31 アイリス・ローゼンバーグの秘密4

 途切れ途切れの意識の中、ゆらゆらゆらゆら揺られている。

 ウィリアムに運ばれてるんだってことはぼんやりと理解はしていた。

 そのうちどこか柔らかな物に横たえられて、また薄らと意識を取り戻せば、黒い天蓋の色から自分のベッドなんだってわかったけど、私の意識はまたどこか遠くに連れ去られるように現実から離れた。

 次にふっと意識が浮上したのは、潜められたぼそぼそとした誰かと誰かの会話が聞こえてきたからだ。薄く開けた瞼の隙間からぼんやりと見えた窓はまだ明るい。だけど色合いからすると夕暮れ辺りだと思う。目はすぐに力尽きて閉じたけど耳だけはどうにか澄ませてみる。


「――やはり姉様の血には魔法の力があるのですか」

「そうみたいだな、大半が既に流れていたしかなり薄まっていたが集中したら噴水の水から残留魔力を感じ取れた」

「噴水の水……。さすがはビル兄様です。ぼくではそこまで微細なものはわかりません」

「俺にも感知の限界はあるぞ」


 会話の主は予想通りに関係者二人だ。

 何だ、私ってやっぱり魔法使いなんだ。


「だとすれば、血を採る必要はないのですね」

「……ニコル、残念そうな顔をするな」

「ぼくは姉様を治すという使命感に燃えていたのですよ。姉様が痛い思いをしなくて良かったとは思いますが、こっそり内緒で落胆くらいさせて下さい」


 ニコルちゃんのシスコンもここに極まれり……ってそれよりもウィリアムよウィリアム。

 彼ったらまた必要のない言葉で私を翻弄してくれちゃって。

 体調が回復したら見てなさい……なんて意気込みたいけど意気込めない。

 すごくだるくて熱いのか寒いのかよくわからないんだもの。


「少しだけでも治癒魔法で熱を下げられないのですか?」

「無理だというか、やらない方が無難だな」

「無難、ですか?」

「ああ、今はアイリスの体内で暴走同然に誤発動している魔法が、俺やニコルの魔法とどう反応するかわからない以上、下手に魔法は使えない。一般的方法で地道に冷やして症状を緩和するしか現状方法はない」

「そんな……」


 会話が途切れた。

 重いような沈黙の中でたぶん二人してこっちを見つめている気がするわ。私も起きて話をしたいから頑張って辛うじて小さく呻いたら、その声を聞き付けたニコルちゃんが額のタオルを別の物に取り替えてくれて、そのうち「氷を取って来ます!」って部屋から走って出て行く音が聞こえた。感覚から言ってタオルの上に氷嚢ひょうのうが載せられているみたいだから、それが替え時なのかもしれない。

 一旦静かになった室内で、残っていたウィリアムが一つ嘆息した。


「ニコルもそそっかしいな。氷なら魔法で出したのに」


 もっと早く言ってあげて!

 ホント性格悪いわねこの男。全くもう、元祖アイリスと結婚してたらお似合いだったんじゃないの?

 ムカつきパワーが活力を与えてくれたのか、ゆるゆると瞼を持ち上げた私はベッド脇に佇むウィリアムへと睨むような視線を向けた。


「あ、なたねえ……」


 乾燥して貼り付いた咽の奥から掠れた声を絞り出せば、ハッとしたウィリアムが覗き込んでくる。

 無理をしてでも身を起こそうとすれば止められた。


「いいから寝ているんだ。熱が全然下がっていないんだぞ」


 ああ、熱……。そんなに高いんだ? 確かに体は猛烈な不調しか感じない。まあ何にせよ、結局起き上がる体力がなかったみたいで、横になったまま彼の言葉を聞くしかなかった。


「まだ倒れて半日と経っていないから離れの魔法云々は安心していい。あるかもしれない他の仕掛けも俺とニコルでこの後調べてみるから、今はしっかり養生に専念するように」


 叱ると言うよりは諭すと言った感じのウィリアムの低めの声と共に、そっとゆっくり頭を撫でる手が降ってくる。これまではそんな風にされても反発しか湧かなかったのに、弱っているせいか、はたまた思った以上に優しい声と掌だったからか、嫌じゃない。

 だけど自由に動けないなんて、漠然とした不安が……。

 この男は寝ている病人に何か悪戯をするような鬼畜じゃないわよね?


「心配せずとも何もしない。大丈夫だから今は何も考えず眠れ、アイリス」


 心外だったのか察したようにそう言ったウィリアムの不満げな声に、苦しいのは変わらなかったのにちょっと可笑しくて口元を緩めちゃったわよ。声の中にまた優しい色が含まれてるって気がしたせいね。今は特別あなたが紳士だって信じてあげるわ。

 それに、今のもどこか葵みたいだったと思えば自然と仄かに安堵が湧いて、いつの間にか瞼を下ろしていた。





 葵と別れた原因は、葵が勘違いした私の浮気だ。


 私が他の男とベッドにいる写真を葵に送った奴がいたせいで誤解された。

 でもそれは顔だけは私だった良く出来た合成写真だった。

 全く身に覚えなんてなかったから、葵本人から見せられて追及された当時は、驚愕と羞恥と混乱で言葉が出なかった。

 咄嗟には否定できなかったのよね。


 きっとそれが良くなかった。


 その沈黙を葵は肯定と受け取ったんだと思う。

 怒っているくせに怒鳴ったりはせず、流れた沈黙の最後に彼は諦めたみたいな声で「もういいよ」って言ったの。

 その顔にはハッキリと失望の色があった。


 元来葵はちょっとだけ気が弱い所もある優しい性格だったけど、大学の講義の出席率は百パーつまり皆勤賞だったし課題やゼミのレポートだって一切手抜きはしなかった。社会人になってからは会社が別だったけど、まめまめしく仕事をこなしているんだろうなあとは思ってた。


 とかく、根が凄く真面目。


 そんな性分だったからなのか男女関係についてはとても潔癖な人だった。


 私の何でもない男友達のことだって、何気ない会話の中に詮索を巧みに取り入れていたのよね。融通の利かない所だってあったから、時々憎らしくも思ったっけ。

 だって誰に何を言われようと私は葵一筋だったのに……。


 元カレ星宮葵は、良い意味でも悪い意味でもウィリアムとはホント大違いな男だったわ。


 その後も継続して付き合ってはいたんだけどギクシャクしていて、あの人生最後の夜、とうとう別れようって言われちゃったのよね。

 追いうちのように雨だって降ってきた。

 真冬じゃないけど体が冷えるような冷たい雨だったっけ。

 雨に濡れながら交差点まで少し歩いてから「あ、そうだ折りたたみあったんだ」ってぼんやり思い出して鞄を漁ってたら、そこに脇見なのか車が……ってわけ。

 確かにあの夜、絶望はした。


 でもそんなものに長々と浸っている時間もなく、私はこうしてここにいる。


 何の因果か、悪女アイリス・ローゼンバーグになんてなって。


 ――でも、もう二度と葵には会えない。


 そう思ったら急に投げ槍感が押し寄せた。

 この異世界で生きてたって、何の救いがあるって言うの?

 しかも途中から他人の人生を肩代わりなんてして、何か意味があるの?

 泣きたいくらいに無意味だわ。

 ううん、泣きたいくらいじゃなくて、もう泣いてた。

 意識が夢なのか現なのかわからない曖昧な所でわんわん泣いた。

 実際に大声を上げていたかはわからない。


 でも、涙は出たんだと思う。


 誰かが目尻を拭ってくれたから。


 もうどれくらい経ったのか、まだまだ全然熱い身体のせいでまともな思考なんてできるわけもなく、幼子になったように私は心の赴くままに呂律の回らない言葉で何かを訴えたりした……気がする。

 眠るよう促してくる控えめな低い声に諭されて眠っては薄らと起きて、だけど何かぐずってはまた促されて眠ってを繰り返した。

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