第14話~仔猫の名前は「ファティマ」
航太朗君のメッセージを見た私は自分でもびっくりするくらい嬉しかった。
改札を出て、私は自分の住む街へと降り立った、少し風が出てきた。かろうじて「涼しい」といえる風だ。
今月が終わる頃には、同じ街で受ける風も「寒い」と感じていることだろう。
季節は過ぎる。生きていれば。
1度も入ったことはないが、航太朗君の家は知ってる。
古いが上品な平屋の一戸建てで通りに面した塀には蔦が一面に深緑色の美しい葉を揺らしている。
足早に家の前まで来て、チャイムを押すより前にLINEを送った「今着きました」
スマホを閉じると直ぐに引き戸が開いた。
「お疲れさま、疲れてるのにごめんね、さ、どうぞ散らかってるけど」
仔猫はリビングに置かれた小さなダンボール箱の中でまるくなって眠っていた。
「可愛いね」
小さな黒猫の背中をそっと撫でながら言うと航太朗君は嬉しそうに笑った。
「僕さ、今まで生き物を飼ったことがないし、どうしていいか分からなかったけど、何だか放って置けなくて、とにかく座ってお茶でも入れるから」
そう言いながら台所へ向かった航太朗君は振り向くと「奏さん、ご飯まだでしょ、もうすぐカレーが出来るからよかったら一緒に食べて」
家の前に来た時から、スパイスの香りがしているのに気がついていた。
子どもの頃、家に帰った時にカレーの匂いがすると嬉しかったことを思い出した。
「嬉しいです、お腹ぺこぺこだし」
「なら良かった」
リビングにはたくさんの本が並んでいた、その中には私が読んだ本もたくさん含まれていて嬉しくなった。
その片隅に「アルケミスト」が置かれていて可愛い制服姿の女の子の写真も小さな写真立てに入れられて無造作に置かれていた。
きっと航太朗君が愛した人なのだろうと思うと、胸の奥が苦しくなった。
ソファーの前に置かれたテーブルで優しい味のカレーを食べた。
その頃には仔猫が起きて来て、部屋を歩き周り小さな鳴き声をあげた。
私は子どものころ生まれたばかりの猫を拾ったことがある。
家に連れて帰ると困った顔をした母親が迎えてくれた。
私の精一杯の思いを受け取ってくれて小さな毛糸玉のような仔猫は、私の初めての友だちになった。
「僕が育てようと思うんだ」
食事を終えて一緒に台所に立った私にぽつりとつぶやいた。
「そうだね、この家ならのびのびと育ってくれそうだしね、私も色々と手伝うよ」
捨てられた子犬のように笑っていた航太朗君は仔猫に寄り添うことを決めた。
そんな彼に寄り添って行きたいと思った。
ずっと先、私が誰かを愛し、愛されて、子どもを持つまで、きっとそばにいよう。
私の生きていくこの街で。
「猫の名前決めなくちゃね、何がいいかなぁ、奏さん決めてよ」
「ファティマはどう? 少年が愛したジプシーの女の子の名前」
アルケミストの物語の中で、サンチャゴがめぐり逢い愛した人の名前だ。
「そうだね、うん、それだ」
2人に『ファティマ』と名付けられた小さな黒猫はいま、連れて来られたダンボールの中ですやすやと眠りについた。
私を送ってくれるという航太朗君と並んで歩く道、ふと触れた手にドキドキする。
別れ際に思いきって聞いた。
「あの写真の中の人が、航太朗くんがずっと好きな人なんですね」
「うん、和羽って言う名前、今はあの空の上にいるよ……手が届かない場所にね」
空には半分の月とたくさんの星、三日月はもうすぐ。
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