第19話 コモドドラゴンズの伝説の投手D.D②

 ゼルダはそこまで読み返してふう、とため息をつく。彼女はマーティの言葉から、微かに―――ほんの微かに、レーゲンボーゲン以外のなまりを感じとっていた。

 それが何処のものなのかは判らなかったが、彼がここの出身ではないのではないか、という疑問が彼女の中にあったのは確かである。

 


 D・Dという名の彼は、コーデオンが捕まえた時も、そう名乗った。それが名前なのだ、と。

 記号の様なその名前は、両親が居ない子供に与えられるものなのだ、と彼は答えたという。

 この惑星では、両親の居ない子供は村全体で育てられ、記号の様な名前が与えられる。彼は村の他の子供と同じ様にエレメンタリイへ行き、同じ様にミドルスクールに通うことができた。

 しかし他の子供と確実に違っていたことがあった。

 留まることのできる家が、無いことである。

 彼は幼い頃から、村の中の家という家を転々としていた。決められた期間、彼を引き取り、家族の様に過ごすというのが、村の人間の扶養義務だった。

 その義務を持つ村の代表は、コーデオンの連絡によりやってきたコモドドラゴンズの副社長に対して、こう言った。

「どれだけの報酬をいただけるんですかな」

 コモドドラゴンズ副社長のキューパ・エンゲイはその言葉にひどく不快感を抱いた。

 村の代表は副代表に、年毎の報酬の何十パーセントかを、D・Dのそれまでの養育費として、彼に支払うことを要求した。だが副会長はそれに対し、D・Dに関する全ての縁を切ることを条件に、彼らの要求する額よりもはるかに大きな額の契約金を支払った。

 いくらコモドドラゴンズが不調で危険な状態にあったにせよ、逸材に対する投資は惜しむ気は無かった。そのくらいで、この青年を縛っているものから奪うことができるなら、安いものだ、とエンゲイは思ったのだ。

 D・Dはそれからすぐにサイトマリン星系を離れた。エンゲイはその時のD・Dの荷物の少なさに驚いた。D・Dは、出発を何げなく急かした。そのまま口にした訳ではない。まだ行かないのか、と何気なく言っただけであるが。


「別れを言っておく人があるなら今のうちに」 


 エンゲイは自分の支度がなかなかできないこともあったので、そう彼に言った。するとD・Dはこう言った。ひどく不思議そうに。


「何でそんなこと聞くの?」


 その時D・Dは17歳だった。



 翌日、ゼルダはキディに連絡をとった。キディは頼んでいた雑誌が来た、ということで、仕事前に、と昼前には彼女の店にやってきた。


「悪いわね、早くから」

「いえ、俺が頼んだんですから……」

「……ねえ、ちょっとこっちにいらっしゃいな」


 彼女は店の奥のテーブルにキディを迎え入れた。既に包みがその上に置かれていた。それをすぐに渡してくれるのかな、と彼は思い、ポケットの財布をまさぐったのだが、そうではないらしい。

 彼女はわざわざポットにお茶を出してきた。つまりはそこに座れ、ということなのだ、とキディは理解した。置かれた袋がとにかく気にはなったが、彼はとりあえず彼女の無言の要求に従った。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 熱すぎないミルクティだった。どうして好みを知ってるのだろう、と彼は少し考えた。相棒が言ったのだろうか。彼女は自分の分にも口をつけ、やがて口を開いた。


「キディ君、この雑誌の内容、知っていた?」

「え? いえ、全く知らない訳じゃあなかったけど」

「そう」


 ゼルダはかた、と半分飲み干したカップを置き、包みの中から雑誌を出した。キディはそれを見て、目を半分伏せた。ああやはり。


「他人の空似かしら」

「どうだろう」


 キディは苦笑する。


「どうだろう、って」

「俺はだって、マーティのことなんて、何も知らないもの」

「相棒なのに?」


 言葉に軽い棘が感じられた。どういう関係なのか、彼女が知っている訳がない。かまをかけているだろう、とキディは思う。


「相棒でも何でも。奴自身が知らないことを、俺が知る訳がないでしょう?」

「彼自身が、知らない?」

「ねえ、ゼルダさん、奴から昔のこととか聞いたことあります?」


 いいえ、と彼女は首を横に振った。


「俺もないです。だって奴も俺も、十年くらい前より昔の記憶は無いんですから」


 彼女は露骨に眉を寄せた。からかわれているのではないか、と思った。だから短く問い返す。


「何それ」

「言葉の通りですよ」


 キディはにこりともせずに、そう返した。


「記憶が無いんです。俺も奴も。消されてるから」


 そして一呼吸おいて、付け足す。


「政府から」


 彼女は息を呑んだ。予想できた反応だった。


「……って、それ……」

「『尋ね人の時間』って番組、ご存じですか?」

「ええ、知っているわ。でも……」


 それは、中央放送局が毎日、短い時間だが必ず流す、身元確認の番組だった。

 前の政権の頃に政治犯として捕まり、身元と記憶を剥奪された人々の紹介の番組。

 何だろう、と思いつつ、彼女も時々目にしていた。だが何となく見ていると不安を呼び起こしそうなその番組は、好んで見るものではない、と彼女は考えていた。

 記憶と身元。


「でもあなた達――― がそれって言うの? でもあなた達が、あの番組に顔を見せたことはないじゃないの」

「俺は別に、自分が誰だったかなんて、どうでもいいし………… 今のキディで満足しているから……奴はどうだか知らないけど」


 彼女は顔をしかめ、首を横に振る。


「信じられないわ」

「そう言われても、困るけど。確かにあったことなんだし――― もう今は、そんなこと、どうだっていいけど」

「じゃあもしかして、本当に、彼がこのひとだ、って言うの?」

「かもしれない。時間的には、合うけどね。フォトグラファのひとが、そう言った。この雑誌でしばらくこのD・Dってひとを追ってた、って言うんだ」


 彼女は再び黙って首を横に振った。


「信じなくても、いいよ。だって俺だって、普通にそんなこと聞いたら、絶対信じられないもの」

「信じないとか、そういうのじゃなくて」


 ゼルダはそう言いながら、顔を上げる。そこにはまるで表情を変えない青年の顔があった。

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