第35話 〜悪の風呂敷〜

 夜十時半。イヤフォンのみから流れるアラームが鳴り、目を覚ます。

 病室のベッドから起き上がり、枕元に置いてある戦闘服に着替え始める。


 結局今日一日病室で過ごすことになった。

 あまりに無理をしたせいか、ジーニズの調子が戻ったのは昼頃。


 頭部の打撲は軽い目眩を覚える程度。

「いいのか?」

「いいんだ。せっかく鈴にこっそり持ってきてもらった意味がない」


「結衣が怒るぞ?」

「それは困る。だが、やめる理由にはならない」

 俺は手を止めることなく、着替え始める。


 ジーニズの力が不完全なのは薄々気付いている。あの力は、恐らく長く使ってはいけない。


「あ、あの……」

 隣のベッドのカーテンが開く。

 今思えば女子二人と同じ病室にするとか、何を考えているんだあの先生は。


「愛美ちゃんが……」

 サラサラの黒髪、ミディアムボブヘア。綺麗な藍色の瞳。タレ目で怯える女の子は、申し訳なさそうに愛美の話をする。


 今日分かったこと。それは彼女こそが愛美とゲームをしている友人だったのだ。

 天麗てんれい恋春こはる

 クラスの隣の席にいるはずの女子はこの病室にいた。


 体が悪いのか精神に病を抱えているのかも分からない。

 先生も本人から聞きなさい。だから同じ部屋にした。なんて言いやがった。


 俺は人見知りだし、好き好んで相手を説得するために話しかけているんじゃない。

 目的や障害がそこにあるからだ。


「寝ていたとでも言ってくれ」

 俺は着替え終わった状態で、点滴を勝手に抜く。


「そ、そんな嘘なんて……」

「言っとくが……」

 彼女に近づく。


「天崎愛美は優しいが都合の良い女だ。何でも鵜呑みにすれば、君自身が嫌な思いをする」

 何で一丁前に忠告なんてしてやらなきゃならないんだ。

 他人なんだから関係ないで良かったはずだ。


「そ、そんな実の兄弟のことを……」

「じゃあ君には分かるのか?」

「あ、うぅ……」

 彼女は気まずそうに目を逸らし、俯いた。


「私の気持ちなんて分からないよ……」

 ボソッと愚痴のような一言。

「そうだな、話さなきゃ分からないさ。親が死んだ。誰かと喧嘩した。けどどうにかしたい。そんな気持ち話さなきゃ分からない……」


 俺は何を言ってるんだ……。何で何も知らないはずのコイツを自分と重ねてる。


「だから俺はお前のことが分からない。その藍色の目が……」

 藍色の目が……? 何だ? 何なんだこのモヤモヤとした既視感。


「え…………?」


 藍色の目……。俺はこの目をどこかで見た。

 この目を……テレビだかの記者会見で……。

 俺は片手で頭を抱えて記憶を探る。


「ど、どうしたの? 頭痛い……の?」


 ちょっとガタイの良いおじいさんの記者会見。優しい表情の裏にある何かを……。

 思い出した……。ここの天皇様だ。

「お前……本家だろ」


「えっ、なんで……」


「天皇様と同じ目。優しい顔の裏に何かを隠した表情」

「偶然だよ……!」

 彼女は強張った声で否定する。

 時間もないし、今追求することは無い。

 だがこの反応からして大体分かる。本家と何かがあってここにいるのだろう。


「何があったのかは知らないが、お前達が平和の象徴である限り、俺は奴からお前達を守らなきゃならない」


「私は違う……」

「言ってろ……」


 挑戦から言い訳を並べて逃げている表情、気に食わない。


 久々にイラつきを覚えた。あの愛美が拾った、守ってもらうだけだった女の子。

 昔の自分を見ているようでムカつくのは彼女以来だ。


「はぁ……」

 溜め息を吐きながらカーテンから出ていき、窓枠を踏んで跳んでいく。


「守られてるだけ、ねぇ……。嫉妬で守る側の気持ち分かってないのはあんたよ」

 亜美はその姿を部屋から見つめ、呟いた。


「守るやつが強い仲間ばっかだからか? その困った顔にどれだけ使命感を、取り戻した笑顔にどれだけ勇気を貰ってるのか知らないのね」



 *



「なんでよ! ちょっと離して!」

「離さないわ」

 乱威智が着いた頃には、暴れる鈴が愛美と結衣に羽交い締めにされている。


「どういうことだティアス?」


「知らぬ……! ホールを開いたからといって何故複数人で入ってくる? 時空の歪みに潰されても知らんぞ?」


 その言葉に一同動きを静止させた。


「俺の問いに答えろ」

「私は何もしていない。だからその怖い顔をやめろ」


 俺はしかめた眉を緩める。

「ただ、このままではお前の安全が保障できない。行くなら行くでそいつらを何とかしなさい。それでも行くと言うのならそれなりの覚悟があるんだろうな?」

 今度はティアスに睨まれ、俺の内心を疑われる。


「一人でもやる覚悟は出来てる」

「え……」

 鈴は動揺して声を漏らす。


 ふと見ると三人共俺の顔を目を丸くして見ている。

(は?)


「ちょっとあんた……」

 愛美が汗を浮かべ焦る。

(え――)


『パシン』

 あの時の手の平が俺の頬を平手打ちをする。


「謝りなさい」

 あの時と同じ。嫌悪に満ちた厳しい顔をした結衣が俺に命令する。

 そこでやっと理解する。俺は一番支えてくれた妹の気持ちを踏み躙ったのだと。


「わ、悪かった……。ごめん」

 俺は鈴に向かって、頭を下げた。

「鈴、お前が全てをかけて俺に手を貸してくれてるのは分かってる。でも、もしお前が好きなことをしたくなっても、俺は諦めないってことを伝えたかったんだ」


 内心を心を凍りつかせながら、真摯に気持ちを伝える。


「ふん……。い、言わなくても分かってるわよバカ兄貴」


「話終わった?」

 愛美がフードの襟を手でかきながら、近付いてくる。


(え、何だよ。まだ俺に何かあんのか?)


「あたし、あの病院の全部ハッキングしてるんだけどさ……」

 彼女は次に襟足をかく。

(やば、忘れてた……)

 病院で何かをしてもコイツには筒抜けだ。それを今思い出した。


「一人での覚悟って何?」

 結界の中までは聞かれていないようだ。

 コイツは憶測で俺が亜美と手を取ったと勘違いしている。

「いや、あれは……」

「あんた勝ったんでしょ? というか人の友達に何無神経なこと言ってくれてんの?」

 いつの間にか同身長の彼女は眼前にまで近付き、ガンを飛ばしてくる。


「まず、亜美は」

「腹立つのよね」

 彼女は俺の胸ぐらを掴む。


「名前も似てる一人称も同じ。上から目線でキレると乱暴」

 それは照れているや嫉妬とはかけ離れた不快な感情そのもの。


「後で話す。共有者――」

 小声で答えると腹パンをされる。


「同じ過ち繰り返すな」

(コイツ……結界の中のことは分かってないんだよな?)


「あたしの友達は?」

 亜美の話は理解したのか、話を変えてくる。


「まさか警戒してないバカにズカズカ踏み込まれるとは思ってなかったけど」


「いや、ああ言わなきゃ――」

 また腹を強く殴られる。


「いい加減にしろあの時もフォロー入れたのあたしだろうが足引っ張るな」

 早口で説教され、胸ぐらを掴んでいた手で突き飛ばされる。


「な、何の話?」

 突き飛ばされた俺を受け止めた結衣。彼女は愛美に話の内容を問う。


「あんたも乱暴されたいの?」

「え?」

「コイツの口の軽さには兄も焔も奪われた。それ関連の話よ」

(結界の中のことも分かんのかよ……!)


「え、じゃあ元々止めるつもりなんて……」

「あんたもあれだけあたしを見て憧れてまだ分かんないの?」

 話が違うと結衣が伝えるも、愛美は自分に着いてきた人間について分かってないのか? と彼女を責める。


「あたしがまた立ち上がったのよ? 分かんないの?」

 呆れた表情で圧をかける。


「わ、分かるわ……。あなたを目指してるってことでしょ?」

 結衣は、狼狽えながらもそう肯定した。


「違う。あたしが立ち上がってからコイツはまた強くなった。その強い力に振り回されたから、あたしが押しただけでよろけてる。今のあたしを見た以上、コイツはまた耐性を付けてくる」


「分かってるわ。ただ……あなたと乱威智は一卵性だろうが何だろうが別の育ち方をした別の人間よ。それがいつまで続くか分からないのは経験済みでしょ?」


「何? 自分が育ててるつもりなの?」

「ええ、稽古の予定も優華を説得してるのも私よ。正しいことを言う権利はあるわよね?」

 二人の会話はヒートアップし、口論になる。


「…………」

 ティアスも鼻息で溜め息を吐いている。


 目標、演習、講評、計画、実践。俺が強くなったのは間違いなく五人のおかげだ。

 だけど……。俺を止めるのか話がズレている。


「ティアス、頼む」

 俺はティアスにホールの準備をお願いする。


「ちょっと!!」

 二人仲良く声をハモらせている。


「ええ……」

 彼女は頷き、空間に手を差し伸べる。そこから黒いワープホールを開けようとした。


 だが、その手は止まり、開きかけた黒いワープホールは閉じる。

「どうした?」

「変よ。誰かがホールを開けようとしてるわ」

 彼女は二人を睨む。


「まさか誰にも見られてないよな?」

 俺も眉をしかめて、二人に問いかける。


「問題あると思う?」

 えっへんと胸を張る愛美。まあ彼女がいるなら敵の気配なんかは大丈夫だろう。

 だが、足を付けられたという事実は変えられない。

「何人なんだ?」


「四人よ」

「あの四人か……」

 中学生位の女剣士、小学生位の獣人のような女の子、俺達と同年代位の魔女と銃を使う男。


 彼女達もシュプ=ニグラスの被害者だ。だが仲間の姿をしたコピーをこの手で殺した時から覚悟はとうに出来てる。


 自分が最善と思う選択を考え抜き、選び続ける。


「俺に用があるんだろ。別の部屋に通せるか?」

「できるわ。準備して」

 ティアスは管理用の機械のタッチパネルを操作し始めた。

「了解」


「兄貴、任務は?」

 鈴も黒い手袋を付け、戦闘の準備をしている。

「本来の目的が向こうから落とされに来てるんだ。こんなチャンスはない」


「本当はあの子達に間違った道を歩んで欲しくないのよね」

 結衣も密かに持ってきていた細剣を用意する。

「そうだな。人を憎む前にやることがあるはずだ。それを教えてやる」


「弱虫なりの意地ってやつね」

 愛美もそう言いながら指をポキポキと鳴らす。

 俺はそれを横目で見て、ほっとした。


 告白っていうのは凄まじく勇気がいる。俺も優華も誰だってそれを経験したからこそ、その関係に何かあれば心に痛みが伴う。


 彼女はその痛みを二度も乗り越え、トラウマにも立ち向かった。俺も胸を張って追いかけていける。


 そしてこれからもその壁は彼女の前に在り続ける。それに挑む彼女を見て、俺も目の前の壁に挑み続ける。



 *



「ここまでね」

 ティアスのいる場所を模した空間で、他三人は結衣、愛美、鈴に押さえつけられている。


 四人の戦闘技術はあの時から多少は磨かれていた。だが、亜美程ではない。


 俺は剣士の女の子を追い詰め、両腕を取り押さえていた。

 両手剣を持っているだけあって力は強く、この年齢相応の力じゃ無い。


「お前がリーダーなのか?」

「知らない」

 彼女は落ち着いた声で喋るも、表情は険しく怒りの感情が見え隠れする。


「名前は三日月みかづき睦実むつみ。家族三人を俺が殺したと思い込み、ハンバーグが好きで、ピーマンは嫌い。だが今は逆」

「黙れッ!!」

 見透かした記憶を話せば、激情する。

 だが、それを丸めこめる力もない。

 彼女にこの場所は向いてないということが明らかである。


「別に俺を憎もうがお前の勝手だ。だけど今までお前を育ててくれた一緒にいてくれた家族に、お前は今何をしてやれてる?」


「どの口がッ!」

「墓参りはしたのかと聞いてるんだ」


「は…………!?」

 三日月は怒りながらも俺の問いに困惑している。


「俺はシュプ=ニグラスのせいで仲間を三人殺された。一人なんて人造人間で、残り二人は奴に体をいじられたせいだ」


「だから……?」

「だから? お前ここまで言っても分かんないのか? 何故そんな非人道な実験をして命を弄んでる奴が、お前らのみを救う義理がある?」


「うるさいッ! 愚弄しないで……!」

 彼女は怒り狂い、俺の胸ぐらを掴もうとする。

 だがそれを払って彼女の胸ぐらを掴み、顔を近付け、目を見開き目力を強くする。

「死者を愚弄してるのはお前だ……。もし俺が奴の立場なら、一度傷付けたお前らにこんなことはさせないし、償えるものなら償う」


「だったら死ねって言ったら死ねるの?」

「構わないが、今度はお前が俺の命の罪を償うことになるぞ?」

 目力で威圧し合い、どちらも一歩も引かない。

 食ってかかろうと言うその諦めの悪さは誰かにも似ている。


「何言ってんだ! あんたが先に殺したんだッ!!」

「殺した? 非人道なことを何万年と続ける魔女をえこひいきするのか?」

 俺はあえて冷静に戻り、論点をズラして痛いところを突く。


「そ、そんな……」

 三日月は動揺し始めた。やはり思い当たる節はあったのだろう。

「既に歴史に影響を与え、何千何万何億人……それ以上の命を弄んできたのは証拠として残っている」


「だ、だからってあなたが殺してない証明にはならない! 動機なんか無くたって都合が悪ければ……」

「じゃあお前の家族は竜の星にまで来れたって言うのか?」

「へ……?」


「俺は国王の祖父を殺した罪を着せられ、三年前の夏にかつての星を追い出された。お前の家族が殺されたのはその前だろ?」

 俺は求められた潔白を証明する。これで奴への疑心は増幅するだろう。


「そんなのデタラメ……!」

 だったら気遣いなどせずハッキリ告げよう。

「お前は今十五、みたいだな。記憶を見た限りその殺しが起きたのはお前が小学四年生の頃……」

「うっ……」


 いくら口で張り合おうが動揺は隠せない。


「デタラメと言うのなら、俺はその五年前に自分の星にいて外に出れていない。更に地球のセキュリティは厳重。数年生きてるだけの生き物風情には難しいと思うが……」

「うるさいッ!」

(嫌味が効きすぎたか……)


「ちょっとこっちに顔向けさせなさい」

 愛美の指示を聞き、言う通りにはしてみる。


「くっ……! 何をする!」

 愛美に羽交い締めにされている銀髪獣耳の少女。不知火しらぬい 深春みはる


 深春が暴れるのを押さえ付け、こちらに向かせる。


「痺れるわよ」

 愛美は電撃を帯びた手を不知火の頭にゆっくりと近付ける。

「はっ!? やめんか! 剛力小娘! ひゃめッ!?」


「やめろ……」

 俺が言葉をかけると、愛美は制止した。


「なんで?」

 威圧感丸出しの厳しい表情で、俺に理由を求める。


「されて嫌なことはするな。母さんが言ってたろ」

「一言余計ね」

 その答えが少し気に食わなかったようだ。


 俺は三日月に目をやり、もう一度問いかける。

「俺はあいつの記憶も探って説教の一つでも言ってやりたい。今一度考えろ。俺がお前らの家族を殺すと思うか?」

 俺がそう問いかけた時、三日月は目を丸くして驚愕している。


「は……ちょっと今、何て……?」

「だから俺がお前らの家族を……」

 恥ずかしい言葉を何度も言わせないでほしい。

「う、嘘だ……!」

 突然三日月は頭を抱えた。


 他の三人に目をやると、同じような表情をしている。

(情報にズレが生じたか? 体を奴にイジられていないのは確かだが……)

 記憶を偽装されていたら敵わない。


「家族を殺されたのは私と誰なの?」

「あ? だからお前らのなんじゃないの? お前以外の記憶は探ってないから知らない」


「…………」

 三日月は絶句している。


「家族が殺されたのは私だけよ……。他の三人は違うわ……!」

「そうなのか。そりゃ当然ズレが生じるな」

 俺は普段通りの低いテンションでそう答える。


「分からんぞ! わざと惚けてるかもしれんし、記憶喪失なのかもしれん!」

 深春が声をかけるも……皆の手が緩むことはない。


 今分かった。リーダーはコイツじゃない。この深春とかいう奴だ。


「愛美、代われ」

「あいよ」


 愛美は暴れる深春を軽々と引きづりながらこちらへ近付く。


「睦実ッ!! 目を覚ますのじゃ!! コイツらは今言葉しか使っていない!! 演技することなんてざらに可能なんじゃぞ!!」


 他の二人も手を出す気配はない。

 拳銃コートの男の林智也は放心状態で虚空を見つめている。

 バニースーツ衣装の魔女のルナ•プレッセェルも、意気消沈と言える表情で俯いている。



「そこまでにしてやって逃してくれないかしら」

「!?」

 背後を振り向くと亜美が立っている。

 気配が全く無いのは分かる。だがこんなに近くまで気付かないことはない。


 どう考えても怪しい理由が他にもある。

 いつもの着物を着ているのにヒノキの匂いがせず、何か薬物のような香りがうっすらと匂う。


(これは……合わせるしかない……か?)


「よお、何しに来たんだ?」


「アンタたち四人、そのとっ捕まえてるのを離して引き渡してくれない?」

(渡す訳無いだろクソ野郎……!)


「あれあれ? は、や、く……してよ」

 その威圧感はあの時と同じ。

 空間を切り裂くや否や溢れ出した、幾年と溜め込んだ闇そのもの。


「じゃあ交換条件を求める」

「はあ……何なの? 早く言いなさい」

 彼女は俺を気遣う雰囲気を見せる。やはり結界を張る前のことは知っているようだ。


赤竜神アギトディオナをどこにやった? それを引き渡せ」

 俺は先日赤竜神を斬った。なのに記憶は見えないまま、気を失ってしまった。


 確かに俺は体力の限界だったのかもしれない。だがその赤竜神は刀に戻ってしまったそうだ。


 チェギアクオス戦以降、何度も自我を失った悪竜の相手をしてきた。

 だが今回のは悪竜でも無いからティアスの浄化も効かない。


「何言ってんの? アンタ達が奪ったんでしょ?」


「ジーニズ」

 俺はその言葉と共に右の刀を右手で触る瞬間、左手を腰の後ろに回して後方に合図を送る。


 鈴にこのサインを見せたら全員連れて引けと言ってある。


「おい、ジーニズ?」


「ん? ああすまない寝ていた」

 ジーニズも一役買ってくれている。


「うぉい……」

 亜美は俺の胸ぐらを優しく握り……。

「脂汗、瞬き、アタシはしないから気付きやすいけど、動揺しすぎじゃねぇの?」


『チリン』

 鈴の音が鳴り、その場から俺と亜美以外の人間が消えた。


「あれれ? あたしの言ってること聞いてなかった?」

 亜美は疑問を抱き、こちらへ近付こうとする。


「コホン、今度は何起こされるか溜まったもんじゃないからな。とりあえず赤竜神を叩き起こしてこちらに引き渡せ。俺がそいつを星に還せたら四人を引き渡そう」

 俺は近付いてくるのに待ったをかけて条件を述べた。


「は? めんどくさ」

「勝者は俺だ。それともここでもう一度決めるのか?」

 そうすればバレるのは必然。

 奴としても亜美に化けた理由は包囲されて優華アイツを呼ばれるのを嫌だから。


「ふーん、まあそれも良いかもしれないけど……今アギトくん起こせないからなぁ」

 だろうな。邪神たるお前と契りを結んだ竜や亡霊、呪いの概念ではない。


「まあその条件を変えるつもりはない。お前の憎むべき相手が暴れていなければ、神が三竜神を生み出していなかったと思うしな」


「ん? そう決めつけるのは早計なんじゃない?」

 挑発に乗ってきた。もう少し聞き出せるだろう。


「ほお、じゃあ最初の人間に突如能力が出たのも奴が関係してないとでも?」


「まあ、あたしはあんま分かんないけどさぁ……」

 そりゃあ予防線の一つでも張りたくなるだろうな今の複雑な状況は。


「もっと元から、最初の原因を究明してくれることをあたしは願ってるよ」

「そりゃどうも……」

 お褒めに預かり、光栄だ。だが、その上で叩き潰したいのだろうコイツは。


「もし、今アタシが強引に四人を連れ帰ろうとお前の仲間を殺そうとしたらどうする?」

 コイツも勝負に出てきたというところだろう。


「何を言ってるんだ。お前は俺のライバルなんだから、俺が全力で食い止めるしか無いだろ?」

「フッ」

 彼女は一瞬笑い、姿を消した。

 腹部に強烈な掌底を打たれる。そのパワーは優華さながらの力だ。


 俺は後方に吹き飛ばされながらも受け身を取り、体勢を立て直した。


「隙だらけだなぁ。あたしから四勝しただなんてよく言えるな?」

 まだその演技を続けるつもりか……。


 とは言えどうするべきかこの状況。

 先日分かったことだが、鈴の能力は相当な格上の力を持つ相手には使えないらしい。


 優華がいなければ相対出来なかった奴等だったから、当然その力はあるはずだ。


「どしたの? 喧嘩売られたのにかかってこないの?」

「そりゃそうさ。止めるとは言ったが戦うとは言ってない」

 俺は屁理屈を並べて考える時間を稼ぐ。


 どうにか俺だけで奴の首に打撃を与えられる方法を。


「言ったはずよ。あたしはあんたと戦い続ける。あんたと戦えばあたしはまだまだ強くなれる……」

 それは違う。アイツはそんな野心の為に強くなりたい訳じゃない……!


『姉さん、あたしは必ず討ち取ってみせる。この手で仇を』

 俺はあの後自室に戻るまで結界を解除させずに、あの談話室に幻覚のダミーまで残した。


 だからどうしてそこまで強さを欲するのか、全て理解している。


「おいおい、だんまり決め込んじゃってつまんね――」

「たわけ」

 彼女の背後には殺意を消した立体影が現れる。影縫を出すチャンスを伺っていた。


「偽物か」

 彼女は軽々しく左手を後方に伸ばす。

 立体影は空中で受け身を取りながら、刀で受け止めようとする瞬間。


 奴の意識は完全に正面から逸れた。

 正面に立ち尽くしていた俺は、怒涛の居合い斬りを斬り込む。


 閃光のような速さで駆け抜け、彼女の後方へ走り抜けた。


 背後を振り返ると……!

「自分だけ使えると思うな……!」


 目に黒い光を灯し、その残像が線を描かれる。

 横に振り上げた右手には漆黒の炎が宿る。


 立体影は気付かぬうちに解除されていた。

 すぐに後方に跳んで逃げるも、漆黒の炎を宿した拳は地面の概念をぶち壊した。


 ここは神の領域下のあるスペース。

 物質も無で出来ており、神以外は壊すことは難しい。


 破片が撒き散る程の衝撃は普段とは比べものにならない。


「ぐぁっ……!」

 その意味不明な衝撃波に吹き飛ばされ、受け身が取れなかった。

 打ちどころが悪く、足と肋骨を痛める。


「あれ? そこら辺の雑魚人間と変わりねぇな」

(結局好き勝手やるのかよ……!)


 だったらこの戦いが無意味だということを叩きつけてやればいい。

「今、ここで戦ったって俺に煽られるだけで楽しく無ければ時間の無駄なんじゃないか?」

 横たわる俺はニヤけながら挑発をする。


 どれだけ痛めつけられようが殺されようが、俺は死なないし傷付きもしない。慣れているからだ。


「いや、痛めつけているというだけで楽しめるものだぞ? お前には分かんないのか?」

「ずっと続けていればいいさ。どっちが先に折れるかな」


 彼女は口角を上げて笑う。

「不細工だぞオバサン」

「フッ!」


 奴は一瞬で近付き俺を蹴り飛ばそうとするが、傷なんか既に癒えている。

 片手で逆立ちしてバク転に繋げる。右足に青いオーラを纏い蹴りを受け流す。


「あ、出来ちゃった」

 一番イラつくであろう言葉を呟いた。

 予想通りチラリと見えた彼女の表情は、烈火の如く笑っている。


(なんか様子がおかしいぞ……)


 邪神の性質。それは誰かに化けることは出来ても、知能が化けた者のレベルまで落ちてしまうことだ。


 だが今のコイツは……亜美の知能レベルを司っている訳じゃない。


 変幻自在に感情を操れる……のか?

 まるでトリックスターだ。


 一歩引いて奴にどっちつかずの挑発を投げる。

「お前バカだろ。楽しむが為に本来の目的忘れるとか」


「あははっ……! 人を脅かすのは楽しい、なあ?」

(コイツ……本当にシュプ=ニグラスなのか?)


 でも冷静になって考えれば、どうしてここに来た?

 別に優華と俺はあれで絶縁した訳じゃない。

 目指す方向が違うだけで、誰かを含めた時に会話位はする。


 それ位分かってるはずだ。優華が現れることも充分にあり得る。

 対策をしたのか、全く別の……。


「お前の目的は何だ?」


「へ? そんなのあったとして答えるか?」

 奴はこちらを煽ってくる。力を誇示する正体不明者の煽り程面倒くさいものは無い。


「怠いな」

 刀を下ろし、面倒くさい素振りを見せる。

 正直なところ次から次へと……。

 今日の竜をどうにかして帰りたかったのに。


「じゃあ一方的になぶり殺していいよなッ!!」


 黒い拳を振りかぶるが、サタンの力でテレポートをする。


「シュプ=ニグラスはワープホールをこじ開けられない。そうだよな?」

「そうだ」


 話を始めると奴は足を止めて追ってはこない。


 誰だか分からないこの女は、今地雷を踏んだ。

 亜美の立場からしてもシュプ=ニグラスの本当の力の全ては計り知れない。

 なのにコイツは知ってる。ハッキリと答えた。


「推理タイムかな? じゃあ時間をあげよう。どうせあんたじゃあたしに叶わない」

 見つめていた彼女そっくりに作られた瞳は、俺の表情で察したのか真剣な顔でそう言ってくる。


 中央都市の情報網か……? だがコイツが来たワープホールはどう説明する。

 両陣営ともワープできるけど殺さない関係ってことか?

 だとしたら優華を同伴させれば、中央都市側はチェックメイトなんじゃないか?


 もしくは亜美も知らない、亜美よりもっとシュプ=ニグラスに近い存在。

 その線で行けば奴の夫ヨグ=ソトース。

 過去に邪神の王であるアザトースと出会した時、ヨグ=ソトースのことを聞いたら音信不通だと来た。


 更にヨグ=ソトースは銀の鍵と言ってワープホール同様の力を持つ。

 最初に見た印象はそれだ。


 だけどアイツを従えてるのは豪乱だった……。のか?


 自分の偽物がいるという豪乱本人の話。

 俺が二度目に見た豪乱は……どちらと言えば治樹さんが遭遇したその豪乱に近い。

 あの時は優華も豪乱と会話を交わした。


 最初のヨグ=ソトースを現した奴は……?

 優華は無言を貫いていた。どうしてだ?

 彼女は中央都市側でありつつも……。


「時間切れ――」

「多重スパイ……?」

 俺がそう口を挟む。

 彼女は目を見開き、笑っている。


『パチンッ』

 彼女は指を鳴らすと視界は暗転する。


 視界に薄暗い光が灯ると、俺は牢屋の壁に両手両足を鎖で繋がれている。


 目の前には先程の亜美の姿をした誰かがいる。

「まあ時間切れは時間切れだ。でも、ギリギリアウトで暴いてみせた」


「いい加減優華をお前のしがらみから解放しろッ!!」

 何かおかしいなとは思っていたんだ。

 シュプ=ニグラスはどうして俺達の実力を超えない訳有りの人間をけしかけた?


「そうしたら彼女は」

 瞬きをした瞬間。

「自ら命を絶ってしまうんじゃないか?」

 目の前の女の姿が変わった。


 白いワンピースを着た白、桃色、紫の縦メッシュ髪のボブヘア。

 そのメッシュは順序よく、片手首から先は無数の触手が現れている。


「それが本性か……」

 触手は気色悪く俺の顎を撫で上げ、顎を掴んできた。


「取り憑いたモノが、分離するなんてことあると思うか?」

 意味が分からない質問をしてきた。

 だが、猶予はあるだろう。


 ジーニズの気配はしない。俺がそれについて考えろということか……。

 この口ぶりから有り得て、成し遂げた。


「有り得る」

「そうだ。やって見せた。ならそれはいつだと思う?」


 虐待をし始めたあの頃はそんな話を聞いていない。

 豪乱は兄さんを見て影響を受けたと言っていた。


 そして極め付けは匂いだ。

 さっきまでは薬品の匂いがしていたのに、この生臭い匂いは……。


「失踪後、兄さんを見て影響を受けたんだってな。そこから二度目に会う時までの間。それが正しいのならお前と会うのは二度目ってことになるな」

 ここはとりあえずコイツの質問に答える。

 術中である以上俺の権利はコイツに握られている。


「そうだ。アイツは無心のまま、ある日突然無理矢理分離させやがった……」

 見た目は少女でも本性は現れてる。


「なあ、豪乱。俺今とんでも無いこと思い付いたんだが言ってもいいか?」

「なんだ?」

 少女の顔は急に真剣な様子へと変化した。


 やっぱりこれは武器になるか。

「気が変わった。元の居場所へ戻ったら――」

「言え」

 奴は触手を丸めて俺の鳩尾を殴ってくる。

「ぐはぁッ!!」

 唾と血を吐き散らす。もう触手で触ろうとしてこない。


「随分動揺してるようだな。質問、続けていいぞ」

「いいから言え。どうせお前の立場で思い付くことは予想できる」

 駆け引きをしたところで意味は無さそうだ。


「取り憑くのであれば、ジーニズから聞いた残る家族構成は母親と父親……。丁度揃ってらっしゃるのかなと思っただけだ」


「良い推理だな。だが、取り憑く存在はあの家族以外にもいる」

「殴られた以上の情報はくれるんだな……!」

 試す存在だからなのか案外お優しい。


「そうだろう? 私の言葉を聞け」

「はいはい……」

 どうやらコイツは中立の立場なのか? まだ奴の仲間であるという確証もない。


 だが情報は筒抜けのご様子だ。


「お前はまだ全てを救おうと考えているのか?」

「そうだ……。犠牲を払いたくないからな」

 殴られるかもしれないが理由も付け足す。

 この会話の時間もいずれ終わる時が来るかもしれない。なら効率良くしていきたい。


「優華のことはどう思っている?」

「進路の違うライバル兼師匠兼……友達だ」

「親友では無くなってしまったのか?」


 確かに。俺も前まではそう思っていた。ただ、あんまり単純な問題じゃない。

「信頼のすれ違いがあったんだろ。告白してきたんだし、信じてたのは俺だけでは無かった」


「今は?」

「ある意味、親友なのかもしれない。それぞれ追うべき兄がいる。その一つだけは信じている訳だ」

 この一問一答。コイツが何を考えているのか、全く分からない。

 だが、俺の心境の変化を問いたいのなら明かしてやる。


「全てを守る平和と、犠牲を成す正しい世界。どちらが正しいかを決めるのは勝者だ。その結果はあんただって予想できるだろ」

「そうだな。このまま行けば二つの力は分離し、奴は倒せない。そうだろう?」

 自分の配下の妻をどうしてほしいんだコイツは?


「質問いいか?」

「何だ?」

 思ったことは今ぶつけるべきだろう。俺は質問してみることにした。


「仮にも配下の邪神は奴を倒すことどう思ってるんだ?」

「こんなにも美しい世界を破滅させる……! 飼い主は納得できないなぁ」

 突然両手を広げて天を仰ぎ、口角を上げた悪い笑みを浮かべてこちらを見つめる。


「こんなにも美しい世界を輝かせる二つの花は……私を追い続ける。それを排除するなど、楽しくは無いなぁ……」

 やれやれと呆れた素振りを見せるが、口角は上がったままで常に高揚した様子だ。


「分離体は待つと言っていたが、私は待つつもりは無い」

 三色の髪を持つ少女の姿をした豪乱モドキは、細い腕を俺の首に回して至近距離まで近付いてくる。


「亜美以上に厄介になるって言いたいのか?」

 すぐにでもやめてほしい。顔だけは良いが、中身は化け物。

 それにコイツは……。あの時泣いていた幼い優華を苦しめた一人。

 忘れる訳が無い。憎いに決まっている。


「嫌そうな顔をするじゃないか?」

 俺の質問を無視して、俺の様子を伺っている。


「あぁ……。こんなにも美しい不屈の花。じっくりと痛ぶってみたいものだな」

 今度は触手と素手で俺の首と頬を撫でてくる。

「気色悪い……!」


「大切なものを奪われた時の彼女達の顔も見てみたいものだ……」

「良い加減にしろ……!」

 こんな不毛な話をするのなら早く帰していただきたい。


「私もどうやらお前の兄とは相対せねばならないだろう」

「どういうことだ?」

 突然真面目な話に切り替えてきた。どうやらコイツも俺と話せなくなるのは都合が悪いみたいだ。


「君のお兄さんはいつも近くで見守っている。私が君らを傷付けようとすれば、それ以上の力で押さえてくるだろう」

「本当なんだろうな?」


「嘘を言ってどうする……?」

「なら、どっちが強いんだよ? 兄さんと優華は」

「私の最高傑作を愚弄しているのか?」

 冷たい額を俺の額にくっ付けてくる。

「ふンッ!」

 俺はコイツの頭を頭突きで小突いた。


「いたたた〜。あーあ赤くなっちゃって」

「命を愚弄したから命に痛みつけられた。同然のことだ……!」

「あぁ……。ますます君を優華と融合させて最高傑作にしたい……!」

 また俺の体から離れたかと思うと高揚して踊っている。


「その時の顔を保存しておきたい位だ……!」

 そしてこちらに目線を向ける。

 本当に気色が悪い。


「そろそろお開きかな」

 豪乱モドキはパチンッと指を鳴らす。



 ふと気がつくとそこは元の場所。

 白い空間に戻され、目の前には誰もいない。

「大丈夫かアンタ!!」

 後ろからヒノキの香りがする。今度こそ本物のようだ。


「お前か。問題ない。ただ――」

 振り返ると、見たことのない触手を溶かしたような粘液ぐちゃぐちゃの化け物がいる。

 更に場面が突然変化して、見知らぬ商店街の十字路にいる。

 左右にはライトの付いた中型車が見える。


「誰――」

 そう聞いた瞬間巨大な拳で全身を殴られ、意識が飛びかける。


「ごばァッ!?」

 そのまま地面に殴り飛ばされて、朦朧とした意識の中……。

 見慣れた靴と足が見えて、いつもの家族の匂いが近づいてきていた。



 またすぐに目を覚ました時には、布団に寝かされていた。

 台所から差し込む光を覗くと、結衣がお弁当を作ってくれていた。


「起きたの?」

「ああ」


 幻覚で気を失ったのだろうか。聞いてみた方が早いだろう。


「なあさっきはどうなっ――」

 結衣が抱きつくように密着する。そして腹部に激痛が走る。


「がはぁッ……!」

 口から血を吹き出し、結衣から離れようと肩を掴むも力が入らない。


「大丈夫。サソリの麻痺毒だから」

 離れるどころか立てなくなった俺は膝から崩れ落ち、仰向けに倒れる。


「な、にが……」

 匂いはいつもと同じ石鹸と服の柔軟剤の香り。


「ちゃんと殺してあげるから。苦しむように」

「やめ……ろッ!」

 具合が悪くて思考が纏まらない。


 刺さった刃物の包丁を結衣が掴み、ぐるぐると掻き回すように腹を切り裂いていく。


「ゆ……い」

 息も上手く続かない。

 今まで散々酷い死に方はしただろうが今までで一番苦しいかもしれない。


「理由は、無いよ」

 結衣はそれだけ告げると切り裂いた腹から臓物を引っ張り出し、包丁で切り刻んでいく。


「がああああああッ!!」

 痛い。痺れる。頭が痛い。


「やめないよ」


「やめろっ!」

 目を覚ました。

 目の前では結衣が驚愕の表情でこちらを見つめている。

 そして頬が赤く腫れていた。

 そんな泣きそうな彼女の瞳を見て、自分の右手を見る。


 もう一度彼女を見ると苦笑いをしながら優しい顔を作っている。

「ごめん……」

 左手は自分のお腹をさすっていた。

 見るから最低な人間と言わんばかりの図が完成している。


 イラつきが止まらない。はらわたが煮え繰り返る位奴が憎い。

 どうして試すだけで人を巻き添えにする?

 そこまでして俺の精神を崩したいのだろうか。


「ねえ」

 結衣は俺の両肩をがっしりと掴み、真剣な眼差しで何か伝えようとしている。


「私にも話して。ヘマして捕まらないように、騙されないように……守ってくれるんでしょ?」

 彼女の気迫は先程のものとは全く違った。


「多分……お前の今のその意思を見抜くことを、悪夢で試されていた……」

 明日は引越しで早く起きなきゃいけなかったけど、俺は今の結衣に全てを話すことにした。


 *


 深夜二時。

 金髪ポニーテールにパーマをかけた毛先の女子高校生は、身分を隠して酒注ぎのバイトをしていた。

 キャバクラのように広い店内だが、客の質は悪い。

 だが給料は高くて手渡し。オーナー側も申告の必要も無しと黙認している。


「おーいカナちゃん。おいで〜」

 手招きする中年の男と酒注ぎのギャル女は下衆な笑いを浮かべている。


 作業を中断してその男と女の元へ向かう。

「はいこれ片付けて」

 酒の入った入れ物をふっかけられ、髪はびちょびちょで酒臭い。


「あははっ! どんくさ」

 その女の言葉は明らかにこちらへ向けられている。

「手が滑っちった。人殺しのお父さんお母さんもこんな感じだったんだっけ?」


 もう数日は経つが、別に風俗に売られるよりかは全然マシだ。


「そうだね」

 無表情でコップを受け取ろうとすると、腕をガシッと掴まれて身を引き寄せられる。


「可哀想だよな〜。人殺して自分らだけおさらば。借金はここで返せってねぇ?」

 男は身を引き寄せたかと思うと、また胸を揉み尻を触ってくる。


「でも楽しそうだからいいじゃーん?」

「確かに今日も随分楽しそうだからなぁ?」

 小汚くヤニ臭い頬を顔に押しつけて、ベロベロと舐めてくる。

 気色悪いが、拒否すれば事態はどんどん悪化するだろうし、一切抵抗はしない。


「はーい動画撮るね〜。くくっ」

 女もノリノリで私と男をスマートフォンで撮り始めた。


 客は他にはほとんどいない。

 そもそもここは店と言っていいのだろうか。


 だが逃げることは叶わない。家でスヤスヤと眠っている弟の為にも私は今日も頑張らなくてはならない。


『カランカラン』

 ドアが開き、客が入る音がする。

 若い成人男性が二人入ってくるのが見えた瞬間。

 女はスマホをしまい、男は私から離れた。


「ここでいいのかなぁ……ひっ……」

 男の客は今日も今日とて、後ろの誰かに怯えている。


 ドアは閉まり、男二人はホッとしている。

 まるで毎日女が動画を撮ろうとするタイミングで見計らって客が入ってくる。


「リコ行ってくるわ〜」

「いってら〜。見えない席によろ」

「はーい」


「いらっしゃーい〜。こちらへどうぞ〜」

 そんなにも可愛くないギャルが圧をかけて客を案内する。

 そして次の日にはまた同じことが起こるだろう。


「お仲間さんの為にも今日も派手なとこ見せつけてやらないとなぁ〜?」

「はい」

 誰がやっているのか分からない。でもそんなことをしてもしなくても大して変わらない。


 風俗に売られないだけでこの男の好きにはされる。

 例え助けられなくても、ネットに顔ぼかしで動画をばら撒かれて学校で虐められるかのどちらかだ。

 大差ない。


 打つ手を尽くすことは考えた。

 だが、普段から半グレに付け狙われていては、消費者金融にも法律相談事務所にも行けやしない。


 弟に手を出さないのであれば正直風俗だろうがどうでも良い。

 だって私は親の養子で本当の娘ではないことも、親が死んでから気付いた。

 世話になったのであればどちらを守るべきかは明確だろう。


「客も奥に行ったし、そろそろ良いか?」

「はい」

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