パンダ燃ゆ PANDA PANDA PANDA!
荒木スミシ
第1回 パンダは燃えるかな?
序
「あと5分で世界が終わるとしたら何がしたい?」
そしたら彼女は真剣な顔でこう答えた。
「パンダを燃やすわ」
パンダを燃やす?
「なんだいそりゃ?」
「あなたはパンダを燃やしたことある?」
「いいや。だいたいパンダは燃えるのかな?」
「そりゃあ、燃えるわよ。何? あなたその歳にもなってパンダも燃やしたことないの?」
「ないな。思いもつかなかった」
「あなたって変わっているわ。みんな、一度くらいはパンダを燃やしたことくらいあるものよ」
そう言うと、彼女は減滅したようにランチをつくり始めたんだ。
あれ?
この会話っていつのことだったんだろう?
パンダを燃やす?
これは小さな街の小さな奇跡の話だ。そして竜巻のような恋心とひとつの殺人事件の話だ。
でもそのひとつひとつの小さな出来事が今では、本当の奇跡、のような気がする。奇跡とは小さな積み重ねのこと。
あれ、これって何年前だっけ?
第一部 みいちゃん
1
彼女との出会いは一風変わったものだった。
いつも行く定食屋さんで、僕はいつものようにランチを食べていた。客は僕ひとりだった。
そこへ彼女がやってきた。
彼女がバイトのあっちゃんと話し始めたので、ああ、あっちゃんの知り合いだな、と思いつつ、チャンポン麺を食べていた。
彼女はパンダが大きくプリントされたTシャツを着ていた。
季節は夏で、ひどく外は暑く、輝き、店のテレビでは高校野球が流れていた。
「最近、どうなん? あの彼は?」
と、あっちゃんは訊いた。
あっちゃんは細身でボーイッシュな顔立ちをして、この店のバイトを始めて、一年くらい経っていたかな。
彼女は席につくなり頬杖をついた。おそらく僕よりかなり若いんだろう。
「うーむ。どの彼のこと?」
「また変わったん? みい ちゃん」
「そりゃ変わるでしょ? 川は流れていくんだもの。男の人も流れていくのよ。火事みたいなものよ」
「おもろいなあ。みいちゃん は。何食べる?」
「隣のお兄さんと同じもの」
「アイアイサー」
隣のお兄さんというのは僕のことだろう。僕は彼女の横顔を少し見て、会釈した。彼女は僕のことなど無視して、高校野球を眺めていた。
お兄さんと呼ばれるほど僕は若くない。もう42だったし、どこにでもいる中年男だ。
どういうわけか、彼女の横顔を見ていると僕の心は軽く揺れ始めた。とても輝いて見えた。それがすべての始まりだったし、今となってはすべての終わりだったんだな。
「ねえ、隣の人?」
「何?」
「あなた、煙草を吸う人?」
「少しね」
「そか」
「それがどうかしたん?」
「私も煙草を吸う人。でも煙草って不思議なの。ある日、煙草を吸おうと思ったら、ライターがつかなかった。家にはいっぱい使った後のライターがあるの。でもどれを試してもつかないの。本当に煙草はあるのにライターがないの。そんな時、煙草に火をつける行為ってなんだろう、と思うの。こう、比喩的に」
「比喩的に?」
「そう。この世の中には、燃やすものと、燃やされるものがある。ライターと煙草」
「電子煙草が今は主流だけど」
「うむ。あれは充電しなきゃ意味がない。なにしろ燃えない」
「ん? 燃えることに何か興味があるってこと? 君は?」
「そう。煙草って美味しいと思わないんだけど、火をつけて、燃えていく時のあの、火種がチリチリっていう音がするでしょう。あの先端を見てると、落ち着く」
僕は微笑み、彼女はあっちゃんが作ったチャンポン麺を食べ始めた。あっちゃんが言った。
「喫煙室は店の奥にあるで。みい ちゃん」
「OK」
しばらく僕も残りのチャンポン麺を食べ始め、沈黙がやってきた。また彼女の横顔を見る。不思議な話をするみいちゃん 。とても細くて、背が高くて、横顔の綺麗なみいちゃんが現れた時から僕たちの竜巻のような不思議な恋が始まった。
確かに世界には燃えるもの、と燃やされるものがある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます