エコーロケーション

川口健伍

1

 軽いめまいに襲われて頭をふり、目を開けるとすでにそこは地下図書館だった。

 ぼくがこの地下図書館に来るようになって三週間が過ぎたけれど、ここでのパートナーはいつもECHOだった。ECHOは明るい金髪をエキゾチックな記号で象った髪飾りでまとめ、傍目にとても可愛らしい顔立ちをしているけれど、人類ではなかった。手にはぺらぺらしたデータ端末を抱えている。彼女が言うことによれば、このボディ・モデルは地球人に受け入れやすい形を採用しているだけで、本体はもっと別の様相を持っているとのことだった。ぼくはまだ見たことはない。見ることはできるのだけれど、見たいとは思わなかったし、今のところのその必要はなかった。

「コーヘイ、今日はどこから見る?」

「昨日はどこまで調べたのだっけ?」

 疑問に疑問で答えてしまったけれど、ごく素直にECHOは手元の端末を操って情報を表示する。しかしぼくにはそれを見ている余裕はない。背後に迫っている影に向かって、いつのまにか手中にあった銃剣を突き出す。やわらかい手応えがあり、そのまま鍔元にあるトリガーを引く。空薬莢がひとつ眼前を横切り、刀身から撃ち出された振動爆雷が影の中で炸裂する。影が弾ける。水しぶきが弾け飛ぶ。影は水だ。液体で身体が構成されている。ECHOを追ってきた異星体だ。彼らは敵だ。ぼくらの――ぼくとECHOの敵だ。

 ぼくは銃剣を抜きつけそのまま、左に迫っていた異星体へ振り抜く。刃が異星体の身体を切り裂くのに合わせて、ぼくは鍔元をトリガー。耳を聾する轟音が鳴った、というアラートが視界の隅にポップアップし、合わせてヴォリュームが適正に調整される。異星体は振動によって身体の結合を砕かれ、水しぶきになって崩壊する。

「コーヘイ、うしろ!」

 ECHOの叫びにぼくは銃剣を地面に突き立て土台にして後方へ跳躍――視界がぐるりと回って着地。ぼくの目前では三体の異星体が斜めに突き立った銃剣へ殺到している。手の中には鍔元から引き伸ばしたトリガーがある。ワイヤーの長さにはもちろん制限があるけれど、こういう変則的な扱い方のときには重宝していた。このまま銃剣を引き寄せてもいいし、トリガーしてもいい。今回は後者を選んだ。

 また、轟音。

「コーヘイはすごいねー!」

 ECHOが間延びした口調で喋りながら近寄ってくる。そのボディ・モデルでもうずいぶんと歩いているはずなのに、ECHOは一切走るという動作をしなかった。

「もうずいぶんここにいるからね、さすがに慣れるよ」

 ぼくは銃剣を回収して腰の鞘に納刀すると、ECHOと並んで歩き出す。

 この道の両端は本棚の壁で構成されている。地上に近い階層ではまだ書架はそれなりに整頓されているのだけれど、地下深くになるにつれて見捨てられた遺蹟のように本棚には乱雑に紙の束が積まれているだけだ。

 ぼくとECHOが探しているものはそのどこか奥深い階層にしまい込まれている。ECHOはその探し物を得ることによって彼女の母星を救うことを目的としている。ぼくはそれを手伝っている。ぼくはこの地下図書館を封印するように広がっている地表の街の住人だ。灰に覆われた街で他に遊び場のなかった子供の頃、大人が驚く階層まで探検していたことを買われ、いまこの地下図書館にぼくはいる。

 けれどその探し物はただのマクガフィンだ。ぼくはそれを見つけることがないと知っている。それでもECHOを手伝うことはやめることはない。冒険そのものは楽しいからだ。そしてぼくにはそれが唯一の娯楽だということもわかっている。だから決して探し物は見つかることはない。物語の結節点で永遠にループする。そのことをぼくは知っているけれど、気がつきはしない。ここはそういう風にできている。

 不意に立ち止まってECHOが目をつむり身体を震わせている。

 キン、という高音が聞こえたような気がしてぼくは思わず耳を押さえた。視界には何もオーバーレイしていない。いつも気のせいなのかと思っているけれどこの一瞬、確かにぼくは何かを聞いているのだ。

 そうやって目をつむり身体を震わせているECHOを、ぼくは単純に彼女なりのサービスなのだろうと思っている。そうやってわかりやすいポーズを取ることでこれが何か重要で儀式めいたものであると思わせるためだ。そんなECHOの姿をぼくはもう数えきれないぐらい見ている。ECHOはクジラやイルカなどの海洋性哺乳類特有のメロン体のようなものを持っており、それによって探し物の音響測位エコーロケーションするのだ。もちろん本当に音で探しているのかは、ぼくにはわからない。ただその姿を見ていると確かにこれからまた新たな冒険が始まるのだ、という思いが湧いてくる。自分でも単純だとは思う。

「さぁー行きましょう、コーヘイ」とECHOが言った。

「了解」とぼくは答えた。

「こんなとこで何しているの?」と後ろから声が聞こえた。ぼくのよく知っている声のようだった。

 ぼくは猛然と振り返り、そのまま銃剣を叩きつけようとした。

 銃剣の刀身が横殴りの衝撃に弾かれてぼくは本棚に叩きつけられ、視界が大きく揺れた。アラートがポップアップして身体の状況を知らせてくる。反射的にとった受身がよかったのか、身体には目立ったダメージはないようだった。膝をついた格好で呼吸を整え、ぼくは油断なく身構える。

「何なの、いきなり斬りつけてきて」と〈彼女〉は笑っている。〈彼女〉は左右に、影を煮染めたような大柄な黒子を従えていた。ゴリラのような体躯――肩が大きく肥大しており、両腕が地面につきそうなほど太く、暴力の気配をたたえている。ぼくはそのどちらかに殴られたのだろうと推測する。水の異星体とは圧倒的に存在感が違った。殴られた銃剣の刀身がぶれて見える。身体にもらっていたらフレームごと存在を揺さぶられていたかもしれない。迂闊には近づけない、とぼくは判断する。

「コーヘイ、大丈夫―?」とECHOが寄り添ってくる。

 ぼくは目だけでECHOに答えると、〈彼女〉を睨んだ。

「どうして、君が、ここにいる?」

 一言一言区切って発音した。そうしなくても〈彼女〉には聞こえているだろうとは思ったけれど、思わずそう言わざるを得なかった。ぼくには〈彼女〉の存在が信じられなかった。

「どうして、ってあなたを連れ戻しに来たのよ」と〈彼女〉は笑いながら言った。嫌みのない笑顔だった。片頬にえくぼが生まれ、それを少し恥ずかしげに隠す〈彼女〉が、ぼくの目の前に立っていた。黒く流れるようなストレートを無造作に手慰み、上目遣いでこちらの反応をうかがっている。状況が状況でなければぼくはきっと、今まで通り、〈彼女〉の後をほいほいついて行ったと思う。

 だからこそ、この物語では〈彼女〉の登場を削除していたというのに。

「どうして、君が、ここにいる?」

 ぼくは馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返した。ぼくには考える時間が必要だった。でもそれは間違った選択だった。ぼくはすぐにECHOを連れてこの階層の奥へと逃げるべきだった。

「コーヘイ」とECHOが腕を引っぱってささやく。「うしろうしろ、まずいよー」

 水の異星体が近づいて来ていた。確認できる範囲で六体。さらにその後ろから這いずるような音が聞こえてきている。まだまだ数が増えるかもしれない。〈彼女〉が呼んだのか、それとも偶然なのかぼくにはわからなかった。

 ずい、と影の黒子が踏み出している。二体の後ろに〈彼女〉は消えた。それでもまだ声は届く。

「待っててくれたんでしょ、あたしのこと」

 おそらくそんな意味の言葉だった。

 しかしぼくには聞いている暇がなかった。銃剣を抜刀しつつカートリッジを入れ替えそのままトリガー。浸透性のある構造分解言語を刀身にすべらしながらぼくとECHOを中心にして床に円を描く。背後から襲いかかってくる水の異星体たちに浴びせ斬り、影の黒子の剛腕をすんでのところで受け流す。

 そして――、ず、という鈍い音がなって雪崩式に床を構成しているオブジェクトが崩壊する。ECHOが何か叫んでぼくに抱きつき、エキゾチックな意匠の髪飾りがその結び目を解いて広がり、乳白色のやわらかな膜がぼくの視界を覆った。防護殻の中でぼくたちは身体を丸め、落下に身を任せた。

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