私は貴方を愛さない 5
アスランの入室の許可を求める声に、咄嗟に反応できなかった。
「あ……」
声を出そうにも言葉として紡ぐ前に唇が止まってしまう。
体から血の気が引き、震えが止まらなくなった。
何故。何故。
そんな思いばかりが頭の中を占領し、まともな思考をすることができない。
考えなければ。どうにかしなければ。
こんな所をあの方に見られるわけには行かない。
「リステラ。話がしたいんだ」
扉の向こうからもう一度アスランの声が聞こえた。辛抱強く抑えつけた声音。恐らく部屋に押し入りたい気持ちを我慢しているのだろう。
傍にいた侍女は、食事の用意が終わったらしく突然の王太子の訪問に驚きながらも、私の指示を待っている。
彼女はただ固まって動けなくなった私に向かって静かに問いかけた。
「リステラ様、如何なさいますか?」
アスランはこの国では王太子。彼は王族で、ここは王城。私は『柱神』だったとはいえ、今はその役目を終えたただの神殿の巫女である。
ここにおいてはアスランの要求が何よりも優先されるべきで、私がどんな事情を抱えていようと、無茶なことでもない限り彼の要求を断ることは出来ない。
けれどこの侍女は、昨晩の私と王太子の事情を知っている。 その上で、私に「如何なさいますか?」と問いかけてきた。
本来ならば私が拒否しても王太子の望みを優先させるべきなのに、あくまで私の指示を待ってくれている。
私の気持ちを慮ってくれている。
……ありがとう。
彼女の優しい気遣いに感謝を抱き、私は震える指をぎゅっと握りしめた。
想定外のアスランの訪問に取り乱してしまった。
冷静になれ、と自らに念じながら深呼吸する。
幾分か落ち着くと、固まっていた体が弛緩して今度はもうつかえることなく返事をすることができた。
「お呼びして下さる? それとアスラン殿下と話している間は二人だけにしてくださるかしら」
「かしこまりました」
侍女は静かに一礼すると、くるりと後ろへ向いてアスランを出迎えに去っていった。
私はその様子を見届けて、静かに目を閉じた。
これが本当に最後だ。
彼は納得しないかもしれない。いや、納得していないからこそこうして朝早くから私が逃げられないようにわざわざ部屋に直接訪ねてきたのだ。
今度こそ本当に終わらせる。
十年かけて私が固めた意思は、その決意は、決して簡単に作られたわけではない。悩んで悩んで、それこそ苦しくて枯れるまで泣いた末の、最善と踏んでの苦渋の決断だった。
今度こそ動じない。
大丈夫。
「──リステラ」
彼の声が聞こえて、私は目を開けた。
侍女と入れ替わる形で入ってきたアスランは、私が永き眠りから目覚めた日と同じように柔らかな笑顔で私を見つめている。
またどこかでズキリ、と胸が傷んだ気した。
でもきっと気の所為だ。私は、この人のことなんか。
貴方のことは。
愛していないもの。
「──朝早くから淑女の部屋を訪ねてくるなど失礼ではありませんか? 王太子殿下」
大丈夫、私は上手くやれる。
だって、かつてあんなに愛していた人を目の前にして。
「それで、話とはなんなのでしょうか。私は別に貴方に話すことはもうないのですが。まだ何か御用がおありで?」
こんなにも冷たく笑うことが出来るのだから。
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