第113話 かちこみまでの遠い道のり


 第四大隊詰所。

 ここは貴族街の外輪に点在する大隊本部の1つ。


 公都を守護する騎士団は、1枚岩では無い。

 騎士団長の率いる第1大隊を含む近衛3隊を筆頭に、13の大隊が存在し、その大隊長には公国の貴族が長となり、ほぼ私兵であるが、その維持費は各家の持ち出し。つまりは、その任を担う名誉であると共に経済的な負担でもある。


 元より、子爵家程度の家格で大隊長を務める事自体、無理がある話なのだが……



 門番は、見知らぬ若い兵士でした。

 尤も、前回顔を見たのは、何十人も居る中のたった2人。夜の番だったら、日中はお休み中でしょうね。


「どうぞ、中へお入り下さい」


「はい、ご苦労様です~」


 大隊長直筆の発注書を見せれば、ほぼスルー。態度も丁寧です。

 今度はすんなりと中へ入れました。

 まあ、私たちは出入りの業者なので、裏口お勝手口に回されるのだけれど。


「結構、大きいのね?」

「先代の辺境伯は、持ち船が2隻とも遭難する前は、海運でかなり稼いでいたみたいだからね」

「そうなんだ~。たいへ~ん」

「あははは」

「うふふふ」


 ジャスミンとハルシオンがそんな会話を交わしながら、物珍しそうに建物を眺めています。日中、改めて眺めると、白亜の堅牢な建物で、建築にはお金も結構かかりそう。

 どうやら経済的に困窮した為に、お役を辞したってところかしら?


 でも、そう考えるとデカハナ様がお金に汚いって噂が立つくらいに大変なのは、判る気がする。お野菜、どんなに実りが良くても、そんなに高く売れる物じゃないしね。


 そう思ったシュルルは、馬車を裏手に停めて、荷台の鍋を見渡した。


「お陰で、美味しいスープが出来ました!」


「お、おう……」


 荷台の向こうで、へイートを降ろしたエスパーダが、何をいきなりと変な顔をしているのがおかしい。


「じゃ、3つだけ降ろして! 鹿は1頭だけね!」


 ラミア3尾が寸胴鍋を1つずつ持ち、人間2人が鹿の入った麻袋を持つ。

 そのまま施設の食堂に運び込み、調理場へ生きた鹿を。


「お疲れ様です~! 肉食推進ギルドの者ですが~、受け取りにサインをお願い致します~!」


「ふん。どれ、どんなもんか、見せて貰おうか」


 おっと、出て来たのは、ちょっと高圧的な男の方。たんぽぽの綿毛みたいな頭をした、見事なまでの中年太り。たばこ臭い息で、結構匂う。


「俺はここの厨房を任せられるラシットってもんだ! 変なものだったら認めねぇ!」


「ほほ~う。つまりは、食べてみてからの?」


「当たり前だのクラッカー!」


 おおう、何だか良く判らないが凄い自信だ!


 ラシットは、はだけた胸元からチェーンで首から吊るした大きな銀のマイスプーンを取り出し、挑む様に身構えた。


「宜しい! こいつを食らいやがれ!」


 あ、いや。それは私のセリフだから、エスパーダさん。


「おほほほ! 這いつくばって赦しを請うと良いわ!」


 え、その。それは何かキャラが変わってませんか、ジャスミンさん。


 突如ぶっとんだあまりのテンションに、逆に冷めてしまったシュルルは、急に恥ずかしくなってしまった。


「えっと……美味しく召し上がれ……」


 手持ちぶたさに、親指と人差し指を合わせてもじもじ。まるで指がハートマークみたいだな~なんて思っていたら、姉妹に激しいダメ出しを喰らう。何で?


「ぬるい! シュルル、れーてん!」

「なってないわ! 全くなってないわよ、シュルルさん!」


 いや、これ、料理バトルものじゃないんだから。


「馬鹿野郎! 戦いを挑まれたら叩き潰す、じゃな~い! 相手が美少年だったらキープ! それ以外はいらん! 捨てろ!」

「うちのスープがそんじょそこらのものと思ったら大間違い! さあ、おあがりよ!」


 う、うう……何でこんなにテンション高いの!?

 はっ!? も、もしかして、これは初めての事で舞い上がってる!?


 この時、シュルルは双方の背後に、立ち昇る青き竜と、赤き鳳凰の如き揺らめきを見たかに思えた。


 ……これはもしかして……


 ハッとなって、自分の腕輪を見る。


 3つの腕輪が干渉して、幻影を……?


 シュルルはすかさず3つの鍋の蓋を開け、中のスープを3つの皿に盛りつけて、テーブルの一画へ静かに並べた。

 すると、えもいわれぬ豊かな香気が漂い出し、武骨な騎士団の食堂という殺風景な空間を満たしていく。


 ひくり、鼻を鳴らしたラシットは、ハッと我に返り、テーブルの上に置かれた皿を凝視した。


「な……んだと……」


「さ、どうぞ……」


 挑むようなシュルルの気迫。


 ひゅんと風切り、ラシットのマイスプーンが煌めいた。


「けひぃっ!!」




 カラ~ン……


「ぐはあっ……ば、ばかな……」


 乾いた金属音を発て、一瞬で空になった銅のスープ皿が床に落ち、まろびた鈴の如き囁きを響かせた。

 床に膝からくず折れたラシットは、己が手を呆然と見つめる。

 銀のマイスプーンは、気付いたら首からぶら下がり、揺れていた。


「こ、この俺様が、手掴みだとお~……」


「どうやら、勝負あったみたいね。さ、この書類にサインを……」


「み、認めねぇ! こんなのは、悪い魔法だ! インチキだ!!」


「いや、こういう茶番は結構ですから」


 小さな子供の様に、首を左右に振っていやいやするラシットに呆れたけれど、これどうする?

 ちょっと困っていると……


 カツーン。カツーン。


 廊下を歩く気配が近付き、やがてこの部屋へ。


「おっ!? 良い香りがするから、すぐ判ったぞ!」


「ああ、我が君!」


 顔を出した豚鼻のオークみたいな巨漢に、しゅるるとすり寄ったシュルルは、その首にまとわりつく様に抱き着き、まるで蛇の様に身体をまとわりつかせた。


「ん~……お会いしたかったわ……ちゅっ」


「夕べ、会ったばかりじゃねぇか? ん? ん?」


 人目をはばかる事無く、いちゃつき始める1人と1尾。それをみんなでぽか~ん。

 全身で熱量を感じ取れるのが嬉しくて、ついつい絡んでしまうシュルルだが、お互い悪い気はしない様で、スキンシップを楽しんだ。


「もう昼は過ぎましたわ。夕暮れまであっと言う間……」


「仕方ねぇな~……ん? どうした?」


 1人床にへたり込んでるラシットにようやく気付き、デカハナが誰となく尋ねると、その耳元で満面の笑みを浮かべシュルルがそっと囁いた。


「いえね。調理人同士の、スキンシップって奴ですよ。ねぇ、ラシットさん?」


「へ……へえ……」


「それより、今日は鹿を持って来ましたの! 今朝、獲れたばかりの生きがとっても良いの! ね、ね、御覧になって! 御覧になって!」


「ほお、そいつは楽しみだな」


 さもラシットの事が取るに足らない退屈でつまらない些細な事だと言わんばかりに、シュルルはデカハナの手を取り、調理場の傍らへ置かれた麻袋の方へと誘った。





 さて次の行き先は第七大隊です。

 シュルル達は悠々と詰所の裏手へ回り、特に変な事も無く荷物の搬入を済ませます。


 第七大隊の施設は、第四大隊のそれと比べて、少し狭くて小さい。番号が若いほど、先に編成された隊であり、後ろほど拡張された隊なのだ。だから、街の拡充に連れて詰所の場所も中心部から遠ざかる傾向にある。


 例によって、食堂で搬入のサインを貰っていると……シュルルの後ろに控えていた、エスパーダが上の方を眺め、ぽそっと呟いた。


「何か変な声、聞こえな~い?」


「ああ、あれね」


 対応にあたる騎士らしき男が、苦笑交じりに教えてくれた。どうも、昨日捕まえた犯罪者が騒いでいるらしい。


「凄く凶暴な奴でね。担当になった奴が可哀そうだけど、まあ仕方ないね。ああ、そっちの配膳も頼んで良い?」


「良いですけど……」


 そう答えながらも、例の声のする方を見てしまうシュルル。


「悪いね。他の用事があって、僕もすぐにこれを食べて、出なきゃいけないんだ」


「大変ですね。判りました! それはこのシュルルにお任せ下さい!」


 ぽんと胸を叩いてにっこり安請け合い。


「へイート君、手伝って頂戴」


「お、おでが?」


「うん」


「わ、わがっだ……」


 へイートは眠そうな目をぱちくり、こくんこくんと頷いた。

 重くて大きな寸胴鍋はシュルルが持ち、パンと皿とスプーンが入ったバスケットをヘイートが持ち後から付いていく。

 それを見送ると、今度はハルシオンが例の黒い鞄を持ち出し、大事そうに抱えてジャスミンに。


「じゃあ、僕はちょっと大隊長さんと……」


「え~、一緒じゃないの~?」


 配膳の準備を始めていたジャスミンは、一緒に出来るものだと思っていたから、ちょっと驚くと共にがっかりして、寂しそうに表情を曇らせた。そんな彼女に、本当に申し訳ないと。


「うん。大事な仕事の話があるんだ。手伝えなくて、ごめんね」


「そう……判ったわ! ここは良いから、行って来て!」


「そうそう! あんたはこっちを手伝う手伝う~! あたし1人にさせるなんて、酷いじゃな~い!」


「わわ、ごめ~ん!」


 不意に後ろからからかわれ、慌てて配膳へと戻るジャスミン。

 見ればエスパーダの前には兵士がずらり並んでいるではないか。昼番の第4大隊と違って、非番の第7大隊はやはり人が多い。住み込みの独身者が、香りに誘われどこからともなくぞろぞろやって来たのだ。


「いいねえ~若い子がいるって」

「ふわっと華やぐよな?」

「うん……良い香りだ……」


 どやどや入って来る大勢の兵士に交じり、騎士らしき人の姿もちらほらいる。

 身に着けている物で、大概の身分差が判る。だが、全体的に和気あいあいとした雰囲気で、ここでは身分による壁があまり無いかに思えた。



 さて、2階へと昇って行った、シュルルとヘイートは。


「う、うう……ろう……や……」


「何? ヘイートちゃんは、こういうの怖いの? うり、うりうり」


 外から鍵のかかる扉を前に、あんまりヘイートが膝をがくがくさせているから、ついつい尻尾で扉の前へと引き寄せてしまう。


「お、おでのあしが、あしがかってに~!」


「はいはい、怖がらない怖がらない。誰も君を閉じ込めたりしないから」


 よっぽど嫌な思い出があるんだろうなあ~と思いつつ、半べそになっちゃったので、この辺で勘弁してあげる事に。

 これはちょっとホラー体験?


「じゃあ、私が中を確認するから、君はスープをつけてくれる?」


「う、うん、うん……」


 カクカク頷くヘイート君に、思わず苦笑しちゃうけれど、これは調子に乗っちゃった私がいけないのかな?


 覗き窓のある扉の前へ移動しては、中に人が居るのを確認して、下の小さな小窓からスープとパンを入れていく。

 ちなみに例の騒々しい部屋は、まだ先にある。


 まるで獣が暴れている様な、物凄い唸り声。どんな毛むくじゃらのが閉じ込められているんだろう? もしかして獣人かな?

 そう思いつつ、いよいよその扉へと差し掛かった。


「あら? 鍵、かかってないわ」


 そう。扉が半開き。

 その向こう、何やら白いものが見えた気がして、ちょっと重い造りの扉を押すと……


 若い男女がくんずほぐれつしていました。


「ま、お盛んね」


 うふふ、あらあら。微笑ましいわ~。


「ヘイートちゃん、この部屋は2人分ね」


「う、うん……」


「た、たすけ……」


「う~!! う~!!」


 毛むくじゃらの猛獣は、亜麻色の長い髪をした、なかなかの美獣でした。

 やるわね、サンチョス君。こんな所に連れ込んで。


 うん、後ろからヘッドロックされてるけど、顔が半分隠れているけど、お腹を蟹ばさみで動きを封じられているけど、一目であの夜に第四大隊を解雇されて第七大隊に貰われていった子だと判ります。


 一昨日も、ゼニマール様の隊で夜の見回りしてくれたしね。お礼もしなくちゃ。


 男子三日会わずばって奴ね。ズバ!


「じゃ、ごゆっくり~」


 そんな恥ずかしがらないで。ゼニマール様には黙っていてあげるから、うふ。目に涙なんか浮かべちゃって、かわいいわね。

 昨日までの私だったら、顔を真っ赤にして騒ぎ立てちゃったかもだけど、今は凄く寛容な気分。2人がそうする気持ちって、痛い程わかるもの。


 ドアの脇に、2人分のパンとスープを置いて、そっとドアを閉めてあげます。

 そうね。こんなに唸り声が外に漏れちゃうんですもの。もうちょっと、彼女さんに気を使ってあげなきゃ、男子失格だぞ。ばいばい。


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