第45話 外宇宙行きの宇宙船の放つ真っ白な飛行機雲は、ボールの軌跡に似ていた。
戻った部屋の扉には、鍵が掛かったままだった。そしてメモが一枚貼り付けられていた。ゼルダからだった。
珍しい、と彼は思った。自分が彼女の所へ行くことはあっても、逆は殆ど無かったのだ。
彼女にも、どう言ったものだろう、と彼はその時初めて考えた。
正直、彼はあの試合までの日々の中で、ゼルダのことを殆ど忘れていたのだ。相棒のことを思い出すことは時々あっても、彼女のことは。
ひどい奴たな、と彼はメモを取りながら思う。
『戻ってきたら、連絡ください』
言われた通りに通信を入れると、モニター越しの彼女は、直接話したいことがあるから来てほしい、と彼に言った。
相棒の気配が無いことは不思議だし、奇妙に感じられたが、ずっと放っておいた彼女がそう言うのだから、ととりあえず彼は出向いた。
そこで、彼女は言ったのだ。
「キディ君、レーゲンボーゲンから出ていったわよ」
彼は耳を疑った。聞き違いかと思い、もう一度言ってくれないか、と彼女に頼んだ。彼女は同じ言葉を繰り返した。
「何で……」
「それは私の答えることじゃあないわ」
そう言って、彼女は手紙を差し出した。マーチ・ラビットは慌ててそれを広げる。おかしなくらい、手が上手く動かなかった。
ようやく広げた手紙は、ほとんど走り書きと言ってもよかった。
『いきなりで、ごめん。』
そんな文句から、それは始まっていた。
『いきなりで、ごめん。
でも、今を置いては行く時はないと思ったので。
何か、上手い説明もできないけど、俺は、行きます。
今のあんただったら、思い出してるかもしれない。
PHOTO/SPORTSで昔のあんたを撮ってたカメラマン。
ジュラっていうひとなんだけど、彼が助手しないか、って言います。
俺は、しばらく行って来ようか、と思います』
あ、と彼は小さく声を上げた。あの時のカメラマンだ。見覚えがあるはずだった。
『彼から、あんたの過去を教えられた。
別にそれはどうでもいいことだったけど。
俺が、俺の過去がつながるまでは。
でも、つながっちゃった。
俺は、あんたに会ってたんだよね。ライに行く前から。
あんたが向こうに送られたのは、俺のせいでもあったんだよね』
ああやっぱり、思い出していたのか、と彼は軽く顔を歪めた。
『俺のせいだけじゃない、とジュラは言いました。
実は俺もそう思ってる。
俺があそこで一緒に居たから、って、あんたがそこでひとこと、自分は招待された選手だって言えば、少なくとも、あんな場所に送られたりしなかったよね。
だから、俺だけのせいじゃない。
別に俺は自分を弁護する訳じゃないよ。
弁護なんかしたくないしされたくもない。
ただそう思ったんだ。
あんたも、逃げたかったんだね』
ああ全くその通りだ。さすが相棒だよ。
マーチ・ラビットは胸のあたりで何かひどく重苦しいものが溜まってくるのを覚えた。
『だから、という訳じゃあないけど。
俺は今ちょっと、この惑星を離れたいです。
また逃げる、と言うかもしれないけど。
でも、今度は、俺、帰ってくるつもりだから』
その言葉に目が止まる。
『それはホント。
俺は帰ってくるよ。
ただ、どうしても、今のままの俺じゃ、何か、やばいな、と本当に思ったんだ。
それにこの惑星だと、下手すると、俺はやっぱり過去に捕まるかもしれない。
何処かで俺の、もっと昔の顔を知ってるひとが居るかもしれない。
まだ俺は、自分の家族とは、顔を合わせたくない。
でも、いつかは、ちゃんと合わせたいんだ。
あのひと達のしたことは、間違ってはいない。それは正しかった。
俺が誰だったか、あんたはきっともう判ってると思う。
サンライズは今、あのひとがオーナーなんだから。
あのひとは、あんたが俺と一緒に居たことは知ってる。
そういうひとだ。そして間違っていない。
ただ、間違ってはいないけど、きっと今俺があのひとと顔を合わせたら、何ひとつ言い返すことができない』
それは俺も同じだろう、と彼は思う。
今あの、副社長のキューパ・エンゲイに会ったら、自分は何を言うことができるだろう?
『だから少しでも何か、俺は俺として、何か、になっておきたいんだ。
どのくらいかかるか、判らないけど』
しかし次の一行に、彼はにやりとした。
『でもあんたがサンライズのエースになるよりは早いと思うよ』
ぬかせ、と彼はつぶやいた。
『イリジャにも。
せっかく再会できたのに、また何処かへ行くのか、って言われたけど。
でも彼も、クロシャール社の一員としてがんばってるって聞く。
俺は彼と友達でいたい、と思うんだ』
だからどう、とはそれ以上は書かれていなかった。少し間を開けた最後の一行に、こう書かれているだけだった。
『また会おうぜ。相棒』
くす、と彼はそれを見て笑った。
「なあに、心配したのに、その余裕な笑い」
ゼルダはそれを見て、やや恨めしそうな声を出す。
「や、相棒は、やっぱり相棒だったよな、と思ったってこと」
「ふうん」
彼女は腕を組むと、やや呆れたようにうなづいた。そしてため息混じりにつぶやく。
「やっぱり、かなわないのよねえ」
「え?」
「ここいらで、お別れしましょ、マーティ」
ええっ、と彼は目を大きく開けて、声を上げた。
「そんなに驚くことかしら?」
「……や、だって、なあ……」
「だって、あなた結局、私のことなんて、忘れていたでしょ。向こうでベースボールしていた時、ずっと」
ぐっ、と彼は言葉に詰まる。間違いではない。
「それにあなたお引っ越しするんでしょ。サンライズに入るんだったら」
「どうしてそれを」
彼女はマーチ・ラビットの前に、今朝のニュースペイパーを投げ出した。そのスポーツ欄には、「新たなリーグ加入チームに新たなメンバーが!」という見出しの下に自分を含むメンバーの写真が添えられていた。
「遠距離恋愛なんて私、嫌よ。それにあなた、ベースボールほどには、私のことなんて考えてはくれないわ。そうでしょ?」
彼は黙った。言われる通りである。
「ああ全く。違うってお世辞でも言えないんだもの。だから私から言うしかないでしょ? さよなら、マーティ」
いつもよりずいぶん口数が多い、と思った。
声がうわずっていると、思った。
彼女は急に、背中を向けた。
だったらそうするしか、ない。
「ごめん。……ありがとう」
彼女は黙って背を向けたままだった。
*
彼女の部屋を出てしばらく、彼はぷらぷらと歩いていた。
ポケットの中で、先ほど受け取った手紙が音を立てる。さわさわ、と街路樹が風に揺れる。
その向こう側の青空に、すうっと一本、真っ白な飛行機雲が流れた。外宇宙行きの宇宙船の放つそれは、どこか、ボールの軌跡に似ていた。
彼は長い間、それをずっと眺めていた。
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