第七話

 結局、ダベンポートとウェンディがどうにか隣国の古文書から魔法陣の断片を繋ぎ合わせ、複雑なジグソーパズルのような問題を解読したと納得するには三週間以上の期間が必要だった。


 その間二人はダベンポートの書斎に籠りっきりになっていた。リリィのお茶も断り、食事は部屋に運ばせるサンドウィッチ。ほとんど寝食を忘れ二人で解析に没頭する。

 古文書は適宜、魔法院の巨大資料室(グレート・アーカイブ)から馬車で運ばせた。用済みになった古文書は巨大資料室(グレート・アーカイブ)に戻し、目新しいものを資料室の司書達に選んでもらう。

 ダベンポートの号令で、隣国の古文書を漁る司書の人数はすでに十人を超えていた。ダベンポートの”司書軍団”だ。


 ダベンポートとウェンディはそうやって届けられる魔法陣の断章の文言を解読し、ものによっては採用し、あるいはまったく同じように見える文様も場合によっては廃案として取捨選択していった。

 いくら形が同一とはいえ、水虫治療の魔法陣がサンドリヨンの背中に彫られているとは到底思えない。

 ほとんどの部分はサンドリヨンの背中から精密にスケッチしたウェンディの記録をそのまま利用しているが、一部途切れている部分や、歪んだ部分は隣国の古文書から拝借してきた魔法陣の断章で補完してある。

 時折ダベンポートはサンドリヨンを二階に呼び出して、候補となっている魔法陣の断章とサンドリヨンの背中のタトゥを照らし合わせることもあった。

 こういう時、ダベンポートは部屋の外で待ち、実際の検証はウェンディが行う。

 中には有望なものもあったし、中にはサイズがまったくあっていないものもあった。やはり、実際に合わせてみないとわからない事は多い。

 進みは極めて遅かったが、それでも二人は堅実に正解へと進んでいった。


………………

…………


 三週間後、ダベンポートとウェンディはそうした無関係そうな陣を取り除き、切れ切れになった魔法陣の断章をちゃんとつなぎ合わせることで、ついにちゃんと意味を成す魔法陣に再構築することに成功した。


 出来上がったら次は検証。

 二人は昨晩ようやく完成した魔法陣を二階の客間のベッドの上に広げると、もう一度入念に査読し始めた。

 無論、断章をつなぎ合わせる過程でそれが意味を成すかどうかは二人で十分に検討した。だが、全体を通して検証するのが今日が初めてだ。


「じゃあ、始めようか」

「はい」

 白い手袋をした四本の指が出来上がった魔法陣の上を両側から辿る。 

 最初は無言。

「…………」

 ダベンポートがマナの入力から出力を辿り、ウェンディは逆ルートでマナの出口から入口に向かう。

 三週間もつきっきりだったこともあって、二人の息はぴったりとあっていた。

「!」

 やがて、二人の指は魔法陣の中心部で衝突した。つまり、マナの経路はピッタリとあっているということだ。

「よし、じゃあもう一回。今度は動作を口に出しながらやってみよう。僕がマナの動きを追うから、ウェンディは変な迂回が起きないかどうか注意してくれ」

「はい」

「では始めよう……まず、マナはこの四箇所の入り口から回路に入る」

「マナの入力、チェック。正常に四つの流れのマナが魔法陣に流入します」

「それぞれのマナの流れは螺旋を描きながら、徐々に中心部に向かう」

「流線に問題はありません。迂回しない事を確認。流れは正常に中心に向かっています。不審なフェーズゲートがない事も確認しました」

「よし。内側の魔法陣に入った四つの流れはお互いに干渉することなく中心に向かう……」

「……マナの流線に交差は発生していません。それぞれが独立した流れとして中心に向かいます……」


 結局同じ確認を三回繰り返したのち、ダベンポートとウェンディはようやく魔法陣の検証が十分であると納得した。

「……これで完成ですわね、ダベンポート様」

 ウェンディの目の下の隈が濃い。おそらくダベンポートも同じような顔をしているのだろう。

「ああ。これでよさそうだ。あとはこれをサンドリヨンの背中に写せばいいだけなんだが……」


 実のところ、それが最大の問題であることはすでにウェンディがダベンポートに指摘していた。

 王国の魔法は基本的に魔法陣を『焼き付ける』。

 これに対し、サンドリヨンの魔法陣は文字通り彫り込まれたタトゥだった。

 これを修正するとなると、どこかから皮膚の切片を拝借して移植しなければならない。

「移植自身は問題ないと思います」

 力なく客間の椅子に身体を預けたウェンディがダベンポートに行った。

「何しろサンドリヨンさんは”超人”ですから、皮膚を剥がそうが、あるいは縫い付けようが一瞬で回復してしまうと思いますわ」

「ああ、そうだな」

 ウェンディの隣にだらしなく座ったダベンポートが力なく答える。

「問題はタイミングです」

 ウェンディが身体を起こす。

「今二人で検証した通り、この魔法陣のルートは常識はずれに長大です。ですから、仮に一部を切除したとしても五分くらいなら影響は出ないと判断しています。でもそれを過ぎると……」

「最悪跳ね返り(バックファイヤー)か」

 ダベンポートは思わずため息を吐いた。

 実のところ、外科手術に関してはかなりの自信があった。ダベンポートの指先は器用だ。植皮術も何回も行っている。だが、タイムリミット付きとなると……

「要するに、傷ついている魔法陣を切除して、そこに”ぴったり”同じ形の皮膚を移植する訳ですよね?」

「ああ、その通りだ」

 ダベンポートは頷いた。

「そして、ダベンポート様のお考えだと、タトゥは事前に入れておく必要がある、と」

「それも、その通り」

 ダベンポートは頷いた。

 結局のところ、移植が必要な場所は複雑な形をした一片の皮膚にまとめることができた。郡区の一部を地図にしたような形だ。異常がないと考えられる部分を巧妙に逃げながら作図した結果、そうなった。

「本当は白紙の状態で移植して、そこにタトゥしたいんだがなあ……」

 ダベンポートはもう何回も口にしていた愚痴を再びこぼした。

「でも、それじゃあダメだって、ご自分で廃案になさったじゃないですか」

 細い人差し指を立ててウェンディが指摘する。

「ああ」

 白紙の皮膚を移植してそれが定着した場合、その瞬間からマナの流れが狂う。それだとおそらく確実に跳ね返り(バックファイヤー)行きだ。

「やっぱり、先にタトゥしてそれを切り出して植皮するしかないのか……」

「まあ、慰めはタトゥには十分な時間を使えることですわね」

「そう、だな」

 ダベンポートはベッドの上に広がった大きなタトゥのスケッチを見ながら呟いた。

 移植しようとしているのは単なる魔法陣の断章だ。これだけなら模様を入れ墨するのと何ら変わらない。

「ま、できる限り精密にタトゥして、そこから先は時間との勝負だな」

 ダベンポートは憂鬱そうにつぶやいた。

 これは難しい手術になりそうだ。


「…………」

さすがに疲れた。そのまま虚脱したように座り、二人で窓から青い空を流れる雲を眺める。

 ふと、何かに気づいたのか

「そういえばもう一つ問題があります」

 とウェンディはダベンポートに指摘した。

「確かにこれで魔法陣は修復されるでしょう。でも、魔法院からの命令はどうするのですか? 魔法院の命令はこの魔法陣の”無効化”です。そちらについては……」

「ああ。それについては僕に考えがある」

 ダベンポートはウェンディに言った。

「まあ、君は黙って見ているといい」


 ふらふらになったダベンポートとウェンディが力なく夕食の食卓に座った時、二人はすぐにサンドリヨンに何か大きな変化があった事に気づいた。

 サンドリヨンが生き生きとしている。リリィと一緒に、時折談笑しながら夕食の配膳をしている。

「まあお二人とも、とってもお疲れでいらっしゃるわ!」

 サンドリヨンはとりあえずのスープを配膳すると、元気よく二人を労った。

「本当です。旦那様、今日はちゃんと食べてよくお休みになってください」

「……サンドリヨンさん、あなたは一体どうしてしまったんです?」

 ダベンポートは力なくサンドリヨンに訊ねた。

「本当に。以前のサンドリヨンさんとは別人のようですわ」

 ウェンディも椅子を引きながら彼女に訊ねる。

「いえね、」

 サンドリヨンが口元を片手で隠しながら嬉しそうに笑う。

「お料理をするのがこんなに楽しかったって事をリリィさんが思い出させてくれたんです!」

「サンドリヨンさんはすごいんですよ!」

 サンドリヨンの後ろからステーキを運びながらリリィがダベンポートに言う。

「なんでもご存知だし、手際もとってもいいんです。とても良い勉強をさせてもらってます」

「やあねえ、それは生徒がいいからよ。リリィさんは本当に筋がいいわ。将来はレストランを経営するといいかも知れなくてよ」

「嫌です。だってわたしは旦那様のハウスメイドですもの」

 笑いながらリリィがサンドリヨンに言う。

「じゃあ、二人でやればいいじゃない。『レストラン・ダベンポート』、トップシェフはリリィさんってどうかしら」

「いやだわ、サンドリヨンさん」

 二人は仲睦まじく笑い合いながら階下のキッチンへと降りていった。

「……本当に、どうしちゃったのかしら。三週間前の死人みたいなサンドリヨンさんとは別人だわ」

 半分呆れたようにウェンディが言う。

「何か、生きがいを見つけたのかも知れないなあ」

 考えながらダベンポートが言う。

「どうやらリリィに料理を教えて何か得るものがあったようだな」


 その日の夕食はダベンポートの大好物の一つである、”カーペット・バッグ・ステーキ(分厚いサーロインステーキの側面に切り込みを入れてポケットを作り、そこにオイスターを詰めたのちに木綿糸で縫ってオーブンで焼いたステーキ)”だった。

「やあ、カーペット・バッグ・ステーキか。体力回復にはこれに限る!」

 ダベンポートが景気良く両手を擦り合わせる。

「旦那様には1ポンド、ウェンディさんにも1ポンド用意しました。オイスターは今朝デービッドさんが仕入れてきたもの、お肉も最上のものが手に入りました。これで元気を出してください!」

 リリィは両手を腰に当てて胸を張った。

「カーペット・バッグ・ステーキというお料理は私も初めて見ましたが、これは良い考えですね」

 とサンドリヨン。

「栄養のバランスも適切ですし、消化にも良さそうです。王国料理もまだ奥が深いようです」

「まあ、労働者の夕食だよ。だが、材料が良いとここまで豪華になるとはね。まあ、頂こうか」


 四人で揃って食事を摂るのは実に三週間ぶりだ。

 ダベンポートもウェンディも久しぶりの人間らしい食事を大いに堪能した。

 ステーキにナイフを入れた瞬間肉汁が溢れ、口に含めば中から流れ出すオイスターのミルキーな風味がそこに芳醇な彩りを加える。

 ダベンポートとウェンディはおしゃべりをするのも忘れ、ガツガツとステーキを口へと運んでいった。

 その間、リリィがサンドリヨンに教わった事を次々に披露する。

 どちらかというと無口なリリィがこんなに喋ることは珍しい。よほど嬉しかったのだろう。

 リリィの足元ではキキが小ぶりに作られたカーペット・バッグ・ステーキにかじりついている。オイスターは猫の身体によくないかも知れないと言うサンドリヨンの意見に従って、縫い込まれているのは小ぶりのイワシだ。

(ああ、平和な食卓だ)

 ダベンポートはステーキを味わいながら思った。

(あとはこれでサンドリヨンを治療してしまえば今回の”キャンプ”も終了か。少し寂しくなるが仕方がない)


 夕食後、四人はそろってリビングに移動して食後の飲み物を楽しんだ。ダベンポートとリリィは紅茶、サンドリヨンとウェンディはダベンポート秘蔵の高級なブランデーを頂く。

 元々二人用のソファに女性が三人座ったため少し狭かったが、サンドリヨンとリリィがまるで姉妹のように密着しているため、思うほど狭そうではなさそうだ。

「ああ、ブランデーなんて久しぶり。この香りとお腹が暖かくなる感触、素敵だわ」

 サンドリヨンが少し頬を赤くしながら、「ふう」と色っぽいため息を吐く。

「ダベンポート様、このブランデー美味しいわ。もう一杯頂いても?」

 今にも手酌でブランデーを飲み始めそうな勢いで、すぐに空になってしまったグラスをウェンディがダベンポートに差し出す。

「さて、お楽しみのところ恐縮なんだが、仕事の話だ」

 ダベンポートはウェンディのグラスになみなみとブランデーを注いでやりながら口を開いた。

「事前準備は全て完了したよ。なぜサンドリヨンさんが死なないのかという最大の謎についてはまだ解決していないが、少なくとも治療の目処は立った」

 三人がダベンポートに注目する。

「明日からサンドリヨンさんの手術を行うつもりだ。術式は植皮術、サンドリヨンさんには申し訳ないが、お尻の皮膚を少々拝借しようと思う」

「はい」

 サンドリヨンが頷く。

「植皮自身は難しい手術ではないんだが、植皮前に削ぎ取る皮膚に魔法陣のタトゥを施さなければならなくてね、これにおそらく二日かかる。これが終われば後は早い。剥ぎ取りに少々時間がかかるが、それでも合計で五分はかからないと思う。僕としては植皮は一分以内を目指したい」

「一分!」

 驚いたようにウェンディが目を丸くする。

「ああ。ウェンディ、タイム・キーパーを頼むよ」

「はい。了解しました」

「あ、あの……」

 その時、おずおずとリリィが右手を上げた。

「手術って、まさかサンドリヨンさんが死んじゃったりとか……」

「ははは、それは大丈夫だよ」

 ダベンポートは気休めを言った。

「まあ、安心したまえ。何しろサンドリヨンさんはすでに”超人”状態だからな。おそらく何も起こらないよ」

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