第3話 三月兎の新しい仕事

 その頃彼の相棒は、同じ屋根の下に居た。


「おやマーティ、やって来てくれたね」

「『サンライズ』のビールが来なくなるっていうのは俺にとっては大問題ですからねえ」


 マーチ・ラビットは店長ウトホフトに向かってにっこりと笑いかけた。


「何でしょうね、『サンライズ』の製造元のクロシャール社が、最近あのビールの生産量をずいぶんと少なくしたようですね」

「クロシャール社が。ふぅん。それはまた何で」


 マーチ・ラビットは奥まったその部屋の、大きなテーブルの周りに置かれた椅子の一つに掛ける。そこはちょっとした「会議室」とでも言っていいような所だった。実際彼は、そこでこの店長を含めた何人かと会議の様なことをしたことがある。

 ただもう、その時の参加者は、半分以上この地にはいない。生きてはいる。だが既に、その会議に参加するようなことから、身を引いているのだ。

 友達の一人は、遠い辺境へ相棒と一緒に出向き、そこで農園を始めたとも聞く。また別の友達は、記憶を取り戻さずとも、その経歴を探し出し、その時に所持していた免許を再取得して、小さな街で医者をしている。またある者は、小さな食事の店を開いて、毎日仕事に追われている。

 かと思えば、あのクーデターの際に、何故か政府にとって重要な役割を持った立場になってしまった者も居る。

 同じ様に政治犯として、あの冬の惑星から脱出してきた仲間達も、今ではそれぞれの道を歩いている。大半が、既に足をつけていると言ってもいい。

 だが自分は。

 マーチ・ラビットは時々そこで立ち止まるのだ。


「何ででしょうね。人気のあるビールのはずなんですが。おかげでこっちも大変ですよ。あの紺の缶はどうしたと」

「俺だってそういうこと言いたいね」

「そこでマーティ、あなたに頼みなのですがね」


 ほら来た、と彼は肩をすくめる。

 目の前の店長ウトホフトには、二つの顔がある。この地方都市ハルゲウで、「ビールと暖かい食事」の「マヌカン」という店の経営者の顔。そしてもう一つ。

 この間のクーデターにも協力した、惑星アルクの上に多数存在する裏組織の中でも最も有力な組織「赤」の代表。それがこの店主のもう一つの顔だった。

 一見したところ、このウトホフト氏は、穏やかな笑みと、穏やかな口調を持つ、恰幅の良い初老の男にしか見えない。育ちの良さをどこかに隠しているように、その物腰は、やや重そうなれども隙が無い。

 何処でどうやって、「赤」の代表になったのか、また、この「マヌカン」という店を建てたのか、それも判らない。

 この店で働く者の半分は、「赤」絡みであるのは確かなのだが、その誰も、この店主であり代表である男の本当の正体は知らないのだ。そしてそれを格別調べようとする者も居なかった。いや、居るのかもしれない。だがそうした者が、その後どうなったかは判らないだけなのかもしれない。

 いずれにせよ、マーチ・ラビットには関心の無いことだった。

 彼にとって、この代表は、時々いい仕事をくれるスポンサーだった。それ以上でもそれ以下でもない。

 キディはこの男の店で、今では「赤」とは関わりの無い仕事をしている。

 無論キディも先のクーデターには実働隊として参加していたのだが、元々そういう実戦には慣れていないこともあり、事態が収まったら、あっさりと手を引いていた。

 小回りの利くキディは、そのまま店員として残り、結果として、相棒であるマーチ・ラビットもこのハルゲウに居座ることになったのだ。

 しかし彼自身は、このハルゲウで何をすべきか、見つけださずに居たのは事実である。

 別に「見つけだす」必要はないのかもしれない、と彼も時々思う。

 毎日を、地道な仕事で食いつなぐことの中に、それなりの楽しみもある。そうでなくて、どうしてこの店が繁盛していよう? こういう店は、働いて疲れて帰る人々が、食事をし、呑み、歌い、昼の憂さを晴らす場所だった。そこには確実に、ささやかながらの日々の幸福がある。

 ただ彼は、それを目にするたびに、そこは違う、とつぶやく自分が居るのに気付くのだ。そこは違うそこは違うそこは違う。

 俺の居場所は一体何処なのだろう?

 あまりにもストレートな問いかけに、彼は自分自身に苦笑する。まるで社会に出たばかりのガキの様な問いかけじゃないか、と。

 そんな彼に、「赤」の代表としてのウトホフトは、たびたび組織側の仕事をもちかける。彼はそれを拒むことはない。報酬はそう悪くないし、体力は要るが、彼はその体力には恵まれていた。充分以上だった。


「何なんです? 今度の仕事は」

「いや、簡単なことなんですよ。そのクロシャール社から横流ししてもらった『サンライズ』が大量にありますので、それを受け取りに行って欲しいのですよ」

「受け取り?」

「決して大量という程ではないのですがね、しかし決して少なくはない。マーティ、あなたはエレカelectricarのパスは持っていましたかね」

「まあ一応」


 それくらいは、戸籍を再取得してから入手している。無くてはこの惑星の上では結構困りものなのだ。


「だったら結構。首尾よく持って来られましたら、一箱持って帰ってくださいね」

「それはありがたい」

 

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