57 ローゼンバーグ伯爵の秘密

 気まずげな彼らと入れ替わるようにこの部屋を訪れたのは、ニコルちゃんと何とローゼンバーグ伯爵だった。

 えっえっニコルちゃんはともかく、伯爵は超予想外!

 ……まあでもどうせ雷落としにきたのよね。


「姉様、どうかされたのですか? お目が赤いですが……」

「ええとまあちょっとあって。でも大丈夫だから気にしないで」

「そう、ですか……?」


 シスコン的には本当は物凄~く気になるんだろうけど、伯爵が居る前だし魔法的な話はできないもの、心苦しいけど我慢して頂戴ね。

 伯爵は伯爵で廊下へと出て行くウィリアムと二、三言葉を交わしたみたいだけど、彼が私の日記を手にしているのを些か不審に思っていたみたい。まあ浮かせておくわけにはいかないからしょうがないわよね。日記の方も大人しくただの日記のふりしてたし。

 不死鳥はノックの音が鳴ると早々に姿を消したけど、精霊界に帰ったのかしらね。

 何故かウィリアムが出て行った扉を暫し値踏みするように無言で見やっていた伯爵は、爪先を私のベッドに向け直すと先に着席していたニコルちゃんに倣ってベッド脇の椅子に腰かけた。因みにニコルちゃんは椅子じゃなくてより私に近いベッドの端に座ってるわ。

 伯爵はやや身構えた私の顔をじっと見つめて、眉根を寄せる。

 私はあの拘束劇のせいか彼には全然良い印象がない。


「その顔……ウィリアム君と喧嘩でもしたのか?」

「はい? あ……ええまあそのようなとこですわ」


 伯爵の開口一番の台詞に些か拍子抜けしつつも、まだ腹の虫が治まっていなかった私がぞんざいな口調で返せば、伯爵は何故か「そうかそうか。まあ若いうちは色々あるだろうしな」なんて言ってやけに機嫌を良くした。


「ところで、牢の中は寒くなかったか? 何でも、毛布の差し入れがあったそうだな?」

「え? ああそうですわね。それのおかげでそれ程でもなかったですわね」

「そ、そうか。そうかそうか、そうか」

「……? まあですが本音を言えば牢に入った時点で欲しかったですけれど」

「あ、ああ、そうかそうか……それは道理だな……」


 差し入れ毛布は門番以外の誰かからって一度は思いもしたけど、他に該当しそうな人物はいないしやっぱり彼らよね。もしウィリアムだったら無造作に連絡窓から押し込んでったりしないでしょ。きっとあの時は伯爵にバレるとまずかったから敢えて素知らぬふりをしたんだわ。門番達にだって彼らの生活があっただろうしね。

 ふと見れば、伯爵は何故か消沈している。

 ええと、どうかしたのかしら。変な物でも食べた?

 いぶかしんでいると、気を取り直したのか「本題に入ろう」と伯爵が軽く自身の両膝を叩いた。


「おっほん、で、アイリス、どうして此度のような事をした? お前は何故世間様の注目を浴びるような行動ばかりをしでかすのだ? 幸いウィリアム君の伝手で優秀な魔法使い殿が動いてくれたとかで、どうにか人的被害はなかったが、出ていたら事細かに公表せねばならず、この家はもうお前を庇い切れない所だった」

「ええと、それはつまり、今回の騒動は内々の事件として処理すると?」

「そうだ」


 じゃあじゃあ投獄の心配はない? やったー! ラッキー!

 降ってきた僥倖ぎょうこうに内心小躍りしつつも、伯爵が来た理由に見当を付ける。おそらくけじめとして説教をしに来たって所かしら。でもそんな上から押さえ付けるような言い方は逆効果よ。嫌でも反発したくなるわ。

 前任者がやらかした件で延々と説教を食らう理不尽さと苛立ちを胸に、それならむしろこっちからも言ってやろうって気になった。性格悪かったくせにアイリスってば家族には本音を最後まで言えなかったみたいだけど、この私は違うのよ。


「お父様、今回のことは本当に感謝致します。ですがこの先はもう無理にわたくしを庇って下さらなくて結構ですわ。この屋敷の皆にはわたくしが破壊魔法を画策した張本人だと知れ渡っているのでしょうし、これまで通りに離れに軟禁で構いませんわ。それとも修道院にでもお送りになります? 少し距離を置いてお互いに冷静になるのも良いかもしれませんしね」

「そう投げ槍になるものではない、アイリス」


 私の突き放した物言いに一瞬唖然とした伯爵は、気を取り直したものの口調から多少苛立っているのが伝わってきた。


「投げ槍はどちらです? お父様は素行の悪さが目立ったわたくしを厭わしいとお思いなのでしょう? 離れに放り込んだだけで、理由を問いも話し合おうともなさらなかったですし」

「それは……」

「わたくしが家名に泥を塗るだけの養女だから、いつかどこかで切り捨てる算段を付けていたのですか? わたくしは良い子の型にぎゅうぎゅうに押し込められて、嫌なことでも息を殺すように我慢するしかなくて、いわば窒息寸前でしたのよ。辛抱を重ね過ぎて自分でもわからないうちにいつしか心が壊れていたんですわ」

「アイリス……?」

「ウィリアム様のことだって、ニコルの婚約者になって絶望的な心地でしたけれど、彼はこの家の娘とさえ結婚すれば宜しいのですもの、でしたらその役目はわたくしでも良いはずです。どんな手を使っても必ず自分の婚約者にしてみせると愚かな程に彼を慕っていたが故に諸々の行動に走ったのです」


 伯爵は思いもかけない話を聞かされたような顔をした。

 アイリスは伯爵に表立って主張しなかったみたいだし、伯爵はたぶんアイリスのウィリアムへの恋慕にも気付いていなかったんじゃないかしら。或いは気付いていたとしても、そこまで本気だとは思っていなかったとかね。


「そこまで想いを寄せていたのか……」

「ええ」


 もちろんこれは私の気持ちじゃない。日記にあったアイリス本人の気持ち。私はただその言葉を声に出して伝えただけ。まだ読破したわけじゃないから少し誇張とか想像が入ったけど、概ね外れてないでしょ。

 不器用過ぎて空回り、こじらせて、あまつさえ嫉妬を抑えられなくて、妹や周囲に意地悪をしたり迷惑を掛けるしか出来なかったアイリス。

 私は彼女のその日記に宿った誰にも言えなかった想いを、きっちり昇華してあげたかった。

 ……葵に対して本心を伝えられなかったっていう私自身の後悔が、そうさせるのかもしれない。

 心底慕う。恋い焦がれる。愛してる。誰よりも……――――葵。


 彼に会いたい。


「けれどもお父様、わたくしはもうここいらでそのような悪女役を降りますわ。ですから安心なさって? もう屋敷に迷惑を掛けるような真似は致しませんわ」

「だからもう庇う必要がないと言ったのか?」

「半分は。もう半分はやっぱりお父様への恨み言ですわ。けれど、それももう終わりにします」

「……お前を放っておくしかできなかった私を赦してくれるのか?」


 ああ何だ、彼も自分を申し訳なく思っていたのね。

 お互いに思ったように接せなくて屈託を抱えていたなんて、血の繋がりはないのに皮肉な程に似た者親子じゃない。


「それはこちらも歩み寄る努力に欠けていたと反省しています。お父様だけの責任ではありませんわ」

「アイリス……」


 言いたい言葉を言い終えた私は清々しい気分だったけと、伯爵はどこか困惑を滲ませつつも依然神妙な顔をしていた。何故かニコルちゃんも。

 私何か間違った事言ったかしら?


「ところで、養女と言うのはどういう意味だ?」

「それはぼくも疑問です姉様」

「先日もお前の口からそれを窺わせる発言が聞こえて、少々不可解だったのだ。お前は自分をこの家の養女だと思っているのか?」

「え……事実そうでしょう?」

「馬鹿なっ!」

「え」


 伯爵が思い切り後ろに椅子を倒して立ち上がった。

 ニコルちゃんも伯爵の言動にじゃなく私を見て目を丸くしている。


「お前は正真正銘のこの私の娘だ! 今の言葉を母さんが聞いたら何と嘆いた事か。この場に居たのが私だけで良かった」

「姉様、一体どうしてそのような思い込みを?」


 ニコルちゃんまで心底わからないと言った面持ちで私を見つめてくる。


「昔、使用人達が話しているのを聞いちゃったからよ」

「何だって? それは誰々だ?」

「小さい頃ですし、そこまではもう覚えていませんわ」


 日記には誰がとは書かれていなかった。どこにでもいる使用人達だとしてアイリス自身もそこまでは重要視していなかったんだと思う。伯爵は憤ったようにふんと鼻から空気を出した。


「誰のどんな話を聞いたにせよ、お前は養女ではない。私と母さんの実の娘なのだよ」

「……本当に?」

「ああ。しかしもし仮に養子でも私が引き取ると決めた大事な子は大事な子だ。血が繋がらないからと、どこにも自らを卑下する必要などないのだよ」


 伯爵は私を見てニコルちゃんを見て優しく微笑む。


「はいっお父様!」


 ニコルちゃんが満面の笑みで応じて期待するように私にもその澄んだ目を向けてくる。

 そんな……。じゃあ今までアイリスは必要のない思い込みで卑屈になっていたってわけよね。養女かどうかって点を伯爵達には直接確認していないとも書かれていたけど、ほぼ養女確定って感じだったからいつの間にか私もそうだと思っていた。

 だけど蓋を開けてみれば真実は反対。

 それならニコルちゃんとも実の姉妹だってわけで、瞳の色が同じなのも頷けるわ。付け加えれば伯爵と髪の色が同じってのもね。

 何だあ~、アイリスはホントお馬鹿さん。

 そこに拘っていた本当のあなたに教えてあげられるのなら教えてあげたいわ。

 でももう無理なんだと思えば、切ない。

 黙っている私がまだ疑っているとでも思ったのか、ニコルちゃんが言い募るように口を開く。


「あの姉様、実はお父様は屋敷の皆にはただ急いでローゼンバーグの屋敷を出るようにとの当主命令を出しただけで、ごく一部の者を除き、大半の者は破壊魔法の存在すら知らないのです」

「……へ?」

「お父様は姉様に汚名を着てもらいたくなどなかったのです。お父様の想いをわかって差し上げて下さい!」

「ニコルちゃん……」


 そうなのって問いを込めて伯爵を見れば、彼は素直に認めるのが恥ずかしそうに「う、うむまあ、概ね」と歯切れの悪い返事を寄越す。

 いやいや伯爵、そこは概ねじゃなくまるっと全部でしょ。ホント素直じゃないわねこの親子。

 でも寝耳に水とはまさにこの事だわ。

 てっきりもう周知されていて、私ってばもう徹頭徹尾完全に前より一層屋敷の鼻つまみ者とされてるんだって思ってた。


「それから、屋敷の一部損壊の件では老朽化が原因とか何とか適当な理由をでっち上げましたので騒ぎにはなっておりませんし、上空での炎が上がった云々も我が家に魔法曲芸師を招いての催しだったとして周辺住民には告知しましたので安心して下さい」


 へえ、根回しの早さには感心だわ。


「おっほん、危険を告げなかったのは、たとえ屋敷の人間にであろうともお前が魔法と関わっていると知られるのを防ぐためだ。人の口に戸は立てられん。どこから漏れてお前に不利になるかわからないだろう?」


 ほほーとことん素直じゃない。日記から感じていた伯爵像との乖離かいりが半端ないわー。


「それに、お前の血が唯一の解除の鍵だとも後でニコルから聞き、その判断が正しかったのだと悟りもした」

「え、どうしてです?」

「私がお前の血が特別なのだと知っているからだ。これでその秘密が守られる、とほっとしたのだ」

「――なっ、知ってたんですか!? いつから!?」


 思いも掛けない暴露に、私もそしてニコルちゃんも驚きに目を瞠った。


「そう驚くな。全く私が何年お前の父親をやっていると思っている? 無論母さんも知っている」

「そう、でしたのね……」


 予想外過ぎてしばらくは呆けたように伯爵を見つめちゃったわ。


「あっもしや、初め姉様をビル兄様の婚約者に据えなかったのはそのせいですか?」

「え? 何それどゆこと?」


 ニコルちゃんが閃いたような顔で真実を問えば、伯爵は鷹揚な仕種で頷いてみせた。


「それ自体が魔力を宿し魔法に影響さえ及ぼすお前の血は、危険なのだ。自身にとっても他者にとっても。よりにもよって衆目に晒される機会の多い王家の一員になどなれば、いつどこから露見するとも限らんだろう? もしそうなれば悪人の目に留まり、無用な騒動に巻き込まれる可能性すらある。だからだ」


 な、何とまあ隠されたそんな理由がねえ……。


「でしたらつまりは、お父様は今までこれっぽっちもアイリス……わたくしを疎んじていたわけではなかったと?」

「当然だろう。どう接して良いのかわからなかっただけだ。だから今日お前の気持ちを聞けて良かったと思っている。……今まで本当に済まなかったな」


 厳格そうな面持ちから一転してばつが悪そうに、かつ照れ臭そうに頬を掻く伯爵ってば、ちょっとそれはそれで反則じゃないの。あなたみたいなタイプのイケオジがそれやると、ギャップ萌えで可愛い~ってなって落ちる女子が絶対いてヤバいから、外でやっちゃ駄目よ?

 家内安全を密かに心配する私を余所に、ニコルちゃんが可愛らしく微笑んだ。


「ふふふ、もう一つ、お父様はぼく相手ならきっとすぐにビル兄様は離婚するだろうってお考えだったのですよね?」

「ええ~? アハハまさかそんな~」

「……鋭いな」

「えっ!?」

「両家の婚姻を結ぶと言う託宣を履行さえすれば、それが仮に形だけの白い結婚でも、または後日別れようとも構わないからな」


 伯爵は超絶居心地が悪そうな様子で顎を摩った。

 え、えー? 実際はそんな扱いも大丈夫なの託宣って。ウィリアムも確かに履行の重要性を語ってはいたけども……。


「そうすればぼくは実家に戻って来ますし姉様は護れますし、結果的にまた家族一緒に居られて万々歳ですからね」

「……そうだ」

「ふふふ、何があってもぼくは姉様一筋てす。ビル兄様には一時的に姉様をお貸しするだけなのです。最後にはぼくの所に戻って来て下さいますよね、姉様!」


 家族はずっと一緒と主張して頬を染めたニコルちゃんが私に抱きついて至近距離から蕩けるように微笑む。あははエロゲー言動がなければこんなにも無邪気で可愛いのにね。美少女のどアップに鼻血出そ……。

 伯爵は伯爵で、予想外にも彼は娘二人を溺愛するパパだった。

 だからさっきウィリアムと喧嘩したって聞いて嬉し気だったのね。

 まさかの展開だわ。人ってわからないものね……。

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