第25話~匠くんと琴海さん

 私と航太朗くんが用意していたのはもつ鍋だった。

 近くの精肉店で仕入れて貰っていたもつは新鮮で、たくさんのキャベツとニラ、味付けに昆布と鰹節を使った私の故郷、福岡の名物料理だった。

 熱々の蓋を開けながら

「もつが苦手じゃなければいいんだけど」

という私に三人は口々に声をあげた。


「めちゃくちゃ美味しそう」

「大好物です」

「うまそう」


 その言葉に嬉しくなった。


「味噌味や塩味にすることもあるけど、今回は醤油にしました」

 みんなが美味しそうに食べるのを見るのは嬉しい、それを確かめてから私も箸を取った。


「やっぱり、奏さん良い奥さんになるよ、航太朗、ちゃんと捕まえておけよ」口にたくさん頬張りながら匠くんは、航太朗くんに目配せした。

苦笑いしながら航太朗くんは、そんなこと言うなと言う顔をして匠くんを睨む素振りをした。


「ほんとに美味しいです、是非レシピ教えてください」

琴海さんも笑う。


 いつか全てを失うのではないか、足元を掬われるのではないか……心の内ではそんな思いが消えない。

 その気持ちを打ち消すように明るく返事をした。


「簡単で美味しいし、市販のつゆを使ってもいいから、結婚したら是非作って見てくださいニンニクと鷹の爪を入れたらそれなりの味になるし」


 心の奥に芽生えた、小さな想いに気づかれないようにと思いながら琴海さんにそう返事をした。


 食事が済んで、台所で琴海さんと並んで食器を洗った。


「匠が言うように、航太朗くんと奏さんお似合いです」


 返事をするのを躊躇ためらっていると

 琴海さんは話を続けた。


「あの……和羽さんのことですか?匠に話は聞いています」


 私は琴海さんが洗い終えたコップを拭きながら言った。


「私は、和羽さんになれない」


二人の間に少しだけ沈黙の時間があった。

 食器を洗い終えたあと、最後に鍋を洗いながら琴海さんは静かに話し始めた。


「匠は何も言わないけど、きっと匠も和羽さんを好きだったんだと思います、航太朗くんに気を使って思いを伝えてはいないだけなんだと思う……それくらいのこと私には分かります、だって好きな人だから……大好きな人だから」


 好きな人だからわかる、だからこそ辛いのだ、その想いを琴海さんも持ってるんだ。


「うん……好きになっちゃいけないと自分に言い聞かせてるんだと思う」


 初めてあった人なのに、誰にも言えなかったことが、私の唇から溢れた。


「辛いですよね、でも航太朗くんを見ていると以前より明るくなってるし、幸せそう、匠も奏さんみたいな人がそばにいてくれるから嬉しいって言ってました」

 手を止めて琴海さんは、私の目をまっすぐ見ながら言う。

本棚の上でずっと寝ていたファティマが、二人の間にやってきて足元に柔らかな身体を擦り寄せてきた、私は頭を撫でながら呟く。

「そうかな……そうだといいんだけど」

 私より四つも歳下の琴海さんに

 気持ちを伝えて少しだけ楽になった気がした。


「わぁ、この子がファティマなんですね可愛い」と頭を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らしながら寝転がった。

「ファティマって、気を許した人の前でしかこんな姿を見せないの、琴海さん合格だね」

琴海さんは、しゃがんでファティマの頭を撫でた。

「そうなんだ、ファティマこれからもよろしくね、そして不器用な二人を見守ってあげてね」

そう言いながら笑顔で私の目を見た。


 リビングでゲームをしていた航太朗くんと匠くんが台所にやって来た。


「なんか、二人でコソコソ男たちのこと噂してなかった?」

 琴海さんの肩に触れながら匠くんはいたずらっぽく笑った。

「してません!匠、私の荷物の袋持って来てくれない?さっき買ってきたお菓子……」


「そうそうそうだったな」

 と言いながら二人はリビングに向かった。


 側で二人の会話を聞いていた航太朗くんは「コーヒーか紅茶いれようか」と私の横に立つ、珍しくお酒を飲んだからかいつもよりもっと優しい。


「琴海さんいい子だね、ほんとに……」


「仲良くなれそうで良かった」


私の顔を覗きこんで、嬉しそうに笑う、電子ケトルにミネラルウォーターを入れながら航太朗くんは言った。


 親友が幸せそうな姿を見れば私もきっとそう思うだろう。


 棚の中から、二人のお気に入りのコーヒーとマグカップを四つトレイに乗せた。


 そんな風に優しくて楽しい時間は緩やかに流れた。



 *****************


 駅のホームに降り立った途端、ひんやりとした冷気が足元から這い上がってきて、少しづつ冬が近づいていることを感じる。


 私と航太朗くんの住む町。

 駅前は、カフェやドラッグストア、コンビニなどで明るい。


 住宅街へと向かう道に入ると、途端に静かになり家々に明かりが点っているのが見える。

 その一つ一つに家族がいて、帰ってくる誰かを待っている人がいるのだ。


 私たちが住む家が見えてきて、明かりがついていることに気がついてホッとする。


 バッグから鍵を出そうとした時に、航太朗くんが家の引き戸をガラガラと開けて出て来た。


「おかえり奏、そろそろ帰ってくるかと思って迎えに行こうかと思ってたけど、出遅れた」


 笑う航太朗くんの優しさに胸が少し痛む。


 すうっとひとつ息を吸い、心を落ち着けて「ただいま」と微笑んだ。



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