桜さんとメジロさん

なゆた黎

第1話 花は桜木、鳥はメジロ

 例年よりも開花が早かった今年。咲き始めた桜の花は、このところの暖かな陽気で、一気に満開となった。咲き狂っているといってもいい。薄紅の花が枝いっぱいに咲き、その下に集うブルーシートに座す人間たちの頬も同じく色づいている。

 時折吹き抜ける春の風は、意外と冷たい。

「ねえ、桜さん。桜さんはどうしてそんなに急いで咲いたの?」

 暦の上でしか春ではなかった頃、梅の木に止まったときにウグイスと間違われたメジロが、桜に話しかけた。

「寒い冬が来た後、暖かな春が来たからに決まってんだろ」

「じゃ、なんでそんなに急いで散ってしまうの? 桜さんが急いで散っちゃうから、人間たちは大慌てでお花見やっているよ。見てよ。桜さんの下にはいっぱい人間がいるよ。みんな桜さんのことが大好きなんだね。そんなに急いで葉っぱ出さないでもいいんじゃないかな?」

 ひんやりとした風に、はらはらと花びらが散る。

「栄養なくなっちゃったの?」

「栄養たあ、何のことでぇ?」

「桜さんの下に埋まっているっていう…」

「かぁーっ! テメェは文学少年か? 梶井基次郎かぁ? テメェらフィクションの見すぎだ! 桜に夢ぇ見すぎ! 埋まっちゃいねぇよ、そんなモン! 勘違い野郎がここにもいやがった」

 やれやれと桜は、肩をすくめるように枝を揺らした。

 ひらり

 花びらがまた一枚、枝を離れる。

「いいか、メジロよ」

 桜は枝のメジロにしみじみと、そして揺るぎない口調で語って聞かせた。

「今から花を散らさねぇと、来年の春に間に合わねぇんだ。花をつけた時から、来年の仕込みは始まんているでぇ」

「そっかぁ。桜さんは、もう来年の春の準備を始めているのか。すごいねぇ」

 メジロが丸い目をぱちぱちとまばたきした時、ブルーシートの上のお姉さんががメジロを指差して「あ、ウグイスぅ」と、嬉しそうに言って、ネクタイを頭に巻いたスダレ満月の係長から「ありゃぁ、メジロだよ~」と訂正されていた。

「桜の下には、って言われてまなじりを吊り上げる桜さんの気持ちって、きっと今の僕の気持ちとおんなじなんだろうな」

「俺の下に死体が埋まっていると思っているのも、テメェを見てウグイスと間違えるトンチンカンも、そら、そこいらじゅうにいる人間たちだけだ。たまのことだから許してやんな」

 桜はそう言うとカカカと笑った。笑ったはずみで枝が揺れ、ひらりひらりと花びらが宙に舞う。

「部長ぅ、物知りぃ~。ウグイスじゃなくてウグイスなんだ~」

「あのお姉さん、人間なのに鳥頭だ」

 下の陽気な会社員を見下ろすメジロは、うんざりと深いため息をついた。

「そうら。来年もいい花つけるぜぃ」

 ぼやくメジロを枝に乗せたまま、桜は、せっせせっせと花びらを散らした。


                            終わり。

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