天使は来た

 コトリちゃんが会いたいって言ってるんだけど、どうにも嫌な予感がするの。会えばカズ君に会わせてくれの話になりそうで仕方がないのよ。二人が会えば確実に運命の歯車は回る気がするんだけど、今はまだ回って欲しくないの。だから仕事を理由に何度か断ったのだけど、さすがにそろそろ限界みたい。


「・・・シオリちゃんに一つお願いがあるの」


 いきなり来たか


「シオリちゃんは山本君の事をカズ君って呼んでるけど、コトリもそう呼んでイイかなぁ」


 ちょっと不意打ちのお願い。心の中では『嫌だ!』と絶叫しちゃった。ユッキーがカズ坊と呼んでたように、私がカズ君と呼ぶのは特別なんだよ。でもこの瞬間にユッキーがカズ坊を他の誰にも呼ばせなかった気持ちがわかったの。自分だけのものにするために、


『ユッキーと呼べるのはカズ坊だけ、カズ坊と呼べるのはこのユッキー様だけ』


 これを繰り返してんだ。氷姫から瞬時にユッキー様になり言い放ち、すぐに氷姫に戻って冷たい目でにらむ。これをやられたら誰も次からカズ坊と呼べなくなっちゃうんだ。私もコトリちゃんに言ってやりたいけど、同時にこれを言うのにどれだけの勇気が必要かも今わかったわ。

 そりゃ恥しいし、次から自分が何を言われるかと思うと普通は言えないよ。それでもユッキーはカズ坊の呼び名を自分のものにするためなら平気で出来たんだ。なんて強い人だったんだ。どんだけカズ君のことを思ってたんだよ。

 情けないことに私には出来ないよ。私だってカズ君の呼び名を私だけのものにしたいのに、シオリ様にはなれそうにないの。やっとの思いで話したのは、


「う~ん、まあイイけど、でもカズ君に聞いてからにしたら」

「じゃ、カズ君と呼ぶよ」

「う、うん」


 自分の情けなさに泣きそうな気分だよ。どうしたってユッキーには及ばないんだと悲しくなるわ。同時にコトリちゃんが本当に憎たらしく思えてきちゃう。また一つカズ君との距離を詰められちゃった感じ。


「で、カズ君どうなの?」

「とりあえず元気になって来てるみたいよ」


 外堀を埋めたら本丸ってところかな。あんたは家康かよ。ほんじゃ私は大坂城の淀君とか。あかんあかん、その配役じゃ私が滅ばされちゃう。じゃ、じゃ、じゃ、えっと、えっと、カズ君みたいに歴史に詳しくないから自分が勝てる配役が思いつかないから悔しい。でもここは慎重に対応しないと。


「木村さんを失った痛手は」


 どうしよう。カズ君に痛手は当然残ってる。そりゃ、一生残るに決まってるよ。ここで一生恋愛は無理みたいな話に持っていけば、コトリちゃんはあきらめてくれるかもしれない。今日の天王山かもしれない。攻めてくる秀吉を迎え撃つ光秀。ちょっと待った、ちょっと待った、光秀じゃ負けちゃうやん。えっと、えっと、天王山はやめて関ヶ原にする。攻め寄せてくる家康を迎え撃つ石田三成。なんで今日はこんな配役しか思い浮かばないのよ。


「そりゃ、大きいわよ。だって夫婦だったもん」

「えつ、恋人じゃなくて結婚してたの」

「う~ん、籍は入れてないけど、カズ君は交際を申し込んだんじゃなくて、いきなりプロポーズしたんだよ」


 これはカズ君に聞いたんだ。あれも凄い話だった。カズ君が意識を取り戻してから、ずっとユッキー様モードだったのに、その中に可愛いユッキーが見えたからプロポーズ以外のサプライズは考えられなかったって。どうやって見えたのか聞いたんだけど、


『そりゃ、毎日やってればね』


 って笑ってた。ユッキー様モードでNOって答える可能性はどうかって聞いてみたんだけど。ちょっと遠い目をしながら


『そんときはストーカー呼ばわりされても口説き落とすつもりだった』


 カズ君はきっとユッキーがOKするのを知っていたと思うの。それが一番ユッキーを喜ばすサプライズだと確信していたのよ。カズ君がサプライズやプレゼントをする時に、どれだけ入念に下調べをするか知ってるもの。カズ君は意識を取り戻してからずっと、ずっとユッキーが一番喜んでくれるプレゼントは何か探してんだわ。

 そして見つけ出したのがユッキーを奥さんにすること。恋人じゃなくて結婚して奥さんにする事だったんだ。ユッキーがカズ君のプロポーズを受けた瞬間からがっちり結ばれた夫婦だったんだよ、絶対にそう、間違いないわ。


「それでも式とかはなかったんでしょ」


 これもカズ君が教えてくれた。プロポーズしたのは退院の前夜。泣きじゃくってたユッキーがようやく落ち着いた頃に、二人だけで誓い合ったんだって。その時のキスがいわゆる永遠の愛を誓うキス。ユッキーのファースト・キスって言ってたっけ。さすがに病室で初夜は無理だって笑ってたよ。ちょっと妬けたけど、すっごく感動したもん。

 だからユッキーは倒れてから、あの病室を選び、あの病室から動こうとしなかったんだ。あの病室はユッキーにとってどんな大聖堂より神聖な場所だったんだよ。そこはユッキーが可愛いユッキーになり、カズ君の奥さんになった大事な大事な部屋だったんだよ。


「そうだったんだ、知らなかった」

「私も聞いてちょっとビックリした。まあ戸籍上はともかく心のバツイチって言ってたよ」


 どうだろう。これでコトリちゃんは退いてくれるかなぁ。私が逆の立場で聞かされたら退きそうやもん。さすがに考えてるな、ひょっとして大坂城を守り切れるかも。あかんあかん、なんで私は淀君やねん。


「じゃあカズ君に再婚の意志はないの」


 さてどうしよう。ここでダメを押せばコトリちゃんを撃退できそうな気がするの。もちろんウソじゃないよ。『今』のカズ君には『まだ』新しい恋をする余地はないもの。でもね。でもね、そうでもなくなって来ているのは女の勘でわかってるの。

 でも、それを言ってしまえば、運命の歯車が確実に回ってしまうやん。ああん、もうちょっと前なら再婚の意志なんてないって、心の底から言えたのに、ここまで引っ張ったばっかりに言えばウソが混じってまうやん。

 ウソはあかんよね。恋の勝負に駆け引きはあってもウソは良くないよ。それに私はユッキーからカズ君を宜しく頼むと託された、ただ一人の人間だよ。そこまで信頼してもらってるユッキーを裏切ることはできないのよ。


「もうちょっと時間がかかるかもしれないけど、カズ君は立ち直ってきてるから出来るかもよ」


 あ~ん、言っちゃった。これだけはコトリちゃんに知って欲しくなかったのに言っちゃった。自分で運命の歯車を回しちゃったよ。シオリの馬鹿、馬鹿、馬鹿。


「カズ君はコトリのことをどう思ってるかなぁ」


 ラストチャンスかもしれない。だって長いことコトリちゃんはカズ君に会ってないんだよ。私はユッキーのお蔭で会えるようになったけど、コトリちゃんが最後にカズ君と会ったのはあの事故の随分前のお話だよ。ここをなんとか言いくるめたら、コトリちゃんは退いてくれるかもしれないわ。

 でもね、これもカズ君に聞いちゃったんだ。ホント聞きゃなきゃ良かったんだけど、つい口が勝手に動いちゃったの。そしたらね、


『あれは悪いことしたと反省してる。一度会って謝りたいんだ』


 カズ君はコトリちゃんに会いたいって言ってったんだよ。可愛いユッキーの癒し効果は偉大で、カズ君のあの持病を綺麗さっぱり治しちゃったんだ。私にもあの時の事を謝ってくれたけど、コトリちゃんのことも当然だけど誤解ってわかっちゃったんだよ。

 ここでコトリちゃんに『カズ君は会いたくないって』と言っておき、カズ君には『コトリちゃんはもう会いたくない』ってすれば話は終りそうなのは見えてるやん。誰にもバレないし、後は時間をかけてカズ君を落としたら、私にとって万々歳やのに。どうしてもそれが出来そうにないの、どうしてなの、


「カズ君も一度会いたがってた。今度セッテイングしとくね」

「ほんまに、ありがとう、うれしいわぁ」


 なんてこった。この役だけはしたくなかったんだ。私がコトリちゃんをカズ君に引き合わせる役だけは。でも心の中でどんなに抵抗しても出来ないのよ。最悪の道化師やん。どうして私がそんな役回りなのよ。

 やっぱり自分を最初に淀君に喩えたのが拙かった。淀君じゃ絶対勝てへんやん。えっと、えっと、他なら、他なら、お市の方、篤姫、皇女和宮。なんでやねん、みんな悲劇のヒロインばっかりやん。もうちょっと歴史の勉強しとけば良かった。

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