第17話 見覚えがある星の形の窓、パスタの食べ方
彼らの店からさほどに遠くない所に、その店はあった。ややずんぐりとしたその建物は、夜の闇の中に、レンガよりやや明るい色に浮かび上がって見えた。
「あれ? ここって前は新聞社のビルじゃなかったっけ」
最上階に近い窓の、星の形にキディは見覚えがある様な気がした。
「新聞社? 何言ってんだよ。ここはずーっと……」
言いかけて、イリジャは首を傾げる。
「いや、ずっとって言うか、この建物な、首府から持ってきたんだって言うんだ」
「首府から?」
「うん。何か植民初期の建物だから、って残しておこうって動きがあってさ。で、地価も安いこっちへ移されたんだ、って俺前聞いたことがある」
そして新聞社かどうかは判らないけどな、と彼は付け足した。
「何、キディお前、首府へ行ったことあるの?」
「行ったけど…… でもそれはごく最近だし……」
それも、クーデターのために、だ。
「だったら何かの間違いだろ。もうかれこれ6年くらい、ここにでんと居座ってるぜ?」
ろくねん、とキディは口の中で繰り返す。あの星形の窓は、それでも確かに見覚えがあるのだ。
色は…… 色はこんなに濃くは無かったと思う。こんな綺麗に飾られてもいなかったと思う。
だけど、あの星形の窓だけは、妙に自分が覚えている様な気がするのだ。
「まあいいじゃん。入ろうぜ。とっとと入らないとオーダー終わっちまう」
あ、そうか、と我に帰って、キディはイリジャの後に続いて行った。もう時間も結構遅いのだ。
入り口の右側から、イリジャは地下へと降りて行く。狭い階段は、所々にひびをパテで埋めた様な跡がある。そしてその上に、ぺたぺたと色とりどりのビラが貼られてははがされ、またその上に貼られている。
「何か変わったとこだね」
「うん。この地下のリストランテ、時々前衛キネマも上映してるんだよ」
「それって何か、食欲失せそうなものじゃない?」
「別にに大画面で流れてるって訳じゃないぜ? あくまで、ちょっとアートな雰囲気って奴を醸し出す程度にな、モニターに時々映し出す程度。ほれ、そこのビラは、そういうの製作した連中の宣伝だわ」
へえ、と言われて改めてキディはそれらのビラに顔を寄せる。
「でも詳しいね、イリジャ」
「詳しいってことは無いさ。まあ常識とまではいかないけどさ」
少し照れ気味に背中を向けるイリジャに、キディは苦笑を浮かべる。
「まだ大丈夫?」
入り口に居た店員に聞くと、ぎりぎりですが、という答えが来た。イリジャは指でOKのサインを送った。
「でもさ、何でいきなりパスタなんだ? お前確か、昼もそうじゃなかったっけ」
「そうだっけ」
「そんなついさっきのこと、忘れるなよ。今日のお前のお昼はミートボールのパスタ」
「うん。それは覚えてるけど……」
気になっていたのは、自分の食事のことではない。メニューに目を通していたイリジャに、キディは顔を寄せた。
「ちょっと頼みがあるんだけど」
「何」
「できれば、細い長い系のパスタにしてくれない?」
「いいけどさ、何で」
「頼むよ」
変な奴だな、とつぶやきながらも、イリジャはオーダーを取りに来た店員に、カルボナーラとチキン入りの温野菜のサラダを頼んだ。キディもシーフードと香草のパスタを選ぶ。
「高い天井だよね」
「地下にしちゃな」
「ここは、印刷室だったようですよ」
はっとしてキディは顔を上げる。水差しを運んできた店員は、さりげなくそう話に入り込んできた。
「印刷室?」
「はい」
「ねえもしかして、ここって、新聞社のビルじゃなかった?」
「左様でございます。首府のノーザンタイムズの社屋を、この地に移築したものでございます」
それだけ言うと、店員はすっ、とそのまま奥へと戻って行った。
「何やっぱり新聞社なのかよ。お前どっかでそんな記事見たんじゃない? ノーザンタイムズだったら、全国版だし」
「それも考えたけど」
そうじゃない、と彼の中でつぶやく者が居る。彼の「知識」はあくまであの星形の窓が新聞社のものである、ということだけであり、その新聞社が移転したということに関しては全くの心当たりが無いのだ。
とすれば、考えられるのは、一つしかない。自分は首府に居たことがある、ということだ。
ほんの子供の頃から居たのとかどうかは判らない。実際、彼を夜時々悩ませる、夢の中に出てくる光景は、首府ではない、という確信があるのだ。少し前のクーデターの時、首府には行ったが、その時にも、一つの感慨も起こらなかった。
彼ら元政治犯の流刑者だった者達は、記憶の筋道を混乱させられている訳であり、抹消されている訳ではない。何処かに記憶の断片が置き忘れられることが多い。
キディの仲間達の中にも、そんな断片からたどりたどって、記憶を取り戻した者も居た。ただ彼の場合は、そんな強い印象のある断片自体に問題があった。思い出したくないものだった。
だけど。
彼は思う。
これももし断片だったら、自分はもう少し別の角度から、記憶を取り戻すことができるのではないじゃないか。
「おい、何ぼんやりしてんだよ、パスタが来たぜ」
はっ、と気付くと、先ほどの店員が、彼の前に湯気の立つ皿を置いていた。キディは置くとすぐに立ち去りそうな様子の店員に、慌てて問いかけた。
「ねえ、この建物、いつからここにあるの?」
「六年前でございます」
「六年前」
「なかなかこの建物の修復には時間も手間も掛かりましたことですので」
「修復、って……」
「それ以上のこと、私には判りかねます」
では、と店員は再び去っていく。
「やけに気にするよな、お前」
「……うーん……」
何だろう。やはりキディの中では何かが引っかかっていた。
「それよっか早く食おうぜ。冷めちまう」
それは全くもって、正しい意見だった。イリジャは言うが早いが、用意されていたフォークとスプーンを手に取ると、その両方を使って、くるくるとパスタを巻きだした。
「あ!」
キディは思わず声を上げていた。
「な、何だよ」
「イリジャそうやって、スプーンも使うよね」
「使うよ? 何、お前使わないの?」
「……いや……」
使えなくはない。使う様にしていた気がする。だが使わなくても……
「それが普通、なんだよね? お前いつもそうやって使ってるよね?」
「何言ってるのお前? 当たり前じゃん」
違和感の正体が形になるのに彼は気付いた。
シィズンは、スプーンを使っていなかったのだ。フォークだけを皿に押し当てるようにして、くるくると器用にパスタを巻いていた。
「お前オフクロさんに教わらなかった? パスタはこうしないと逃げるから、って」
「……あ、ああ……」
確かにそうなのだ。
ここでこそ、こってりしたとろみのあるソースのパスタも多いのだが、基本的にこのレーゲンボーゲンの最初の植民者に食べられていたのは、汁気の多いパスタである。スプーンの添えがあって、はじめて上手く口に入るというものだった。それが普通なのだ。
だがシィズンは違った。彼女はスプーンが置いてあったにも関わらず、フォークだけでくるくるとやっていた。
とすると。
一概には言えない。だが、その可能性はあった。
「お前ホント、おかしいよ」
「うん、おかしいのかもしれない」
「そういう時にはね、ちゃんと食って、よく寝る!」
「単純」
くす、と彼は笑う。
「単純で結構。それで起きた時には、とりあえず次の朝が始まってるんだよ。何があってもさ」
そう言ってイリジャはぱく、と絡めたパスタを口にする。
「何」
「いや、イリジャそういう考え方する奴だったんだなあ、って」
「何、俺どんな風に見えてるの?」
「いや、いつも楽しそうだなあ、って」
「そりゃあ、俺はいつも楽しくやっていたいからね。でももちろん俺だって人間だから、そう楽しくばかりやっていられない日もあるでしょ」
「―――うん」
「今より若い頃なんて、もっとそうじゃあないの。やってしまったことがずいぶん大きかったりしちゃ、そのことが結構ずっと頭を離れなかったり、ぐるぐるずーっと渦巻いてたりしてさ」
くるくる、とイリジャはパスタを巻く。
「それでずっと会えなくなってしまった友達も居るしさ。まあそれなりに、色々ある訳よ。でも仕方ないだろ?」
ぱく、と巻いたパスタを口に放り込む。
「でも、その友達のことはもう、忘れてしまったの?」
「忘れないさあ」
もぐもぐ、と半ば食べながら、イリジャはそう答える。
「忘れやしないよ。だけど始終思い出してる訳でもない。思い出したから、ってその相手が目の前にやってくる訳でもない。じゃあ無意味に深刻になっても仕方ない。昔色々あったのは、紛れもなくホントのことでさ、もうそれは戻る訳じゃあないんだ。だったらとにかくちゃんと食べて、眠って、次に来るものを準備万端で待ち受けるしかないだろ?」
「まあそれはそうだけど」
ものすごくそれは、正論だと思うけど。
「だからとにかく今は食べない? お前さっきからずーっと手が止まってるよ」
はっとしてその言葉に、キディは自分と相手の皿の上のパスタの量を比べてみる。
「ま、とにかくよく食って、よく寝て。そうすれば、ちゃんとその時っていうのは来るからさ」
「その時って?」
「その時は、その時さ」
キディは首をかしげた。
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