33 予想外の時間ロス

 パッチリと、いつにないくらいに妙にスッキリした気分で目が覚めた。


 身を起こせば、すっかり温くなったタオルが額からポトリと手元に落ちてきた。

 熱が下がってきて外されたのか、氷嚢ひょうのうはもうなかった。

 ええと今何時……っていうか何日経った?

 私は一体どれくらい寝込んでたの?

 現在部屋には誰もいないからそれもわからない。


「……って忘れてたわ、日記がいるじゃない」


 思い付いて室内を見回せば、窓際のテーブルに置かれている。もしかして以前置いた場所から動いてないのかも。

 早速ベッドから降りて手に取って目覚めを促すと、程なく日記は奇跡……でもない復活を遂げた。


「アイリス、おはよ~……むにゃ」

「何だか随分眠そうね」

「他にすることもないから寝てたんだもの~。看病してあげたかったけどいつも二人のどっちかが張り付いてたから、ボクは出番がなかったんだ」

「張り付いて……へえ」


 それにしても極々微量の魔法で正直こんなにしんどい思いをするとは思わなかったわ。ウィリアムから言われた内臓の火傷の可能性に怯えはしたけど、何ともないまま動いているうちに楽観的にも案外軽い症状で済むかもーなんて思ってたのよね。

 それに酷い症状が出てもウィリアムの治癒魔法があるって当てにしていた部分もあった。そんな自分には大喝よ。人任せはやっぱり駄目だって思い知った。恐るべし死亡フラグよね全く。


「ところでその二人は?」


 すると日記は見るからに頼りない細い両手を、目口のある表紙のたぶんあごなんだろうなって位置に当てて記憶を手繰るようにする。


「君の百合妹は本邸の方に行ってると思うよ。押しかけイケメンの方は離れのどこかにいるはず~」

「ふうん。あ、ねえ今日は倒れてから何日目なの? 死亡フラグにも関わるから早く教えなさいよ」

「アハハ故意の呼称はスル~?」

「ふざけてる暇はないの。さっさと吐け駄目日記。で、何日目?」


 日記はやれやれと肩を竦めて首を振る人みたいに、長方形の本体を左右に揺らした。


「何日目っていうか、――離れ木っ端微塵魔法の発動は今夜だよ」


 血の気が引いた。


「ウソウソウソッ私そんなに寝込んでたの!?」

「そうだね、寝込んでたね」

「でもじゃあその間は誤発動して何か燃えたり爆発したりはしなかったのね! 良かったわ~」

「ああそうそう、使える男ウィリアムが離れに他にもあった仕掛けを見つけて解除してくれたよ。今は念のためにまだ残されてないか調べに行ってる~」

「やっぱり他にもあったんだ……」

「そうみたい。だけど正式な依頼の方はまだ見つけられてないんだよね」

「えっ、爆弾女神像は違うの?」

「残念ながらね」


 悪趣味だったからてっきりアイリスが頼んだやつかと思ってた。


「じゃあ、ヤバいじゃない。今夜〇時までに見つけないと!」

「そうだね~」

「謎の魔法使いめ、余計な物をこさえてくれちゃって」


 時間ロスの原因にもなっているし、そいつへの心証はますます悪くなる一方よ。

 早急に置かれた状況の整理と情報の把握に努めれば、ニコルちゃんは本邸の方で過ごしていて、本腰を入れて向こうを探ってくれてるって話。ホンットありがたいわ。

 他方、ウィリアムは既に離れに仕掛けられた破壊魔法を全部見つけたって言うじゃない。

 ああ、持つべきものは使える魔法使いよね!

 一点で大爆発タイプだった女神像以外の仕掛けは、そこそこの爆発を同時多発的に起こすタイプだったみたい。しかもそんなのが複数あったんだとか。

 その中の一つは、この屋敷内に幾つもある胸像全てに爆薬が仕込まれていて、その鼻の穴に強力な発火魔法が隠されていて、それらが同時に発動することで私と離れを粉々にする爆破を起こす予定だったんだって。ああ因みに悪戯好きの小学生がやりそうな鼻の穴って点はもうツッコミなしで。

 日記が言うには、他に二つもあった仕掛けもまるで揃えたように美術品に仕掛けられていたんだとか。本来の絵画に巧妙に魔法陣が描き足されていたケースと、いつもは見えない壺の底に描かれていたってオーソドックスな隠し場所だったケースが一つずつ。ああ惜しかったわ。私壺の中なら見たのに。

 絵画や壺、そして彫刻はほぼ一定間隔で屋敷のそこかしこに飾られているから、爆発させて均等に屋敷にダメージを与えられるって点じゃ仕掛けるのには持って来いだ。あらあらよく考えたわよねって思う反面、手間じゃなかったのかしらーって思うわ。仕掛けを施した魔法使いって奴は有閑貴族みたいにめっちゃ暇人なんだわ。


 とにもかくにも、離れが壊滅する危機はまだ継続中。


 しかもクレーター問題だって残ってる。


「ああもうっ、夜まで時間がないわ。日記の中にヒントはないかしら」

「どうぞどうぞ見て見て~」

「くっ……」


 とことんマイペース過ぎてムカつくわ。でも日記と口喧嘩なんてしている暇もないわ。今からこの広い離れを闇雲に探し回るのは得策じゃない。魔法に詳しいウィリアムだって傍にいない。私が出来る事と言ったら何か一つでも離れ木っ端魔法の手掛かりを日記から見つける事よね。探せればいいと淡い期待を胸に日記のページをめくっていく。

 私が余程危機迫る様子だったからか、日記は茶化したりしてはこない。


「ねえアイリス~、実はさ~、ボクちょっと変な感じのするページがあるんだよね~。でも元のアイリスはそこに何も書いてないし、ボクにも何かを書かれた記憶はない」

「変な感じ?」

「でも、きっとそこに何か書かれたんじゃないかなって気がするんだよね。変だけど、自分の体は自分が一番わかってるって言うでしょ~?」


 日記にもそれが当てはまるのかはよくわからないけど、私は日記に促されるままにそのページを開いた。

 そこはアイリスの最後の記述のほんの次のページだった。

 当然白紙だと思っていた。

 なのに……。


「え、どういう事? 文字が書かれてるんだけど!」

「そうなの?」

「そうなのって、あなたは自覚症状ないの? 自分の体でしょ!」

「そこを意識しようとすると、霧が掛かったみたいに認識がぼやけるんだよね~。知らないうちに何かの魔法に掛けられたのかなボク~」

「前は確かになかったわよ。アイリスの最後の日記を読んだ時に他には何もないのかなって一応少しページをめくった記憶があるもの。その時に何も気付かなかったって事は何もなかったのよ」

「じゃあ突然浮かんで来た文字ってわけ?」

「そうとしか思えないわ」


 日記と私の間に奇妙な沈黙が流れる。


「とりあえず、読んでみたら?」

「そうね」


 私は緊張に唾を飲み込んで恐る恐るその文章に目を落とした。


 ――やあ、アイリス。驚いたかい? 君がこれを読んでいるって事は、第一の自殺魔法で生き延びたってわけだね。もしも君が死ななかったら浮かび上がるように、この恥ずかしい日記にちょっとした細工をさせてもらったんだよ。


「ああ、だから今までなかったのね」

「そっか、隠し魔法を使われてたんだ。だからボクの記憶からも隠されてたのか~」


 ふうん、魔法にも色々あるのねーなんて感心しつつ続きを読み進める。


 ――どうしてこんなメッセージを残したかっていうのは、これから綴る内容が生き延びた君へのせめてもの祝杯だからさ。知っておいて損はないからね。ではさっそく明かすとしようか。私は君からの依頼の他にも君が死ぬような魔法や仕掛けを幾つか施した。だからくれぐれも心して生活を送るようにね。何をどう仕掛けたかってヒントはあげないけれど、発動時間は他と揃えて深夜〇時にしてあげたよ。さあてこれを読んで君は喜んだかい? それとも絶望した? ふふっ私としてはどうでもいいけれどね。では御機嫌よう、アイリス・ローゼンバーグ嬢。


「……めっちゃ性格悪そう」

「だね~。ボクを恥ずかしい日記だなんて暴言も吐いてたしね~」

「え? そこは事実でしょ」

「いや~ん」


 案の定魔法使いの仕業だった。

 この文面を読めば仕掛けの幼稚さ悪趣味さにも納得だわ。

 乾いた気分の脳みそからは、感想らしい感想はそれしか出て来なかった。あとはもう他には記述がないかってのだけを確かめた。


 私が起きたのは夕方に近い午後遅くだったから、最終確認を終えたウィリアムが部屋に戻ってきた時にはすっかり空は夕焼けだった。


 私は内心焦りつつベッドに半身を起こしてまだ日記を読んでいたけど、彼は私が眠っていると思っていたのかノックもなく入ってくるなりやや驚いて目を丸くした。

 直前まで眉間にしわの寄ったやけに難しい顔をしていたから、そのギャップにこっちの方がどうしたのってキョトンとしちゃったじゃないの。

 彼の顔を見たら何だか気分も落ち着いちゃった。

 早く探さないとヤバいのよって慌ててベッドから飛び出すなんて意思も働かなかった。


「アイリス、起きたのか」


 彼は感激して走り寄って来る……なんてことはなく、悠然と歩いてきてベッド脇の椅子に腰かけた。この人が座るだけで単なる丸椅子も玉座みたいだわ。ウィリアム様が座った椅子ですよ~ってオークションに出したら高値がつきそうね。今後のためにもキープしておこうかしら。


「具合はどうだ?」

「お陰さまで大丈夫みたい。ニコルちゃんと看病してくれてどうもありがとう。だいぶ参ってたけど消化に良くて食べやすい栄養のある食事とか、考えて頼んでくれたんでしょ? そのおかげか、起きて少し体を動かしてみたけど思ったより体力も消耗してなくて助かったわ」

「それは良かった。治癒魔法を使えずに済まなかったな」

「どうして謝るのよ。あなたのせいじゃないでしょ」


 ケロリとして答えたら、何故か彼は珍しくもどこか居心地の悪そうな面持ちでじっと私を見つめた。


「え、何よ?」

「責められるかと……」

「あのねえ、いくら魔法初心者でも、私そこまで物事わかってなくないわよ。誰も知らなかった私の血のせいなんだし、そもそも責められるべきは罠を仕掛けた人間であって、助力してくれる誰かさんを責めるとかお門違いなことしないわよ」


 まったくもう、私を何だと……ってああ、悪女アイリスか。

 しかも肉体的には仕掛けた張本人ですしね、ホホホッ。

 確かに前アイリスだったらなじって怒ってひっどい文句をマシンガントークさながらに捲し立てていたに違いない。でも愛しのウィリアム様にじゃなく憎き恋敵ニコルちゃん辺りに。


「ねえそれより、私が寝込んでる間一生懸命に探してくれて三つも発見してくれたって言うじゃない。本当にどうもありがとう、ウィリアム」


 私は少し微笑んで、背筋を正すと謝意を示して頭を下げた。

 そんな聖母のような微笑みに感動したのか、彼は気でも抜けたように一瞬眉間を解いたけど、再び僅かな溝を一本作って若干探るような目でこっちを見てきた。


「ずっとベッドの住人だったくせにやけに詳しいな。……誰かと話したのか? けどこの建物に俺とニコル以外の人の出入りはさせていないはずだ」

「そうなの? じゃあもしかして厨房も?」

「そうだよ」

「だったらとても美味しかった病人食は誰が作ったの?」


「――俺が」


 あらあら一瞬だけど耳がおかしくなっちゃったかしら?

 だけどウィリアム様ったら至って普通に偉そうなご様子。


「……ええともう一度言って?」


 彼は億劫そうに居住まいを正した。


「こう見えて料理ができるんだよ俺は」


 態度に冗談の尻尾が見えはしないかと、本気でまじまじと見つめてしまった、

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