妻の助け

「懐かしい……」

 ワイバーンとの戦いなど、いつぶりであろうか……魔王軍には、その維持費故に少数であるが、ワイバーン騎兵の部隊が存在していた。魔王との戦いにおいては、上空から攻撃してくる彼らは目障り極まりなかった。もっとも視認さえしてしまえば、強大な魔力を持つ彼にとっては大した脅威には成り得なかったのであるが。密林で奇襲をかけに来る狼などの方が、厄介の度合いでは上である。

 上空から迫りくるワイバーンに向かって雷撃を放ち、即座に撃ち落とす。それをくぐり抜けてきた何匹かがその耳元まで裂けた口を開き、透明な液体を放った。液体が当たった宮殿の壁が、発泡しながら溶けてゆく。溶解液だ。

「厄介なものを……」

 セイは毒づかずにはいられなかった。溶解液では、魔術結界による守りも意味をなさない。ワイバーンには多種多様な種がおり、遺伝的には大きな隔たりがあるのだという。例えば、火のブレスを吐く赤い鱗をしたワイバーンと、体から放電する白い鱗のワイバーンとは、互いに交配することは不可能である。溶解液を吐くタイプのワイバーンは南方で多く産出し、軍によって飼育されているが、南方の地方軍の兵士が反乱に加わっているのかも知れない。

 セイは接近してきた数騎を、雷撃によって即座に撃墜した。空から降り注ぐ雷の直撃を受けた有翼の猛獣たちが、ひらひらと回転しながら地上へと落ちて行く。

 だが、その中に、討ち漏らしがいた。討ち漏らされた一騎が、セイに肉薄する。ワイバーンの口が開くと同時に、騎乗した帯甲が、握った弓に矢をつがええ引き絞る。

 そのワイバーンの脇腹に、槍のような大型の矢が突き刺さった。ワイバーンは吹き飛ばされ、そのまま地面に墜落した。驚いたセイが矢の飛んできた方向を見ると、そこにいたのは、備え付けのバリスタを構えている正妻、リンの姿であった。

「お前! 何をやっている! 逃げろと言ったではないか!」

 セイは腹から声を振り絞って叫んだ。後宮の美女たちの全員は抜け道に通して逃がしたが、その後どうなったかは分からない。だが彼女は、最後までセイの傍にいようとしてくれた。けれども、もう自分の傍に置いていては、この正妻を守り切ることのできる自信もない。故に彼女には、皇帝専用の特別な抜け道を教えて、そこから逃げよと言い聞かせていた。だが今、彼女がそこにいるということは、それに敢えて背いたということである。

「いいえ、私にも戦わせて」

 それを聞いたセイは、感極まって涙を流しそうになった。二人で肩を並べて敵と戦う日が再び訪れるとは、全く予想だにしなかったのである。彼女は元々、セイの戦友であった。彼女は魔術の才こそ平凡であったが、薬師であった彼女の父の影響で、薬の知識を持っていた。チートクラスの魔力を持つセイも、何度か彼女に救われたことがあった。彼女がいなければ、セイの今の地位はなかったであろう。

 その、セイの顔面に向かって、矢が七、八本、飛んできた。セイは慌てて防御魔術を使い、体の正面に障壁を貼ってそれを弾く。下を見ると、壁をよじ登り屋根の上に立った弩兵が、セイに向かって憤激の眼差しを向けていた。上空のワイバーンに気を取られている間に、敵兵は矢の届く距離まで接近してきていたのである。

「小癪な……」

 セイはすかさず雷撃を掃射し、屋根に殺到した弩兵を前線から駆逐した。だが、すぐにその後ろから弓や弩を構えた兵が繰り出してきて、矢弾の斉射を浴びせてくる。セイは、時折眠い目を擦りながら、魔術障壁でそれらを防ぐ。リンもバリスタを密集した敵兵に向け、その大型の矢を打ち込んだ。

 だが、そのリンの姿が、敵の目に留まった。敵の弓兵弩兵の一部が、リンの方へ矢を向けた。

「なっ……」

 眠気からか、セイの反応が一瞬遅れた。セイが魔術攻撃を繰り出すよりも早く、矢弾がリンに向かって斉射される。

「リン!」

 セイは叫んだが、遅かった。リンは、矢を避けられなかった。矢の斉射を受けたその体は、さながらハリネズミの背のようである。そのハリネズミは、力なく倒れ、冷たい石の床に臥せった。

「皇后リンの首、我らが討ち取った!」

 リンの遺体に敵兵が群がり、その中の一人の若い男が、腰にいた剣を抜き、首を切り取って掲げた。それに合わせて、反乱軍の兵士たちは宮殿を揺らさんばかりの歓声を上げた。

 寝惚けかけていたセイの頭に、まるで鈍器で殴られたかのような衝撃が走った。リンの死という、受け入れ難い現実が、半分閉じかけていたセイの目を再びはっきりと開かせた。

「貴様ら……許さない……」

 セイの目に、怨怒えんどの烈火が灯った。弓弩の兵が、そこに向かって再び矢を放つ。セイは動かず、杖を正面に向けた。矢は空中で一旦制止すると、その鏃が向きを真後ろに変えた。矢の向く先には、弓弩の兵たちが立っている。

「死ね」

 セイが杖を振るうと、後ろを向いた矢が、弓弩兵の頭上に降り注いだ。先の尖った雨が、矢を放った側であるはずの者たちの頭を、胸を、腹を貫き通してゆく。

 それを見た後続の兵たちが、一瞬たじろいだ。その隙に、セイは特大の火球を四発程降らせ、彼らの立っている屋根ごと敵を焼き尽くした。反射的に盾を構える兵もいたが、そのような物で大火力魔術を防げるはずもない。その体は盾ごとまとめて焼き焦がされた。魔王軍の幹部を焼き殺した魔術である。雑兵に防ぐ術などはない。

 彼らが足場としていたのは宮殿の一部であり、その屋根も壁も魔術結界で守られているが、セイの特大火球に、結界の方が耐え切れなかった。


 戦いは、まだ終わらない。

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