哨の騎士が一人いたが、私を見つめるだけで何も言わなかった。それでも、私が廊下を歩きだすと、黙って後ろから付いてきた。護衛、と言うことなのだろう。
廊下の突き当たりはバルコニーで、はるか下界の街の明かりが、夜空の星よりも濃い光の海となっていた。
前回、ここに招かれたときは、勇者タクヤとその一行を称える宴が開かれていた。私は、若くてハンサムな皇帝陛下に夢中だった。
今は……今は、タクヤに会いたい。
手すりのそばのベンチに腰をおろし、夜空を見上げる。今夜は満月なのね。冬の最中なのに、ここはさほど寒くない。気温すら魔法で制御されている。
つ、と涙が頬を伝った。もう枯れ果てているはずなのに。
タクヤのそばから離れるべきでなかった。こんなに辛い時、タクヤならきっと慰めようとしてくれたはず。不器用で鈍感だけど、一生懸命に。
こんなところで、私は何をしているのだろう。こんな私に、何ができるのだろう。
しばらく、そんな答えの出ない堂々巡りを繰り返していると、語りかける女性の声があった。
「ミリアム・ガロウラン様。皇帝陛下がお呼びです」
逆らう気力すらない。
立ち上がって、呼びに来た侍女にしたがって廊下を戻って行った。後ろから鎧の立てる音がする。護衛の騎士が付いてきているのだろう。
謁見の広間に着くと、武具が鳴るカシャンという音がした。振り返ると、背後の騎士が入り口で直立不動となっていた。
皇帝陛下は、前回と同じように玉座におられた。皇后陛下もその隣に。一つ違うことは、両陛下の顔色が優れないこと。
「ミリアム・ガロウラン」
皇帝陛下のお声がかかった。
「ここに」
御前に
「こ度の敗北は、アストリアスに限らず、ヒト族の諸国に大きな衝撃をもたらした。その中でも、そなたにとってはたった一人の肉親を失うことになった。その悲しみは想像に難くない」
「……お心遣い、もったいのうございます」
心は麻痺しているのに、もっともらしい言葉が勝手に流れる。お爺様に、礼儀作法も叩きこまれたからだ。
「他の戦死者の遺族も、同じ思いであろう。余は皇帝として、その思いに報いねばならぬ」
衣擦れの音。陛下が玉座から立ち上がったのだ。
スラリ、と鞘走りの音。思わず私は顔を上げる。すると陛下は宝刀を高々と掲げ、声を張り上げて宣言した。
「親征を行う。国軍の主力部隊を率いて、余、自らが出陣する」
皇帝の声が謁見の間に響くと、周囲でザッと音がした。謁見の間の壁際で警護についていた騎士たち全員が、その場で
「皇国の興廃、この一戦にあり。同盟諸国は、一層奮励努力せよ。余に従い、余に続け。こは勇者ルテラリウスの末裔による勅命なり!」
再び、ザッと音がした。周囲の騎士たちが立ち上がり、みな抜刀して剣を掲げている。
「英雄の築いたこの帝国に、ヒト類属世界に、栄えあれ!」
騎士たちは一斉に剣の柄頭を鎧に打ちつけて「皇帝万歳」を唱え出した。
それでも。
それでも私には見えてしまった。
皇后陛下が、顔を覆って肩を震わせているのを。
********
天蓋つきのベッドに横たわり目を閉じてから、かなりたつ。それでも眠れない。
空中宮殿で私に割り当てられた寝室は、多分、帝国ホテル以上に豪勢なものだったのだろう。でも、灯りを消した今、調度品など全く記憶に残っていない。
ついに、全人類を率いる皇帝陛下が、魔王の軍勢に立ち向かう。そのことで、この宮殿も、帝都も、引いては同盟諸国の全てに熱狂が渦巻いているのが感じられる。警護の騎士たちの目の輝きから。この部屋を世話してくれた侍女の表情から。
しかし、私は見てしまった。皇后陛下の涙を。
この戦いに、勝ちは見えていない。魔王オルフェウスの空間魔法は、タクヤが使うものと同等。他の魔法も使えるのなら、むしろ形勢は悪い。
あの銀色のゲート刃で、切り裂けない物など無い。タクヤが言うとおりなら、同じ空間魔法の鎧でもない限り、防ぐことはできない。
ペイジントンでのタクヤの戦い。あれが初戦だったなんて、今でも信じられない。圧倒的な魔族を、彼は文字通り切り刻んで料理した。寄せ来る魔獣の軍勢も、片端から。
あの力を敵が手にしたのだ。オーギュスト……勇者ルテラリウスを支えた大賢者、ベリアス・テオゲルフですら使いこなせない、上級の空間魔法を。
魔王は、その魔法でお爺様を切り刻んで殺した。許せないし憎い。でも、それ以上に無力感が広がる。絶望的な力の差を感じる。
その時、部屋に人の気配がした。目を開き体を起こすと、部屋の隅の椅子に腰掛ける人影があった。
……気のせいか、やけに小さく感じられる。
「起こしてしまいましたか、ミリアム・ガロウラン」
「皇帝陛下……」
先ほど、謁見の間で聞いた声だ。それが、こんなに弱弱しく響くなんて。
「ルシタニア……
陛下は周囲に誰もいない時は、こうして普通に語りかけてくださる。勲章を授与された時にも、小声で。その後の晩餐会でも。
そう。謁見の間での彼は、皇帝を演じておられるのだ。誰もが同じ。私もあの場では、陛下に忠誠を誓う臣下の一人を演じていた。
「君も、同じ事を思っておるのだろう」
窓からは満月の明かりが降り注いでいる。その光が届かぬ闇の中に、陛下はうずくまるように座り、身を小さくしている。
「それでも、余は行かなければならぬ。余は、皇帝とは、まさにこの時のために生かされてきた者なのだから」
「……陛下!」
フッ、とため息をつく音。
「そう。誰もが余を『陛下』と呼ぶ。余を
陛下、と呼びかけようとして、思いとどまった。その代わりに滑り出た言葉。
「あなたの……
「……五人目になってくれるのか?」
私はなんてことを。不敬罪に問われかねない。でも、陛下が望まれるなら。
私がうなずくと、彼は答えた。
「クロードだ」
心のなかで繰り返す。クロード・ルテラリウス。雲の上の皇帝陛下が、今は一人の人間として感じられる。
「ならば、頼むから……」
闇の中で陛下は立ち上がり、月の光の下に歩み出てきた。
「頼むから、余を哀れんだりしないでくれ。余はただ、己の務めを果たすだけだ。果たしきれなければ、勇者であるタクヤ殿に委ねるだけだ」
その頬は、月光に輝く銀の涙にぬれていた。
「はい……クロード」
そう言って額ずき、顔を上げると。
部屋にはもう、誰もいなかった。
********
翌朝。私は皇帝陛下への謁見を願い出て、即座に許された。異例の早さだと思う。
玉座の前に
「して、ミリアム・ガロウランよ。そちは余に何を願う?」
昨夜、部屋で聞いたのとは違う、威厳のある声だ。……あくまでも、表向きの。
「……こ度の御親征、このわたくしに随行をお許しください」
しばしの沈黙。やがて、陛下の声がそれを破る。
「それは、余の近衛の魔法兵としての登用を願うと言うことか?」
……出過ぎたことだと、私も思う。
「そこまでは望みません。ただ、少しでもお近くで、お役に立てればと」
実力はあるはずだ。今朝、自分に鑑定の呪文をかけたところ、レベル二十に達していたのだから。
お爺様はもういない。タクヤのもとには戻れない。なら、人類の希望、その象徴であるはずの、皇帝陛下のお役に立つことが、私にとっての最善のはずだった。
そう信じた。そう信じたかった。
「……よかろう。そなたを近衛魔法兵に任じる。余と共に参れ」
「はい」
こうして私は、近衛魔法兵の分隊長に任じられた。階級は軍曹。軍人としての教育も受けていないのに。一兵卒で良かったのに。
死んでもまだ、お爺様の七光は消え去っていないのね。
お仕着せの制服は微妙にサイズがあっておらず、借り物の衣装のように違和感があった。そして、練兵所にて部下として引きあわされたのは、新米の魔法兵。皆、十代の半ばで、成人したかどうかの若さ。いや、幼さの残る少年少女たちだ。
先任の古参兵が私の補佐役として付けられた。三十代の落ち着いた男性だ。名はパトリックと言った。階級は伍長。黒髪の中に白いものと無精ひげが目立つが、実直そうな目をしている。
「こちらがお前たちの指揮官となる、ミリアム・ガロウラン殿だ。長らくアストリアス王国魔術師ギルド長を務めていた、ハスター・ガロウランを祖父に持つ。そして、あの『涙の勇者』の盟友でもあった。まだ若いが、レベル二十の達人だぞ」
魔法兵たちにどよめきが生じる。補佐役のパトリックに促されて、彼らに向かって私は挨拶をする。
「私の呼び名はミリアムで結構です。この戦い、何としても生き延びて、陛下のお役に立ちましょう」
そう言って一礼すると、皆の表情が……特に、傍らのパトリックの表情が微妙だった。
どうも、うまく伝わらなかったらしい。軍人は死を美化する傾向がある、というのがお爺様の口癖だった。
「祖父は、第一次の派遣隊に参加し、戦死しました。その直前、部下の一人を逃がして、こう命じたそうです。『生き延びて、この事を王都に伝えろ』と」
多少、脚色しているが、お爺様は怒らないだろう。
「陛下のお役に立てるのは、生きている兵士だけです。生きて帰れば、その分経験を積んでレベルが上がり、さらにお役に立てます。生き延びることこそが、より強い兵となる条件です」
タクヤなら、ここにいる誰一人とて、死なせはしないはず。だから、私もそう願う。そのために全力を尽くす。
だって……だって私こそが、もう一度あなたに会いたいのだもの!
パトリックが号令をかけ、部下たちは訓練に入った。私は椅子に腰をおろして、今朝、制服と共に渡された指揮官向けの教本を、一心不乱に読みふける。
出撃まで、あとたったの一週間。その間に、一通りの陣形や戦術を把握しなければならない。大丈夫、この程度の内容なら今日中に読み終える。問題は、体に叩きこむ時間が無さ過ぎることだ。
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近衛魔法兵団第三小隊第二分隊。それが私の任された部署だ。初々しいと言うには幼すぎる、新人魔法兵ばかりの集団。それでも、古参の副官パトリックの訓練で、一通りの戦闘陣形と連携はできるようになった。
問題は私だ。毎日、夕食の後に食堂の隅で、彼からダメ出しを受けている。
「お嬢」
彼は、二人きりの時はそう、私を呼ぶ。
「あんたは魔術師としては一流だ。勇者殿の右腕だけあって、度胸も座ってる。だが、指揮官としては三流だ」
何度も聞かされた言葉だ。
「防御結界と細かい牽制の反撃は、
出がらしになってぬるくなった紅茶を、彼はぐっとあおると続けた。
「なのに、なんだって小童が倒れそうになるたびに、対価を引き受けたりするんだ! あんたが
「……はい、気をつけます」
パトリックの言葉は乱暴だが、心底、私のことを思って言ってくれているのが分かる。あの魔法学の奥義は、ごく限られた者をのぞいて伝えることを禁じられているのだから。
軍隊では、まるで当然のように下級魔法兵を使い潰してしまう。その危険性も知らずに。
一応、こまめに対価の量を確認していて、八十を超えないようにする規則だが、ほとんど守られていない。
もちろん、下級で使える魔法では魔核発生の可能性は低い。それでも、ないわけじゃない。
もうこれ以上、魔人を生みだしてはいけない。
もちろん、私自身も含めて。だから、パトリックの言うことは正しい。可能性から言ったら、私の方がはるかに高い。
でも私は、そんな彼のように割り切れない。
タクヤなら……タクヤなら、こんな時どうするのかしら。
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